第三十三幕・「人質」
リフ・ナンミはギ豪族達から、人質を差し出すよう要求すると、自分はさっさと兵を率いてビ郡へ帰還した。
エン州五郡の内ビ・ギ二郡を治め、実質エン州内最大勢力へとなったが、東にトウ州管領クリャカ家、西にカンベ郡守護チョウエン家の両家に挟まれる形となり、ギ郡を征したとはいえ油断出来なかった。
下ギ郡総代としてナンミと話をしたユクシャ当主は、使者としての勤めを終えるべく、下ギ豪族達に所領安堵と援助の件、そして、人質を差し出す事を話し合ってから、タキ城へ帰城した。
【――タキ城・広間――】
「―――と、まぁ、こんな所だ……」
サイソウ城大広間での経緯を、手短に話し終えるとアガロは溜息を一つ吐く。今回の役目は彼にとって精神的にきつかったのか、少し疲労の色が見て取れた。
「当主様。先ずはお目出度う御座います」
恭しく祝辞を述べるのは参謀役のナンジェ・カイ。彼はアガロが居ない間、城下町復興の為人々を呼び戻し、街作りを進め激務をこなしていた。目の下には寝不足なのか、大きなクマがある。
「ああ、ナンジェ。お前の策のお蔭だ」
「恐縮です」
「これで一安心だな」
そう言ったのは最近家臣の末席に加えられた赤鬼。ドウキは士族の身分ではないが、亜人大将として正式に役職と部下を貰った。
彼にとって誇らしかったのか、上機嫌が続いている。配下を率いて領内の巡察に精を出し、また城下町復興の為尽力もしてくれている。
彼はこれまで古びたボロ着を着ていたが、取り立てられてからは新しい羽織、袴、帯を身に着けている。深緑色の羽織りは彼の肌の色に良く似合っていた。そして、今迄無精髭であったが、綺麗に口と顎鬚を整え、宛ら一軍の大将のような風貌である。
「いや。ドウキ。これで安心は出来ない」
「どうしてだよ? 所領安堵もされて、目論み通りだろ?」
「一難さってまた一難……今回は人質を取られると…?」
ナンジェが聞くと、アガロは頷く。
「だが――――」
と、口を開いたのは姉のタミヤ。彼女は新兵の稽古や、軍団の整備、県境などに派兵をしては、敵の侵攻などを警戒させていた。
「人質を取られても私達豪族はいざとなれば寝返るだろう? 人質など両者の関係を維持する一時的な物だ」
「確かに姉上の言う事間違いではない。が、今回は―――」
「その人質が問題と?」
言おうとした事を母に先に言われ、アガロは小さく頷く。
「一体誰が人質に……? この母でしたら迷わずナンミの所へ行きましょう。ルシアは、……御家の為とあらば分かってくれるでしょうし……」
サヒリはルシアが父コサンと同じく家族思いな事を知っている。
彼女は父の首を埋葬してて以来、体調を崩し部屋から出て来れなくなっている。
「私も人質になる覚悟くらい出来てるぞ」
とタミヤが弟へ言うが、アガロは『違う』と首を振る。
「では、家臣から人質を……?」
「それも違う。人質は―――」
アガロは重い口を開き、誰がナンミに囚われるかを告げた。
「―――俺だ」
瞬間、居並ぶ者達は黙り込み沈黙した。皆、我が耳を疑っている様子であった。普通、当主を人質に取る事など滅多にない。
豪族の当主は戦の時に兵を率い大名の下に馳せ参じる。率いる兵士の七~八割は農民で領内から掻き集めるがその際、地域との繋がりを当主は確りと保っていないと、村は兵を出すのを惜しむ。余り知りもしない当主に、人であろうと亜人であろうと、貴重な町や村の労働力を奪われるのを嫌う。
勿論従軍すれば得する事もある。例えば飯にありつける。それが駄目でも軍資金を支給されれば、陣中を訪れる商人から喰料を買う事が出来る。また、略奪目的で参加する者も少なくない。
しかし、彼等は基本農民であり、畑仕事に従事しなければ生活に困る。戦は臨時収入の場ではあるが、それは上手くいけばであり、死ぬ事もある。快く兵士を差し出す村は多くない。
故に、当主は余程の事がない限り、居城を変える事がなければ、領地から離れる事がないのだが、ナンミは敢えて当主を人質に取るという。
「何故…お前を、当主を…人質に……?」
タミヤが分からないといった表情で訊ねた。
「姉上。聞いた話によると、ナンミ家は家臣を城下町へ移住させ人質とし、ビ郡を従えてる。俺以外にビ郡へ人質として行く者達も居る。それに…」
少し間を空けると、彼は弱々しく呟く。
「…今のユクシャ家に拒否権は無い―――」
―――俺等は負けたんだ……。と彼は暗い表情で言った。
「今はサイソウ城でヤイコク達が人質になり、俺が来るのを待っている。遅れる事は出来ない。急いでビ郡行きの御供衆を決める」
アガロには下ギ郡総代使者としての責務があった。
もしサイソウ城で人質になり、代わりの者を下ギ豪族の所へ送れば降伏を渋る、と以外にもリフ・ナンミ自身が言い出し、アガロを下ギ郡へ返した。
だが、代わりにヤイコク等数人の家臣達を人質に取られたのだ。
すると、タミヤの守役でユクシャ家臣一の猛将が憤慨した。
「お館様! それで良いのですか!? こうなればヤイコクには申し訳ありませぬが、我等もう一度兵を挙げ、ナンミに対抗してみては!?」
「ソンギ。それは無謀だ。今の俺等に対抗出来る程の兵力も物資もない。クリャカやチョウエンに手引きするのも手だが、既に俺等はナンミに降っている。何か裏があるのではと疑われるだろうし、万が一それが露見すれば終わりだ」
「されど―――!?」
「それにだ、俺が人質になれば復興援助をしてくれる。今更ユクシャ家だけがその条件渋っても、最早他の下ギ豪族は協力してくれないだろう。孤立する」
諦めきれないのかソンギは、猶も喰い下がろうとすると『くどい!』と撥ね付けられた。まだ当主になって間もないというのに、彼の気迫に気圧され思わず黙ってしまう。
「兎に角、そういう事だ。シグル、父上の葬儀の準備は出来てるか?」
「は。直ぐにでも始める事が出来まする。されど御館様、今は早急にビ郡行きの御供衆を決めねばなりませぬ……」
「人選は俺がする。お前は変な気を使わないで、葬儀を行え。明日、ケイリュウ寺に集合。時間は後ほど伝えろ」
彼はそう言って立ち上がり出て行くと、その後ろをトウマが追いかけていった。
「あいつは何を考えているんだ!?」
タミヤが何とも決まりが悪そうに腕組をした。その様子を母のサヒリが見つめる。
「タミヤ。後で私の部屋に来なさい」
「母上…?」
母はすくっと立ち上がる。未だ足の傷が完治していないのか、彼女は侍女の手を借りその場を後にした。
【――奥の間・サヒリの部屋――】
「……何でお前がここに居るんだ?」
「別に良いだろう?」
タミヤは眉間に皺を寄せ、怪訝な顔をした。目の前に居るのは、先程まで当主の座に座っていた弟だ。
「母上、これは?」
目線を母に移し、説明を求める。
「今朝方、私の部屋にマヤが来たのです」
「マヤが…?」
「彼女は御館様の伝言を預かっていました。内容は、評定の後、私の部屋に集るように、タミヤも入れて三人で話しがある、と」
「アガロ。説明してもらうぞ」
どうしてこうも回りくどい事をしたのか、タミヤは気になった。
話しならばさっきまで開いていた評定ですればいいものを、とタミヤは渋々座り、上座に胡座を掻く当主に視線を移す。
「母上。姉上。今から話す事を聞いてくれ」
アガロは重大事を打ち明けるかのように、重々しく口を開く。
「従兄のワジリに会った」
最初に彼が口にしたのは従兄のワジリ。サヒリもタミヤも面識がある。
「いきなり話しがあると言われたから、何かと思えば……。マンタ家の跡取りが如何した?」
「姉上。ワジリは現マンタ家当主だ」
”現当主”という言葉が引っ掛かり、恐る恐る聞いた。
「……ギジョ叔父上は?」
「戦死……、したそうだ」
サヒリはそれを聞くと、途端に表情を歪める。今迄共に戦場を駆けて来た大事な戦友だったからだろう。
タミヤは母の胸中を察したのか、心配そうな視線を送る。
「……話を続けて下さい」
「ああ」
母に促され黙っていた彼は続けた。
「ワジリは…父の仇討ちをしようと企んでいる」
アガロは語った。ワジリ・マンタが打ち明けた秘め事を。
約半刻程過ぎると、アガロは二人を見る。母も姉も深刻そうに、此方を見つめ返してくる。
「それで、お前は如何する積もりだ?」
「俺は勿論断った。今の俺等では力が無い。だが―――」
「もしマンタ家が不穏な動きを見せれば、縁戚関係のユクシャ家も疑われると……」
自分が言い出そうとした事を母が先に言った。
「そういう事だ。マンタ家も同じく今は十分な力無い筈。暫くは大人しくしてくれるだろうが、その先の事は未だ分からない。万が一の時は人質の俺を捨て、ユクシャ家を第一に考えて欲しい」
彼は其処まで話し終えると、瞳を伏せ俯いた。
「このような大事な話、何故広間で話さなかったのだ!? シグル達なら何か知恵を絞ってくれたかも知れないのに……」
タミヤは思わず前のめりになり、弟へまるで説教でもするかのように意見した。それを母が宥める。
「タミヤ。このような重大な話。軽々しく広間で話す事出来ません」
「されど母上。広間には主だった者しか居りませんでした! シグルもソンギもユクシャの重臣ですし、ナンジェだって良く働いてくれています! あの赤鬼だって、新参ではありますがアガロに忠義を尽くしてくれています!」
「ですがタミヤ。何処で誰が聞いているか分かりません。御館様はそれを警戒して、私の部屋を選んだのです。私の部屋なれば簡単に立ち入る事は出来ません。周りには侍女達が張っていますから、密談するには好都合……。そうですよね、御館様?」
サヒリは顔を当主へ向けると、彼は流石とばかりに肩を竦めた。
「母上は話が早くて助かる」
「それで……、御館様は如何御考えに?」
話の続きを促すサヒリ。この秘め事が露見すればユクシャ家も危うい。
母は今後の方針を訊ねた。
「先ずビ郡行きの御供衆だが、これは殆どを亜人達で構成しようと思う」
「な、アガロ! それではユクシャ家は人材不足かと笑い者になるぞ!?」
タミヤは反対した。亜人を御供にするなど、武士としては好まれない。連れて行けば、人を抱えるほどの余裕が無いと馬鹿にされ笑われる。
「それが狙いだ」
「は?」
分からないといった表情で見てくる姉に、アガロは考えを打ち明けた。
「俺はビ人を油断させたい」
「成る程……。それで亜人を……」
「如何いう事だ!?」
サヒリは納得したように頷くが、タミヤは当主の意図が分からないと訴えた。
「俺等ユクシャはビ人に嫌われている。父上と戦し討ち取られた者達の家族が居るからだ。そこで、わざと笑い者になり警戒心を解いてやる。亜人を御供衆に連れて行けば油断し、取るに足らぬ存在、と思わせる事が出来る」
「だが、それではお前が辛い目に遭うかも知れないのだぞ!?」
「姉上。ユクシャが生き残る為だ」
「本気なのですね?」
「ずんと本気だ」
母の問いに、アガロは真っ直ぐに見つめ返し即答した。
―――家を守る。これは亡きコサンの遺言でもあった。
「そこまでの御考えなればこの母、最早何も言う事ありません」
「……なぁ、アガロ。私を御供衆に―――」
「姉上は駄目です」
「―――加えてくれ、って何故だ!?」
言い終わらぬ内に却下を喰らい、面喰らう姉。
「さっきも言ったように御供衆は殆どを亜人で構成する」
「殆どなら私が加わっても良いだろう!?」
「駄目です。姉上には俺が居ない間、城代を勤めて貰う」
「母上が居るではないか!?」
「今回、所領安堵の条件は人質だけではない……。母上は城を立ち退き、サイソウ城下町への蟄居を命じられている……」
ナンミはサヒリの武勇を警戒している。そう言うとサヒリは分かりましたと一言告げた。
「なれば、この母は速やかに城から立ち退きましょう。……尼になります」
「母上! まだ俗世を捨てる年ではないでしょう!?」
「いいえ、タミヤ。ユクシャ家はあなた達姉弟が居てくれれば安泰です。それに、出家するはナンミを油断させる為です。蟄居だけでは警戒心は解けないでしょう?」
ユクシャを守る為なら出家も出来る、とサヒリは微笑んだ。
「御館様……。この母はこれ以上、政に口出しする事出来ません。これからは尼として、余生を送りたいと思います……」
「母上……。申し訳―――」
「御館様。今は嘆いてはいけません。早々に御供する者達、お決め下さい」
謝意の言葉を告げようとすると、遮られた。
息子は出かけた言葉を飲み込み諦める。今は何を言っても状況は変わらない。ならば話しの続きをするべきだろう、と。彼は思った。
「御供衆はトウマとヤイコクが加わりますが、他は未だ決まっていない」
二人は納得したように頷く。
常にアガロの側にあり、身の回りの世話をするトウマなら当然と言えた。
また、ヤイコクはコサンが存命中の間、彼の小姓を勤めていた。何事もそつなくこなす彼ならば、アガロを側で支えるだろう、と。
「因みにシグルは残していく」
「何故だ?」
意外な人選にタミヤは少し驚いた。
「シグルには姉上を支えて貰う」
「されど、シグルは納得しないだろう!?」
「もう決めた」
アガロの人選をタミヤは少し考える。
恐らく、ビ豪族を油断させる為、歴戦の将を連れて行く事は出来ない、と彼女は思い、仕方が無く納得した。
「それと、もう一つ話しがある」
「一体何だ?」
「お聞きしましょう」
【――半刻後――】
「―――っ!? アガロ! お前!!」
暫くは静かであったが、突然タミヤの大声が部屋から聞こえた。
サヒリは慌てて彼女を宥めると、少し間を置く。そしてゆっくりと当主へ向き直った。
「……本当に宜しいのですね?」
「ああ……。頼む」
「しかし、アガロ! それではお前が!?」
「姉上!!」
今度は弟が声を張り上げ、姉に怒鳴った。タミヤは思わず表情を強張らせる。
「……これはユクシャ家を守る為だ。……堪えてくれ」
「くっ……!」
彼女は諦めたように視線を畳へ落とした。沈黙が続いた。
「話はこれだけだ」
アガロは立ち上がり部屋を出ようとすると、後ろから呼び止められた。
「何だ、母上?」
「ルシアにも会って上げて下さい。あの子も心配していました」
「その積もりだ……」
息子の返答を聞くと、彼女は優しく微笑む。
「あらあら、アガロは意外にルシアを心配していたのですね?」
「……当主として心配しているだけだ」
彼は内心舌打ちをし、バツが悪そうに顔を逸らした。
「人質の事は私が話そうか?」
今度はタミヤの声がした。
しかしアガロは振り返り、
「俺がする」
と、言い捨て去って行った。
「あの子も素直ではありませんね」
優しく息子の背中を見送る母に振り向き、長女が訊ねた。
「母上、何の事です?」
「弟として姉が心配、と言えば良いのに、当主としてだなんて……。意地っ張りなのか、素直で無いのか……」
「私には両方のように思えます」
タミヤは呆れ、肩を竦めて見せた。
「あいつがルシアの見舞いをするとは、どういう風の吹き回しか」
「タミヤ。あの子はルシアの事苦手ではありますが、嫌いではありません。見てれば分かります」
「それ位分かっています!」
面白く無さそうにそっぽを向いたタミヤを見て、サヒリは意地悪そうな笑みを浮べる。
「あらあら、もしや、嫉妬…ですか?」
「なっ!? 母上!?」
「冗談ですよ?」
【――アガロの部屋――】
「若旦那」
後ろから声を掛ける。が、アガロは振り向かない。
彼は奥の間から出ると、真っ先に自分の部屋へ戻り、何かを探していた。
「何だ?」
「ビ郡はどういった所でしょうかね?」
「聞いた話によると、山や森の多い山岳地帯だそうだ。……恐らく、ここよりも殺風景だろう」
未だ見ぬビ郡を思いながら二人は外を見た。ここから見る景色も暫くは見納めである。
何処と無く、寂しそうにしている後ろ姿をトウマは見て、再び声を掛けた。
「若旦那、心配要りやせんぜ。何処へ行こうと、あっしは御供しやす!」
「馬鹿」
思わず悪口が出てしまうが、トウマは分かっているのかにこっと笑って見せ、それ以上は何も言わない。
それを無視してアガロは探し物を続ける。やがて見つけたのか少し大きめの箱を手に取ると、それを大事そうに抱える。
「若旦那、その箱は?」
「姉さんへの見舞いの品だ。手ぶらでは無粋だろうと思ってな」
そう言って振り向くと、トウマはニヤニヤと笑みを見せた。
「…何だ? 気色悪い……」
「いえ、若旦那は姉思いでやんすね~」
「勘違いするな。病人に見舞いを渡すくらい当然だ」