第三十二幕・「従兄ワジリ」
【――サイソウ城・三の丸・館――】
「御当主様。お見事に御座いました!」
「ああ……」
「されど、口惜しい。あの場でリフ・ナンミを斬り捨てれば、亡き殿の無念晴らす事が出来ましたのに……」
「ヤイコク。今は耐えろ……」
「御当主様……。ご立派です!」
ヤイコクはアガロの護衛として、供回り凡そ数十人を引きつれ、サイソウ城へ同行した。
亜人を連れて行けば、外交の席では無礼に当たる故、トウマ達は城で留守を命じていた。
「アガロ!」
案内された部屋で寛いでいると、いきなり襖を開き部屋へ入ってくる少年が一人。
自分の名前を呼ぶ方を振り返るとそこには――――、
「テンコ……。久しぶりだな……」
「うん。僕は早い内から降伏したんだよ。ヤイコク殿、息災で何より……、その右目……」
「はい。わたしとした事が油断しました。戦で負傷し、右目の光を失いました……」
「でも、その眼帯、中々似合ってるよ?」
「有難う御座います」
「……ヤイコク」
「は。何かありましたら、お呼び下さい!」
ヤイコクを下がらせ、二人きりになると、アガロはテンコへ座るよう促す。
「それにしても聞いたよ。大広間で啖呵を切ったんだってね?」
「言うな。……余り思い出したくない」
そう言うと彼はぐったりと横になり、片腕を枕に背中を向ける。
その態度はどうだろう? 一応僕も当主なんだけどなぁ、とテンコは思いながらも、どこかほっとした。
背を向けるという事は信頼されている証。友の無事を知り、安堵する。
「緊張したみたいだね?」
「していない」
意地を張り否定して見せるが今の彼は満身創痍。余り疲れた顔を見られたくない故、背中を向けているのかも知れない。
意地っ張りなのは相変わらずだな、と半ば呆れながらも、彼は話を続ける。
「でも上手いやり方だったね。君が考えたのかい?」
「少し。後は母上とナンジェの入れ知恵だ」
「ユクシャは人材に恵まれたね」
「ああ……」
今回はナンジェの策とは、遅参と下ギ水軍を交渉の材料に降伏する事であった。
現時点ナンミにとって最も苦しい状況下で降伏する方が、所領を安堵して貰える、とサヒリとナンジェは考えた。また、水軍を餌に援助させるのも二人の提案である。
「ナンミ相手によく援助まで取り付けたね?」
「ナンミだから援助してくれた」
「どういう事かな?」
流石に分からないとテンコは顔をしかめる。
と、アガロは体を反転させ、悪戯をするときのような笑みを浮かべる。
「水軍を維持するのにも金が要る。そして水軍を保有するのは下ギ郡の豪族だ。援助とは復興の為だけじゃなく、水軍維持の為でもある」
それを聞くとテンコは納得したのか何度か頷いた。
クリャカやチョウエンは水軍もあり、支持する海賊衆も居る。
ナンミは水軍の配備が最優先事項だが、折角配備してもそれを保有する豪族が弱ければ意味が無い。
ナンミが援助を引き受けたのはそれが理由、と。アガロが話し終えると、今度はテンコが感心したようにまた一つ頷く。
「成る程……。戦で負けたけど、一応外交では勝ったって事かな?」
「いや、負けは負けだ……。条件を幾つか出された。黙って所領安堵すればいいものを……」
アガロは仰向けになり天井を見上げる。突然部屋は静寂に包まれた。質素な部屋は薄暗い。
暫しの沈黙の後、テンコが重々しく口を開く。
「人質の事は……」
「言うな」
友の言葉を遮る。
「今は…言うな」
「…分かったよ」
今は何も聞きたくない、と言わんばかりに彼の口調ははっきりと、そして少し懇願交じりであった。
「……テンコ。他の奴等は無事か?」
「他の奴等って、モウルやエトカ達の事?」
「そうだ」
「珍しいね。君が彼等の心配するなんて」
「聞かせろ」
「はいはい」
テンコはやれやれと肩を竦めると経緯を話す。
ゼゼ川の戦いの後、モウルとエトカの両部隊は奮戦し、主家が降伏するまで戦い抜いた。降伏した両部隊は所領を幾つか削られた、という。
「一応言っておくけど、ナンミがこれ以上軍事行動を起こせないのは、オウセンとクト隊の奮戦があったからだよ。たった二つの部隊にナンミは多大な被害を被ったんだ」
「流石…武門の棟梁とギ郡最強の弓兵は伊達じゃないか……」
「君が褒めるなんて珍しいね?」
テンコはニヤリと笑って見せるが、対照的にアガロは笑みを作らず、何時もの仏頂面で淡々としている。
「でも、二人とも無事だよ。あと、ヤクモちゃんのカンラ家は城が落ちた後は、僕達ミリュア家が保護しているし、心配入らない」
「そうか」
「それと、アガロ」
徐に狐目の友は真剣な顔付きに変わる。
「これから、天下はもっと乱れる」
「何だ、藪から棒に?」
「僕達はそんな中で家を守る為、耐えなくちゃいけない」
「分かっている」
「アガロ」
「何だ!?」
何を言おうとしているのか分からずに、苛々し少し怒鳴りつけるように言った。
「決して短気は起こさない方が良い」
「…………」
それは友からの忠告。
「君の為だけじゃない、ユクシャ家皆の為だ」
「……ああ」
「…じゃ、僕は行くよ」
「テンコ」
友は立ち上がろうとすると、急に呼び止められる。振り向くと、アガロは顔だけを横にし、テンコを見た。
「……達者でな」
「君もね……」
彼の足音が遠のくと、入れ替わりにアガロの部屋へ入って来た人物が一人。
「久しぶりだな……」
「今日は千客万来だな。……望んでもないのに」
「アガロ、話を聞け」
「何しに来た、ワジリ?」
ワジリ。と呼ばれたのはコサンの妹婿ギジョ・マンタの息子であり嫡男。鋭い目付きと白い肌の少年であり、アガロよりも六つ年上の従兄。
アガロは姿勢を変えない侭だ。従兄はその姿をとても不快そうに見ると、口火を切る。
「コサン殿が死んだそうだな?」
「っ、だから何だ?」
怒りを覚えやや不機嫌に返答した。すると、今度は従兄の顔が暗くなる。
「俺の父上も死んだ……」
「……そうか」
その言葉を聞くと脳裏にギジョの顔が浮かんだ。豪快で常に父と共にあり、戦に強かった歴戦の将。
「イコクタが裏切り、父上は討ち取られた……」
似たような話だ。アガロの父も縁戚者である、ゲンヨウに裏切られ横死した。当のイコクタはギ郡統治を条件に寝返った。
しかし実際の処、守護代に任じられた位であり、統治権はリフ・ナンミにあるという。
アガロは顔を横に向けじっと彼を凝視する。従兄のワジリは瞳を伏せ、着座している。
その空間だけ時間が停止しているのではと錯覚する程、二人は微動だにしない。やがて沈黙をワジリが破る。
「アガロ。……俺に力貸せ」
何かを思いつめたように、神妙な顔付きで彼は、目の前で横になる無礼な従弟に言った。
「何する気だ?」
そう問うと、数秒だけ沈黙が続き、覚悟を決めたように真剣な眼差しで、アガロに告げる。
「ナンミから独立する……」
「っ―――!?」
アガロは驚きを隠せず、飛び起きる。正直度肝を抜かれ、彼にしては珍しく動揺している様子だった。
「滅多な事言うな!」
思わず怒鳴ってしまう。が、負けじと従兄も語調を強くする。
「だが、ナンミは父上の仇だ! 此の侭では収まらん!」
「今のギ郡では太刀打ち出来ない!」
「今は駄目でも何れするさ……。その時にはアガロ、お前にも協力して貰うぞ……」
従兄が打ち明けたのは重大な秘め事。これを明かすという事は相当の覚悟と、此方に対する信頼があればこそ出来る。
恐らくワジリは共に父をナンミに討たれ、同じ境遇の彼なら自分に協力するだろうと踏んだのかも知れない。
しかし、アガロの答えは彼を満足させなかった。
「俺は、……出来ない」
「何故だ!? お前の父の仇だろう!?」
彼の返答に明らか不満の表情を浮かべ、ワジリは猶も喰い下がろうとする。
「確かに仇だ……が、しかし俺等小豪族が真っ向から立ち向かって、敵う相手じゃない……」
アガロは弱々しく、半ば諦め掛けたように言い捨てる。
「腑抜けが!!」
と、今度は反対に従兄は肩をわなわなと震わせ、必死で怒りを抑えた。
「これだから…臆病者は……!」
軽蔑するように言い捨てると、ワジリは目付きを鋭くした。
彼の目付きから幼子でも分かる程、憎悪と復讐心が見て取れる。
「良いか? 今はナンミに従うが、時が来れば必ず立ち上がる。その時は俺に協力しろ!」
一方的に言い放つと、ドタドタと足音を荒く立て部屋を去っていった。
(仇討ち……)
一人考え込んだ。確かにワジリの言う通りナンミは憎い。出来る事なら仇を討ちたい。が、感情を優先して家族を危機に晒すわけにはいかない。
父の遺言は家族を、領地を守る事。今ユクシャ県は荒れ、復興途中。戦する余裕など皆無だ。
それよりも明確に憎悪と敵意を剥き出しにする従兄を半ば羨ましくも思い、また危険と思った。もし、彼が謀反の兆しを見せれば、縁戚筋に当たるユクシャ家は疑われる。
彼のマンタ家も戦で被害が出たと聞いたし、同じく復興を進めているという。
ワジリ・マンタとて馬鹿ではない。暫くは目立つ事はしないだろう。そして、大人しくしてくれるよう願った。
「……天下は乱れる……か」
テンコが言った言葉を反芻する。
明日にはユクシャ県へ発たなければならない。アガロは部屋を出て空を見上げると、星が見え始めていた。
天暦一一九六年・申の月。ギ郡守護サイソウ家はナンミに降伏。
未だ天下は荒れ、群雄割拠を呈するアシハラ大陸。乱世は嘲笑うかのように、少年を戦いの日々へと巻き込んでいく―――。