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「タキ城へ」 終

【――タキ城・広間――】



「馬鹿者が!」


「っ…!」


 タミヤの罵声が広間にこだまし、アガロは殴られ床へ尻餅を付いた。彼は右頬を押さえながら、姉を見上げると正直、殺されるのでは? と思うくらい凄まじい剣幕で睨まれる。


「お前は軽挙妄動だ!」


「……」


「父上に…父上に最後まで迷惑を掛け、家族まで心配させるとは……!」


「……」


「父上は……! 父上…は……」



 次第に彼女の語気が弱くなっていく。アガロは無言で姉を見上げていた。

 今にも泣き出してしまいそうなくらい、彼女の表情は歪んでいたが、彼女には武人としての意地がある。涙は見せない。


 アガロは城へ入城すると、直ぐに広間へ一同を呼び集め、今迄の出来事を説明した。

 父の敗死と持ち帰った首を見せた。首は腐敗が進んでおり、腐臭が酷い。防腐処理を満足に施せなかったのだ。


 父の首を見ると、次女のルシアは泣き出した。

 大粒の涙が彼女の目からぼたぼたと零れ落ちる。見ていて何とも居た堪れない姿であった。

 拳を強く握り締めながら、タミヤはぷいっと後ろを向く。やり場の無い感情を、何とか沈めようとしていた。



「お前は…当主だ……。もう城から離れる事は許さないぞ……!」


「それは出来ない……。城は窮屈だし、俺はハギ村が気に入っている」


「…! そういう意味ではない! その、……なんだ…!」


 タミヤは言い澱む。


「タミヤはアガロを本気で心配していたのですよ…? だからもう、勝手に行くえを暗まして欲しくないんですよね?」


「……! 母上! 私はそんな…!」


 彼女の気持ちを察して、母のサヒリが代弁した。サヒリも辛そうに表情を歪めているが、涙は見せない。流石というべきだろうか。


「トウマ……」


「へい!」


 徐にサヒリはアガロの部下の青鬼を呼ぶ。


「アガロは泣きましたか……?」


「いいえ! 大旦那の死を前にしても若旦那は決して涙を見せやせんでした! 今迄辛かったのに弱音一つは吐かず……御立派で御座いやした……!」


 トウマは涙を零しながら言う。彼は涙を見せない主君の代わりになって、泣いているのかも知れない。


「そうですか……。アガロ」


「はい…」


 今度はアガロへ、母は向き直った。


「あなたの此度の行い。決して褒められた事ではありません」


「……」


 アガロは無言になり、俯く。

 今回ばかりは流石にやりすぎたのだろうか、サヒリは何時ものように優しい雰囲気では無い。

 すると、サヒリは怪我をしているにも関わらず、アガロへ近づくとそっと、彼の頬へ手を触れた。


「ですが……、父の死の間際、決して涙を見せずに最後まで頑張ったあなたを、私は……、誇りに思いますよ……」


「母上……」


 アガロは今にも泣きそうな感情を、必死になって押し殺した。彼は当主として涙を見せる事は許されなかった。

 すると、目の前の母は真剣な顔付きに変わる。


「御館様……」


「……?」


「御館様に窺います。今後のユクシャ家の事に付いてです……」


「ああ……」


 アガロは今初めて、ユクシャ家の当主として母に扱われている。

 シグルとヤイコクの話では、ギ軍の裏切り者はゲンヨウだけでは無く、イコクタや城の中にも内通者が大勢居たとの事。


 総大将のクシュンは城を落ち延び、残った家臣と戦っていると聞くが、主家であるサイソウ家がナンミの軍門に降るのも時間の問題である。

 それに加え、ギ軍は殆どが崩壊し、今や豪族達はこぞってナンミに従属をしているという。


「ユクシャ家はナンミに降伏する……」


「分かりました……」


 懸命な判断だろう。今のユクシャ家では到底太刀打ち出来ない。


「反対はしないのか……?」


 不思議そうに訊ねる彼へ、タミヤが答えた。


「別にする必要はないだろう? お前が当主だ。ならば私達はお前の案に従うのみだ」


「また…城を離れるんですか……?」


 ルシアが涙声ながらに聞いた。


「ルシア姉さん。大丈夫だ。直ぐに戻ってくる。その時はまた一緒に城で暮らせる」


「約束ですよ…? アガロさん……」


「ああ…」



 アガロは当主の座から立つと、部屋へ向かった。

 数ヶ月前に飛び出した場所なのに、今ではえらく懐かしく思えた。既に何年か時が経過している、そんな感覚だ。彼はこれまでの事を振り返る。


 初めはアギトと名乗り、足軽としてトウジ平原で、次に足軽頭としてゼゼ川で、そして最後は当主として、今日の朝方に行われたタキ城の戦い―――。


 彼は布団も敷かず、侍女のマヤを遠ざけると一人、武具も取らずに床へゴロリと大の字になって寝転がる。

 右肩がまだ痛む。傷の手当をして止血したが、もう少し療養が必要だろう。刀を思うように振るえない。



「若様…」


 聞き覚えのある声がした。


「爺か?」


「は……」


「入れ……」


 シグルは襖をすっと開くと、目の前でだらしなく横になっているアガロを見て、溜息を吐く。


「若様…だらしのう御座いますぞ?」


「俺はもう当主だ……。若様は止せ」


「これは、申し訳御座りませぬ……」


 老人は直ぐに頭を下げた。


「では、若…御館様」


「何だ…?」


「傷の具合は……?」


「まだ痛む。暫く刀は振るえそうもない」


 アガロは体制を変えない侭、返答する。


「御自愛下さりませ……」


「…………」


「……では、某はこれにて…」


「爺」


 去ろうとするシグルを、アガロは呼び止めた。


「は…」


「勝った……が、負けた……」


 今の彼の心境は複雑だった。

 アガロの言う通り、タキ城ではどさくさに紛れて領地を奪おうとした、ゲンヨウ軍には勝利した。だが、それはあくまでも局地的な勝利であり、大局的に見ればギ郡征服という、軍事目的を果たしたナンミ軍の勝利である。


「されど、御立派に御座いましたぞ……。御館様は城の皆を守りました、領民を救ったのですぞ」


「だが……沢山死んだ」


 アガロが言った死んだとは、彼に付いて来た亜人や城の兵士に領民の事だ。

 彼も戦を既に幾つか経験した。人を斬った。目の前で人も死んだ。戦えば死人が出るのは百も承知。だが、それが自分の身内や民の事となると、流石に感じるものがある。


「御館様、当主とは先に死んでいった者達の思いを、背負う者に御座りまする」


「思いを背負う…か」


「は…先に死んでいった家臣領民……。そして、亡きコサン様の思いも含め、全て背負うてこそ、その役目が果たせまする」


「…………」


 日も沈み、行燈には明かりを灯さずにいた為部屋の中は暗い。

 彼は暗闇の中、静かに守役の言葉に耳を傾けた。


「彼等の無念を思い、その死を無駄にせぬ為にも、御館様は立ち上がらねばなりませぬ」


「……そう、か」


「御館様。……前を向いて下され。でなければ我等、家臣領民は路頭に迷いまする……。今や御館様を頼り多くの亜人達も居りまする」


 アガロもそれは重々承知していた。今迄、当主になる為に鍛錬してきた。

 最も自由奔放で反抗的な所から、途中で城から抜け出したりもしたが、彼は彼なりに立派な当主になろうと頑張ってはいた。

 彼は何時かガジュマル会いに行き、ハギ村の浜辺で語り合った事を思い出した。


『考えていてもしょうがない。何とか成る』


 楽観主義者とも言える彼らしい考えである。

 しかし、今のアガロの不安を掻き消すには十分とは言えなかった。


「されど…御館様……」


 物思いに耽っている時、シグルの言葉で現実に引き戻された。


「一人で全てを背負い込む必要はありませぬぞ。必要とあらば、この老骨めも出来うる限り力になりまする。それに、御館様には家族が居りまする」


「家族……」



 コサンの遺言を思い出す。彼は最後まで自分の家族を心配していた。恐らく無念だっただろう。

 最後まで自分の手で家族を守りたかったのかもしれない。しかしその願いは叶わず、彼は息子に託した。


 アガロには守るものが出来た。前を向き歩かなければならない。立ち止まる事も迷う事も許されない。

 だが、それでも辛い時は頼ればいいと守役は言う。

 この乱世、少しでも信を置ける者が側に居るのは幸せである。アガロにはそれが多く居た。恐らくは恵まれた環境だろう。


 シグルはいうなれば育ての親。第二の父親と言ってもいい。

 シグルにも勿論家族が居る。息子も居れば孫も居た。が、今迄手塩に育ててきた分、シグルは彼を本当の息子以上に、大切に思っていた。



「爺…疲れた、寝る」


「されば、某もこれにて失礼しまする……。御風邪を召しますゆえ、布団を御掛け下され」


「爺」


 去り際、再び呼び止める。


「これからも頼むぞ……」


 たぶん彼からこの言葉を聞くのは初めてかもしれない。

 シグルは一言『御意』と言うと襖を閉め、何があってもこの若い当主を守ろうと胸に誓い、その場を後にする。


 彼が去ると辺りは静寂さに包まれる。

 今朝の事を思い出すと、身の内が震えるような感覚だ。しかし、今は疲れた。

 彼は静かに天井を見つめると、次第に瞼は重くなり、その侭眠りに落ちていった―――。

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