「ゼゼ川の戦い」 後編
戦いは朝方から始まり、両軍共に一進一退の攻防を繰り広げていた。
数で勝るナンミ軍は川を渡ろうとするも、コサン率いるギ軍に攻められ、渡れないでいた。
特に主力のクト・オウセンの両部隊は奮戦した。
ナンミ兵は川を渡ろうとすると、クト弓兵の矢の雨を受け、ばたばたと倒れ、川を赤く染める。なんとか渡河に成功しても、待ち受けているアッシクルコ隊に討ち取られた。
左翼のオウセン隊は敵にわざと川を渡らせると、一斉に包囲、殲滅する。
討ち漏らした敵はテンコ率いる部隊が蹂躙する。
そして中央のコサン本軍も善戦。
ギジョの部隊は勇猛で怯まず果敢に戦い、敵の進攻を喰い止めた。
戦線は硬直するが、一辰刻(二時間程)ばかり経つと、コサンの本陣後方で異変が起きた。
【――コサン本陣――】
「何だ、先程の銃声は!?」
「敵の奇襲か!?」
「申し上げます!!」
動揺する味方の元へ伝令が現れる。
「後方のゲンヨウ隊が裏切りました!!」
「何じゃと!?」
伝令の告げた報は、味方にとっては信じられない凶報であった。
コサンは最初、口を開いた侭、呆然としたが、見る見る内に目の色が怒りに染まった。
「おのれっ! ゲンヨウの奴、気は確かか……っ!?」
「副大将殿! 如何なさいます!?」
「直ちに応戦せよ! 陣を乱すな! 早馬を出し救援を頼め!」
【――ナンミ本陣――】
「申し上げます! ゲンヨウ隊が敵本陣を強襲!」
「何と!? ゲンヨウと言えば、ユクシャの縁戚衆。殿はあの者を調略していたのですな!」
ナンミ家臣が驚いたような顔で、総大将リフを見る。
ビ郡の大名は至って落ち着いており、慌しくはしなかった。全て策の内である。
「……そろそろじゃな。狼煙を上げろ」
「はは!」
「味方の後詰めを動かせ」
「されど、城から出た敵に背後を突かれまするぞ!」
家臣が進言するが、リフは杞憂とばかりに言い放った。
「城の兵は動かぬ」
「……成る程、内通者ですな」
「そうじゃ。わしはこの時の為に調略を重ねた。サイソウ家に不満を持つ者達を募ったのだ。一気呵成に攻め立てよ! ギ軍の雑魚共を蹴散らせ!!」
「「はは!!」」
【――アガロ隊――】
「急げ!」
「若旦那! 勝手に隊を離れて大丈夫なんですかい!?」
「今は父上の無事が最優先だ!!」
「待ってよ! そんなに急いだら味方が付いて来れ無いよ!?」
アガロはデンジの報せを聞くと、荷駄を運ぶ馬を借り、供回り凡そ五十人ばかりを率いて、本陣目掛けて駆け出した。
彼の後に続くのは、トウマ、ガジュマルそしてリッカだ。
デンジにはドウキ達の元へ走らせると、事情を伝えさせ、後の指揮を一任した。
「ならば、俺だけ先に行く! 後から付いて来い!」
「あっ、若旦那! トウマ鉄砲隊! 若旦那に続けぇ!!」
【――コサン本陣――】
「死ねぇ!!」
「この裏切り者が!」
「くたばれ!」
「ぐ…! 殿をお守りし…ろ……―――」
コサン本陣は前線へ兵を集中させた所為もあり、後方は手薄だった。そこへ後詰めのゲンヨウ隊数百余りが、奇襲をかけた事により味方は混乱した。
指揮系統はすっかり麻痺してしまった。
「副大将殿! ここは危険ですぞ! 直に御立ち退きを!」
「救援へ走らせた早馬は如何したのじゃ!?」
「分かりませぬ! 先程より援軍を求める使者を出せど、一向に味方が現れる気配はありませぬ!」
「何故じゃ!? ここから後方まではそう遠くは無い筈……」
コサンは味方の遅れを不可解に思うと、目の前で配下が一人、敵の矢を受け崩れ落ちた。
ユクシャ前当主は、眼前の敵を睨みつけた。
「着たか……」
「うおお! コサンを討ち取れ!」
「手柄を挙げろ!!」
敵が迫るとコサンは、床机から立ち上がり腰の太刀を抜き放つ。
「ヤイコク」
「はっ!」
「お主は手勢を率いて、戦線を離脱するのじゃ」
「最後までお供致します!」
「強情者が! お主は後方のシグル隊へ向い、アギトと言う少年を守るのじゃ!」
「コサン殿! 早くお立ち退きをっ!!」
既にゲンヨウの兵士が本陣の深くまで侵入しており、味方の数は減らされていた。今でも必死でサイソウ家臣達が喰い止めている。
「急げ! 主の命が聞けぬのか!?」
「されど!」
「かかれ!」
「討ち取れ!」
兵士達が波を打って攻めかかった。
コサンの部下はそれを阻止するべく、立ち向かいこれと斬りあうも、数名の兵士が隙を見て間を向け、コサンの背後に迫った。
「コサン、覚悟!」
「させるか!」
「ヤイコク!?」
斬り掛かって来た雑兵の太刀を、ヤイコクが受け止めた。
「殿、お逃げ下さいっ! ここは私が喰い止めますっ!!」
「逃がすかぁ!!」
「ぬ……!」
振り返るとそこにはゲンヨウの鉄砲隊が構えており、既に射撃の体制に入っていた。
「撃て―――!!」
「ぐぁ……!?」
「殿―――っ!!!」
無数の弾丸がコサンの老体へ放たれる。
弾は鎧を突き破り、彼の体からは血が流れた。その様子を見ると、鉄砲から刀へと武器を変え、足軽達が首を狙い、襲い掛かろうとする。
その時だ。突如、馬に跨った少年が一騎、彼等の後方から駆けて来た。
「退けッ!!!」
「何だ!?」
「あの者に続け!!」
「殿をお守りしろ!!」
彼は槍を振るうと、兵士達を振り払い、コサンの元へ駆けつけた。
馬上の少年に続き、近付けないでいたコサンの侍従が突撃し、彼の周りを固める。
「はぁ…はぁ…馬鹿者が。何故、来たのじゃ…!」
「父上、怪我を!?」
「御当主様!? 何故このような所に!?」
「話は後だ! 父上を安全な場所へ!」
アガロはヤイコクの手を借り、コサンを後ろへ運ぶ。
周りはゲンヨウ隊と味方の部隊が乱戦状態に入り、収集が付かない。頼みの援軍も、一向に現れなかった。
「わしに…構うな! くっ…この傷では…どの道助からん……!!」
「しかし、父上!」
「アガロ! 城へ…戻り、この事、家族に…伝えよ……!!」
「俺も此処で戦う! その為に来たんだ!!」
「どいつもこいつも……。強情者ばかりが…!」
すると後から遅れて来た、アガロの部隊五十がようやく姿を見せた。
前方でリッカが敵を鎧ごと斬り伏せ、返り血を浴び、慄いた敵の隙を見て、トウマが側へ駆け寄った。
「若旦那ぁ!!」
「トウマ! 手を貸してくれ!!」
「へい!」
トウマは馬に跨るアガロの後ろへコサンを乗せると、鉄砲を構え敵に向かって狙いを定めた。
「トウマ! あの兜の奴を狙え!!」
「へい!」
アガロが指差したのは、兵士達の後ろで大声で命令を下している足軽頭だった。
ぐっと引き金を引くと、火薬の炸裂音と共に白い煙が立ち上がり、弾丸が狙った足軽頭の眉間の間を見事に打ち抜いた。
ドサ!っと倒れると、敵兵士達に動揺が走る。
それを見てすかさずコサンの配下が攻めかかり、退路を確保する。
「若旦那! 今でさぁ!!」
「御当主様! 殿を確りとお守り下さい!」
「ああ! リッカ! 敵を近付けるな!」
「あんた、誰に向かって口を聞いてるのよ? 任せなさい!!」
「ガジュマル! 確り付いて来い!」
「大丈夫だよ!」
アガロ隊は敵中突破を行い、何とか本陣の脱出に成功する。
ユクシャ当主は巧みに馬を操り、林の中へと身を隠した。
暫くすると、目の良いトウマが自分を見つけ、敵を振り払いながら、駆けつける。
「若旦那、お怪我は!?」
「大事無い。それよりも父上が……」
「うぅ…ぐっ……!?」
「父上!?」
「殿!? 直に手当てを!」
ヤイコクは主君の鎧を脱がすと、絶句した。無数の鉄砲傷と出血を目の当たりにし、助からない事を悟ったのだ。
アガロは信じたくないのか、目を背けた。
コサンは目を閉じると、息を深く吸い、吐き出す。体を動かそうにも、言う事を聞かない。
(……最早是までか…)
自分の死期を悟った老人は目の前の息子に声をかけた。
「―――……アガロ」
「父上?」
「わしからの…頼みじゃ……。聞いてくれるな……?」
「頼み……?」
怪訝な目をする息子に告げられたのは、父からの最後の願いだった。
「よいか…わしの、首を…城へ送り届け……よ」
「っ!?」
アガロは悲痛な表情を浮かべたが、視界がぼやけてきたコサンにそれが分かる筈も無い。
「これは、父の命…じゃ。うっ…! 家族に、わしの最後を伝えよ……っ!」
「―――……聞けない」
「命令じゃ……!!」
「聞けない物は聞けない!」
「くっ…何故……最後まで、父の言う事が…聞けぬのじゃ……!!」
今迄に幾度となく怒鳴られてきているが、この時ばかりはアガロも強情になった。
「若旦那! 敵が近くまで来ておりやす! 急いで下せぇ!」
「っ、足止めするわよ!」
コサンの家臣達が足止めに向かうが、敵の勢いが強い。
トウマはまた鉄砲を構えると、敵に向かって発砲する。
リッカは得意の突きで敵を翻弄し討ち取っていくが、多勢に無勢。
次第に戦況が悪くなっていく。時間の問題であるのは、誰の目から見ても明らかであった。
「くっ!」
アガロはコサンから預かっていた太刀を抜刀すると、構えに入る。
何が何でも、父を守ろうと戦う積りらしい。
(いかんいかん……。こいつが我侭な事をうっかり忘れていたようじゃ……)
コサンは朦朧とした意識の中ふと、家臣の名を呼ぶ。
「―――……ヤイコク」
「はい!」
ヤイコクを耳元へ呼ぶと、何かを囁いた。
彼は主君の言葉を聞くと、表情を今迄異常に引き締め、唇を噛み締めた。
「ヤイコク。何を……?」
アガロが不思議そうに見た。
ヤイコクは主君の斜め後ろへ立つと、刀を抜き構える。
「…! ヤイコク、待て!」
「止めるな…っ! ヤイコクには…わしの介錯をして貰う……っ!!」
「嫌だ!」
「……アガロ」
自分の我侭を貫き通そうとする彼をコサンは優しく呼んだ。
「頼みがある…聞いてくれるな?」
「っ……」
コサンは苦痛に耐えながらも、自分の息子へ最後の言葉を告げた。すると今度はトウマへ向き直る。
「トウマ……」
「へい!」
「トウマ!? 何をする!?」
目配せを合図に、トウマはアガロを羽交い絞めにすると、コサンから無理矢理引き離した。
「ガジュマルと言ったか? わしも…武士らしく、腹を切りたい……。手伝うてくれるな……?」
「分かったよ……」
「刀を渡してくれ……」
ガジュマルは脇差を抜くと、コサンに握らせた。
父は最後の力を振り絞ると、一気に腹へ突き刺す。苦痛で歪めていた表情をさらに歪めるが、彼は精神力で自分の声を押し殺し、腹を一文字に掻っ切った。
「くっ、ヤイ…コク…!!」
「殿! 御免!!」
「父上ぇ―――ッ!!!」
刀を振り下ろすと、コサンの首は血飛沫を上げ切り落とされた。
アガロは叫び声にも似た大声を出すと、いきなり体の力ががくっと抜ける感覚に襲われた。立つ事も、刀を握る事も出来ない。歯を喰いしばり、涙を流すまいと必死に悲しみに耐えていた。
「急ぐぞ! 青鬼! 早く御当主様を!」
「へい!」
トウマはアガロを馬に乗せようとするが、脱力している彼は上手く立ち上がれない。
その姿を見たヤイコクは、即座に当主の前へ立つ。
「くっ…御当主様、無礼お許し下さい!」
ぱし!とアガロの頬を叩いた。放心するユクシャ当主の両肩を掴んで言い放つ。
「確りなさりませ! 御当主様は今や一軍の将! こんな所で立ち止まってはなりません!!!」
ヤイコクは必死でアガロに訴えかけた。
コサンの居ない今、彼にユクシャ家の命運が懸かっている。家臣や領民の為にも、アガロには父を失い、悲しみに打ちひしがれている時間は許されなかった。
「泣いてはなりません! 前を見て下さい!!」
「―――……すまない、ヤイコク……」
「私の方こそ、お許し下さい!」
やがて正気を取り戻した少年は目の前で平伏し、頭を下げる家臣の肩にそっと手を触れた。
顔を上げると、先程までとは売って変わって、瞳がギラギラと輝いている。
「ヤイコク。俺はこれから、父上の命に従い、首を…城まで持って帰らなければならない……。敵の足止め、頼めるか……?」
「ははっ! お任せ下さいっ!!!」
「だが、死ぬな……。命令だ!!」
「御意!!」
ヤイコクは布で包んだ主君の首を手渡した。
アガロは父の首を持つと、馬に跨り隊へ命を下す。
「戦線を離脱する! 残してきた部隊と合流し、タキ城へ戻るぞ!!」
アガロ隊を率いて林を抜け、駆け出した。後ろを振り返らず、ひたすらに駆けて行く―――。