第二十八幕・「ゼゼ川の戦い」 前編
天暦一一九六年・未の月。
【――ゼゼ川――】
元々ギ郡は三方を海に囲まれているだけではなく、国内には川も多い。
ゼゼ川はサイソウ城から僅か数町ばかり先に流れ、渡るには中々に厳しい川であった。
「撃て―――っ!!」
「怯むなぁ! 撃ち返せぇ―――ッ!!!」
未の刻を回った頃、銃声がゼゼ川に鳴り響く。と同時に両兵士が鬨の声を上げ、衝突した。
世に言う『ゼゼ川の戦い』である。
争った勢力は当時、ギ郡守護大名に就任したばかりのクシュン・サイソウ。彼を総大将とし、副大将にはコサン・ユクシャが付いた。
この老人は今回の対ナンミ軍の総数凡そ八千の全権を与えられ、ゼゼ川へ兵六千を率いてナンミと向き合った。残り二千は城へ待機させ、守備をさせた。
対するナンミ軍は総大将リフ・ナンミ。後の歴史書に下克上の代名詞と記される人物である。
彼は幾度となくギ郡へ侵攻し、その都度コサンに敗れている。だが、彼の凄い所は諦めずに何度も戦を仕掛けた所であろう。
恐らく彼が下克上を果たしたのは、その挫折せずに挑戦し続けた精神にあったのかもしれない。
ナンミ軍は総数一万を数える、ビ郡の殆どの兵を引き連れていた。二千の兵を後詰めに回すと、残り八千でコサンと対峙した。
両軍共に部隊を三つ――中央、右翼、左翼――に分け、ゼゼ川を挟んで布陣。
先に仕掛けたのはナンミの方で、川を渡ろうと全軍が押し出してきた。対するコサンはこれを阻止するべく、味方に敵を水際で討ち取るよう命を下す。
【――後方・アガロの隊――】
「若旦那。始まりやした」
「ああ」
アガロ率いる部隊はシグルの直属の一部隊として組み込まれ、本陣の後方、兵糧警護の任に付いていた。
彼は床机に腰を下ろし、前線の状況をデンジに偵察に行かせ、報告を待った。
「アギト様!」
「デンジ。戦況はどうだ?」
「はい! 最初に川を挟んでお互いに鉄砲を撃ち合い、その後はナンミ軍が一斉に川を渡ろうと進撃! 御味方はこれを阻止するべく応戦! 戦況は互角です!」
「右翼、左翼は?」
「同じく、川を渡ろうと進む敵と交戦中です!」
「デンジ、大儀だ」
「これくらいの事、どうって事ありません!」
「もう一度周囲の状況を見てきてくれ」
「はい!」
「良く働く奴よね」
再び走り出すデンジの後姿を見送ると、リッカがアガロに向き直りながらそう言った。
彼の両隣にはトウマとガジュマルが固め、二人とも槍を片手に立っている。
「ねえ、アギト」
「お前……。仮にも俺はお前の大将だぞ?」
「いいじゃない、そんな事。それよりも、今回の戦は味方が不利なんじゃないの?」
「何故そう思う?」
「だって、この戦は味方が数で負けてるって聞いたわよ? トウジ平原の時とは、まるで逆じゃない」
「それは違うぞ」
彼女の言う事に、アガロはすかさず反論した。
「どういう事よ?」
「『戦の勝敗は将兵の数に有らず』と、書物にも記されている。戦とは戦術と戦略で決まる」
「はいはい、またそれね……」
そう言えば前にも同じ事を言われた気がした。
「でも敵は大勢いるんだよ?」
「ガジュマル。この戦は一見不利に見えてそうでは無い。地の利は此方にある」
「地の利って、どういう意味よ?」
リッカが不思議そうに訊ねた。
「馬鹿が。よく考えてみろ。地の利とは川の事だ」
「川って…ゼゼ川の事?」
「ああ、戦の間は重い鎧甲冑を身に着ける。渡河は困難だ。そこを敵に攻撃されれば、被害が出る」
「だったら敵が来る前に川を渡って、陣を張ればいいじゃない」
「それは背水の陣だ」
半妖の少女は小首を傾げた。
「背水の陣って何よ?」
「昔何かの書物で読んだ事がある。川を背に陣を布く事だ。多くの場合はそれをしない」
「どうしてでやんすか?」
「味方の退路を失うからだ。万が一、退却命令が出た時に後ろが川だったら、退却が困難になる。敵が川を渡るまで、待ってくれる筈も無い。格好の的にもなるし、多くの兵が溺死する」
「形勢は有利って事でやんすか?」
「そうだな……。この戦は右翼のクト隊と、左翼のオウセン隊にも、期待が掛かっていると聞いた」
「その二つの部隊は強いんで?」
トウマの問いに、アガロは一つ頷いた。
「強いと聞く。話しによれば、エトカが居るクト隊は、ギ郡最強の弓兵を有し。また、モウルのオウセン隊は平地での戦や、集団戦術に長け、特に長槍足軽は猛者揃いだ」
「そんな強い部隊が居たなら、トウジ平原で出せばよかったじゃないか。そしたらおいら達も苦労せずに済んだのにな」
「馬鹿。トウジ平原に出しては兵が疲れるだろう。副大将殿はそれを嫌い、城に残して温存させ、此度のナンミとの戦に当たらせた」
「なら早く前線に行くわよ! もたもたしてたら、そいつ等に手柄を横取りされちゃうじゃない!」
「今は兵糧の警護が仕事だ。それに……」
戦功を上げる機会が無くなる、とリッカは焦ったが、トウマ、ガジュマルの二人が宥めた。
そして、ふとアガロが言い難そうにしているのを、ガジュマルは感じ取ると、そっと耳打ちし訊ねた。
(シグルの爺さんが近くに居るから、抜けるに抜け出せないんだよね?)
(ああ、そうだ……。それにこの隊には父上の息の掛かった者が多い。俺の監視役だろう……)
力無く頷く友を、キジムナの彼は少々可哀想にも思った。
「こんな事なら、部隊長になるんじゃなかったな……」
はぁ、と溜息を一つ吐くと、アガロ達は引き続き味方の戦況報告を待った。
前線に比べて、彼等後方を担当する部隊は平穏そのものである。合戦で手柄を挙げると、意気込んでいたリッカは欠伸をし、ガジュマルにいたっては、地に寝そべり始めている。トウマは律儀に自分の役目を果たそうと、直立不動の侭だ。
「トウマ。お前の部下達は?」
「へい。すぐそこで待機させてまさぁ」
「そういえば、トウマって足軽の小頭になったんだよね?」
「へい。正しくは鉄砲小頭でやんす」
「お前、鉄砲はどうした?」
「あっしの部下達に手入れさせてやす」
「お前が持っていなければ意味が無いだろう」
「ふ~ん…一つ目のあんたって鉄砲使えたのね」
話を聞いていたリッカは感心した。
鉄砲は最近出回った武器であるが、何分生産性に乏しく、未だに高額でその上利便性が悪い。それでも威力は中々にある。扱えるだけでも大した者だ。
「トウマは射撃がすごく上手いんだよ! 遠くの的を狙わせたら絶対に外さないし、おまけに夜目も利くからね」
「あんたって夜鬼なんだっけ?」
「へい。あっしは青鬼一つ目の夜鬼でさぁ」
互いに他愛も無い話をした。それ以外にやる事が無いと言った方が正しい。
その時、ふとガジュマルが赤髪の少女に訊ねた。
「ところで気になってたんだけど…リッカって本当に半妖なの?」
「そうよ。悪い?」
「いや、悪くは無いよ。ただ、片親は人だったんだろ? もう片親はどんな鬼だったのかなって、気になってさ……」
「別に…あたしの事はどうだっていいでしょ!」
ふん。と、彼女はそっぽを向いた。
恐らく触れて貰いたくない話題なのだろう。キジムナの少年は、知らなかったとはいえ少し反省した。
その時だ、前線のゼゼ川よりも近くから突如、銃声が鳴り響いた。
「何だっ!?」
「今の音って…結構近かったわよ!」
「味方が突破されたんでありやしょうか!?」
「だが、前線から聞こえた音ではない! これはもっと近くから―――」
妙な胸騒ぎを覚える。アガロは早くなる鼓動を抑えながら、落ち着くよう自身に言い聞かせた。
そして、暫く時が経つと、デンジが再び現れた。
「アギト様!!」
「デンジ! さっきの音は!?」
「大変です! 本陣が襲撃されてます!!」
血相変えた彼の告げた報告は、味方にとって予想外の事であった。
「敵の奇襲でやんすか!?」
「でも、奇襲ったって、一体何処から!?」
「落ち着けッ!!!」
動揺する周りをアガロは一喝し静める。
「それで…デンジ。本陣を襲っているのは何者だ?」
「はい! あの部隊は―――」
【――下ギ郡・ユクシャ県・タキ城――】
「まったく! あいつは何時もいつも! 帰ってきたら叩きなおしてやる!!」
「タミヤ姉さん、アガロさんをお仕置きする時は一緒ですよ?」
「あらあら、二人だけでずるいですよ。三人で仲良く順番こしましょう?」
(三人とも怖い……。あとコワイです)
黒い笑みを浮かべる母と娘。
それを横目で眺めるマヤは、背筋が凍るような感覚に襲われた。
「申し上げます!」
「どうしました?」
「城下町が何者かにより、焼き討ちされております!」
「何ですって!?」
突如、急報を聞くと二人の母親であるサヒリは直ぐ様立ち上がり、素早く指示を飛ばす。
「ソンギとナンジェを呼びなさい! マヤはルシアを奥の間へ!」
「は!」
「母上は如何なさいます!?」
「直に甲冑を用意しなさい! 物見を放ち、周囲の状況をつぶさに調べさせて! タミヤ、私は大丈夫だから、あなたも早く戦支度を!」
「は!」
さっきまでの様子とは打って変わって、サヒリは武人の面構えになる。
彼女は流石に戦慣れしてるだけあって、鎧に着替えるのが早い。愛刀と槍を持つと櫓へ上り、眼下に広がる城下町を見渡した。
「何て酷い事を……」
彼女が見たは燃え広がる町の姿だった。田畑は荒され、町民は逃げ出し、民家は略奪にあっている。
「母上!」
「タミヤ……」
「―――……っ!? これは一体誰が!?」
「タミヤ、あれを!」
サヒリが指差す方角を見ると、そこには多くの旗指物と軍兵の姿があった。
「あの部隊は……―――!」