第二十七幕・「宿敵同士」
【――アガロ隊――】
「何だったんだ一体?」
「恐らくヤクモちゃんが言っていた、間者で間違いないんじゃないかな?」
「全く酷い目にあいましたわ」
煙が退いて、視界が開けると暫くして、騒ぎを聞き多くの亜人が駆けつけた。
中でもデンジは姿を見せるなり、顔面蒼白にしながら自分の部隊長の心配をする。
「アギト様! お怪我はありませんか!?」
「安心しろデンジ。何とも無い」
「ですが一度見て貰った方がっ!?」
あわあわと取り乱す俊足の鬼デンジ。彼の心配様を見て、テンコは思わず微笑んだ。
「随分と慕われてる見たいだね?」
「ふん! こいつの何処が良いのか、俺にはさっぱり分からん。ただの臆病者だろう」
「っ! お待ち下さい! アギト様の悪口は、例えお仲間であっても聞き捨て出来ません!」
まさか鬼に反論されるとは思ってもいなかったモウルは、少し動揺したが、直ぐにそれは感心に変わった。
「自分の大将を、ひどく気に入っているようだな?」
「恐れながら、おれの大将は小さいですが勇気があり、おれ等亜人をよく面倒見てくれます。他の足軽頭とは違います」
「小さいは余計だ」
「すっ、すいませんっ!」
アガロのつっこみに思わず頭を垂れるデンジ。しかし、そんな彼の姿勢には、アガロへの尊敬の念が見て取れた。
「それよりも、ヤクモ」
「なっ、何!?」
「何故あそこまでショウハ家に付いて詳しかったのか、訊いていいか?」
彼が訊ねると、周りも興味深そうに視線を向けた。
「え、えっと……。その……」
「ヤクモちゃんはとても博識なんだよ」
言い澱む彼女を助けたのは狐目の友だった。
「それに言ったよね? ヤクモちゃんは役に立つって。彼女は凄い勉強家なんだよ。きっとその時に何処かで、ショウハ家の事や、トラカ家に付いて学んだと思うんだ」
「う、うん。そうなの……」
「あら、そうでしたの?」
「まあ普段、ヤクモちゃんは誰かと話さないし」
「……そうか」
アガロも納得しかけた時だ、一人の鬼が彼の側へ寄ると、小声で耳打ちした。
「副大将が呼んでいる。トウマ! 供をしろ!」
「へい!」
「じゃあ僕達も戻るよ。アガロ、武運を!」
「ああ、互いにな」
【――本陣――】
「おぉ、アガロ。トウマも一緒か」
「へい。大旦那、お元気そうで何よりでありやす」
「父上。話とは?」
「アガロ。実はな、タキ城から使いが来たのじゃ」
「城から?」
聞いた瞬間、アガロは表情を一変させる。
「母上がお前に書状を使わしたのじゃ」
「―――……っ!? 父上! 俺が此処に居ると伝えたなっ!?」
「当たり前じゃ、馬鹿者っ! 謹慎の身でありながら城を抜け出し、家族に心配を掛け、その上勝手な振る舞いが目立つ! 少しは反省いたせ!!」
「勝手な振る舞い? あれは許してくれてたんじゃ?」
「何時許した!!」
怒鳴りつけると書状を彼に渡した。
アガロは直ぐにそれを読むと、顔から血の気が引き青ざめる。
「何と書いてあった?」
「―――……城へ帰ったら罰が待っているそうだ……」
「……若旦那。苦労しやすね」
「何を言ってるトウマ。お前もだぞ?」
「へっ!?」
「俺と抜け出した罰として、マヤが待っているそうだ」
「マヤ姉さんは勘弁して下せぇ……」
コサンは妻サヒリの怖さを理解している。普段温厚で滅多に怒る事の無い妻だが、一度切れると恐ろしい。
それに加え、武勇優れる姉のタミヤと、弟を虐めるのが好きなルシア、そして教育熱心な侍女のマヤだ。
二人は力無く俯いてしまった。
少し不憫に思ったコサンは何か言葉をかけようとすると、アガロはごにょごにょと呟き始めた。
「―――どうする!? 姉上なら兎も角、母上までも…城へ帰ったら間違いなく殺される……。逃げるか? いや、逃げると言っても当てが…ガジュマルはどうだ? ドウキやコウハに匿って貰うのでは?」
この期に及んで逃げる算段。自業自得じゃな。と、コサンは思った。
「そんな事よりもじゃ。アガロ、お前には今回、本陣の後方守備を担当して貰う。シグルと共に味方の荷駄隊や兵糧警護が役目じゃ」
「あぁ、しかしそれでは姉上に見つかってしまうし、場合によってはルシア姉さんが……」
「話を聞かぬか!!」
「あ、ああ…それで、前線には誰が?」
やっと気付いたのか、現ユクシャ当主は振り向いた。
「まったく、お前は……。よいか? 戦場は此処より数町先に流れておるゼゼ川じゃ。ナンミ軍は川の向こう側に陣を布いておる。先鋒はイコクタ殿にギジョ、右翼にイマリカ、クト殿、左翼にオウセン殿、ミリュア殿。後詰めにゲンヨウ殿。城の守りは約二千。頃合を見計らって、早馬を出し、守護様にもご出馬してもらう積りじゃ」
「籠城しないのか?」
「してもいいが、それでは戦が長引く。今の時期は未の月。夏の暑い時期に、籠城しては兵がばてる。わしとしては兵を二手に分け、川を挟んで敵と睨み合う」
「数は敵が多い。兵を分けて良いのか?」
「敵がわし等を攻めれば城から打って出て攻めかかり、逆に城を攻めれば、わし等が敵の脇腹を突く。サイソウ城は堅牢堅固じゃが、この三の丸の西は堀も無く、唯一の弱点と言ってもよい。ゆえに、わし等はここから先にある、ゼゼ川に陣取り、敵を近づけぬようにするのじゃ」
「策は?」
一番気になる事を訊ねると、コサンはニヤッと口角を上げた。
「そう易々と明かすと思ったか? 甘いわい」
「興味がある」
「そう慌てずとも、此度はシグルが側に居るゆえ、確りと戦のあり方を学べるじゃろう。前線に出て戦うも良いが、お前は当主じゃ。一軍を率い、将来は皆を引っ張って行かねばならん」
「分かっている」
「では、隊へ戻れ。陣を移す準備をせよ」
「あぁ。父上、武運を」
「大旦那、失礼しやす」
「トウマ、待つのじゃ」
去り際、コサンは唐突にトウマだけを呼び止めると、自分の側まで手招きした。
「へい。何でやんすか?」
目の前で平伏し総大将の命を待つ彼へ、コサンは彼の耳元で囁いた。
(アガロの事、頼んだぞ?)
「へい! 若旦那の事は何があってもお守り致しやす!」
「うむ」
その返事を聞くと、コサンは満足そうに頷き、二人を帰した。
【――隊への帰路――】
「トウマ、父上から何を聞いた?」
「いやぁ、大旦那もああ見えて、中々心配性でさぁ」
「?」
はぐらかすトウマ。
二人は隊へ戻る途中ふと、本陣近くに陣取る、後詰めのゲンヨウ隊を見た。
「若旦那の親戚でありやしょう? 挨拶はしなくてもいいんで?」
「別に構わん。今は戦に集中しろ」
気にも留めずにアガロは隊へ向かおうとすると、トウマが付いて来てない事に気付く。
振り返ると、トウマはじっとゲンヨウ隊の本陣を眺めていた。
「トウマ! 急ぐぞ!」
「へ、へい!」
「どうした! 何か気になる物でも見えたか!?」
「いや、ゲンヨウ様の陣中に妙な格好の奴が……」
「聞こえないぞ!」
距離が開き上手く聞き取れない。
「いや、何でもありやせん!」
「なら急ぐぞ!」
「へい!」
【――ナンミ本陣――】
「申し上げます! コサン率いるギ軍凡そ六千、三の丸付近から陣を移し、ゼゼ川に布陣!」
「矢張り来たか……」
「御館様。矢張りとは?」
家臣の一人が眉間に皺を寄せ訊ねた。
リフは自慢の髭をしごきながら、低い声で答える。
「コサンなれば必ず城より打って出ると予想していた」
「何故?」
「コサンは籠城も上手いが、真に強いは用兵よ。あの者は野戦において力を発揮する」
「恐れながら……。敵が打って出て来たという事は、城の守りが薄くなっておりまするゆえ、ここは兵を二手に分け、一方はコサンに当たらせ動きを封じ、もう一方は城を攻めるは如何なものでしょう?」
家臣の策を老人は『いや…』と言ってかぶりを振り、却下する。
「阿呆が。わしは幾度となく奴に敗れている。兵を二手に分ければあいつの思う壺。直に殲滅され、挟み撃ちにされる。わしはそうやって負けてきた」
「されば、殿は如何御考えで?」
「此度はじっと敵の動きを待った。敵はわし等と川を挟んで対陣する。ならば一万の内、兵二千は城から出て来た敵に備える為の後詰めに回し、残り八千でコサンを討つ」
「されど、コサンは戦上手故、一筋縄ではいきませぬぞ」
「馬鹿者が。その為に殿はイコクタ殿を調略し、味方に引き込んだ」
確かに、今回の戦で敵将イコクタは、合戦の最中に寝返る手筈になっている。
しかしリフ・ナンミは、それだけでは未だ不十分と苦笑いして見せた。
「イコクタは先鋒に使われるだろう。わしがコサンならそうする」
「では如何なさいます!? イコクタ殿が先鋒では我等も戦い辛いですぞ。万が一にも寝返りの件を反故にされれば……」
「安心しろ。イコクタとは全力で戦え。例えこれから裏切る相手だろうと容赦するな。殺せ」
「殿の狙いはギ郡では? その為にもイコクタ殿を始め、多くの豪族を味方に引き入れなければなりませぬ。ここでイコクタ殿を殺せば、敵の結束益々強くなり、それこそギ郡統一所では無くなるかと……」
「ふっ。いいか? ギ郡の豪族達は結束しているようで、結束していない」
「他にも寝返る者が居ると?」
「この戦で分かる」
翌日。素早く陣を移したコサン軍と、雪辱に燃えるナンミ軍。両軍はゼゼ川を挟んで睨み合う。
長年の宿敵同士が再び相見えようとしていた―――。