第三幕・「稽古」
――アシハラ大陸。
この大陸に始めて統一王朝が誕生したのはおよそ二百年程前。
その当時、この大陸には三つの王国があり、互いに三つ巴の戦いを繰り広げていた。
王国の名は其々『ソウ』『タン』『テキ』と言い、戦いを勝ち抜き大陸史上初めて天下統一をしたのはソウ国の王であった。
互いに国力も、兵の数も同等であったにも関わらず、何故ソウ国だけが他の二王国を圧倒し、天下を取るに至ったか、その秘密は”侍”という存在にあった。
当時、武士階級は貴族階級よりも下であった。王制は基本的に、貴族が政を執り行い支配する。
武士の立場は彼等を守る、下級の戦闘集団だった。中には有事の際に戦をし、平時の際には農民に戻る、半農半士の地侍等も居た。
しかし、時のソウ国王は貴族達の護衛を任務としていた、武士の戦闘力に注目した。
貴族の代わりに指揮を執る事もあり、常に前線へ出て戦う彼等は戦に精通していて兵の統率は貴族よりも上であった。
ソウ国では武士に貴族と同格の地位と権利を与え、手柄を立てれば土地を与えた。
多くの武士達はソウ国へ募り、手柄を競い合った。
貴族よりも、出世欲と、名誉心が強い武士は事の外多く、彼等は瞬く間に他国に戦を仕掛け、蹂躙していった。
更に王は、各地に散らばる武家の棟梁として、将軍職を作り武士を束ねさせ各地へ派兵。強大な軍事力を持ってして、他の王国を滅ぼし、遂に天下統一を成し遂げたのだ。
歴史上、何百年と争い遭ってきたこの大陸を初めて統一するという、大事業をソウ国王は完遂させる。
だが、王の野望はそれだけには止まらなかった。征服欲の強かった王は、異民族や亜人種をも従える為、辺境の奥地へ派兵し、多くの多種族を虐殺した。
王は大陸全土を完全に支配した。しかし、その統治は長くは続かず、病を患いあっという間に亡くなる。
大陸全土の支配から僅か三年で王は逝った……。
国王崩御の悲報は瞬く間に大陸全土に広まり、好機とばかりに不満を溜め込んでいた異民族と亜人種達による、部族連合が起こり王国に宣戦布告。
その支配から逃れ先祖の地を奪還すべく、立ち上がった。
その時、王国内部でも権力闘争が起きていた。
互いに利権を争いあう貴族と武士との間には、確固たる確執があった。
対応は遅れ、戦いは長引き、その上、自分達の領土拡大を図って、次々に王国に反抗する勢力も誕生しはじめた。
その事態を逸早く収拾する為、ソウ王国の将軍キョヘイは軍部にて反乱を起こすと、武家の棟梁だった大将軍を討ち取り、これを掌握した。
自身が大将軍職に就くと、圧倒的な武力を持って、他の王侯貴族を黙らせ、武士政権樹立を宣言した。
彼は自分が立てた新王を時期国王にして権力を握る。
そして、各地で暴れまわる部族連合を打ち破ったのだ。
彼は異民族や亜人種は人間に劣る下等種として扱い、身分制度化を実施。それが今日に至る中央政権であり、幕府である。
しかし時は流れ、今から凡そ四十年前に起きた大規模な農民反乱によって、中央の支配力は弱まり各地の守護大名家は下克上され、殆どが滅び、群雄割拠する戦国時代が始まったのである。
「若様、聞いておられるのですか?」
「ん? あぁ。聞いてる、聞いてる……」
全く興味なさそうに適当な相槌を打つアガロ。
はぁ、と溜息を吐く守役のシグル。
歴史の勉学をしているが、当の嫡男は先程からずっと庭を眺めている。
また逃げ出す事を考えてるのかもしれない、と守役は内心思った。
すると、
「ふふふ」
という笑い声に気づき声の方へ視線を移すと、鬼族の侍女マヤが正座をして此方を見つめていた。
マヤはアガロの母・サヒリに仕える侍女。未だ歳も若く十五,六。色も白く笑顔が愛らしい。彼女の母も同じくサヒリに仕えている。
だが、今年は隣国との国境争いが起こり、父・コサンは一族郎党を率いて出陣。
彼女の母もサヒリの身辺警護として従軍しており、城には僅かな兵しか残っておらず、マヤは主君コサンや妻サヒリから、アガロの身の回りの世話役を命じられていた。
尤も、何時も城の外へ抜け出す彼のお蔭で、その仕事は果たせてないのだが……。
「どうした? 俺の顔に何か付いてるか?」
突然笑い出したのが気になり、アガロはふと訊いてみた。
「失礼致しました。若様」
彼女は慌てて頭を下げ謝罪する。若いとはいえ彼も一応は主君の息子。失礼があってはいけない。
彼女達のような亜人は、基本的に物扱いであり、人権が存在しない。出て行け、と言われれば出て行かざるおえないし、最悪の場合は打ち首も有得る。
「頭を上げろ、別に構わん。申してみろ」
「では、恐れながら……。先程こう思うておりました。若様も大人しくしていれば、可愛らしい童なのに、と……」
「『大人しくしていれば』は余計だ」
互いに笑いあうアガロとマヤ。
その様子を見てやれやれ、とまた溜息を吐く守役。
自分の話よりも、侍女と話している方が、彼は笑顔になり、楽しそうだった。
確かにマヤの言う事は間違いではない。
アガロは母親似である。端正な顔立ち、大きな黒目に奥二重と長い睫毛。母譲りの褐色の肌、長い黒髪は後ろで最近お気に入りの三つ編みにしている。少女と見間違う程の容姿だが、中身は常に城を抜け出す事を考えている悪ガキだ。
何度その言動に悩まされたか、数え出したら切が無い。
暫くすると、また庭を眺めだすアガロ。注意力散漫なのも頭痛の種である。
アガロが眺めている庭は良く手入れも行き届いており、大きくは無いが、見ていて気分が落ち着く。特に、池の側に生えている桜の木は見る者の心を奪う程に美しい。
アガロの母サヒリのお気に入りでもある。
「爺、退屈すぎて死にそうだ……」
すっかり話しに飽きている彼は、ぽつりとそう零した。
こういう場合は、きつく叱り戒めてやるのが勤めではあるが、次期当主であるアガロ・ユクシャは我侭であり、気分が乗らければ、どう言ってもやらないし、動かない。
「なれば庭へ出て、剣の稽古を致しましょう。お召し物を……」
その事確りと心得ているシグルは、武術の鍛錬を提案してみた。
アガロは一つの処に留まっているのが嫌いなのか、よく動く子供であった。
案の定、彼はじっと大人しく爺の話を聞くよりは、体を動かした方が良いとばかりに飛び起きた。
「いや、此の侭でいい」
最後まで言い終わらぬ内に草鞋を履き、木刀を二本持って庭へ降りる。
爺はまた溜息を吐く。
彼の格好は農夫の子供が着る物と一緒なのだ。ボロボロであり、腰には頭陀袋が下げてある。
何故その様な格好をするのか? と訊ねた事がある。そしたら返答は『楽だからだ』と一言だけ。なんとも物臭で、簡潔な返事だった。
「爺! 早くしろ!」
シグルも木刀を持ち、もう一本短い木刀は腰に挿し庭へ降り立つと構える。
「若様、頑張って下さいね!」
侍女が応援する。
シグルは正眼に構えるが対するアガロは無形。
間合いに入らぬよう、アガロは場所を移動し始める。
また逃げ出すのでは? と思い若殿を凝視するシグル。これまでも前科があり、稽古の途中、突然逃げ出した事が多々あった。
その事を警戒し、何時でも走り出せるように身を構えていると、アガロはそんな爺の周りを丁度半周した辺りで、ピタっと動きを止めた。
次の瞬間。
「キィェェェェェェイ!!!」
いきなり奇声を発し真正面から突っ込んでくる。
こんな攻撃は初めてであった。普段の彼は慎重に打ち込んでくる。何時も持久戦となり、アガロが途中でバテ、シグルが一本取って勝利する。
だが、今日だけは違った。
いきなりの奇声と突進する彼に不意を突かれ、思わず数歩後ろに下がると、眼前に何かが飛んできた。
――アガロの木刀だ。
咄嗟に横に躱すが、気付くと何時の間にか、自分の間合いに深く入り込まれていた。
素早く体の小さい嫡男はその利点を最大に生かし、腰に挿してあったもう一本の短い木刀を持って打ち込む。
流石に間合い深くに入られては防戦一方となる。木刀が短い分、アガロが有利。
シグルは体勢をを立て直す為、後ろへ大きく跳んだ。すると、また顔めがけ木刀が飛んで来た。
だが、二度も同じ手は喰わんとシグルは身を屈め躱す。今度は視線を逸らさず、彼を見ていた。
アガロは木刀を投げた勢いで姿勢を崩し半身になっていた。
「ちぃ!」
「飛び道具は突きましたな! お覚悟!」
勢いよく一歩踏み出し、木刀を振り上げる。
が、彼の顔めがけて三本目の木刀が飛んで来た。
瞬間この老人は理解した、
――これは自分のだ。
さっき後ろへ跳んだ時、アガロは自分の腰から抜き取っていたのだ。
二本目に投げた木刀は、腰の木刀を抜き取られた事から注意を逸らす為。そして、姿勢をわざと崩したように見せ、半身になったのは抜き取った木刀を隠す為と、自身へ攻撃する隙を与える為だ。
一歩踏み出した所為で飛んでくる木刀との距離が大分に狭まってしまい、自分の木刀で叩き落とす事が出来ない。
しかし、彼も歴戦古兵、勢いよく後ろへ仰け反って躱した。
「見事だ爺!」
そう言い放つとアガロは全体重をかけてシグルに体当たりをする。
大きく姿勢が崩れていた所を、彼に勢いよく押された為、倒れまいと仰け反りながら後退するが、姿勢が悪すぎて後ろへ倒れてしまった。
だが、倒れた先は地面ではない。
――池であった。
「あっはははは!! 初めて爺に勝ったぞ! さらばだ!」
身を翻して何処かへと消えていくアガロ。
何が起きたか分からず、侍女のマヤは呆然と開いた口を手で覆い、その場で固まっている。
池から這い出て、ぜぇ、ぜぇ! と息するこの老人は『あの悪がき!!』と半分思いながらも、もう半分は感心していた。
はじめ無形の構えで油断させ、グルリと自分の周りを半周した事により、シグルが自然と池を背にする形となる。
そして最初に放った奇声で虚を突き、反撃する暇も与えず攻撃する。最後には此方を油断させて罠へと突き落とした。
今日の彼の戦い方は合戦に似ている。敵の虚を突き倒す。
何処で覚えてきたかは知らないが、将来はきっと名将になるに違いない、と将来を少し期待した。
「あれでもう少し落ち着きがあれば……」
最後にこの老人は苦笑して見せ、少し不満を漏らした。