第二十四幕・「郡都へ」
【――アガロ隊――】
「ほぉ。おまえがあん時の赤髪の娘ちゃんねぇ……」
「ちょっと! 娘ちゃんなんて呼び方、やめてくれる!? あたしの名前はリッカ!」
顎を撫でながら、赤鬼ドウキは感心したように観察した。
赤鬼に比べ、遥かに小さい赤髪の少女は、勝気な釣り目を更にきつく吊り上げ、下から睨んだ。
すると、その様子を見ていた狼青年が口を挟む。
「また偉く気が強ぇガキだな?」
「そこの銀髪の犬! ちゃんと聞こえてるんだからね!」
「んだと、テメェ! オレは狼だ! 死にてえのか!?」
「えぇ、良いわよ。掛かってきなさい! 返り討ちにしてやるんだから!」
互いに目から火花を散らし、腰の刀に手を掛ける。
一触即発の空気が流れると、其処へキジムナの少年と、一つ目の青鬼が慌てて割って入った。
「ちょっと二人ともやめなよ! またアギト様に怒られるよ!?」
「そうでさぁ! 二人とも落ち着いて下せぇ!」
「…………」
「ちょっとギンロ! 見てないで二人を止めるの手伝ってよ!?」
「…………」
必死で宥める二人の後ろで、興味が無さそうにじーっと見つめているギンロ。彼女へ助力を頼んだが、空しく終わる。
「……何と言うかアガロ、君の隊は日に日に騒がしくなっていくね」
「馬鹿ばかりが……」
城の櫓から、自分の隊の喧騒を眺めていたのはアガロと、友のテンコだった。
ユクシャ当主は額に手をあて、溜息を吐き、ミリュア当主は苦笑いしていた。
「でもま、今回の乱捕りした足軽を殺めた件は不問にされた見たいだし、良かったんじゃない?」
「あの後、俺が父上に直接頭を下げたからな」
彼の言った言葉に思わず驚いた。
「……頭を下げたのかい? 君が?」
「配下の尻拭いは当主の務め、と父上が言っていたし、爺にも教えられた。それに俺は立派な当主になると約束した、それくらいはする」
「アガロ。成長したね?」
「当たり前だ。何時までも小さくはない。背もだいぶ伸びたぞ」
「いや、そういう意味じゃなくてね」
「?」
分からない表情をする彼だが、テンコはあえて黙っておこうと思った。
実はあの後、足軽三人が斬られた事が知られ大変だった。現場にはアガロの亜人達が居るし、トウマがシグルを呼んで来た時には、他の乱捕り中の足軽と既に斬り合いをしており、特にコウハは数名の足軽を負傷させていた。
味方同士で傷付けあうのは感心されないし、増してやコウハは獣人だ。人を斬った、となれば罪は重いし、場合によっては処刑される。
しかし、今回の戦はあくまでもギ郡平定が目標だった為、ギ郡内での略奪は全面的に禁止されていた。故に、罰せられたのは乱捕りをした足軽達だけであり、アガロ等はお咎めは受けなかった。
「所でアガロ。君が新しく連れて来たあの赤髪の子、中々可愛いね?」
「何だいきなり?」
突然話しが変わり、アガロは拍子抜けする。
「あのリッカだっけ? 将来は美人になるんじゃないかなぁ」
「お前は何を言っているんだ?」
「君は何とも思わないのかい?」
「確かに見てくれは可愛いが、中身は乱暴だ」
「でもそれ以上に綺麗な赤い髪と大きい瞳をしている。君の姉君タミヤ殿に似て、やや釣り目だね。僕としては髪を肩までじゃなくて、もっと腰まで伸ばして欲しいけどね。でもあの白い肌は中々に良い」
「お前が女好きとは意外だな?」
「あのね、アガロ。僕だって一応ミリュア家の当主なんだよ? 将来の世継ぎを残さなくちゃいけないし、今から自分好みの女性を探すのも立派な当主の務めさ」
「そうか」
笑顔で語るテンコを見て、アガロは少々呆れたように相槌を打つ。
丁度その時、二人が雑談をしていると一人の鬼が櫓の真下から声をかけた。
「アギト様―――ッ! もう直ぐ陣触れ、とシグル様が申しております―――ッ!」
「報告大儀だ!」
言うとその鬼はペコリと頭を下げ、来た道を戻って行った。
だが、テンコは驚き目を丸くする。その鬼の足が異常なまでに速かったからだ。凄い勢いで走り去っていく。
「アガロ、あの鬼は一体誰かな?」
「あれはデンジ。足の速い鬼だそうだ。トウジ平原で共に戦い、俺が足軽頭になった際に仲間に加えた」
「と言う事は、元々は僕の亜人だったのかな?」
「そうだ」
「……アガロ、話しが―――」
「あいつは返さないぞ。もう俺の配下だ」
自分が先に言おうとした事を言われ、言葉を失う。が、それでも少し納得がいかない様子だった。
「でも褒美を払ったのは僕だよ?」
「それとこれとは話しが別だ。あいつは俺が先に眼をかけたんだ」
「はぁ……。君を相手に交渉は無理そうだね……」
「そういう事だ。諦めろ」
足が速い鬼は珍しいし、伝令係に使ったりも出来て何かと便利だ。そん所そこ等の駄馬よりも速いし、稀少種である、とテンコは思っていたが諦めた。目の前のユクシャ当主の気性を理解していたからだ。
彼は少し溜息を吐き、やがて話しを戻す。
「陣触れだったっけ?」
「あぁ、いよいよ動く」
彼の言葉に黒髪の少年は頷き、顔を引き締める。
「アガロ。君の父君はナンミと戦う積りだ、そうだね?」
「いきなりどうした?」
「一応確認みたいなものさ」
「言うまでもない。今回の事は、全部ナンミが裏で糸を引いていると、父上は勘付いていた。それに、お前も薄々気付いていたんじゃないか?」
「まあ、確かにそうかもしれないけどさ。僕はもっと小さい頃から、戦場に出て戦ってきたけど、ナンミと戦するのは初めてなんだよね」
「心配するな。父上が負ける筈ない」
【――コサン本陣――】
「報告致します。ナンミは郡境を越え、郡都サイソウ城へ向け進軍中」
「うむ、書状にあった通りじゃな……。して、数は?」
「凡そ一万」
「おお! 兄上の読み通りですな!」
総大将コサン・ユクシャの右隣に居たギジョ・マンタが、流石と大きな声を上げた。
使者の報告によると、矢張りコサンの予想通り、ナンミ軍は郡境に兵を集結させており、このギ郡へ迫っているようであった。
次に口を開いたのは姪のイマリカ・アッシクルコ。
「叔父上様はこれを踏まえて、予め郡都に兵を残していたのですか?」
「そうじゃ、郡都に残した守兵五千と、わし等三千で合わせて八千になる。これだけあればナンミに対抗も出来よう」
「されど御隠居様、くれぐれも油断してはなりませぬぞ」
シグルの言う事最もだ、とコサンは思った。何故ならば今回のナンミ軍の行軍は明らかに遅い。
自分達をケタンと戦わせ消耗させるのが狙いだろうが、ザンカイ城が明け渡されてから動きを見せなかった。
(動きが遅い。何かあるのではないか?)
一つ頷きコサンは、あくまでも冷静に振舞う。
「分かっておるわい。シグル、その方は心配が過ぎるぞい」
「はっはっは! シグルも年だな?」
ギジョが高笑いすると、負けん気の強いこの老将は些か不機嫌な顔をした。未だ若い者には負けた積り等無い。
長年仕えている家臣だ。その様子に気付きながらも、コサンは敢えて無視して続ける。
「此度はイコクタ殿にも同行して貰おう」
「はは!」
「先鋒を任せるゆえ、先に支度をしてくると良い」
「は。では、失礼致しまする……」
ケタン・サイソウの元副将で、ザンカイ城明け渡しをしてきたイコクタが出て行くと、姪のイマリカが口を開き、不満を述べた。
「叔父上様! あの者、信用置けぬ筈では!?」
「確かにそうじゃ」
「では、何故先鋒に命じるのです!? 此処に残しておけば宜しいでしょう!?」
「お主の申す事にも一理あるが、何をするか分からぬ奴を、後ろに残すは危険じゃ。これからナンミと戦という時に後方に不安を残すよりは、目の届く所で監視するのが良いじゃろう」
コサンはあくまでもイコクタ、という男を信用した訳ではない。
アガロの父も、この乱世で生きてきたのだ。例え味方であろうと、可能性があれば疑うし、警戒心は強い方だ。
そんな叔父の意見を聞き、年若い姪は成る程、と納得する。
「うむ、皆の者、相手はあのナンミじゃ。何を仕掛けてくるか分からんゆえ、油断は禁物じゃ!」
「「はは!」」
「陣触れ致せ! 目指すはサイソウ城じゃ!」
【――ザンカイ城・城外――】
「急げ! 小荷駄隊はさっさと荷物を詰めろ!」
総大将から遂に陣触れの下知が下ると、多くの士卒は急いで準備に掛かった。
その中でも特に声を張り上げ、味方を急かすのは堂々とした大柄の赤鬼ドウキ。
「張り切っているな」
「おう! 大将! こう見えても昔は臨時だが、亜人隊の小頭をした事があるからな、大体は心得ている積りだぜ!」
アガロはドウキを副将に任じ、部隊編成と指揮を任せていた。彼は手際が良く、また親分肌な事もあって、他の亜人から慕われていたのだ。そして彼自身、自分の部下が持てるのが嬉しいのか、活き活きと副将の仕事をこなしている。
「デンジ! お前はトウマ達を呼べ!」
「はい!」
一応の編成は、ドウキの提案を受け入れた形になっている。
隊の頭をアガロとし、ドウキは一番小頭、コウハは二番小頭、ギンロは三番小頭に任命され、次の合戦に参加する。
一方、青鬼トウマには数名の鉄砲兵を付け、キジムナのガジュマル、そして新たに加入したリッカには、アガロの護衛を命じ、足の速い鬼デンジは伝令の任を授けた。
普通、伝令には鳥騎馬を使うのだが、部隊に多くは居ない。デンジの速さは重宝した。
「コウハ! ギンロ! お前達の部隊は用意出来てるか?」
「へっ! 言われるまでもねえ!」
「…………」(こくり)
コウハ・ギンロの兄妹は、初めての自分の部隊を与えられ、張り切っている。二人は若いが多くの実戦経験があり、それを買っての抜擢だった。
今回数日に渡り、ザンカイ城に待機していたのには理由があった。兵を休ませる事と、軍の再編である。
ナンミと戦う為、周辺の村や町から兵を再び募り、軍備の増強を図っていたのだ。
これから来るナンミ戦に備え、兵力の増強を許されたアガロの隊は、今や数は凡そ三百程。
アガロの部隊は引き続き彼自身の監視も含め、シグルの部隊に加わり、コサンの本隊守備を命じられていた。
「よし。後は出発の合図を待つだけだな」
「ふぇっふぇっふぇ……。随分と元気なわっぱじゃな?」
意気揚々としていたアガロの背後から、突然声がした。
「誰だ!?」
思わず腰の刀に手を掛ける。全く気付かなかったし、気配が完全に消えていた事に彼は驚き、何処かおぞましさを感じた。
表情をきつくする少年とは対照的に、老人は何とも陽気な声で語りかける。
「ふぇっふぇっふぇ……。そう警戒せんでもよい。わしゃシウン。イコクタ様に仕える爺ぃじゃ」
「何の用だ?」
「じゃから、そう警戒するでない」
警戒するなと言う方が無理だ。アガロは彼に声を掛けられた際ぞっとした。
目の前のシウンという男は何とも怪しい。背筋が猫背で、それが余計に彼を小さく見せる。山伏の服装をしており、顔は布で包まれ分からない。
辛うじて声で老人というのは分かるが、はっきり言ってしまえば『不気味』の一言が似合う。
「まあ、こんな格好じゃから、無理もなかろうて。わっぱ、名は?」
「……アギトだ」
「ふぇっふぇっ、わしゃお前さんに会いに来たのじゃよ」
「俺に……?」
眉をひそめるアガロ。何故、身分を隠しているとはいえ、一介の組頭に、特に亜人頭に用があるのか、皆目見当が付かない。
「そうじゃ。何でも面白い少年が居ると耳に挟んでの……。気になって見に来た訳じゃ」
「面白くなくて残念だったな」
「これこれ、もう行くのか?」
「生憎と俺は忙しい。年寄りの小言は爺で沢山だ」
アガロはその場を早足で立ち去る。シウン、という老人の止めるのも聞かず、自分の隊へ戻って行った。
(何だあいつは? すごく嫌な気配がした)
自身が感じた悪寒からまだ解放されずにいる。こんな感覚は初めてだった。
【――イコクタ隊――】
「ん? シウンか? 何処に行っていた?」
「ふぇっふぇっふぇ……。ちょっとその辺まで散歩がてら、面白い少年を見てきましたわい」
「ほう、どんな奴だ?」
「まあ、まだほんのわっぱですがな……。将来は化けるか、或いは……」
「ふん、その方の遊びには付き合ってられん」
「ふぇっふぇっふぇ。しかしまぁ、ここまで事が上手く運ぶとは、返って不安になりますわい」
「何を言う。それもこれも皆その方の暗躍があったればこそではないか」
「ケタン様の暗殺……」
「これ、滅多な事を口にするでない!」
老人が小声でポツリと漏らした言葉を聞き、イコクタは慌てたが、対してシウンは可笑しそうに笑った。
「ふぇっふぇっふぇ! イコクタ様は心配性ですな。今、周りにはわしの手の者達が張っております故、心配せんでも大丈夫ですわい」
「そっ、そうか……。しかし、アンカラとブリョウの仲を裂く事は容易かったが、ケタン様の暗殺が上手くいくとは思いもしなかったぞ……」
「ふぇ、ふぇ。イコクタ様はわし等”忍び”を甘く見すぎておりまわい。ケタン様は武人然とした御方ゆえ、わし等を嫌っておりましたでな。側に有能な忍びが居れば、或いは死なずに済んだかもしれませぬが、わし等はちと”変わり者”ですからな」
「どのように致した?」
「ケタン様の使用人に配下を紛れさせ近付き、密かに薬を盛りましたわい。そして夜陰に乗じて……」
「つくづく恐ろしい奴だな」
ゾッとする。思わずでた言葉は本心からだったが、シウンは高笑いした。
「ふぇっふぇっふぇ! お褒めに預かり恐悦ですわい。その後、異変を知らせる為、ブリョウ殿を呼び、ケタン様の寝所へ向かわせ、アンカラ殿にはブリョウ殿が謀反を起こした、と虚報を流し後れて呼びつければ、両者は現場に鉢合わせる。当然、後れて来たアンカラ殿はあの性格ゆえ、早合点してブリョウ殿に斬り掛かり、両者は同士討ち……」
「うむ、ケタン様の死体と、ブリョウが配下を率いて寝所に居るのを見れば、誰でもブリョウを疑うだろう。逆上したアンカラはブリョウを斬り殺し、両兵士入り乱れての斬り合い、ゆえにアンカラ殿を討つのは容易であった。わしの手の者を紛れ込ませ、背後から襲わせた」
「邪魔な両者が消えてくれて助かりましたわい。それと……、イコクタ様も忘れてはおりますまいな?」
「その方との約束忘れてはおらぬ。されど、未だするべき事が残っておる。行くぞ、我等は先鋒だ」
「では、予定通り事を進めましょうぞ」
やがて陣触れを報せる法螺貝と太鼓の音が聞こえる。軍兵の足音と多くの旗指物が並び隊列を乱さず、行軍する。
向かうは郡都サイソウ城。対峙するはビ郡の大名ナンミ。
天暦一一九六年・未の月の事であった。