第二十幕・「城の明け渡し」
【――イノ山――】
イノ山はギ郡とビ郡の郡境に聳える山であり、麓には穏やかに流れる河川がある。
山の方からは鳥の鳴き声が聞こえ、長閑な風景だったが、それには似合わない物々しい一軍の姿が、その河川近くに陣を布いていた。
「御館様。出陣の支度が整いまして御座る」
「何時でもギ郡へ打って出る事出来ますぞ」
甲冑に身を包む壮年の家臣達が報告をし、床机に腰掛ける老将へ目を向ける。
ギョロリとした大きな目。後頭部が異常に突き出た大男。自慢の口髭をしごきながら、老将は部下の報告を満足そうに聞いている。
「トウジ平原はどうなっておる?」
老人の声は重低音。それでいて威圧的であり、何処か冷酷な響きがある。
「は。今、某の手の者が調べに向かっておりますゆえ、暫くの御猶予を……」
「御館様。恐れながら申し上げます。平原で戦が始まるのを待たず、我等で此の侭ギ郡へ雪崩れ込めば、サイソウ城をはじめ、ギ郡全土を踏み潰す事出来るのでは?」
部下が提案するが、老人はかぶりを振った。
「いや。わし等は此処で知らせを待つ」
「何故に御座ります?」
怪訝な顔をする家臣に、少しニタリと薄笑いを作りながら答える老将。
「敵を消耗させねばならん。今、攻め込めばギ郡の豪族達は結束し、折角の計画が水の泡となる。急いては事を仕損じるという事じゃ」
「流石はリフ・ナンミ様!」
―――リフ・ナンミ。
それが彼の名である。エン州ビ郡の大名にして、下克上の代名詞。
謀略と身一つで成り上がった彼は『ビ郡の梟雄』と渾名される。
「恐れながら、御館様。もし仮に敵が速やかに戦を終らせ、我等に向かってきた時は、如何なさいます?」
「その方の言う事も分かる。が、心配には及ばぬ」
リフ・ナンミは鋭い眼をイノ山へ向ける。樹木が生い茂り鬱蒼とした山。彼はその向こう側のギ郡を見据えていた。
「御館様、間者が戻ってまいりました……」
暫くすると、先程の家臣が目の前に片膝を付き報告してくる。
リフはゆっくりと口を開いた。
「知らせは何と?」
「は。間者の報告によれば『トウジ平原の戦は半日もせずに終わり、コサンが勝利した』との由。ケタンはザンカイ城へ逃げ戻り、門を硬く閉ざし、籠城の構えを見せているとの事」
「うむ、予定通りじゃ。間者を今一度ザンカイ城へ走らせよ、この書状を渡せ。それと陣触れしろ、わし等も出るぞ」
「はっ!」
「それと”例の男”にも間者を送れ」
「御意!」
【――ギ郡東部・アガロ隊――】
「いいでやんすか? ここに弾を入れて火薬を詰めて……」
「トウマさん、こうですか?」
「違いやす。そうじゃなくて火縄はここに……」
「おい、ガキ。オマエのとこの青鬼は一体何をしてるんだ?」
「他の鬼達に火縄銃の使い方を教えている。それと、俺はもうお前達の大将だ。ガキと呼ぶな」
長身銀髪の狼青年を見上げながら、彼等の大将は無愛想に言った。
アガロは足軽百人の頭に就任する際、自分の部隊に亜人を加えた。キジムナのガジュマル。青鬼一つ目のトウマ。赤鬼のドウキ。そして狼族のコウハ、ギンロ兄妹。その他、数十人の多種多様な亜人を選抜した。
トウジ平原の戦いの後、再び軍を出立させたコサンは、ザンカイ城近くの山頂に布陣し、降伏するよう使者をケタンの元へ向かわせた。アガロはシグルの隊に配属され、百人の足軽を率い麓に配置。
今彼等は交代で見張りを行い、束の間の休息を味わっていた。
「オマエが足軽大将とは驚きだぜ。一体どんなコネを使ったんだ?」
未だにアギト、と偽名を使う彼へ、少し舐めたような眼差しを向けるコウハ。
黒髪の少年はそれに相変わらず仏頂面で返答した。
「俺は実力でなったんだ」
「へ、どうだか。また汚い手を使ってやがったんだろ」
「おいおい、コウハ。寂しいのは分かるが、それくらいにしとけよ。おれ等の大将は忙しいんだからよ」
しつこく絡んでくるコウハに、アギト組のドウキが横から現れた。
「なっ!? 別にオレは寂しくなんかねえ!」
コウハは怒鳴るが、目の前の赤鬼ドウキは適当にあしらう。
「そんな事よりもよ大将。ちっとばかし面貸してくれるか?」
「別に構わないが」
機嫌を損ねたコウハは妹と共に、何処かへ去ってしまう。
トウマに暫く見回りをする、と言い残し二人は陣中を歩きながら、他の足軽達を横目に流し話し出す。
「急にどうした、ドウキ?」
「アギト。おまえが本当は”アガロ”って名前でユクシャ家当主ってのは本当の話か?」
「そうだ」
「嘘じゃねえんだな?」
「しつこいぞ」
トウジ平原の戦いの際、ドウキは彼の素性が気になり、戦が終ったら打ち明けて貰えるよう約束していた。そしていざ聞いてみると、彼の本名はアガロ・ユクシャで、現ユクシャ家当主だと打ち明けたのだ。
ガジュマルやトウマも説明し、その場はそれで納得したが、正直未だ疑ってもいる。
「一つ聞いていいか?」
「何だ?」
「何でおまえは戦場へ来たんだ?」
彼と自分達とでは、住む世界が違う。何故、彼が足軽になってまで戦場に参加しているのか、その理由を未だ聞いていなかった。
「決まっている。俺は父上の為、ギ郡の民の為、一刻も早く戦の終息を願い、この身を戦場へ投じたんだ」
「……なんだか、嘘臭えな」
得意顔で語る彼だが、赤鬼は怪訝な眼差しを向けた。
丁度その時、二人の間に何時の間に立っていたのか、キジムナの少年が説明する。
「アガロ様は、本当はお城に残るのが嫌だったんだよ」
「どういう事だ?」
「ガジュマル、余り余計な事は……」
アガロがバツの悪そうな顔をするが、それを無視してガジュマルは続ける。
「何だっけ? きん、しん…しゃぶん?」
「謹慎処分か?」
「そう、それ。アガロ様はお城から暫くの間、出てはいけなくなったんだよ」
「それが嫌で戦場に来た訳か?」
「…………」
ドウキが訊ねると、無言の返答。その上、明後日の方向を向いている。
詰まりは肯定と捉えていい、とドウキは思った。
「でもよ、何で戦場なんだ? 他にも行く所はあったんじゃねえのか?」
「俺は当主だ。元服もしている。早く戦場に慣れ親しんどいた方が良い、と思ったからだ」
「アガロ様は昔から、駄目って言われたらするからね。今回も『城に居ろ!』、『戦に出るな!』って言われたんじゃないかな?」
又してもキジムナの友が余計な事を口にし、内心舌打ちをするアガロ。
彼は少しうんざりした口調になる。
「別に構わんだろう。聞けば父上は俺よりも若い頃から、農民一揆、山賊に水賊を相手に戦をしていたという。父上が駄目で、俺が駄目という道理はない」
「でも駄目な理由はあったんだろ?」
「俺の知った事ではない」
ふん、とそっぽを向くアガロ。
「……なんと言うか、おまえは自分のしたいようにする。そんな人間って事だな?」
「ふん」
「まあいいさ。それよりも飯にしようぜ」
これ以上聞いても答えてくれそうに無い。
丁度腹も空き始めていた頃だし、陣中一回りした三人は腰を下ろし、昼食を食べ始める。
「この干飯にも慣れたな」
「うん! それにこれ、ポリポリして以外に上手いよね!」
干飯を幾つか摘みながら、三人は車座に座り、陣笠で湯を沸かし、そこへ干飯を入れ煮て戻す。
「キジムナの坊主は、普段何を食べてんだ?」
「おいらは漁村の生まれだから、普段は魚とか干物を食べたりしてるよ」
「ハギ村の干物は上手いからな」
二人は目を閉じ、ハギ村の魚の干物を思い出す。磯の香りと、噛めば噛むほど味が滲み出るハギ村の干物は、二人の好物である。
「そんなに上手い干物なら、今度おれにも食わせてくれよ?」
「うん、もちろん! ドウキも今度おいらの村においでよ。きっと気に入るからさ!」
「浜辺で昼寝は気持ちが良いぞ?」
三人はふやかし戻した干飯を”ずずず”と音を立てすすりながら、ゆっくりと咀嚼し空腹を紛らわす。
「この干飯以外に梅干もあるぜ」
「梅干は戦場では必需品なんだよね。おいら初めて知ったよ」
「戦の最中は酷く汗を掻くからな、梅干は食えば疲れが消える。それに傷の消毒にもなるし、飯も腐りにくくなる」
「やけに詳しいじゃねえか」
「爺から聞いた。それとガジュマル『満腹は戦場では命取り』だそうだ。余り食いすぎるなよ?」
「どうしてだい? いっぱい食べた方が沢山動けるのに?」
「逆だ、満腹だと動きが鈍くなる。それと腹が突っ張ってる所へ矢が刺さると、普段より血が多く出るそうだ」
「そりゃあ、おれも同感だ。戦で腹一杯になるのはいけねえって、昔の同業に教えてもらったぜ」
「おかわり!」
「……ガジュマル、人の話し聞いていたか?」
「それよりも早く食っちまおうぜ。雨が降りそうだ」
アガロが頭上を見上げると、空は何ともどんよりとしていた。風が先程から強くなってきているし、これは一雨来るかも知れないと思った。
しかし、折角の休憩を味わいたい三人は、ふやかした飯をすすり、談話を続ける。
すると暫くして、青鬼トウマがアガロの後ろで片膝を付いた。
「若旦那、シグルの旦那が呼んでおりやす」
「何の用だ?」
「何でも急ぎの話って言ってまさあ」
「直ぐ行く」
アガロは残った飯を一気に掻き込むと、手の甲で口周りを拭った。
刀を乱暴に帯び、早歩きで守役の陣へ向かう。
【――シグルの陣――】
「爺。話とは一体―――」
「来たようじゃな」
「―――父上!? 何故、此処に!?」
シグルと共に居たのは父親コサン。
どうやら二人は他に護衛も付けず、床机に腰を下ろして、彼を待っていたようだ。
「アガロ、城が明け渡されるようじゃ」
驚く彼を尻目に、父のコサンが開口一番伝えた。
「それは本当か!?」
父が居たのに驚き、その報せにまた驚いた。
コサンは腕を組み一つ頷いた。
「うむ。先程、城より戻った使者の話を聞くと、城内の兵に籠城の意志は無いらしいそうじゃ」
「詰まり、ケタン様が降伏したと?」
アガロは父親に訊ねるが、ユクシャの隠居はかぶりを振る。
「いや、そうでは無い」
否定すると、アガロは眉間に皺を寄せた。
ザンカイ城はケタン・サイソウの本拠地であり、それが明け渡されたという事は、謀反人の彼が降伏したのでは、と思ったのだ。
しかし、コサンは別の理由を口にした。
「ケタン様は身罷られた」
「なっ!?」
その時、頭上で雷が鳴り響き、雨音が聞こえ、それは徐々に勢いを増し、とうとう降りだした。雨に甲冑が濡れ、辺りが冷え込む。
しかし、アガロにはその寒さは殆ど感じられなかった。次にコサンが口にした話しの内容に、驚愕したからだ。
「正確には、……ケタン様は殺された」