第十七幕・「馬上の少年」
【――アンカラ・ブリョウ隊――】
「ブリョウ様。今突撃をかければ、敵は崩れまするぞ!」
「…………」
駆け上がるアンカラ隊を目の前にし、家臣が一人進言するが、ブリョウは黙った侭口を開こうとしない。
「何を躊躇っているのです!? 此の侭では、敵陣へ先に突撃なされた、アンカラ殿が孤立致しまするぞ!?」
馬上にて目を閉じながら、考え込んでいるブリョウ。彼は先程から配下の者達に待機命令を出し、兵を動かそうとしない。
もう一人の副将アンカラは勢いが肝心と、一気に部下の騎馬隊を率いて、敵陣に突撃を敢行し、斜面に陣取るミリュア・アッシクルコ隊と戦っていた。
形勢はアンカラ優勢と言ったところか。流石は若くして猛将と言われるだけの事はある。
「ブリョウ様、ご命令を!」
意気込んで家臣が返答を促すと、ブリョウは重々しく口を開いた。
「……先程のはアンカラ殿の独断専行だ。我等はこの地に留まり、殿の本隊を待つ」
「な!?」
思わず目を丸くした。この場はアンカラの助太刀をし、彼の突撃を助けるのが上策だろう、とブリョウなら考える筈と思っていたからである。
「しかし、それではアンカラ殿が敵に囲まれまする!」
「アンカラ殿は一人で動きすぎなのだ。我等の数で、丘に陣取る敵本隊を討つ事は出来ん。それよりも、ここはケタン様の部隊が合流するのを待ち、それから打って出る方が良かろう」
ブリョウはあくまでも当初の予定通り、ケタンの本隊を待った。
全軍で一気に攻め立てる積りだったが、何故かケタンの部隊が遅れていた。早馬を出すも、音沙汰無しときている。
慎重な彼はこの場を死守し、後方の状況を把握する方が優先事項と述べた。
しかし、それに反論したのはアンカラ。彼はこの侭勢いに乗り、敵陣を切り崩し、コサンの首級を挙げると勇んで突撃をかけたのだ。アンカラ率いる騎馬隊が先頭を勤め、彼の配下の足軽隊は丘を一気に駆け上がる。
だが、後方のブリョウ隊は動こうとしなかった。
「もし、アンカラ殿が退いたら、我等は撤退を援護すればよい。今は本隊と我が隊が離れすぎているゆえ、待機せよ」
戦において慎重すぎる事は無いと考えているブリョウ。
だがその時、部下が慌てて駆け寄り異変を知らせた。
「報告! 敵の亜人隊が突如斜面を下り、アンカラ隊の右翼を突破しました!!」
「どういう事だ!?」
「報告! 敵の亜人隊、勢い止まらず。後続の部隊を突破! 凄い勢いで我が隊へ進んできます!」
ここへ来て敵の亜人隊が斜面を下ってきたのだ。
予想外の報せである。亜人達は基本最前線に立たされ壁役にされるが、それが動いたのだ。斜面から一気に駆け下りる敵の勢い止められず、次々と味方が突破されているのだという。
「敵の数は!?」
「凡そ百三十余!」
「ブリョウ様! 我等の部隊は二百余り! 如何致しまする!?」
「落ち着け! 敵はたかが亜人隊だ。臆する事は無いぞ!」
彼は素早く命令を下すと、兵達は迅速に動き、斜面を下る敵に備えた。
【――亜人隊――】
斜面を駆け下り、勢いに乗る亜人隊の前面を指揮していた赤鬼が敵の動きに気付いた。
ドウキは中央で馬を早足で駆ける少年の元まで行くと、
「アギト、敵の部隊が動きやがった!」
「流石に速いな。だが、この侭正面突破を図るぞ!」
ドウキの報告に顔色一つ変えず、当初の方針通り、亜人隊は一気に敵のど真ん中へ突撃をかけた。
「かかれぇ―――!!!」
「止めろぉ―――!!!」
「「「「うおぉぉぉぉお!!!!」」」
両部隊が激突した。敵中突破を図る亜人隊と、それを食い止めようと立ちはだかるブリョウ隊。
槍で突き合い、押し合い、怒声と罵声が飛び交い、叫び声と悲鳴がこだまする。槍が折れれば、刀に持ち替え斬りかかり、刀が斬れなくなると取っ組み合い、殴りあう。
「ぐわぁぁ!」「死ねぇ!!」
「させるか!!」「くそが!」
両兵士が戦う中、戦場を一気に駆け抜け、敵を切り伏せる獣人が二人。
「どけ!」
「ぐふっ…!」
長身の兄が敵を一閃すると、小柄な妹が背後から飛び出し、敵の顔面を突き刺す。
「……!」
「ぎゃぁぁ!」
狼族のコウハは腰の二本差しを抜くと目にも止まらぬ速さで、敵を次々に斬り伏せ、妹のギンロは獲物の三叉槍をまるで手足の如く自在に操り、敵を串刺しにしていく。
「何だこの二人! すごく強いぞ!?」
「おら! どきやがれぇ!!」
「が……ッ!」
二人に遅れて現れたのは大きな赤鬼。
彼は相棒の鉄鞭を振るい、前に立ちはだかる敵兵士を、次から次へと殴り倒していく。
【――ブリョウ隊――】
「報告! 味方の前面突破されました!」
「報告! 敵の亜人隊、勢い止まらず! 直ぐそこまで迫っております!」
「ぐ……っ。亜人と思い侮っていたか……」
歯軋りをするブリョウ。意外にも敵の勢いが強く、止める事が出来ない。
「ブリョウ様、直ぐに御立ち退きを!」
「ならん! ケタン様が来るまで、何としてもこの場を死守せよ!」
亜人隊の勢いを甘く見ていたブリョウ隊は、あっという間に前面を突破され、ブリョウの居る部隊の目と鼻の先まで迫った。
(妙だ……)
馬上で刀を抜き、ブリョウは考えていた。
後方から報せが来ない事。そして、今は目の前の亜人隊。先程の戦闘で消耗した筈なのに、何故ここまで戦えるのか。戦場を見るに獣人二人と赤鬼一人が獅子奮迅の働きを見せている。彼等の活躍は亜人達を勇気付けているのは確かだ。
しかし、それだけではない、と彼は思った。
辺りを見渡すと目に止まったのは亜人隊に一騎だけの騎馬武者。身形は粗末な足軽具足で、とても上級の武士とは思えない。しかも、見るからに小さく未だ少年である。だが、一介の足軽とは思えない程、巧みに馬を操り、戦場を縦横無尽に駆け、味方を叱咤激励している。
馬上の少年は小さい体の割には声が大きくよく通り、此方にまで聞こえて来る。そして何故か、彼の声を聞くと亜人達の士気は奮い立つ。少年は自ら前線で敵と対峙し、戦場を駆け、味方を勇気付けていた。
ならば―――。
「あの馬上の少年を討ち取れ!」
「は!」
これで片が付く。あの騎馬武者を旗頭に、亜人達は勇戦しているのだろう。それを討ち取れば士気は崩れ、後は自然と崩壊する。
ブリョウが指示を下すと、側に居た騎馬武者三騎が走り出し、馬上の少年へ迫った。
「覚悟!」
「くっ!」
一騎の騎馬武者が、アガロへ槍を突き出すが、寸での所で躱す。
「御首級頂戴!」
「その首貰った!!」
「っ!」
騎馬武者二騎が目の前に立ちはだかり、槍を振るう。
「若旦那!」
「アガロ様!」
その時、トウマとガジュマルが槍を投げ、敵の馬を刺した。馬は驚いて立ち上がり、騎馬武者二人は落馬してしまう。
「ガジュマル、トウマ、助かった!」
「若旦那、あんまり無理はしねえで下せぇ!」
「アガロ様はこんなのへっちゃらだよね!」
「危ない!」
アガロはガジュマルの背後に迫った槍を払い除けると、目の前のもう一人の騎馬武者へ叫ぶ。
「何者だ!?」
言うと、一騎の武者が槍を小脇に構え、大声で名乗りを上げる。
「拙者はブリョウ様の側近ガンタロウ! そこの騎馬武者、名を名乗れ!」
「亜人隊のアギト!」
「いざ尋常に勝負!!」
槍を前に突き出し、一騎打ちを申し込むと、
「断る!」
「な!? 逃げるか卑怯者!」
いきなり馬首を変え、背中を見せて逃げ出す彼を、ガンタロウは追いかけた。
子供と言えど容赦はしないとばかりに、馬を走らせる。
(くっ! 他の奴等が邪魔で上手く近づけない!)
両兵士入り乱れての混戦に発展していた戦場で、只一騎だけを追いかけるのは至難の業であった。
しかし、目の前のアギトと名乗る少年は、その中を自在に駆けていく。相当に技量の差がある。
ガンタロウは才ある若者だったが、アギトの方が馬術において上であった。
「く、止まれ卑怯者!」
「……いいだろう!」
突如馬首を変え、後ろへ向きなおした彼は槍を構え、此方へ向けて走り出した。
「その意気や良し!」
次第に縮まる距離。二人は馬上で武器を構え互いに槍を突き出す。
「でぇえい!」
「は!」
互いの切っ先が触れ合う瞬間―――。
「なに!?」
アギトはすかさず槍を引き、体を仰け反って、敵の突きを躱した。
「今だ!」
「おりゃあ!」
「ぐわっ!?」
下から鉄鞭が突き出され、ガンタロウは馬上から突き落とされた。
「ドウキ、見事だ!」
「へっ! お安い御用よ!」
アガロはこの赤鬼の居る所まで駆け、自分が戦う振りをして、ドウキに側面から敵の騎馬武者を倒させたのだ。
馬術においては上であっても、一騎打ちとなると、武術の面や実戦経験がものを言う。幾らアギトでもそれはきつい。故に赤鬼の伏兵を使った。
「ドウキ、亜人達の様子は!?」
「もうそろそろ限界だ! 味方がだれてきやがった!」
最初は勢いがあった亜人隊だが、所詮は寄せ集めに過ぎず、確りと訓練を重ねたブリョウ隊に押され始めた。
今や味方は傷付き、次第に数を減らしていく。此の侭では全滅は時間の問題だった。
「くっ! ドウキ、退路を開けるか?」
「ちと苦しいが、出来ねえ事はねえ!」
「行くぞ!」
【――ブリョウ隊――】
「報告! 敵の騎馬武者を討ち取る事に失敗! ガンタロウ様は負傷! 他の二名は未だ生死が分かりませぬ!」
「落ち着け、敵の勢いが衰えてきている。此の侭戦い続ければ、敵は敗れる。即刻、敵を包囲殲滅せよ!」
「ブリョウ様、後ろを!!」
彼が命を飛ばした瞬間、家臣が叫び出した。
ブリョウは言われた通り、後ろを振り返ると、
「……狼煙?」
「あの方角は、トウカ山から上がっておりまする!!」
トウカ山から上がった不吉な狼煙に、ブリョウの表情は一変し青ざめる―――。