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第二幕・「逃げ若子様」

 天暦(ティンダグユン)一一九三年。

【――ユクシャ領・漁村ハギ村――】



 空は青く雲が広がり、カモメが上空高く翼を一杯に広げながら飛んでいる。

 何処にでもありそうな平凡な漁村。しかし、この村は一見普通に見えてそうでは無い。


 他の村と唯一違う所は、村民が皆人間ではなく亜人の『キジムナ族』と呼ばれる海の民族という所だ。

 アシハラ大陸では、亜人は嫌われ、身分も低い。

 しかし、このユクシャ県の豪族ユクシャ家二代目にして現当主のコサン・ユクシャは比較的、亜人に対して寛大な政策を執り行っている。


 このハギ村がその象徴である。

 この村は元々何も無い荒れた土地だったが、妻の故郷に古くから住んでいる彼等キジムナの一族を奴隷として買い、この地に移住させ、村を作らせた。

 今ではすっかり、そん所そこ等の村と何ら変わりも無い、至って長閑(のどか)な漁村に生まれ変わったのだ。



「アガロ様! アガロ様!」


 そんな長閑で、時間がゆっくりと流れるこの村の中に一人、(あわただ)しく走り浜辺に寝転がっている少年の元まで駆け寄るキジムナの子供が居た。

 体を赤い体毛で覆われ、ひょろっこく、目玉は大きく髪はボサボサ。

 とても愛嬌のある顔をしている彼は、自分と同い年の少年を急いで起した。


「何だ、ガジュマル……? 今、気持ち良く寝ていた所だってのに……」


 大きな声で呼ばれ、夢の中から急に現実へ戻された少年は、欠伸(あくび)をしながら眠たそうに答える。


 アガロ、と呼ばれた彼は年の頃は八つ。

 このエン州ギ郡では珍しく、健康的な褐色の肌、長い黒髪、大きな黒目をしている。端整な顔立ちと意志の強そうな眉、長い睫が特徴的な少年だった。


 ハギ村の浜辺は彼のお気に入りであり、今日は天気も良い。

 寄せては引いていく波の音と、海から来る潮風がとても心地良く、再び眠気が彼を襲う。

 此の侭うとうと二度寝をしようとすると、キジムナ少年ガジュマルは、呑気に眠りに入ろうとする友に伝えた。


「いや、別においらは構わないんだけどさ……。(じい)さんが来たよ?」


「馬鹿! それを早く言え! 逃げるぞ!!」


 途端、少年アガロは大きな両目を目一杯見開き、寝起きとは思えぬ程、素速い動きで立ち上がって全速力で走り出した。

 すると、その後をガジュマルも慌てて追いかける。

 何故二人が逃げるのか、直ぐ後ろから鬼のような形相で追いかけて来るシグル・イナンがその理由であった。


「若様ぁ!! 逃がしませぬぞっ!!!」


 老人が追跡するのは、何を隠そう目の前を逃走中の次期ユクシャ家当主にして、嫡男アガロ・ユクシャである。

 そして彼、シグル・イナンはそんな彼の守役(もりやく)――教育係――であった。


 守役の身なりは、何度も城を抜け出す常習犯アガロとの鬼ごっごにより、すっかりボロボロになっていた。

 ある時は川を、ある時は森を、そしてある時は沼地をものともせずに追いかけてくる。


 その上、七十近い老人とは思えぬ程の脚力。全盛期はとうに過ぎたと嘆いているにも関わらず、彼の立ち居振る舞いはそれを全く感じさせない。


「もっと早く走れ、ガジュマル! 追いつかれるぞ!!」


「そんな事言ったって無理だよ! あの爺さん、獣みたいに速いんだから!」


「っ! 仕方ない、森へ逃げこむぞ!」


 森の中へ入ると身を屈めながら駆けていく。まだ背も高くないので上手く隠れる事が出来、身を隠すのには最適だった。


 案の定、森を抜けると細い道に出た。アガロとガジュマルは、ハァハァと息を切らしながら、汗を掻いている。

 道の脇にあった石の上に二人して背中合わせに座り込むと、


「はぁ…はぁ…、何とか逃げきったみたいだね? あ~――おいらもう駄目だ……。ぜんぜん動けないよ……」


 キジムナの子供はすっかりだれており、これ以上は走れ無いと弱音を吐いた。


「立て、ガジュマル。こんな所で休んでる暇は無い……」


 対してアガロは先を急ぎたかった。

 未だ爺は近くに居る筈だし、此の侭では再び見つかるのは時間の問題だ。兎に角、今は先に行って逃げたい。

 しかし、目の前の友は依然として動けないでいた。

 その様子をじれったそうに見ていると、後ろから先程の怒鳴り声が聞こえた。


「若様ぁ! 見つけましたぞ!!」


「げっ、(じぃ)! お前どうして此処が!?」


「先回りしました!」


 先回りするにしても速すぎる、とアガロは内心、守役の力を甘く見ていた事を後悔した。

 急いで友へ振り向くが、


「ガジュマル! 逃げる――――――ぐわ!?」


 逃走を図ろうとするが、その前に捕獲された。


「はっはっは! とうとう捕まえましたぞ! さあ、若様! 城へ戻りまするぞ!?」


 やっとの事で捕まえた守役のシグルは、笑みを浮かべながら、我侭(わがまま)な嫡男を放さなかった。

 アガロは猶も抵抗しようとするが暫くして無駄と分かり、諦めたように大人しくなった。

 その様子を見慣れた目付きでガジュマルは眺めていた。


「む、それとキジムナの小僧よ。お前は早く村へ戻れ。親父殿が『また仕事を放り出したか!』とかんかんに怒っておったぞ?」


「あ、いっけね! ごめんアガロ様。おいらもう帰らなきゃ。また明日ね!」


 先程の疲れていた姿は何処(どこ)へ行ったのやら。ガジュマルは一目散に村へ戻って行った。

 後姿を見送ると、後には逃げ出した嫡男と、厳しい守役の二人が残される。


「さぁ! 我等も城へ戻りまするぞ!」


「痛い、痛い! (じぃ)! もっと優しく掴め!! 腕が()げそうだ!!」


「これ位せねば若様はまた逃げ出しましょう!? その様な事よりも、若様には落ち着きというものが足りませぬ! 何時もいつも、城を抜け出してばかりいては、立派な跡継ぎにはなれませぬぞ!?」


「分かった、分かったからもう少しゆっくりと歩け! 上手く歩けんぞ!?」


 毎度のように小言を言っては怒鳴る守役と、面倒臭そうに城まで引きずられて行く次期跡取り。

 そんな二人の姿を遠目から見ていた農民達は笑いあっていた。


 毎度懲りずに城を抜け出し、追いかけられる彼には何時しか”逃げ若子(わこ)様”という渾名(あだな)が付けられていた。

 そんな逃げ若子様も今は大人しく、守役に城へ連行されていく。

 しかし、これで諦めるような彼ではなかった。再び脱走の計画を練る彼の眼差しは、ぎらぎらと光り輝いていた。

 

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