第十四幕・「初陣」
【――トウジ平原・早朝――】
東軍を率いるは、トウカ山を出て平原に陣取るケタン・サイソウ軍凡そ二千。本陣は平原の中央から少し後ろの地に構えた。
前方をアンカラ率いる先鋒隊が、陣触れの合図を今かいまかと待っている。
対するケタン討伐軍総大将、コサン・ユクシャ率いる西軍は凡そ三千。総大将コサンはデンヨ城を出て、平原を見渡せる高い丘の上に陣取り、前方の斜面にテンコ・ミリュア隊を配置して守備に当たらせた。
そして、先鋒は今回が初陣のイマリカ・アッシクルコ率いる部隊が布陣。
両軍は互いに睨み合い、戦の始まる時を待つ。平原は静まり返り、戦場には張り詰めた空気が流れる。
「と、とうとう始まるんだね!?」
「ガジュマル大丈夫ですかい? 足が震えてますぜ?」
「こ、これは武者震いって奴だよ!? 別にびびってるとか、そんなんじゃないからね!?」
必死になって否定して見せるが、余り意味を成さない。キジムナの彼は、汗を掻き酷く緊張した様子であった。
青鬼のトウマは心配し、彼を見つめる。
「三年前、一緒にレ二屋で戦ったじゃないですかい?」
「あの時とは状況が違うじゃないか!? アガロ様は居ないし、鉄砲だって無いんだよ!?」
「ガジュマル。戦が始まって敵がこの本陣近くまで迫ってきたら、あっしの側から離れないで下せぇ。ガジュマル一人だけなら守る事が出来やす」
「でもそんな事したら、トウマが敵にやられちゃうよ!?」
「あっしは大丈夫でさぁ。それよりもガジュマルは、未だ死んじゃいけやせん。若旦那には、ガジュマルみたいな奴が必要ですからね」
ゴクリと唾を飲むガジュマル。隣のトウマも同じように緊張した顔をする。
彼等亜人隊はミリュア軍の前方に配置された。もし、先鋒のアッシクルコ隊が破られ敵が迫れば、一番最初にぶつかるのは、自分達亜人隊である。
敵の先鋒は猛将のアンカラと聞いている。激しい戦になる、と誰もが思った。
「おうおう、そんな陰気な顔してたら、勝てる戦も勝てなくなっちまうぞ?」
張り詰めた空気を打ち壊すかのような陽気な声。
二人は声の方を振り向くと、其処には何時かの赤鬼が腕を組み、後ろで仁王立ちしていた。
「あ、オッサンはあの時の!」
ガジュマルが勢い良く赤鬼を指差しそう言うと、彼は思わずずっこけた。
「おいおい、いくらなんでもオッサン呼ばわりはやめてくれ。これでも一応”ドウキ”って名があるんだからよ!」
「ドウキもあっし等と同じ組なんで?」
「おうよ! これから命を預けあう者同士、仲良くやろうや!」
はっはっは! と高笑いしたこの赤鬼は、隣に居るトウマとガジュマルの背中をバシバシと叩いた。
トウマは愛想笑いを浮かべるが、ガジュマルは痛かったのか顔を歪める。
「所でよ、お前達のもう一人の連れ。あのガキはどうしたんだよ?」
「アイツなら今頃は牢の中で眠ってるぜ」
後ろから突然声がすると、三人は一斉に振り向いた。
三人が見たのは額に鉢がね、頭から獣耳を出し、腰に大小の二本差しをしている長身の獣の青年だった。
「あー! お前は獣人の――…………誰だっけ?」
「テメェ、ガキ! 忘れたとは言わせねえぞ!? 狼族のコウハだ!」
「そうだ、思い出したよ! アギト様に負けた方だね!」
「負けたは余計だ!!」
唾を飛ばし叫ぶ彼だが他の者達は、そんな事は気にもせず彼に質問した。
「アギト様は一緒じゃないのかい?」
「へ、さっきも言った通り、牢から出て戦場へ戻されたのはオレだけだ」
「どうしてですかね?」
「いや、寧ろこれで良かったんじゃねえか?」
トウマが首を傾げると、ドウキが隣でそう言った。
それにガジュマルは怪訝な顔で訊ねる。
「なんでだいドウキ?」
「あんなちっこい坊主が、戦場を生き残れる訳がねえからな」
「は! そういうこった! そんでもって戦場で手柄を挙げて、大金せしめるのはオレ等獣人のコウハ、ギンロ兄妹って訳だ!」
「…………」
隣を見ると背の高い兄とは対照的に、小さい妹が立っていた。長く綺麗な銀髪、瞳の色は金色に輝いているが、なんとも眠たそうな表情をしており、無言でいる。
「キミがギンロ?」
「…………」こくり
「長い槍だね? 本当にそんな長いもの扱えるのかい?」
「…………」こくり
先程から頷く事しかしてない彼女だが、ガジュマルは気にはならなかった。
それよりも目が行ったのは、ギンロと呼ばれてる少女の獲物の槍。彼女の背の三倍近くある長さで、燃えるように赤く、先が三つに分かれている三叉槍。
ガジュマルが繁々と槍を眺めていると、突然背後から法螺貝の音が響いた。
「ガジュマル! 戦の合図でさ!」
「は、始まったんだね!?」
とっさに向き直り体を強張らせる。そんな彼の肩に手を置くドウキ。
「いいかキジムナの坊主。一度合戦が始まったら、余計な事は考えちゃいけねえ。ただ生き残る事だけを考えな。そんでもって、余裕があったら敵の首を取って、手柄を挙げろ」
「そんな事言ったって、やっぱり緊張はするよ!?」
そんなやり取りをする隣で、トウマは冷静に前線で何が起こっているのかを、観察した。
「前方では、弓矢の飛ばし合いをしておりやすね」
「ほう、青鬼の坊主は目が良いんだな?」
「へい。よく若旦那が馬で先に行っちまった時は、木に上ってそこから見つけるんでさあ」
トウマは何時もの苦労を少しぼやいた。
青鬼はふと自身の主君を思い出す。今頃は狭い牢の中で、不貞腐れているに違いない、と。
「トウマ。前線は今どうなっている?」
「へい、若旦那。前線は今―――………………へ?」
ちょっと待て、と思いトウマは声のした自分の隣へ目を向けると、其処には見慣れた少年の姿があった。
「何をぼさっとしている? 早く教えろ」
開いた口が塞がらず、途端に静かになる青鬼。
少年はじれったそうに続きを報せろと睨んできた。
「「…………」」(一同)
「…………ん?」
「「うわあああ!?」」
聞き慣れた声がしてみると思いきや、何時の間にかトウマの脇には、牢に監禁中の筈のアガロが立っていた。
「こら其処! 何を騒いでる!?」
「すっ、すいやせん。初陣なもんで気が高ぶっちまいやして……」
「騒いでないで持ち場に戻れ!」
足軽大将を何とか誤魔化したトウマ。
再び振り向くと、矢張り其処には、監禁中の主君が平然と立ち尽くしていた。
「テメェ! どうやって抜け出した!?」
「あんな掘っ立て小屋、抜け出すなど造作も無い事だ」
えへん、と腕を前に組みコウハに向き直る。
そんな彼に後ろから声をかけたのはガジュマル。
「よく気付かれなかったね?」
「爺の監視に比べれば、正直お粗末だった……」
「なるほどね」
一つ友が頷く。
アガロはそんな彼を尻目にトウマへ向き直ると、
「それよりもトウマ、合戦はどうなってる?」
「へ、へい! 先ずはお互いに矢の応酬、それから聞いて分かると思いやすが、かなりの数の鉄砲が打ち合っておりやす」
「まだ余り大きな動きは無いのか?」
「それは見られやせんぜ」
トウマは遠くで合戦が行われている自軍のアッシクルコ隊と、敵軍のアンカラの部隊を凝視し続けているが、互いに未だ目立った動きは見せない。只管に矢と鉄砲を打ち合ってるだけで、足軽は動いていない。
「若旦那!」
「どうした!?」
「敵が動きやした!」
「出たか!?」
アガロも同じく、トウマが見つめる先へ視線を移した。トウマは報告を続ける。
「へい! 敵の騎馬部隊が味方へ突撃を仕掛けておりやす!」
「数は分かるか?」
「大体百騎程でさぁ」
ここでアンカラは、騎馬突撃を仕掛けてきた。
対するアッシクルコ隊は長槍足軽隊を前面に、弓隊を後方に配置し敵の突撃に備える。
「若旦那、敵が引いて行きやす!」
「味方はどうなっている?」
「それ程目立った被害は見られやせん。それよりも味方が追撃を始めやした」
「優勢か?」
「敵が撤退していきやす……。いや、待って下せえ! 敵の様子が変でさあ!」
「どういう事か説明しろ」
アッシクルコ隊の突撃を受け、アンカラ隊は後退を始める。しかし、退いたかと思うと次は向き直り攻め寄せ、攻めたかと思うとまた退いていく。
「なんでそんな面倒臭い事するんだろ?」
「確かに変だな」
ガジュマルとコウハが腕を組み頭を悩ます。
「何か罠があるかも知れねえな」
「罠だと?」
ドウキの言葉に、アガロが反応する。
「ああ。おれもああいった奴等と戦った事がある。戦っては逃げ、戦っては逃げを繰り返す奴等には何かがある……。例えば、いきなり横から兵が出て来たり…とかな」
「随分と戦に詳しいんだな?」
「長年の経験と勘ってやつかもな? おれら亜人隊は、言わば使い捨ての部隊。罠がありそうな所へは、一番最初に送り込まれるって相場が決まってる。おれはガキの頃から戦ってきた。だから何となく分かるんだよ、負けて何度か死に掛けもした」
「お前の昔話はどうでもいい」
興味が無い、とアガロは言い捨てた。
「坊主は面白れえな。名前は?」
「アギト」
「おれはドウキだ。よろしくな!」
短い挨拶を済ませると、突然トウマが異変を知らせた。
「若旦那! 平原の左右の林から、敵が出て来やした!」
「味方はどうなっている!?」
「へい。味方は退却。敵は勢い付いて先鋒の部隊と共に、こっちへ向かって来やす!」
「総員、構えろ! 弓隊、味方の退却援護の用意!」
足軽大将が大声で叫ぶと、味方の亜人達が一斉に構えに入る。
「おい鉄砲は無いのか?」
「駄目でさぁ。あれが配備されてんのは他の部隊だけで、亜人隊には鉄砲一丁処か、火薬もありゃしやせんぜ」
「っ、装備が悪すぎる!」
亜人隊が装備不十分で戦わせられる事は、重々承知であったが、こうも酷い武具では流石のアガロも苛立った。
そんな彼へ、ドウキが仕方無さそうに声を掛ける。
「やるしかねえだろうよ、アギト? おれ等亜人隊は、その為に前線に立たされたんだからよ?」
「敵が来ます! 数は凡そ七百!」
前方を見ると砂塵が舞い、足軽達の叫び声が次第に大きくなる。
「アッシクルコ隊、間もなく到着致します!」
「道を開けろぉー!」
亜人隊中央の兵が下がり、其処へ撤退してきたアッシクルコ隊が雪崩れ込み、後方のミリュア隊と合流する。
するとすかさず、兵が再び定位置に付き、大将の命に従い、弓を引き絞る。
「弓隊構え!」
「射程に入りました!」
「放てぇー!!」
弓が一斉に放たれると、雨のように敵に降りかかる。
「うわああ!」
「ぐわああぁ!!」
放たれた矢は、敵の足軽を射抜くが、勢いを止められない。
「槍隊構えろー!」
弓兵を下げ、槍隊を前面に出すと、今度は自分達の番とアガロ等は勇んだ。
「ガジュマル! トウマ! 三人一組となって離れるな!」
「へい!」
「うん!」
「敵の先鋒は亜人隊、数は約二百!」
味方の亜人隊は百五十人程。この数と後方のミリュア隊、そして合流したアッシクルコの隊で、敵の突破を止めねばならない。
だが、敵の先鋒は猛将アンカラ。その武名は此処に居る亜人達の殆どが耳にしており、目の前まで迫った敵を前にガタガタと震えだす者も居た。
「突撃ぃ―――!!」
おぉ――!! という敵兵士達の声が響く。敵の亜人隊は突破を図るべく、突撃をかけた。
「来たぞー! 敵に抜かれるな、此処で死守せよー!!」
アガロ、ガジュマル、トウマの三人組。コウハとギンロ兄妹。そして赤鬼のドウキに他の亜人達。彼等は突撃してくる敵とぶつかった。
天暦一一九六年・午の月、某日。ギ郡東部トウジ平原にて、遂に戦が始まった。