第十三幕・「トウジ平原」
【――トウカ山・ケタン軍本陣――】
「ふざけるな!」
陣卓上を強く叩きつけ、唾を飛ばしながら叫ぶ若武者。
「そうだ! 今更話し合いに臨む気など無い!」
それに呼応してもう一人の武将が叫ぶ。
「されど、ギ郡守護クシュン様は、此度の守護代様の変死に付いて、兄君と確と話し合い、真相の究明にあたりたいと……」
「使者殿。申し訳ないがお引取り願おう。オレは半端な気持ちで軍を起したのではない」
そして、先程の若武者を右に、もう一人を左にし、中央で床机に座り鎧甲冑に身を包む大将。
「それにだ…弟と話し合うなど無駄だ。大方、守護代ウェナを暗殺した濡れ衣を着せられ、首を刎ねられるのが落ちだからな。『お主も武士ならば正々堂々と戦場にて決着をつけようぞ』と、ユクシャ殿に伝えろ」
「流石はケタン様! 武士の鏡で御座る!」
「その方もこれで分かっただろう。ぐずぐずしてないで、さっさと敵の本陣へ戻れ!」
コサンから使わされた使者を追い返すと、居並ぶ急進派の者達を集め軍議を始めた。
「ケタン様。恐れながら申し上げます」
早速口を開いたのはケタン陣営の一人、左に控えるブリョウという武将。
「此度我等が対する敵軍の総数は凡そ三千、対する我等は二千余り。ここはトウジ平原に布陣するのはお止めになり、このトウカ山にて雌雄を決するのが上策かと……」
「いや、山に籠るのは止そう。この戦はオレ自ら平原に陣取る」
ケタンはあくまでも自ら出陣する方針は曲げない。
しかし慎重なブリョウは彼の身を案じた。
「されど殿。このトウカ山は攻めるに難く、守るに易い天然の要害。故に我等は此処で防衛に入り、敵の攻撃を防ぎながら伏兵を出し、敵の側面を襲わせ、浮き足立った所を全軍で攻めかかり、これを殲滅致す方が上策かと……」
「ふ……、あっはっはっは!」
彼の策を笑い飛ばすのはケタンの右に控える若武者。
ブリョウは向かいに腰掛ける彼へ、目をきつくし睨みつける。
「アンカラ殿、何がそんなに可笑しい?」
「ブリョウ殿は随分と小心者でおられる! コサンが何する者ぞ!」
と、アンカラなる人物は豪快に笑い飛ばした。
「待てアンカラ殿、敵は戦上手のコサンだ! 何か策を仕掛けてくるかもしれない」
「ふん。あの老いぼれなど怖く無いわ! それに、その方は勘違いをしておる」
「勘違いだと!?」
アンカラは得意げに笑い、自信満々にブリョウへ語ってみせる。
「そうだ。最終的に戦というのは武力が物をいうのだ。どんな敵でも打ち破る圧倒的な武こそが、戦を制す!」
アンカラは根っからの武人であり、強さこそが全てと考えている。慎重論を唱えるブリョウとは意見が合わず、度々対立する事がある。
「っ、もし仮にそうだとしても、一個人の力で戦局をどうこう出来るものではない! そういうのを蛮勇という!」
「ブリョウ殿はそんなだから何時も武功を挙げ損ねる! 戦とは勢いぞ!」
二人は次第に激しくなり、遂には両者共立ち上がると、睨みあった。今にも斬り合いだしそうな雰囲気である。
「二人とも静まれ!」
口論を始める二人を一喝したケタン。
「今は言い争ってる場合ではない。それよりも目の前の敵に集中しろ」
「は……」
「申し訳御座りませぬ……」
場を鎮めた後、ケタンは一つ溜息を吐くと、ブリョウへ視線を移す。
「ブリョウよ。先程も言ったが、戦とは時に勢いも大事だ」
「確かに某も殿のお力、疑ってはおりませぬが、何時も同じように上手くいくとは限りませぬ」
「分かっている。だが、お前の言う事も確かだ。この戦は我等が兵力にて劣っている。故にお前の策を採用する。アンカラ」
「は!」
ケタンが名を呼ぶと彼は主君の前へ片膝を突いた。
「先鋒はお前に命じる。敵と一戦交え、後退しろ。戦っては逃げを繰り替えし、敵をオレの本陣近くにまで誘き寄せろ」
「はは!」
「ブリョウはトウジ平原の左右にある林に兵を伏せ、敵の横腹を突き崩す。そしたら全軍で敵に突撃する」
「御意」
アンカラは年若いがケタンの副将として数多の戦を切り抜けてきた。武勇はケタンに次ぐといわれ、実質ケタンの主力軍を担っている。
ブリョウは軍の参謀役を務めていた。彼は年若いが聡明であり、ケタンの頼れる側近である。
家臣の者達に命を与え、手筈を整えるとケタンは陣幕から出て、目の前に広がるトウジ平原を見下ろした。
(この戦、急がねばならん……)
ケタンは焦っていた。彼の目標は家を強くし、将軍家を盛り立てる事である。故に今ここで時間をかけたくはない。
(敵も恐らく短期決戦を望んでいる筈だ……)
コサンが他国からの軍事介入を懸念しているように、彼自身もそれを心配していた。特に何時、北のビ郡ナンミ家が動くか分からない。もし攻められた時、未だに国内が内乱状態なのは避けたい。
そこで彼は、この一戦で決着を付けたかった。
ケタンは平原の向こう、敵の本陣があるデンヨ城を睨み付ける。
血気盛んな彼には若武者特有の勢いがある。幼い頃より武芸に励み努力を重ねた。政を省みず、重臣達から良いように操られている弟クシュンを情けなく思い、今回の反乱に及んだのだ。
此の侭では何れサイソウ家は滅ぶ。そうなる前に自分が守護家の当主になる必要がある。
「全軍に命じろ。陣を移す、場所はトウジ平原だ!」
【――コサン本陣――】
「駄目か」
「は。役目果たせず、面目御座いませぬ……」
残念そうに溜息を吐く老人へ、先程交渉役として赴いた使者が申し訳無さそうに頭を垂れた。
「いや、ヤイコク。お主が悪い訳ではない」
その様子を見て、コサンは『気にするな』と家臣の働きを労う。
すると、隣でギジョが口を開いた。
「兄上。矢張りケタンは戦する気のようだな」
交渉の使者として部下を差し向けたが当のケタンは会戦を主張し、話し合う気はないらしい。
コサンは頭を悩ます。全軍の指揮権を与えられたが彼は余り戦をしたくはなかった。しかし、此の侭手を拱いていては何時、他家から領土侵攻が来るか分からない。
(思い直して頂ければと思ったが、矢張りケタン殿は応じぬか……)
コサンは考え始める。彼には癖があり、考え始めると手に持っている扇子を噛み目を閉じる。
その様子を見たギジョは、コサンが再考し始めたのに気付いた。何時ものコサンとは違う。ギジョの知っている彼は常に敵をどうやって倒すかに思考を使い、迷いを見せない。だが、この戦だけは、攻めるのを躊躇っているように見えた。
「兄上。事に至っては致し方無しと思うが……」
「分かっておる。話し合いで決着付けば、と思っていたが所詮は甘い考えじゃ……」
重い口調でそう呟く。
すると暫くして、伝令が一人姿を現した。
「報告! ケタンの軍勢トウカ山を出てトウジ平原に布陣しました!」
伝令が報告を済ませ立ち去ると、入れ違いで別の使者が現れる。
「殿、これを……」
彼は一通の”書状”を携えており、それを近習が受け取ると、コサンへ渡した。
ユクシャの老将はそれに目を通すと、目付きが変わる。
「兄上、手紙には何と?」
気になってギジョが訊ねた。
コサンは表情を変えない侭、ゆっくりと彼へ視線を戻すと、打ち明ける。
「……わしの手の者からじゃ。ナンミが国境に兵を集結してる、と書いておる」
「「!?」」
途端、居並ぶ者達の間に動揺が走った。
或る者は顔を強張らせ、或る者狼狽し、顔を青ざめた。
「手紙によると予想以上に敵が速く集まっている、とある。恐らく前々から用意していたのじゃろう。はぁ……。ナンミが動くか……」
「兄上、落ち着いてる場合ではないぞ!?」
「叔父上様、如何なさいます!?」
その呑気な様子を見て慌てたギジョ・マンタと、イマリカ・アッシクルコは総大将の指示を早急に仰いだ。此の侭ケタンと会戦か。それとも、一度兵を引き、体勢を立て直すのか。
「デンヨ城を出て丘に陣取る、砦からも兵を出させよ」
コサンは然程顔色も変えず、淡々と指示を飛ばした。
しかし、そう落ち着かれては、逆にイマリカは不安になる。
「されど叔父上様、ここは一端兵を引き、ナンミ軍に備える為、今一度軍を再編するべきでは?」
堪らず提案してみるが、老人はかぶりを振る。
「イマリカ。確かにそれも一つの手ではあるが、今は早急に敵を降さねばならん。二正面から敵を防ぐは難しいからじゃ。ナンミは動くのにまだ暫く時間が掛かろう。それに郡都のサイソウ城は平城とはいえ堅牢堅固な城。そう容易くは落ちぬわい。その前にケタン様を倒し、降伏を促す」
「どの様にして?」
それを訊くと老人は、にやりと笑い彼女へ視線を向ける。
「イマリカは此度、先鋒を務めよ」
「は! 先鋒の栄誉謹んで承りまする」
一礼し、真面目にしている彼女へ、コサンは続けた。
「恐らく敵は伏兵を仕掛けてくるじゃろう」
すると、アッシクルコ家の姪は訝しげな眼差しを向ける。
「叔父上様は、敵の考えが分かるのですか?」
「平原の左右に林があるからじゃ。わしならそうする。それに敵にはブリョウがおる。あの策略好きならば、必ずそうするじゃろう。伏兵に出会ったら直に退却せよ、本陣まで退け」
「御意!」
次にコサンが目を移したのがテンコ・ミリュア。
「ミリュア殿は丘の斜面、本陣の前方に陣取り、敵を防いで貰う」
「分かりました」
彼は何時もの調子で軽く引き受ける。
その次は義弟。
「ギジョは別働隊を指揮して、トウカ山を背後から強襲せよ。山を奪ったら合図の狼煙を上げよ」
「承知!」
そこまで言うと、コサンは目の前に広がるトウジ平原の地図へと視線を落とす。扇子を使い、各々の位置を指し、説明していく。
「わし等も同じように伏兵を使う。シグルは林にて待機。合図の狼煙を確認したら、ミリュア隊が戦っている敵の側面を突き崩せ。イマリカとミリュア殿は、敵が浮き足立ったら一気呵成に攻め立てよ」
「ははっ!」
「わしは本陣に残り、トウカ山占拠の狼煙を見たら、打って出て敵を包囲する」
すると、イマリカは一つ頷き、何かに気が付いた表情になる。
「成る程。叔父上様は敵の力をある程度奪ってから、降伏させるのですな」
「そうじゃ。じゃが、ケタン様を討ち取ってはならぬぞ。あくまでも降伏させる。ケタン様を降し、共に力を合わせナンミにあたれば、敵を追い返せる。この戦は時間との勝負じゃ。皆後れを取るでないぞ?」
「「ははっ!」」
「うむ。馬引けい! 丘へ陣取るぞ!」
【――ミリュア軍・本陣――】
「やぁ。アギト。元気にしてるかな?」
片腕を枕代わりにして眠っていた少年は、声のした方へ振り向く。
そこには相変わらず狐のような細い目付きと口を、更に細めて此方を見る友が立っていた。
「毎日よく来れるな?」
「迷惑かな?」
呆れた顔を向けるが、テンコは然程気にせず笑みを向ける。
それに対して慣れているのか少年は、短く溜息を吐いた。
「別に構わない。だが仮にも一軍の大将が足軽の、ましてや軍規違反で捕まった奴の所へ来るのは、他の奴等に示しがつかないんじゃないか?」
「その点は、爺やサイカヌが上手くやってくれてるんだよね」
「だがここは仮牢だぞ」
戦に密かに参加する為、アギトと名を変えたアガロは今、陣の中に作られた簡単な仮牢の中に居る。
しかし其処に居るのは彼だけではない―――。
「おい大将! 何時になったらオレは此処から出られるんだ?」
不機嫌そうな青年の声が一つ、仮牢に響いた。
「元はと言えば君が騒ぎの原因だろ? 戦が始まるまでは多分無理かな」
アギトの隣の仮牢に入っているのは狼族の獣人コウハ。最初の頃は騒いだ彼だが、今では無駄と分かり大人しくなっている。元気良く振っていた尻尾はすっかりくたびれ、耳はしゅんとなっている。
「じゃあ何で俺まで牢に入れられてるんだ?」
「此処が今の君にとって、安全な場所だからだよ」
「どういう事だ?」
テンコが言うには、この前の獣人兄弟との喧嘩で撒いた銭が問題との事だ。その一件以来、周囲の彼を見る目が変わり、金を持っているお坊ちゃんか、何かだと勘違いをし始めたのだという。よって、この仮牢は今の彼の身を守るのに最適な場所で尚且つ、彼を見張る事も出来る。
「納得してくれたかな?」
「そうか」
それを聞くと、彼は再びゴロリと横になって眠ろうとする。
「え~っと、アギト? 一応聞いて欲しいんだけど」
「……何だ?」
面倒臭そうに聞き返すと、テンコは本題に入った。
「いよいよ、戦が始まるよ」
「!」
彼は寝ていた体を起こし、テンコを見た。
「俺等は何処で戦うんだ?」
彼の瞳はさっきまでとは違い、好奇心に溢れていた。いよいよ戦だ、という意気込みが感じられる。
「ミリュア隊は本陣の守備を命じられたよ」
「け、つまらねえな!」
隣でコウハが不満を吐いた。
「オレは手柄を挙げて、大金を稼ぐ為に参加したんだ。本陣守備なんざ、手柄を挙げる機会がねぇ」
「いや、そうでもないよ。何故なら敵の先鋒は、敵軍総大将の副将アンカラだからね。相当に手強いと思うよ?」
「テンコ。アンカラとはどんな人物だ?」
アンカラは一兵卒からの叩き上げの軍人で、常にケタンの側にあり、先鋒を務めては多くの敵を打ち破る歴戦の猛者、とテンコは語った。
「そのアンカラが、今回凡そ五百の兵を率いて先鋒を命じられたみたいなんだ。恐らく、味方の陣は抜かれて本陣まで迫ってくる筈だ。そうなれば乱戦状態。本陣守備は、この戦で最も重要な役割なんじゃないかな?」
「へ、成る程な。て事はだ、そのアンカラとか言う武将を討ち取れば、大手柄って訳だ!」
「まあ、そうだね」
コウハは握り拳を作り、俄然やる気を出した。
そんな彼を、隣でアギトは馬鹿にしたように見つめた。
「馬鹿が。俺にも勝てなかったくせに、敵の将を討ち取れる訳がないだろ」
「あれはテメェが、卑怯な真似をしたからだろうが!」
途端、互いに睨み合い、火花を散らす。
「二人とも落ち着いてよ」
二人を宥めるテンコの元へ、配下が一人駆け寄り耳打ちした。
「……そうか。分かった、直ぐに行くよ」
「出陣か?」
「うん。ユクシャ殿が丘に陣を移すからね。僕達はその前へ陣取り、敵の攻撃から本陣を死守する」
「やっと出れるのか……」
「いや、アギト。君は此処から出れないよ?」
「!?」
アギトは驚いた表情をしてテンコを見た。そして少し間が空いたが彼はゆっくりと訊ねる。
「何故だ……?」
「当たり前じゃないか。君には戦に出たくても出てはいけない”理由”があるからだよ」
「俺は今アギトだ」
「それとこれとは話は別かな?」
反論してみるが、テンコは取り合わなかった。
つい彼も怒りを覚え、語調を強くする。
「テンコ! 裏切る気か!?」
「人聞きが悪いな。裏切るんじゃないよ。心配だから此処で大人しくして貰うんだ」
「くっ!」
悔しい表情をするアギト。彼のこんな顔は初めて見る。
「じゃあ僕はこれで……」
「っ! 必ず抜け出してやるからな、テンコ!」
ミリュアの当主は、後ろの友の叫びを聞き流し、その場を後にした―――。