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第十一幕・「兄君討伐」

 天暦(ティンダグユン)一一九六年・午の月、某日。ギ郡は曇りに覆われ、天候が思わしくない。

 サイソウ城は、騒々しい雰囲気に包まれていた―――。



【――郡都・サイソウ城・大広間――】



「兄君ケタン許すまじ!」


「守護様、直ちに兄君討伐のお下知(げち)を!」


「守護代様の仇討ちを!」


 守護代ウェナ・モウは何者かに暗殺された。

 夜中に一人、厠へ足っていた所、後ろから心臓を一突きにされたらしい。

 現場にはケタンの短刀だけが残されていた。

 この事をケタンに問い詰めると、その短刀は先月何者かによって盗まれた物であり、ウェナ・モウの暗殺に付いては何も知らないと返答した。


 だが、現に守護代は殺されており、いきり立つ重臣派達は直ぐ様サイソウ城へ参上すると、戦をする事を進言。

 既に幾つか軍議も執り行われ、今回のケタン討伐に参加する豪族を集めている。


「ユクシャ殿は如何致す!?」


「そうじゃ! 今まで双方に良い顔をして動かなかったのじゃ! ハッキリ致せ!」


「…………」


 先程から他の豪族に言い寄られているコサンだが、目を閉じ沈黙を貫いている。

 アガロはコサンに言われ仮病を使い城に残り、代わりに彼が登城した。


(何かがおかしい……)


 老齢のコサンは一人別の事を考えていた。


(何故ウェナは殺された……? いや、そもそも何故ケタン様の短刀が残されておったのじゃ……? これではまるでケタン様が殺した、と誰かが濡れ衣を着せようと、企んでいるようにも思える……)


―――どうも何かが引っかかる。


(それにじゃ、ケタン様は武人然としている御方……。そのような方が暗殺などという手段を、はたしてするじゃろうか……?)


「ユクシャ殿っ! 何か申したらどうじゃっ!!」


 豪族の一人がコサンの煮え切らない態度に、とうとう腹を立てる。

 だがコサンは黙った侭、自分へ怒鳴る壮年の豪族を無視した。


(そして、更におかしいのは此処に居並ぶ者達よ……。此度の事件、裏で誰かが糸を引いている、と考えた方が妥当じゃ……。じゃが、誰もその事に触れようとしない。ひょっとしたら……)


 コサンの考えが纏まる。


(此処に居る者達、皆、互いに疑っており、此度のこの妙な点に触れぬようにしているか。若しくは、空いた守護代の席を狙っておる……)


 周りに居る者達をゆっくりと見渡すと、そう思えてならなかった。

 結局は皆自分が可愛い。下手にボロを出して、何か突っ込まれるよりも傍観を決め込むか、或いは考えるのを止めこれを好機に一気に急進派を潰してしまえ、と息巻いてる者達が殆どだった。


「こ、コサンよ……。何か申してくれ……」


 やがて声を掛けたのは、ギ郡守護大名十四代当主クシュン・サイソウ。小柄な男でなんとも弱々しい声をしている。薄い眉と小さい目が余計に彼を軟弱に見せる。


 彼は此度の一件で、すっかり怯えており、周りの者達にしつこく言われ、すっかり兄のケタンを疑っていた。

 此処で態度を決めねば今度は自身の命が危ない、と重臣達に脅かされ、彼としても如何したら良いか対応決めかねていた。


「は……」


 今迄黙っていたコサンが、ようやく口を開く。


「此度の件は兄君、ケタン様に非があると見受けまする。ユクシャ家は守護様に加勢し、兄君討伐の軍に、加わりとう御座います……」


 コサンは裏で誰かが手引きしているのでは? と勘繰っていた。となると今は、正式な現当主クシュン・サイソウ側に味方し、未だ解らない敵に速やかに備えるべき、と判断した。


「ふん、ようやく態度を決めたか。(つい)でに、兄君を支持していた現当主を追い出し、新たに武家の子を養子に貰って、跡取りにしたらどうだ?」


 その言葉を言った豪族にコサンはギロリと睨み付ける。

 他家の御家事情に口出しするとは、どういった神経をしているのか、とばかりに些か腹を立てるが、彼をそこをぐっと(こら)えた。


「お言葉じゃが、我が子アガロは、未だ年も若く、当主になったばかりじゃ。若気の至り、と言う言葉もある。此度の件に付いては、わしからきつく申し付けておく故、それで良しとせぬか?」


 ユクシャ家の隠居は、落ち着いてアガロの擁護をするが、それでも納得出来ない、とばかりにその豪族は喰い下がった。

 しつこく迫る理由は只一つ、新興勢力であるユクシャ家は面白らしからぬ存在だからだ。


 亡き前当主ザンピ・サイソウに寵愛され、出世して行ったユクシャは他家から少なからず、嫉妬を買っていた。

 この土地に古くから住み、守ってきた豪族の彼等はついこの間まで、下級武士であったコサンが、この大広間に居るだけでも不快感を覚えているのに、更に気に入らない事がもう一つあった。


 それは現ユクシャ家当主アガロ・ユクシャである。アガロは亜人と仲が良い。それが余計、武士である彼の神経を逆撫でした。どうもあの小生意気な当主は好きになれない。亜人好きの変わり者であり、誰でも同じ態度で接する、傲慢なガキと思っていた。


「な、何だと!? そんな事で許されるとでも……」


「これはユクシャ家の問題じゃ! 口出しするでないわ!!」


 怒鳴りつけると、不満を漏らしていた豪族が黙り込む。

 気を取り直してコサンは、目の前のクシュンへ再び向き直る。


「されど、事に至っては致し方無しと心得まする故、息子は暫くの間、謹慎(きんしん)させまする」


「う、うむ……。それが良い……」


 クシュンはコサンに圧倒され、その意見に賛同する他無かった。


「ですが此度(こたび)ユクシャ家が参戦するのに条件がありまする」


「条件とな……?」


 コサンの言う事に、クシュンは首を傾げた。


「はは! 此度の戦の全権を、(それがし)にお与え下され。さすればこのコサン、必ずや速やかに兄君討伐を終わらせ、ギ郡に再び平穏を取り戻す事を、約束致しますわい」


「ふざけるな!」


 途端、我慢が出来なくなり、もう一人が不満を漏らす。

 彼もユクシャを嫌っており、今回の事で傍観を決め込み、今更態度を表明した奴に戦で指揮を執られて堪るか、と口を出した。


「わしは守護様に訊いていおる! その方では無いわ!」


 怒鳴ると居並ぶ重臣達は一斉に口を閉じた。

 今迄の実績から言うと、コサン以上の戦上手は今の重臣達の中には居ない故、司令官として適任であるが、彼等は、コサンが次期守護代になるのでは? と懸念(けねん)しており疑っている様子であった。

 コサンはそんな彼等を軽蔑するように(にら)みつけると、クシュンへ視線を戻し、指示を(あお)ぐ。


「よ、よい。全軍の指揮権を与える……。わしの代わりに此度の一件終わらせて参れ」


「では守護様。わしは領地へ戻り戦の支度をします故、これにて失礼しますわい」


「う、うむ。良きにはからう様に……。そちの働き期待しておるぞ……」



【――タキ城・広間――】



「父上、出兵するとは(まこと)ですか!?」


 城へ戻り、評定を開くと早速今回の事を、長女タミヤが血相変えて訊ねてきた。


「うむ。タミヤ、此度はギ郡での戦じゃ。何処から敵が来るか分からん。お前は城に残り家族を守るように」


「父上は如何するのです!?」


「わしは此度、討伐軍の全権を委ねられた。副将としてシグルを連れ出陣致す。他の者は皆、城に残るのじゃ」


 話が大体纏まろうとした時、皆から一段高い当主の座に着座している、アガロが口を開いた。


「父上、俺も出陣する」


「先程申した事覚えておらぬのか?」


 コサンは溜息交じりに息子へ視線を移した。


「お前は城に残り、わしはシグルと出陣致す。第一、お前は今回の件で謹慎処分の筈じゃ」


「そんな事知るか。俺は早く立派な当主になりたいだけだ。その為に戦を早い内から経験したい。それに父上はこの前、直々に俺に戦を教えてくれると申しただろ?」


「それとこれとは話が別じゃ。わしも連れて行きたいのは山々じゃが、他の連中が五月蝿いでのう。それにお前は当主じゃ。”足軽”でもなければそう易々と戦に連れて行く訳がなかろう。何か遭ってからでは遅いわい」


「父上は俺との約束を反故(ほご)にする気か!?」


「くどい! これ以上の問答は無用じゃ!」


 (なお)も喰い下がろうとする彼を怒鳴りつけた。

 すると、アガロは立ち上がり無愛想な表情を浮かべ、ずかずかと足早に広間を後にする。

 やれやれ、一同は肩を竦めた。

 その後、軍議を開き当面の作戦、軍の編成に付いてシグルと協議し、コサンは部屋へ戻った。

 だが―――。



【――コサンの部屋――】



「何時から()ったのじゃ……?」


「広間を出た後ずっと……」


 襖を開けると自分の部屋には既に先客のアガロが居た。行燈(あんどん)に火も点さず、真っ暗な部屋のど真ん中で胡座(あぐら)を掻いて座っていた。

 こいつは抜け出すだけではなく、忍び込むのも上手なようだ、とコサンは呆れながらも思った。


「兎に角、明かりを点けるぞ」


 火を点すと幾らかましになり、互いの顔も薄ぼんやりと見える。

 アガロは広間に居た時とは打って変わって、眼光を鋭くし、父へ視線を向けていた。


「父上、話がある」


「昼間の事なら話す積もりはないぞ?」


「守護代様の話だ」


 何故、守護代の話を持ち出すのかコサンは気になった。

 父は息子の前へ、ゆっくりと腰を下ろすと話を促す。


「父上。此度の一件、俺には妙に思える……」


「妙とは?」


 首を少し傾げるコサン。


「テンコに聞いた。殺された守護代様の側には、ケタン様の短刀が置いてあった、と……」


「ふむ?」


「父上。この一件は裏で誰かが糸を引いているのかもしれない……」


 流石にこいつも気付いているか、と内心感心した。

 そう考えているのが自分だけではなく、他にも居た事にコサンは己の推測に自信を持つ。


「ではその裏には何者がおる?」


「…………」


 すると、暫くアガロは考えだす。彼は先ず、現状を整理した。守護代のウェナが暗殺された事。犯人は誰か未だに分かっていない事。そして、この騒動で両者が完全に敵対した事だ。


 こんなことをして誰が得をするか? 次期守護代の座を狙う重臣達か? 邪魔な敵対勢力の筆頭を潰したケタンか? それともケタンを擁立し権力を握ろうとする急進派の連中か? 


 アガロは悩むが答えが出ない。全てがそうであると言えばそうなるが、しかしそれでは、ウェナを殺した真犯人が誰か分からなくなる。

 その時、考えている彼へコサンが少し助言をした。


「アガロ、敵は内ばかりではない。外にも居るぞ?」


 彼は再考を初め、そしてはっと思い、顔を上げる。


「ナンミ家……!」


 コサンがにやりと笑った。


「うむ。わしも薄々そう思っておった」


「他に気付いてる者は?」


「子供のお前でも気付いたのじゃ。恐らく回りも勘付いてる筈」


 父の言う事に、アガロは疑問を呈した。


「では何故(なぜ)、誰も何も言わない? 今回の件にナンミが(から)んでると分かれば、兄弟同士で争い合いをしている場合ではないだろう?」


「アガロ、確かに今回ナンミが裏で手を引いていないとも言い切れぬが、あくまでそれは憶測じゃ。しかし今回のギ郡の内乱で最も得をするのはナンミじゃろう」


「何故ナンミが最も得をするのだ?」


 何を得するのか、アガロには理解出来ないでいた。

 そこでコサンは話題を少し変える。


「よいかアガロ。先ずギ郡はエン州五郡の一つであり、東にトウ州センカ郡。北東にエン州ロウア郡。北にナンミ家のエン州ビ郡。西にはヨ州バン郡。そして南西、同じくヨ州のカンベ郡。計五つの郡と接しておる」


「ギ郡の東にはトウ州管領のクリャカ家が居る」


 アガロはその内の一つ、トウ州クリャカ家の名前を上げた。幼い彼でさえ知っている有名な一門である。


「うむ、そうじゃ。東の将軍家と呼ばれておるクリャカ家は名門の家柄で、トウ州七郡の内、四郡を治める管領家。次期大将軍となり天下に号令をかけると噂されておる。じゃが今回このクリャカは白じゃ」


「何故だ?」


「クリャカは今国内平定とトウ州統一で忙しい。とても他国へ介入出来る程の余裕がない。では、北東のロウア郡はどうじゃ?」


「それも白だな」


 次は自分の番、とアガロは即答する。


「理由は?」


「未だに中小豪族が土地争いを繰り返し、国内の(まと)まりが無い。仮に今回の黒幕だったとしても無謀だ。クリャカが東、ナンミが西、そして俺等が南に位置する。ギ郡へ出兵中に攻め込まれる可能性が高い」


 明確な答えを述べ、それにコサンは感心した。


「うむ、正解じゃ。では西のヨ州バン郡には誰が居る?」


「バン郡にはアイチャ家がいる。だがこれも白だ。理由は、アイチャは次期大将軍の座を狙い、都への政治介入に忙しいと聞く。また都の西に位置し、同じく将軍の座を狙うマンジ家との間で、権力争いに奔走していて兵を回せない」


「ではカンベ郡は?」


「カンベは確かチョウエン家が居た筈だ。しかしカンベ郡とギ郡は確かに隣同士だが郡境が狭い。陸路からの進軍では狭い山道から出て来た所を狙い打ちにされる。海という手もあるが、カンベには強い海賊共が居て迂闊(うかつ)に国外へ出兵したら国内が荒れる」


「うむ。お前の理屈は間違ってはいない。が、チョウエン家は半分黒で半分白と言った所じゃろう」


「何故だ?」


 理由を訊ねると、コサンはゆっくりと応じる。


「海賊と手を結んでおる可能性も捨てきれぬからじゃ。港を襲えば財が手に入る。チョウエンも土地が手に入り双方得をする。油断は出来ぬぞ」


「ではナンミはどうなる?」


 本題へ戻る。先の四つの可能性が低いとなると、残るは北に位置するビ郡ナンミ家。


「アガロ、よく考えてもみよ? 何故(なにゆえ)ナンミが幾度となくギ郡に攻め込んできたか? それは奴等が持っていない物を、わしらが持っているからじゃ」


 アガロは再び考え出す。コサンは息子のよく自分で考え、答えを出そうと努力する、そういう所を気に入っている。

 暫し静寂(せいじゃく)が続く。コサンは幼い現当主が答えを出すまで、辛抱強く待った。

 やがて、アガロは目線を上げ、確信したように呟く。


「海か……」


 うむ、と一つ頷いて満足そうにするコサン。矢張りこいつ、中々鋭い、と再確認させられる。


「そうじゃ。ナンミのビ郡は内陸の地であり、塩が取れぬ。対してギ郡は、アシハラの大陸から突き出た半島。三方を海で囲まれておる」


「詰まりナンミは……」


「この騒動のどさくさに紛れてギ郡へ侵攻しようという算段じゃろう」


 これはあくまでこの父子の憶測でしかない。しかし、妙に辻褄(つじつま)が合う話である、とアガロは内心思った。


「ならば父上、他の者達と結束してナンミに備えるべきでは?」


 もし、背後に他の大名家の存在が居るとなると、アガロはケタンへ兵を差し向けるのではなく、郡境の警備を一層固くするよう意見を述べるが、コサンはかぶりを振った。


「いや、アガロ。相手があのナンミと分かれば今回の件、簡単にはいかなくなる。既に重臣派の中に裏切り者が居るやも知れん。仲間同士と言っても事情は様々じゃ……。この事を迂闊に口にして、守護代様の二の舞になるのを皆避けておる」


「重臣達は一枚岩ではないのか?」


 その問いに、コサンは溜息交じりの返答をした。


「残念ながらそうではない。皆、自分の利権ばかり気にしており、足並みが揃っておらん。恐らく、今回の戦はケタン様を中心に、結束しておる急進派が多少優勢じゃろう。兵は少ないが土地を守る為に戦う訳じゃからな」


「ならば何故クシュン様に味方する? 有利な方に付くのではないのか?」


「うむ、最初はその積もりであったが、相手がナンミ家という可能性も捨てきれぬ今、すべき事は速やかにこの内乱を終わらせ、北に兵を置き、敵に備える」


「ケタン様を討てるのか?」


「いや。ケタン様を討つのではなく、和議を申し入れ戦を終わらせる。その為にユクシャ家が交渉役を務めるという訳じゃ」


 それを聞くと、アガロは緊張した表情を緩め、父を見つめた。


「父上は最初から戦をする気がないのだな?」


「そうじゃ。窮鼠猫を噛むと言うじゃろう? それに最悪の場合、ケタン様がナンミと同盟するやも知れん」


「成る程。追い詰められたケタン様がナンミに助けを求める、或いはナンミのほうから助け舟を出す……」


「うむ。そうなれば逆に危ういのは此方(こちら)となる。二方面に敵を作るのは避けねばならん。そうなれば、いくらユクシャの一門とて太刀打ち出来ぬ。これは時間との勝負じゃ」


「……父上、矢張り俺も行く」


「駄目じゃと申しておる」


 結局広間のやり取りに逆戻りした。

 コサンはうんざりしながら、彼の願いを却下する。


「味方は多いほうが良い」


「お前は当主として今回は謹慎処分じゃ!」


「それなら俺にも考えがある!」


 諦めきれず、喰い下がる彼へきつく怒鳴りつけると、ユクシャ当主は逆切れし、コサンの部屋から早足で出て行った。

 足音が遠のくと、コサンはどっと疲れが溢れ出す。早々に眠る事にした。



【――数日後――】



「ではサヒリ、留守を頼むぞ……」


「あなた、いってらっしゃいませ。ご武運を……」


「お父様、ご武運を……」


 老将コサンは、長年使い古してきた愛用の武具に身を固め、居並ぶ家族や家臣達を馬上から見下ろし、出立を告げる。

 (うやうや)しく武運と戦場での無事を祈る妻サヒリ、次女ルシアから、視線を隣で明らか不機嫌そうに顔を歪めている現当主へ移す。


「アガロ、行って参る」


「ふん」


 彼はそっぽを向いた侭、此方を見ようともしない。その態度を姉のタミヤが叱り付ける。


「アガロ、父上に挨拶しろ!」


「よい、タミヤ。放っておけ」


 好きにさせてやれ、とコサンは諦めたように長女を(なだ)めた。

 これからアガロにとって、地獄のような謹慎生活が待っているのだ。普段から表へ出かけ、自由にするのが好きな彼にとって、とても重い処罰である。


「ではシグル。出陣の合図を」


「はは! 出陣の笛を鳴らせ!」



 法螺貝(ほらがい)師が笛を吹き、全軍に出陣の合図を知らせると、コサンの軍兵(ぐんぴょう)その数五百が行軍を始める。

 風に揺れる旗指物と、兵士達が次々に城門を抜けて、戦地へ向けて行進した。

 これから村々へ寄り、徴兵を行いながら進む。そして各豪族の軍と合流し、最終的に兵は三千にまで増える予定だ。

 コサンはシグルを脇に(はべ)らせ、家族を残し、もう何度目かになる戦へ(おもむ)く。


 コサンの家族は見送りを済ませると、城の守備を硬くした。見張りと偵察、そして伝令兵を増やし万が一に備える。

 だが、ここで異変が起きた。



「お、奥方様! 大変で御座います!」


 アガロの侍女マヤが血相変えて走ってくる。その様子に周りの者達は驚いた。

 サヒリは落ち着いて彼女に訊ねた。


「あらあら、如何(いかが)したのです、マヤ?」


「はあ…はあ…。わ、若殿様が……」


「アガロがどうしました?」


 嫌な予感がした。否、嫌な予感しかしない。

 居並ぶ者達、皆そう思っていると、彼女は息を整えハッキリ、


「若殿様とトウマが、何処にも見当たらないのです!!」


 と叫んだ。その報せに皆呆然とするばかりだった。

 ユクシャ家当主アガロ・ユクシャ。そして、彼の下僕のトウマは、コサンが出陣した後、突然姿を消した。

 当然、彼等の行方など誰一人知る由もなかった―――。

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