第十幕・「忍び寄る影」
自分の側には爺のシグルが居て、身の回りは侍女が世話をする。
朝起きると神と先祖へ祈りを捧げ、夕方になるまで武芸と馬術の稽古。それが終わると今度は、夜遅くまで学問に明け暮れる。
それが彼の記憶の大半を占めており、家族との記憶など数えるくらいしかない。
嫡男として育てられる事が決まると、赤子の頃から母元より離され、城の爺や侍女達に囲まれて暮らしてきた。
いくら家族といえども、簡単に会える訳ではない。家族に会うのは甘えている証拠と周囲から言われ、自分から母に会いに言った時、サヒリは会う事を拒否した程だ。
立派な当主に育って欲しいと願うが故に、周囲は一切の甘えを許さず厳しく指導した。
アガロも最初は期待に応えようと熱心に努力した。
彼は幼いにも拘らず、父譲りの聡明さと母譲りの武芸に才能があった。
褒められると嬉しかったし、立派な跡取りになる。そう自分でも思っており、そうなる事を疑わなかった。
しかし何時からか、周囲の期待が彼にとって”鬱陶しく”感じ始めた。
彼は自我が芽生えるのが早かったのかもしれない。若しかしたら、生まれつき反抗的だったのかもしれない。
――するな!
と言われればするし、
――行くな!
と言われれば行く。その事でよくシグルに怒鳴られもした。
ある日、アガロは侍女達の言い付けを破って、城の外へ出た事がある。
外の世界はとても解放的であり、薄暗い城の中よりもずっと良い物に思えた。
初めて海を間直で見た時は感動した。何時も城からしか見れなかった景色だけに、その雄大さを見て度肝を抜かれたのを良く覚えている。
何処までも続く海は見ているだけで、何もかも忘れる事が出来た。
その頃ガジュマルとも出会った。
アガロは城の者達以外知らない。ましてや亜人等、下等生物と教え込まれてきた。
初めは彼も警戒心を持ち嫌悪したが、気さくな彼と打ち解けたのは、あっという間の事だった。
以来、彼は城を抜け出す事が多くなり、ガジュマルと一緒に多くのものを見た。他の亜人種、農民、商人、城下町、山に川に森と沢山だ。
元々好奇心の強い彼は外の世界に憧れ、そして外を見ている時だけ城の事を忘れる事が出来た。
彼は何時しか”嫡男”や”次期当主”という言葉が嫌になってきた。何をするにもその言葉を理由に自分のする事が制限される。
(姉上と反りが合わない訳だ……)
彼は姉タミヤの事を考えた
束縛が嫌いな彼が姉に出会ったのは六つの時。初めて姉に会った時、アガロは彼女をとても綺麗な人だと思った。しかし、直ぐに彼女を鬱陶しく思うようになる。
当然だ。彼女はアガロ以上に武人然としている。不仲になるのも無理ない。
(農夫のボロ着を着だしたのも、周りをがっかりさせたかったのかも知れない……)
子供の考える浅知恵。
(だが無駄だったな……)
彼は今は未だ残された自由な時間を、自分の為に使いたかった。元服し、跡を継げば嫌でも忙しくなるし、束縛した生活が待っている。
そう思っていた矢先、何故かコサンは突如隠居し、嫡男を元服させ家督を継がせた。突然の隠居の理由は分からない。
ここ数日もやもやした感情が続き、落ち着かなかった。いきなり当主になっても実感が沸かなかったし、現状に戸惑っていた。
彼が此処へ来たのは、気持ちの整理をしたかったからかも知れない。
「アガロ様は当主になって嬉しくないのかい?」
「何故そう思う?」
一人考えに耽っていると、ガジュマルが訊いてきた。
彼は振り向かず、訊ね返した。
「だって、さっきからアガロ様、嬉しそうじゃないんだもん」
「いや、……そうじゃない」
少し考え、否定する。
「じゃあ何なんだい?」
訳が分からずにガジュマルは訊ねた。
アガロは少し間を置き、ゆっくりと口を開く。
「俺はな、ガジュマル。当主になる為、生まれてきた。当主になれたのは嬉しいし、自分でも誇らしく思う……」
「だったら良かったんじゃないのかい?」
「そうかもな……」
ふっとアガロが笑う。
「ガジュマル。俺は……、立派な当主になれるだろうか……?」
彼は考えていた事を口にした。
「俺なんかが本当に皆を導いてやれるだろうか……?」
「…………」
「…………」
まだまだ自分は未熟だ。普段自信家であり、自分勝手だが、その責務を果たして全う出来るか、少し不安だった。
二人の間に長い沈黙が訪れるが先に破ったのはガジュマル。
「ワァっっ!!!」
「!!! いきなり大声を出すな!」
ガジュマルはアガロを脅かすと、不安を拭い去るように笑いかけた。
「アガロ様。おいらだってそんな風に考える事があるよ? 何て言うのかな? 先の未来に不安になる? みたいな感じかな?」
ガジュマルは上手く言えないのか、考えながら、そして確りと話し続けた。
「おいらはキジムナ族で、波の流れを読む事が出来るんだ。だから、おいら達は昔から漁師になるか、船乗りになる奴等が多い」
アガロは無言で彼の言葉に耳を傾けた。
ガジュマルはふと海を眺めた。
「おいらも将来は漁師になるんだ。でも、さっき言ったように不安になる時もあるよ。本当に立派な漁師になれるかな?ってさ。でもそんな時に考えるんだ、今から悩んでいたってしょうがないってね」
「しょうがないか……」
「うん。それでこう思うんだ。何とか成るって。今は深く考えないで、一歩一歩立派な漁師に成れば良いって、おいらは思ってる」
「えらく楽観的だな?」
アガロは肩を竦めた。
「アガロ様はそうは思わないのかい?」
暫く無言でいたが、やがて彼はゆっくりと返事をした。
「いや、ガジュマル。何となくだが俺もそう思う」
「だったら何を悩む必要があるのさ? それに今のアガロ様はらしくないよ?」
彼に言われ、アガロは意味が分からず首を少し傾げる
「らしくない、だと……?」
それにガジュマルは一つ頷いてみせる。
「うん。そうだよ。何時ものアガロ様は我侭だし、自分勝手だし、それに自分の好きな事しかしない」
「酷い言われようだな……」
怒る気になれず、逆に呆れてしまい苦笑いを浮かべる。
「だからさ……、アガロ様は普段のように、自分のしたいようにすれば良いんじゃないかな? 威張り散らす侍見たいなのは嫌だけど、くよくよしてるなんて似合わないよ?」
「似合わない……か。そうだな、ガジュマル!」
アガロは立ち上がると笑みを浮かべた。先程までの暗い表情が嘘のようだった。
「礼を言うぞ、ガジュマル。矢張り此処へ来て良かった」
「どういたしまして」
ガジュマルは感謝されるのに慣れておらず、アガロは礼を言うのに慣れていない。
お互い慣れていない者同士、照れ笑いを浮かべる。
「アガロ!」
声の方を振り向くとコサンが居た。守役のシグル、息を切らしてるトウマも一緒だ。
アガロは彼等を確認すると、キジムナの友へ向き直る。
「またな、ガジュマル!」
「うん、アガロ様はどうせまた来るんだろ?」
「当たり前だ。城を抜け出してくる!」
「また二人で悪戯しようね!」
彼は返事の代わりに笑顔で答え去っていった。
何故かガジュマルには、彼の後姿は来た時よりも大きく見えた。
【――タキ城・広間――】
「アガロ、友と会い何か得られるものはあったか?」
「得たかどうかは分からないが、何となく落ち着いた」
「そうか……」
二人は城へ戻ってから、この広間で互いに話し合いをしている。
「所でアガロ。一緒に夕日を見ぬか?」
「父上、いきなり何だ?」
「まあ良いじゃろう。ついて参れ」
父と共に広間を出ると、城の城郭付近にある櫓へ上る。
「どうじゃアガロ。綺麗な夕日じゃろう?」
「あぁ」
一つ頷くアガロ。
その様子を見て、コサンは誇らしげに胸を張った。
「わしはなアガロ。このユクシャの景色が好きじゃ。特に夕暮れ時、茜色に染まるわしの土地は、どのような物にも勝るじゃろうて」
目の前に広がる赤く染まったユクシャの土地。
先ず城下町が見え次いで森に川に村々。遠くのほうにはハギ村がある。そして極めつけは、何と言っても素晴らしく美しい海景色。
コサンはふと、昔を思い出した。
先代と供にこの地を賜り、父を助け、苦労しながら作ってきたユクシャ県。初めは荒廃しており、田畑は荒れ、村の数も少なかったが、今では民も増え活気に溢れている。
―――感無量である。
自身の生涯を賭けて、地道に行ってきた内政が実を結び、豊かな土地に生まれ変わった。正に集大成と言った所だ。
今は乱世であり時代は荒み、民心乱れているが、この土地だけは何としても守ってみせる、とコサンは一心不乱になって安定に努めた。
「アガロ。お前、本当は当主に成りたくないのではないか?」
徐に発したコサンの言葉に、アガロは思わず驚く。
「どうなのじゃ……?」
真剣な眼差しで上から見つめてくる父。前々から気懸りだった事だ。
暫し両者は無言だったが、やがて、アガロは真摯な瞳で見返し口を開いた。
「父上。俺は少しだけ不安だった」
「お前が不安とは似合わぬのう?」
言うと、彼は不機嫌そうに表情を変えた。
「俺だって不安に成る時くらいある」
「ふむ。それもそうじゃな」
失礼な、とばかりにアガロは不満を漏らした。
何時も無愛想だし、好きな事をしている為、悩みなど無いように思われていた事に、些か不機嫌になった。
「考えてた。俺は立派な当主になれるのかどうか、皆を守っていけるのかどうか、と……。だが、さっき答えは出た」
「答えはなんじゃ?」
「答えは簡単。俺は俺だ。故に俺のやり方で早く立派な当主になる」
「随分とお前らしいのう?」
思えば、互いにこんな風に会話をするのは何年ぶりだろうか。顔を合わせれば、アガロは何時も短い挨拶を述べ、直ぐに自分の前から消える。何処かで父の事を避けていたのかもしれない。
嫡男として、確り教育しようとしたのが裏目に出たか、それともアガロ自身、元々そういう教育は合っていなかったのかも知れない。
また、コサンは薄々勘付いていた。彼が束縛を嫌い、自分の立場を疎んじていた事、次第に我侭になってしまった事を。
だがこいつはこいつで当主の事に付いて確りと考え、悩んでいた事が分かり少し安堵した。
(どうやら取り越し苦労だったようじゃな……)
三代目のユクシャ当主は未だ未熟。しかし、将来は良い当主になるだろう。
親馬鹿からではなく一人の武将として、アガロ・ユクシャという少年を見ても、彼は才能を感じさせる若者だった。こいつの周りには自然と人が集まる。
変わった息子だ、とコサンは内心そう思っていた。
息子は身分など気にせず分け隔てなく、誰とでも同じ態度で接する。或る者はそれを生意気と呼び、或る者は彼を大物と呼んだ。
人によって評価は違うが、およそ凡人には無い物を恐らくこいつ自身、自然と持ち合わせている。
これからも周囲に支えられながら成長する筈だ、と父は考え密かに期待をしていた。
「……アガロよ、心して聞くがよい」
「何だ父上? 急に改まって?」
突然、顔付きを変え見つめてきた父に、彼は空気が変わったと思い少し緊張する。
「アガロよ、恐らく近々ギ郡は荒れるじゃろう」
「どういう事だ?」
「守護様が身罷られた後、重臣派と急進派の内部抗争が激しくなってきておる。今は未だ、表面化してはおらぬが、その内何らかの形で争いが起きるじゃろう」
父は今、自分を未熟な息子ではなく一当主として扱い、話をしている事にアガロは気付いた。
当然、彼も表情を変え真剣な眼差しになる。
「その時、父上はどちらに味方するんだ?」
「わしはどちらにも付かぬ」
緊張を持って訊ねたが、父は予想外の返答をした。兄のケタンでもなく、弟のクシュンでもない。
その意図が読めず皆目見当が付かない、とアガロは眉間に皺を寄せる。
「守護様は最後まで、ご兄弟の不仲を嘆いておられた。家督争いはお家滅亡の元……。そこでわしはどちらにも良い顔をして、何とか内部分裂を止めようと思うておる」
「その為に俺に家督を継がせたのか……?」
―――流石に鋭い。
コサンはニヤリと笑みを浮かべ、話を続ける。
「うむ、そういう事じゃ。アガロよ、お主にはケタン様を支持させ、わし自身はクシュン様を支持する。そうして双方に良い顔をして中立の立場を取る」
「もし戦が起きたらどうするんだ?」
「戦が起こっても出兵はせぬ。わし等が動かぬだけで両派閥は十分に警戒するじゃろう。詰まり、派手に戦が出来なくなるのじゃ」
「もし攻められたら……?」
その問いに、コサンは暫し無言でいたが、やがて重い口を開く。
「その時は守護様には申し訳ないが、有利な方へ味方する」
「…………」
アガロは呆れた顔をするが、コサンは真剣そのものである。
「よいかアガロ。生き残る、家を守るとはこういう事じゃ。わしは守護大名の跡取りよりも、家族の方が大事なのじゃ」
愛する家族とこの土地を守る為、今迄どれだけ苦労した事か。コサンの顔に刻まれた皺の一つ一つが、それを物語る。
しかし、アガロがそんな事、知る筈もない。
「もしそうなったら、この地も戦場になるのか?」
「勿論そうならぬよう、わしは尽力する積もりじゃ。そこでユクシャの縁戚関係を利用する」
その時、コサンは続きを言おうとするが、暫く黙っている事にした。
今、目の前でアガロは必死になって考えている。何とか自分で答えを導き出そうとしていた。
すると、彼はゆっくり父へ視線を向け、
「詰まり……、ユクシャの縁戚衆で中立の立場を取る積りか?」
「うむ、そうじゃ。ユクシャ一門、そして他の三県の領主は結束し、中立を取る」
ユクシャ家だけでは只の弱小勢力。しかし、コサンの父は政略結婚を繰り返し、ユクシャ県と他の三県の領主を婚姻関係にした。この時期に一気にギ郡八県の内四県が中立を取れば、他の勢力も無視出来なくなる。
ユクシャの一族を敵に回すという事は、ギ郡のほぼ半分を敵に回す事になるのだ。
「わしはな、第三の勢力となり、この争いを止める」
コサンが答えを言うと、アガロは矢張りとばかりに頷いた。
そして彼はいきなり、
「父上、俺に戦を教えてくれ」
「また突拍子もない事を聞いてくるわい……。焦るでない。何れわし直々に教えてくれるわ」
今は大人しくしていろ、とばかりに宥められるが、現当主は満足出来ずじれったそうにした。
「俺に出来る事は無いのか?」
「ふん。当主になったばかりのヒヨッコが生意気を言うでないわ。お前は今暫く、シグルより学ばなければならんぞい」
「爺は小言が多い」
不満を漏らし、腕を組んでそっぽを向く。
その姿はまだまだ子供であり、父はやれやれと肩を竦めた。
「確りせい。先ほど立派な当主になると申したじゃろう? そんなんではこの乱世、生きてはいけぬぞ?」
「なぁ、父上。何故今は乱世なんだ?」
彼は次もまたユクシャの土地を見つめながら、突拍子も無い事を質問してくる。
「何を言い出すかと思えば……。天下が乱れておるからじゃろ?」
「では、天下とは何だ?」
「天下とは魔物じゃ」
「魔物?」
即答だった。
アガロは思わず視線を父へ戻す。
「うむ魔物じゃ。近付けば喰われる。この乱世、多くの大名が天下を狙っていると聞く。じゃが、未だにその魔物を飼いならす傑物はおらん」
「未だに、という事は……、これから現れるという事か?」
「そんな事を聞いてどうする?」
怪訝な表情を向ける父に、アガロは無愛想に返答した。
「別に……。少し気になっただけだ」
「アガロ、念の為に言うが天下を夢見るな。先程も言った通り天下は魔物じゃ。そのようなものには、興味を持ってはならん。家族を、民を守る事に専念するのじゃ」
「心配するな父上。俺は守ってみせる。家族もユクシャの民も、そして亜人達もだ」
「亜人もじゃと?」
意外な者達も含まれており内心驚いた。
何時もの調子で、アガロは淡々と続ける。
「ああ。父上が亜人達に寛大な政策を執り行っている事くらい、俺でも分かる。他の領主達は父上のように、亜人を城に仕えさせたり、侍女にしたり、ハギ村のように集落を作って住まわせたりしない」
コサンは変わっている領主だ。側室を取らなければ、亜人をそれ程嫌っていない。逆に彼等を領地に住まわせている。労働力確保が目的であるが、他の領主と違い重い年貢を取る訳でもない。
「そんな事まで知っておったのか?」
「俺は父上の子で、ユクシャ家の現当主だ。それくらい当然だ」
得意げに胸を張る息子を窘める為、一つ小突く。
「余り調子に乗るでないわ」
笑みを浮かべる父子。思えば、これが初めて互いに打ち解けた瞬間だったかも知れない。
その日、アガロが見た夕日は今迄見てきたどの夕日よりも、数倍は美しかった。
彼は櫓の上から、ユクシャ県を、民を目に焼き付ける。
【――郡都・サイソウ城――】
「失礼。ギ郡守護代ウェナ・モウ様とお見受け致す……」
薄明かりの廊下から、不意に誰かに呼び止められる声が聞こえ振り向いた。
「何者じゃ!?」
「怨みは無いがお命頂戴する」
「何!? ぐふ…!?」
警戒し、腰刀に手を掛けた瞬間、後ろから別の刺客に刺され、その場にばたりと倒れる。
「ぐっ……! 貴様等、何処……の……手の、者か!?」
「答える義理は無い……」
しかし、ギ郡守護代ウェナ・モウは見逃さなかった、月明かりに照らされた彼等の姿を。
「……! そう……か。貴様、ら。ナ……、ミの―――……」
それが彼の最後の言葉であった。
守護代の死を確認すると、二人は闇の中へ姿を暗ます。
天暦一一九六年・巳の月。ギ郡に戦乱の嵐が吹き荒れる―――。
とりあえず序章はこれでお終いです。
ここまで読んで頂きありがとうございます<(_ _*)>
またお気に入り登録、感想や評価など本当に感謝感激です・゜・(ノД`;)・゜・
まだまだ至らない点はありますが、読者側の皆様が少しでも楽しんでいただけたら幸いです。(^^)
これからも宜しくお願いします<(_ _)>
*度々サブタイトルまたは内容の編集を行ったことをこの場を借りてお詫びいたします。