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正義の味方で何が悪いっ!  作者: N2
プロローグ
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プロローグ

哀川凍牙(少年期)


 ドアを三度ノックした。しかし、反応がない。フローリングの床を見つめ、しばらく待ってみる。だが、一向に反応がない。もう一度。今度は、先ほどよりも強めに叩いてみる。それでも、やはり部屋にいると思われる主からのリアクションは返ってこない。

 仕方なく哀川凍牙あいかわとうがはレバーハンドル型のドアノブに手をかけると、気を落ち着けるべく短い吐息を一つこぼし、それから思い切ってドアを開け放った。

「よ、よォ、愛梨あいり! 今日もプリント持ってきたぞ。ついでに給食でプリンが余ってたから、お前よかったら食べない……」

 ぎこちない笑みとともに室内へ顔を巡らせた凍牙は、そこで意図せず言葉を呑みこんだ。

視線の先には、窓際で椅子に腰を降ろしながら、ぼんやりと外を眺める一人の少女の姿。視線の先の窓は全開に開放され、柔らかな春の風が純白のカーテンを涼やかに躍らせている。

 その光景を目の当たりにし、凍牙はそれ以上、何も言うことが出きなくなってしまった。その少女──周防愛梨すおうあいりの小さな背中からは『少し静かにして』と言う無言のメッセージが発せられているような気がしたからだ。

 そんな彼女の様子に戸惑いながら、凍牙は本当は自分の分だったプリンを握り締め、所在無くその場に立ち尽くしていた。

「……よく見えるの」

 どれくらいの時が経っただろうか。愛梨が、ぽつりと唇を開いた。

「え……? な、何が?」

 黒く艶やかな長い髪を風に揺らしながら、愛梨が窓の外を指差す。

怪訝に眉を寄せながらも、凍牙はそんな彼女の傍らへと足を進めた。今まで気がつかなかったが、こうして改めてみると部屋のなかがひどく散らかっているのが確認できる。

まるで地震にでも見舞われたかのように書籍棚から落ちて散乱した大量の本に、薄汚れた赤いランドセルから飛び出した筆記用具の数々。さらに愛梨の服と思われるたくさんの衣類が床にくたびれた状態で放置されており、そのなかには以前、凍牙が近所のゲームセンターにあるUHOキャッチャーでゲットした、今子供たちを中心に人気が高まっているネギの姿をしたキャラクターのヌイグルミもあった。

「……アレ」

 感情の乗っていない声に導かれ、凍牙は視線を愛梨の指先に戻す。外へと指し向けられた指先をなぞるように追っていくと、そこには……。

「? 学校……?」

 並んだ二人の視線の先には、大きな学校が広がっていた。

 遥か彼方まで見渡せる広大そのものといった敷地内に、幾つも点在する校舎群と関連施設。見るも見事な威容を誇る巨大ビル然とした建物に、広々とした大きな体育館や陸上グラウンド、テニスコードなど各種競技施設。それらに負けず劣らずの規模の校舎や施設群が学校内のあちこちに立ち並んでおり、高層マンションの一角であるこの愛梨の部屋からは、その学校の壮大な全貌の一部ながらも鮮やかに見て取ることができた。

「……ね。よく見えるでしょ」

 囁くように告げる少女の横顔を、凍牙はそっと見つめる。いつも無表情で感情の機微をあまり見せることのない愛梨だが、今の彼女はどこか嬉しそうで、楽しそうで、そして幸せそうに見えた。

 つられるように、凍牙も視線を学校へと戻す。

 ここから一番手前側の校舎から覗く教室や廊下の窓からは、生徒たちの笑い顔や、友達同士でふざけ合っている姿を、はっきりと目にすることができた。楕円形に作られたグラウンドでは、大きな声を出しながら生徒たちがランニングに汗を流している。

「ホントだな」

 となりで愛梨が頷く気配が微かに伝わってくる。

 しばらく二人で、その光景を眺めていた。

一人の男子生徒が廊下を全力で走り、それを女子生徒が血相を変えながら追いかけている。逃亡虚しく三つ先の窓の手前で男子生徒は捕まってしまうと、女子生徒に怒鳴られながら首根っこを引きずられるようにして廊下を引き返していった。時々、女子生徒は男子生徒の頭をガツンと叩く。それに対して男子生徒が全身で抗議をする。

ケンカをしながらも、どこかほのぼのとするような学校生活の一幕。そんな二人の様子を見つめ、愛梨は微かに、耳を澄まさなければ聞こえないほど微かに……笑い声を漏らした。

 そんな彼女の様子を間近に、凍牙は心のなかが清々しい気持ちに包まれていくのを感じていた。もちろんそれは、愛梨が笑っているからだ。最近はまったくと言っていいほど喜怒哀楽の感情を見せなくなったこの幼馴染が、少し、ほんの少しだが、以前のような明るく元気な彼女に戻ってくれたような気がしてただ嬉しかった。

「へへ……」

 凍牙は顔を俯かせると、鼻を擦りながら小さく唇を綻ばせた。

「……なーにやってんだ? お前ら」

 と、ふいに背中から声がかけられる。驚きながら振り返ると、そこにはいつの間にか腕を組んで部屋のドアにもたれかかる一人の少年の姿があった。

「あ、がいちゃん! お帰り、もう学校終わったんだ?」

「おうよ! ……てか、どうしたんだよ、この部屋? ……愛梨ぃ。お前も、少しは掃除くらいしろよなー。でないと、将来ケッコンしたときに困ることになるぞー」

 肩をすくめて言い、それから少年は部屋の中央へと足を進めた。きょろきょろと部屋のなかを眺めまわし、それから足元に落ちている本を一冊一冊、拾い始めた。

彼の名前は、神崎凱哉かんざきがいや。凍牙たちより三つ年上で現在中学二生生の、長身でがっちりした体つきのスポーツマンだ。

彼を含めた凍牙たち三人はこの近くに住んでいる幼馴染で、このいつも明るくて頼りがいのある年長者を、お互い一人っ子の凍牙と愛梨は昔から実の兄のように慕っていた。

凱哉が掃除を始めるのに触発され、凍牙も彼と同じように足元に転がっていたウサギのヌイグルミを手に取った。それを、丁寧に愛梨のベッドの枕元に置く。同じように、今度はいかにも生意気そうな表情のカマキリの人形を拾い上げると、それは窓際のスペースに置いた。ちょうど今、愛梨がいる真正面の辺りだ。

彼女はぼんやりとした表情で一度カマキリに視線を向けると、すぐにそこから目を逸らし、また学校へと意識を集中させた。

「それより、凍牙。お前、またバスケの試合中にケンカしたんだって? ったく。お前はホントに昔からケンカばっかだな」

 せっせと片づけに勤しみながら、凱哉が嘆息交じりに続ける。 

「相手の子のところに、またバーチャンを謝りにいかせたんだろ? せっかく両親のいないお前を引き取って育ててくれてるってのによ。バーチャンがこっちで一緒に住んでくれなかったら、お前転校しなくちゃいけなかったんだぞ? その恩を忘れたってのか?」

 凱哉の言葉に凍牙は手を止めた。様々な感情の渦が生まれながらも気力でそれらを飲み込み、強張った表情を精一杯に綻ばせる。

「うん。忘れてなんかないよ」

 本を拾い上げながら凱哉は凍牙を一瞥すると、どこか複雑そうな表情で「そっか」と一言だけ告げた。

拾い集めた本を一冊ずつ本棚へと収納する凱哉を視界に、凍牙も同じように片づけを継続する。その後、凍牙たちはこの荒れ果てた部屋に元の輝きを戻す作業へと没頭した。

 先ほどの会話のせいだろうか。しばらく部屋中には何とも言えない、重苦しい沈黙が垂れ込めていた。

「……また追いかけられてる」

 そんな硬い空気を切り裂くような、愛梨の涼やかな声。そのわずかに弾むような声色に、思わず凍牙と凱哉は愛梨の方へと顔を向けた。

「愛梨。楽しそうだな」

「何のことだ?」と首を傾げる凱哉と凍牙は顔を見合わせる。そしてその問いの答えを示すように愛梨の視線の先──私立プレアデス学園の学び舎へと視線を送った。

「ん? 愛梨。お前さっきから何を見てるのかと思ってたら、プレ学を見てたのか。何だ。オレはてっきり、正義の象徴の『太陽兄さん』に熱い眼差しを向けているのかと思ってたぞ」

「……太陽に兄さんをつけるのは、世界広しといえども凱ちゃんただ一人だろうね」

 苦笑もあらわに、凍牙は満面の笑みを浮かべる凱哉を見やる。

「おうよ! 何て言ったって、俺は【正義の味方】だからな! お前らも、そうだ。凍牙! 愛梨! オレたちは血は繋がってないかもしれないが、正義という熱き絆によって結ばれている兄弟なんだからな!」

「……うっわー。入っちゃったよ。凱ちゃん、お得意のジャスティス・モード。凱ちゃんは正義とバスケのことになると人格が変わるからなあ」

 凱哉は拳を高々と突き上げ、それから愛梨の側へと嬉しそうに走っていった。仲よく並んで窓辺に位置取ると、彼女の横顔に向かって熱く何かを語りかける。しかし当の彼女は、凱哉の言葉などまるで耳に入っていないかのような素知らぬ顔だ。長い睫毛の奥の瞳を一身に外の世界へ注いでいる。

「なあ、愛梨。お前さ。何であの学校をそんなに夢中で見てるんだ? あそこに何かあるのか? 知り合いがいるとかさ」

 凍牙の問いにも、愛梨は視線を動かすことなく、また言葉を紡ぐこともない。ただ黙って眼下に広がる光景を見つめ続けているだけだ。

(あんなの見て、何が楽しいんだよ。そんなに学校が好きなら休んでないで学校に来ればいいじゃないか。こんな部屋にいつまでも引きこもってないで……さ)

 さらに痩せてきた感のある愛梨の華奢な背中を見つめ、凍牙は窓の外へと顔を動かす。

 グラウンドではランニングが終わり、これから各々の属する競技の練習が始まるようだった。教室の窓からは楽しそうに笑いながら何かを話し込んでいる女子生徒たち。今日一日の学生の勤めから解放され、喜色を弾けさせながら下校していく生徒たちの姿も、ちらほらと見えた。

 愛梨は、まるで熱に浮かされたようにそれらをじっと眺めている。

 凍牙には、そんな彼女の気持ちなど到底理解できなかった。


 哀川凍牙。十一歳の春の日だった。


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