96.『あ、うん。……大丈夫!』
カンミを追う様に、キリが洗面所から飛び出てきた。
「!」
キリは前を大きなバスタオルで乱暴に隠しているが、その横、後ろから見えるその格好はまたしてもヒロの購入した記憶のないものだった。
(ええっ? なんで? 水着?)
ヒロは思わず声に出しそうになった。
白と青の横縞のビキニ……。ヒロはその後姿に釘付けになりながら、僅かに動く思考を全部つぎ込んで一生懸命言い訳を考えていた。
(オレ、そんなの買っていない! カンミさんはどういうつもり……。いや、ここはオレが、泳がないキリのために水着を買った理由を考えないとだめだ……!? なんだ、なにかあるか? 見たかった以外になにかあるのか?! え~)
ヒロはそう考えながら、大量の冷や汗をかいていた。
その間にキリはバスタオルを口でくわえ、もう一方を左脇にはさみ、カンミの上着の両肩の部分を持ち、着るのを手伝っていた。
「ありがとうねぇ、キリちゃん」
「いえ、お構いも出来ずに……あ。今日、何か用があって来たんじゃないですか?」
「ううん。特にないわよぉ。ただ、明日からお出かけよねぇ。だから、その前に顔を見に来ただけ。がんばってねぇ」
「あ、はい。ヒロちゃん、いますから……」
キリはそう言いながら、ゆっくりヒロの方に下がってきた。
むにゅ
「あ、ゴメン」
キリはヒロの足を一瞬踏んで、お尻が太ももに当たったところで止まった。その時カンミが玄関の扉を開けた。その瞬間、キリは身構えた。しかし扉の隙間から見えた外は既に暗く、陽の光は差し込まなかった。それを見てキリは少しほっとし、数歩カンミを追う様に前に進んだ。
「うふふ。じゃあねぇ」
カンミはそれを横目で見ながらそう言って小さく手を降りながら玄関を出て行った。
パタン
扉の閉まった玄関は急に静かになった。一人帰っただけですごく静かになったような気がした。残った二人も無意識に息を殺していた。
「ふう」
しばらくしてキリはちょっとため息。ヒロはまだ息を殺していた。
「えへへ。カンミさん、びっくりしたかな……。ヒロちゃんが居て……」
そう照れ笑いしながらすぐ後ろに立つヒロを振り返った。
「え? あ、ま、まあ、オレが持ってきた荷物を見たらから、すぐにピンときたんじゃないのかな。それを持ってきた……。明日からのこともあるしさぁ……大丈夫じゃないのかな?!」
ヒロはそう言いながら小さく息をし、『大丈夫ってなにが?』と、心で突っ込みながら顔を天井に向けた。しかし、視線は相変わらずキリの背中から外れない。
(うわ……、ウ、ウェスト……、ほそ……)
ヒロからはちょっと胸元にバスタオルが見えるだけ……キリはビキニ姿で背を向けて立っているようにしか見えない。
「あ、ゴ、ゴメンなさい、変なカッコで……」
キリはヒロのいつもと違う落ち着かない態度に気が付き、自分の姿を見て、慌てて洗面所に戻っていった。
ガラガラ
扉が閉まった後、ヒロは声を出さないように、頬を膨らませながら大きく深呼吸した。そしてゆっくり鼻に入っていたティッシュを取り除き、鼻に指を当てた。
(とりあえず、鼻血は止まった……でも……)
ヒロの心臓のドキドキは増すばかりだった。
(やばい、やばいな……。オ、オレも帰ろう……)
ヒロは自分の思いに大きく頷いた。
コンコン
ヒロは洗面所の閉じられた扉を軽くノックする。中から慌てて声が聞こえる。
『あ! ま、待って待って』
「キリ。オレもそろそろ帰ろうと思うんだけど……」
ヒロは興奮している心が声に出ないように、いつもよりの低いトーンでそう言った。
『えーっ! な、なんでー。待ってよー』
キリはびっくりした様子で、より大きな声が聞こえてきた。ヒロはその子供っぽい言い方に思わずクスッとしてしまった。
「ああ、リビングで待ってる」
『うん! 待ってて、待っててよ……』
「ああ、了解」
ヒロはそう言いながら、小さく息を吐きながら、すぐ後ろの壁に寄りかかった。自分の胸に手を当てると、心臓がいつもより大きく鼓動しているのがわかった。
(今日、いよいよ手を出して、死ぬかもしれんなぁ、オレ……ははは)
ふと見ると、洗面所の閉じられた扉の僅かな隙間から光が漏れていた。廊下が少し暗いのでそれがよくわかる。ただ、光以外はわからない。
もう一人のヒロが『見るぐらいいいんじゃないのか?』とささやく。『いやいや、それは最低だろう』と更にもう一人のヒロが返す。そんな最低な葛藤をしている時だった。
デーン
洗面所から大きな音が聞こえた。おそらく慌てて着替えようとして転んだ音……。それ以外の音がないので、尻餅でもついたとヒロは思った。
『いったーい』
扉越しにまた子供っぽい声が聞こえた。
「キリ、大丈夫か? 逃げも隠れもしないから、ゆっくり着替えな」
『あ、うん。……大丈夫!』
キリのその声とほぼ同時に洗面所の扉がスーッと開いた。
(さっきまで水着だった。しかも、途中コケている。この短期間で着替えられるはずがない!)
ヒロはびっくりし思わず手で目を覆った。しかしやはりその五指は大きく開かれ、視界はまったく奪っていなかった。
(……え? あれ?)
私情により、びっくりするほど間が開いてしまいました。




