6.「じゃ、行ってくる」
「なぁ、あのカレンダーの……」
「え、……あ~、そういうことを女の子に聞かないの」
「え? あ?」
ヒロは不思議な顔をした。
「あ、違うの。な、なに?」
キリは焦って笑って返す。
「カレンダーの『肉』って書いてある日、なんだろう、と思って」
「あ、あれ? お肉食べる予定の日。丸が付いているのが食べた日」
キリはちょっと恥ずかしそうに言う。
「は? ってことは、最近全然食べて無いな。なんだ、キリ、菜食主義にでもなったのか?」
「『サイショクシュギ』? もう、また……」
「肉を喰わない様にしている主義ってことだよ」
「ううん。食べるよ。あたしはお母さんから一週間で七百グラム以上は食べるようにって言われているの」
「なんで?」
「……さー、やっぱりこの体のせいなのかな。小さい頃、物心付いた時からずっとそう食べてた」
「あ、スマン」
「な、なんであやまんの?」
「スマン……」
ちょっと気まずい雰囲気が漂う。
それを払うようにヒロがわざとらしく伸びをしながら言う。
「あー、でも最近、肉、喰ってないのはどうしてだ? 丸が付いていない」
「うん。ちょっと食欲なくて。……後、お金もね。最近、ちょっと母から連絡なくて……」
「え?」
「たまに連絡の間隔が開くことがあるんだけど、ちょうどお金がピンチの時に重なっちゃって、うん」
「そっか。……お母さん、もう一年会ってないのかな」
「うん、去年の夏、日本に来た時以来、あたしも会ってない」
「そっか。あれ以来か。オレもあの後一回だけ電話、来ただけだなぁ……あ!」
ヒロは『しまった』と言う顔をする。
「えふっ?」
キリは驚いて飲んでいた牛乳をふいた。
「あ、ゴメンなさい。かかってない?」
キリはカウンターに飛んだ牛乳を拭きながら、言葉を続けた。
「お母さんと、いつ? なにを?」
「あ、ああ。帰った直後、いや、たぶん空港からかな」
「うんうん、で?」
キリは自分の知っている人の話を他人から聞くことが少ないせいか、妙にわくわくしていた。それが顔に出ている。
ヒロはそれを見て、少し目線をそらした。
「……む、娘の監視をよろしくって」
「んー? ほんとに?」
「あ、ああ」
ヒロは、コップの牛乳を飲みながら、『まさか、娘に手を出すと呪われるわよ、なんて脅されたって言えないよな』、と言う言葉も一緒に飲み込んだ。
「そっか」
「まあ、お金に関しては、オレも人のことは言えないからなぁ、スマンな」
キリは『あっ』と言う顔をする
「そういう意味で言ったんじゃないよ、ゴメンね。まだ、貯金あるし、おかげさまで、すこしずづお仕事で収入もあるようになったから、うん」
「でも食欲もないってのも心配だな」
ヒロはちょっと腕を組んで台詞っぽく言った。
「ううん、ゴメン。大丈夫だから……」
「よ、よし。じゃあ、明日も朝、来ていいか?」
「え、……な、なんで?」
キリはびっくりしたように言った。
「オレが肉持ってきて、料理してやるからさ」
「えー」
「なんだよ、オレの料理が心配か?」
「ううん、そう、そうじゃなくて。お肉持ってくるって、悪いよ……」
「ああ、そっちか。今日の朝飯と元気の素を貰ったお礼さ」
「元気の素?」
「久々に見たキリの元気な顔」
キリはちょっと驚いた。そして恥ずかしそうに笑ってちょっと頬を膨らませて言った。
「バーカ」
確かにヒロとは久々にゆっくり話した。いや、こんなに話したのは初めてかも知れない。ヒロは昼は大学で忙しく、夜はバイトで忙しいからだ。
ヒロは、キリの仕事の保証人、そしてこのアパートの保証人にもなってくれている。でも、基本的にそれだけ。それだけにしていた。それ以上は無いようにしていた。『感謝はしなきゃ……、でも、好きになっちゃダメ……』、キリは心でつぶやく。
ヒロにも、キリが考え込んでいるのがわかった。
「ああ、キリ、そんなに考えなくても……いやなら……」
「じゃあ、来週。……来週なら、……いいよ」
キリは極力素っ気なく答えた。
「そ、そっか。おう、わかった」
ヒロはちょっと何か言いたげだが、すぐに了承した。
朝食の簡単な後片付けの後、ヒロは大学に向かう。今、行けば二コマ目には間に合う。
「さすがに、出ておかないとな。出ているだけで単位くれる講義なんでな。じゃ、行ってくる」
「うん、……いってらっしゃい」
ヒロは玄関を飛び出すと、しばらくこっちを見ながら後ろ向きで歩き、そして一気に駆けていった。
キリは、ヒロを送り出すなんとも言えないくすぐったい気持ちと、明るい日差しの中を元気に走るヒロをうらやむ気持ちとで、複雑な気持ちだった。