48.「んー、んー、んー、んー、んー」
「一緒に住まないか?」
ヒロは言った後、目をギュッと閉じ両手をギュッと閉じ『タイミング、悪かったか?! 言わなきゃ良かったか?!』と後悔しつつ、キリの反応を待った。
「……」
しばらく待ってもキリの返事が無かった。返事の代わりに聞こえてきた音があった。
「スースースー」
寝息だ……。ヒロは静かに深いため息をする。
「ふーーーーーーーーーーーーーーーーっ。よかった……」
なにがよかったのか、断られなくて良かったのか、質問自体聞かれて無くてよかったのか、言った本人にも良くわからなかったが、とにかくよかった、ホッとした。そんな心境だった。
自分の右肩の上には無防備に寝ているキリの顔がある。さっき、キスを拒んだばかりなのに、なぜこんなに無防備でいられるのか、ヒロには不思議だった。『信用されているってことなのかな!?』と考えるしかない。
ヒロは『あまり眠れていない』とキリが言っていたことを思い出す。理由は聞けていない。そして、今、ヒロの肩で気持ちよさそうに寝ている。あまり起こしたくない。
ただ、キリは座ったままだ。
「キリ?」
ヒロは小さい声をかけてみる。キリは少し首を動かすが、起きる気配は無い。
「ま、しょうが無いか」
そう小さく漏らし、キリの体をせめて横にしてあげようと考えた。まず、右手をキリの右腰あたりに伸ばし、ヒロのお尻を滑らすように体を回転させ、キリの頭を右肩の前に移動させた。ちょうど座っているヒロの右胸に寄り掛かっている状態になった。
そして肩の位置をゆっくり床に近づける。
「お、意外に腹筋を使うな、これ」
そんなことを呟きながら自分の肩を床までつけた。キリの頭は少しずれ、ヒロの右の肩から二の腕あたりを枕に仰向けの体勢になった。
「床冷たくないかな」
ヒロには熱いぐらいのこの部屋。薄着で、体温が高めのキリにとって、床の温度はどう感じるかはヒロにはわからなかったが、キリの気持ちよさそうな寝顔からはその心配は感じられなかった。
キリの額や頬に触れてみる。やっぱり熱く感じる。ヒロは体温を見ているのではなく、キリに触れても自分が我慢できるか、少し試していた。
タンクトップの肩の細い生地には隠れきらない下着の肩紐。キリを上から見下ろす体勢のため、胸元にはしっかり下着が見えている。谷間も見えている。時々、少し首を動かす。その度に吐息をもらす。
『ああ、思ったより、辛いかな……。一緒に住むなんてこと考えたけど、無理かなぁ。怖いよなぁ。ま、それ以前に拒否られるか、ははは』と、ヒロは天井を見上げる。真っ白なクロスかと思っていたが、よく見ると淡い色で小さい葉っぱが描かれていた。それをなんとなく数える。
葉っぱの数を数えながら、耳元で静かな寝息を聞く。そして心地よい体温を感じて数分。大学はもう『自主休講』と決めていた。
ヒロはキリが起きるまでと、昼ぐらいまでは起きていた記憶があったが、いつの間にか右肩にあるキリのつむじに頬をつけて、眠ってしまった。無理も無い、ヒロも昨日はあまり寝ていないのだから……。
厚手のカーテンには、外の陽射しが当たっているが、中にはあまり光を通さない。しかし熱は無理に中に入り、外には出て行かない。二人がフローリングで寝ているリビングは、少し暖かい温室なって、二人の眠りを助長していた。
先に起きたのはキリだった。いつの間にかうつ伏せで寝ていたキリは、いったい何の上で寝ているか、一瞬わからなかった。
「ヒロちゃん?」
少し体を起こすと、それはすぐにわかった。ヒロの右胸と肩と二の腕に、汗か、よだれか、ちょっとシミが付いていた。
「あー、どうしよう……」
どうしようもない。少し揺すってヒロを起こしてみるが、なんとも起きる気配が無い。と言うより、気持ちよさそうに寝ているので、そっとしてあげたかった。
服を着ているとわかりにくいが、触ってみると意外にある胸板。きっと筋肉が多いために太い二の腕も、力を入れていないときはプニプニで気持ちいい。キリはシミを拭くつもりもなく、そっとなぞるように触ってみる。そして少し、半開きで寝息を立てている唇。大きなふくらはぎにはなぜか思いっきり噛みついてみたくなる……。『ふふ、何しているんだろ、あたし』と、その行動、思いに少し赤面……。
西にある窓のカーテンに少し赤くなった光が当たっているのがわかる。もう夕方……。『ああ、あたしが上で寝ちゃったから、ジシュキュウコウさせちゃった……』と、ヒロの頭を優しく撫でた。
「あっ!」
何かを思い出した様な声を上げるとキリの顔から瞬時に笑顔が消えた。まず、自分の両手を確認、そして、恐る恐るヒロの服を少したくし上げ、両腕、足のすね、そしてお腹、首筋を確認した。
「良かった……噛み跡はない……」
少しホッとする。そしてTVをつけ、音量をすぐさま下げる。チャネルを切り替え、いくつかの夕方のニュースを確認した。
「あの事件は起きていない、か……」
ホッとし、キリの顔から緊張が消えた。TVを消し、床で大の字で寝ているヒロを見る。
「ふふふ。なんて格好……」
ちょっと笑ってしまった。でも、ここで寝させてしまったのは自分のせい、このままここで寝かせて置けないとキリは思った。
「起きちゃうかな?」
そう言いながら、ヒロの脇と膝の裏に腕を通す。キリの頬にはヒロの胸板が当たる。ちょっと汗の匂いがする。
そのまま、持ち上げる。……比較的容易に持ち上がった。
「ふふふ、やだなぁ、ヒロちゃんをお姫様抱っこしている、あたし」
そう笑いながら、リビングの狭い入り口をヒロの頭を先頭に自分はカニ歩きで通り抜ける。そのまま階段もカニ歩きで登り始める。
「ヒロちゃんが軽いのかなぁ?!」
難無く階段を登りきり、二階の自分のベッドにヒロをそっと下ろした。足を伸ばし、頭には枕を敷いた。二階も暖かいので、布団はお腹だけにかかるように掛けた。
「床で寝させてゴメンね」
そう言いながら、キリはベッドのすぐ脇に座り、ヒロの頭を撫でる。
「んーん」
ヒロは少し反応したようだか、まだ気持ちよさそうに寝ている。ベッドに移動してからは、いびきもかき始めた。
「んー、んー、んー、んー、んー」
キリは、生でいびきを聞いたことが無かった。TVでそんなシーンを見たことがあっただけだ。最初、ヒロがなにか話しかけて来ているのかと思い、『なに?、なに?』と、一生懸命聞き返してしまったのが、ちょっと恥ずかしかった。
「んー、んー、んー、んー、んー」
聞き慣れると、心地よくなってくる。たぶんヒロもそろそろ起きる、キリはそう思っていたが、そのいびきと寝顔を見ているうち、また眠くなってきた。一人の時は怖くて眠れなった。今は安心して眠れそう、そう思った直後、キリはそのままベッドの脇に座ってベッド上に腕枕をして眠ってしまっていた。




