25.「これ、ぱぱぱぱぁ~、プライベート名刺」
「ん。ヒ、ヒロちゃぁん……」
キリが今にも泣きそうな声を上げた。顔は真っ赤で瞳もうるうるしていた。
「キリ? どうした?」
そう返事しながら、ヒロは自分の手のひらの中にあるやわらかいモノに気が付いた。
「うわーーーーっ、ス、スマン!!」
ヒロは慌てて、両手をあげる。また『ホールドアップ』と言われたかのようなポーズだ。そして、固まる。
キリは手をあごの下で組み、脇を閉め、真っ赤になり、うつむきながら答えた。
「あ、うん。大丈夫……」
「ほ、ほんとにスマン。わざとじゃないんだ、オオオ、オレ……」
「い、いいよ、ヒロちゃん……」
キリはうつむいたまま、小さい声で言う。
「キリ……」
ヒロが思わず抱きしめようとした時だ。
「いでーーーーーーーーーっ」
ヒロは、そう叫びながら倒れ込んだ。そして右足首を抱えてもだえた。
「くーーーーーーーっ」
「だ、大丈夫?」
ヒロは思わず重心を右足にかけてしまった。かなり痛い。ついた尻餅も痛い。それと同時に、後ろのポケットに入れてあった携帯の感じがおかしい……。
痛みに耐えながら携帯をお尻のポケットから取り出す。
「ああ、やっぱり壊れてた……」
「ええ?」
キリはヒロの携帯をのぞき込む。と、同時に「あ」と言って、一歩引いた。
「ん? ああ、覗いてもいいよ」
「あ、うん」
人の携帯を見るのはちょっとどきどきする。キリがヒロの携帯を見てみると画面に大きなひびが入っている。裏蓋も完全に割れている。電源も入らない。
「やべー。今日、バイト無理って、連絡しなきゃいけないのになぁ」
ヒロはそう言って辺りを見回す。駅には僅かに残る程度の公衆電話、この辺には全く見あたらない。
ヒロは慌てて左足だけでバランスよく立ち上がる。キリは手を添える。
「どうするの?」
「とにかくキリをアパートまで送るよ。何とか進めるしな。それからだ」
そう言って顔をしかめながら前に進み出した。意外に速く進む。
「な?」
「無理しないほうがいいよ」
キリは反対したが、ヒロは涼しい顔を演じる。
「大丈夫。あーでも、バイトは無理だから、どこかで公衆電話、みつけないと。確かコンビニにあったよな」
「うん……」
キリの行きつけ(!)のコンビニには、確かに公衆電話は残っていた。キリもそれは覚えてる。しかし、そのコンビニまではまだ結構ある。
キリは、涼しい顔を作り一生懸命進むヒロを見ながら考えた。
「ね、ヒロちゃん。あたしの携帯、使って」
「あ、持ってきていたのか。 いいのか? 使って」
「うん」
そう言って、ジャケットの脇のポケットから携帯を取り出しヒロに渡した。
「スマン」
「電話終わったら駅まで送るね」
「え? いや! それはだめだよ」
「大丈夫。走れば、大丈夫。足速いの、見たでしょ」
キリは元気よくウィンクしながら言う。
「しかしなぁ……あ、とりあえず電話借りるな……ど、どれ押すの?」
「ん? うん、これをこうして、後はダイアル」
ヒロの顔の横にキリの顔がある。今日のキリの息づかいが気になってしまう……。ヒロは間近のキリの横顔に少し見入っていた。
「電話番号、わかるの?」
キリのその声で、ヒロは我に返る。
「あ、いや、うん。あ、そうか。……あ、わかる」
ヒロは少し焦りながら、財布を取り出す。そこに派手な名詞は入っていた。
「これ、ぱぱぱぱぁ~、プライベート名刺」
そこには銀色のバックに、『真中敦』と言う文字と、紙の半分を占めるキリの知らない男の人のカッコつけた写真、そして小さく電話番号が書いてあった。
「え、これって、なに?!」
キリは眉をしかめる。
「ははは、いいリアクションだ。キリもそう思うだろ? そういう奴さ。いらねーって言ったのに『縁起モンだから』って無理矢理。ま、今回は助かったかな」
ヒロは大きな口で言う。なんか楽しそうだ。キリは自分の知らないヒロをまた見てしまったような気がした。
キリがヒロの右側に立ち、名詞を持ってヒロに見せる。ヒロはキリの左肩に右手をそっと乗せ、番号を見ながら左手でダイアルする。
プルル、プルル、プルル
「スマンな」
ダイアルが終わり、お礼を言われると、キリはヒロの右脇に自分の左肩を入れ、ぴったり寄り添う。ヒロは楽に立っていられるようになった。……少し胸と胸があたる。
プルル、プルル、プルル
「ス、スマンな」
ヒロの声が裏返る。その時、相手が出た。
【はい?】
すごく不機嫌そうな声。真中のはずだ。
【だれっすか?】
知らない番号からの電話、無理もないかも知れない。
「スマン、オレ、竹川」
【ん? ああ、竹川か。なんだ、どうした、なんだこの番号は? 携帯変えたのか】
声がデカい。ぴったりくっついているキリにも声が十分聞こえていた。
「ああ、自分の携帯壊しちゃってさ、ちょっとっ……と、友達のを借りてんだよ」
ヒロは『友達』を言う前、一瞬キリを見て言葉を探した。しかし、なにも思いつかなかった。思いつかなかったので、『友達』とした。
キリは『友達』と言う言葉に、『そっか、そうだよね……』と、なにか寂しい気がした。
ヒロは、右足の怪我のことを伝え、バイトの代打のこと、駅までの迎えを簡潔に頼んだ。
「可能か?」
【竹川~、おまえ、そんなドジっこだっけ?】
「なんだよ、それ! なんかすげー恥ずかしい言われようだな」
【へっへっへ。ま、いいぜ。バイトの代打は、ま、僕が行けるから安心しな。もちろん、貸しな】
「ああ、何でも言ってくれぃ。あ、じゃあ、駅までのお迎えさんは、どうなる?」
【ちょっと待て……】
そう言うと、真中はちょっと携帯を遠ざけて誰かと話しているのがわかった。なにを話しているかはわからなかった。
「スマンな、キリ。重くないか?」
うつむいていたキリは急に話が来てちょっとびっくりして顔を上げた。そしてびっくりした顔のまま、無言でうなずく。そして、キリが『大丈夫』と言おうと口を開いた時、真中の声が戻ってきた。
【あ、竹川? オッケー。おまえの知っている人が駅までなら来てくれるってさ。よかったな】
「オレの知っている人? 誰だよ?」
【さーな。じゃ、僕はバイトの支度をしなきゃ。じゃなー、お大事にー】
プツッ ツーツーツー
「おい、おい……。……真中の奴、切りやがった。ああ、ありがとう、キリ」
そう言って、キリの肩から下り、携帯を一瞬躊躇して太股で軽く拭き、返した。
「スマン、ちょっと汚くなった」
ヒロはちょっと申し訳なさそうに、でも笑顔で言った。
「あ、ううん。大丈夫」
キリはあっけにとられている顔、と言っていいのだろう。今まで見たことがなかった友人と談笑をするヒロを目の当たりにしてしまった。キリはすこし動揺していた。
携帯には、まだ、ヒロの汗が残っている。




