18.「うん、消臭作戦、開始!」
プルルルルル
キリがシャワーから出ると、リビングで携帯電話がなっているのがわかった。
「あ、また?!」
プルルルルル
たぶん初めての一日二回の電話。バスタオルを巻いて慌ててリビングへ走る。足、髪の毛がまだまだ濡れており、キリの通ったところがよくわかる。
「ヒロさんかな。また『ジシュキュウコウ』とかちゃったのかな、もう」
と、ちょっと微笑みながら携帯をのぞき込む。
プルルルルル
「あ、カンミさんだ」
プルルルルル
「ふう」と一息。そうしてから、携帯の通話ボタンを押す。そして一呼吸。
「はい、キリです」
【あ、キリちゃん? なかなか出ないから倒れているかと思ったよぉ】
カンミはふんわり明るい声だ。キリは『カンミさん、冗談になってないです~』と思いつつも、元気を装った。
「げ、元気ですよ。今、シャワー浴びてました。バスタオル一枚です」
【あらぁ。今すぐ行きたいわぁ】
「ふふふ」
【ねぇ、今日、夕方、お時間ある?】
「あ、はい。いつでも」
【一個ね、仕事の件で】
「あ、はい! 是非、お願いします」
カンミが言い終わる前にキリは答えた。理由は2つ。誰かに会いたい。没頭できる作業がほしい。
【……あ、はーい。じゃあ、夕方……行きますねぇ】
「はい! 待ってます!」
キリは明るく答えた。たぶんいつも以上に明るくなっていた。昨日からなにも食べていない上に、全部出してしまった。力が出ないが気持ちだけは明るくするようにがんばっていた。
【キリちゃん……?!】
「はいっ!」
【……ううん、なんでもない。早く行けるようにするね】
そのカンミの声はすこし憂いを帯びていた。
「え? あ、はい」
【じゃあねぇ】
「はい!」
プッ
ツーツーツー
「……はぁ……」
ちょっと無理に元気を装っていたせいか、キリはすごく疲れた。ゆっくり携帯を充電器に置き、脱衣所に戻る。戻る途中、足跡が濡れているのに気が付く。
「拭かなきゃ」
キリは脱衣所に戻ったが、着替えを持ってきていないことに気がつき、足の裏を拭いただけでバスタオルのまま二階に上がる。
一番楽なでっかいパーカーが洗濯機の中なので、キリは夏物の引き出しをあけてみた。
去年の夏の終わりに日本に来たため、夏物はほとんど着ていない。迷うほどの服の種類はない。一瞬、ワンピースも考えてみたが、何かもったいない感じがして、候補から外した。
下着とTシャツ、ショートパンツを持ち、一階に下りた。その時……
「え、なんか、臭う……」
そう、ツンとした酸に似た臭い。それになにか獣のような臭いも混じっているような、とても不快な臭い。掃除したが、あれの臭いが残っていた。さっきまではその場にずっといたせいで臭いに慣れてしまっていたのだ。
キリは急ぎ脱衣所に戻り、着替えた。
「うん、消臭作戦、開始!」
キッチンの換気扇を回し、格子のある陽の当たらない側の窓を思い切ってあける。反射した陽の光がちょっと皮膚を刺激した。
未開封のインスタントコーヒーをあけ、手元にあるカップ四個……大小まちまち……に濃いめのコーヒーを作り、リビングの四方においた。
ついでに、食パンを焼かずにそのまま一枚ほおばりながら一番小さいカップのコーヒーに口を付ける。
「んっ、にがっ」
空っぽだった胃にものが入っていく感覚が、ちょっと新鮮でおもしろく感じた。
続いてあまり使ったことない、重曹を水に溶き、小さいスプレーにいれ、特に現場を中心にスプレーし、そして軽く拭いた。
最後に、レモンの皮をむき、その皮をつぶし、コーヒーと同じく、リビングの四方においた。
「あと、なんか方法、あったっけ?!」
ちょっと考えながら二階に上がる。二階で夏服の整理、といってもあまり持っていないが、どんな服があるのか、母に用意してもらったものも多いので、それらを確認しながら、時間が経つのを待った。
30分ほど経った後、ゆっくり一階に下りる。
「……あの臭いは、なくなったかな?!」
床、壁、ワンピースに鼻を近づけ、確認する。
「ほ」
あれの臭いはわからなくなっていたので、ちょっと安堵した。
しかし、歯形の原因は全くわかっていない。がんばって笑顔を作っているキリの心にその恐怖は住み着いていた。




