15.「あれ? なんでわかるの?」
研究室のある研究棟を出ると、すぐに大学の裏口がある。最寄の駅は、正門から出たほうが早いのだが、ヒロはそのまま裏口から出て、遠回りして駅に向かう。そう、キリのアパートの前を経由する。
西の空が赤から黒の変わっていく中、ふとカンミの言葉が頭をよぎる。『家の近辺をうろうろしているのは、ストーカーですよぉ』。
「……そうなのかなぁ」
簡単に星を見つけることが出来るようになった頃、キリのメゾネット式のアパートが見えてきた。そこで立ち止まる。
「……いやいや、キリのお母さんに脅かさ……お願いされて娘さんの安否を確認しているだけじゃないか……。だけか?!」
街灯のついている電信柱の影で自問自答を繰り返す。
「……まあ、うろうろしなきゃ、いいんでしょ!? 通りがかるだけだ」
回想の中のカンミにそう言って再びキリのアパートに向かって歩き始める。
暗くなったばかりのこの時間は、まだ人の通りがある。ヒロがアパートの前を通りかかった時、他、数人も通っていた。ヒロは立ち止まらず、横目でキリの部屋の窓を見ながら通り過ぎる。
暗くなったばかりのせいか、厚手のカーテンはまだ閉じたままだ。日によっては閉じっぱなしのこともあるので、それに関しては疑問を持たなかった。ただ、カーテンの上の隙間から見えるはずの明かりが暗すぎる。『いくらキリでも暗すぎる……』、ヒロは引っかかった。
ちょっとアパートを通り過ぎたところの電信柱の影で携帯を取り出し、時間を確認する。『暗くなったばかりだ。出かけているとは思えない』と不安に感じた。『昼寝している可能性もあるしな』と普通であるように自分に言い聞かせたりもする。
ヒロは携帯を閉じ、やっぱりキリのアパートに向かおうと振り向いたが、そこで足を止めた。『そうだ、夏休みの件を電話で聞いてみよう。そうだ、うん。まずは予定を聞いてみよう』と、ヒロ的に正当な理由を見つけたらしく、再び電信柱の陰に隠れながら、キリの携帯へかけてみた。
プップップップ
プルルルルル
少し呼び出し音が鳴って、少しの間、そしてまた呼び出し音の繰り返し。繰り返されるごとに色々考えてしまう。
プルルルルル
『トイレだろうか』
プルルルルル
『ヘッドホンで音楽を聞いているのかも知れない』
プルルルルル
『一階の電気消し忘れて二階で寝ているかも』
プルルルルル
『あ、風呂か?』
呼び出しをそのままにアパートの裏側の窓を見に行こうと数歩、歩いた時だった。
【あ、はい】
出た。元気がないがキリの声だ。ヒロは思わず『大丈夫か?』と心配の声を上げそうになったが、そこは堪えた。
「あ、キリ。スマンな、こんな時間に」
と言いながらヒロは自分を落ち着かせるため、必要以上に後頭部をこすっていた。
【うん、大丈夫】
ちょっとポワーッとした返事。大体はキリから電話が来るが、その時は明るい声だ。それと比べてしまう。
「なにしてた?」
そう言った後、ヒロは『なに聞いているんだオレは!』と顔をしかめた。するとキリは相変わらずポワーッとした声で答えた。
【うん、なんか、寝ちゃってたみたい】
「一階でか?」
【うん……あれ? なんでわかるの?】
ヒロは『しまった』と言う顔をするがキリにはわからない。ヒロは慌てて話を逸らす。
「あ、いや。それよりさ、大丈夫か? 昼寝なんて珍しい。体調悪いのか?」
【たぶん、ただの寝不足だと思うよ。昨日いろいろ考えちゃってなかなか眠れなかったから……】
「そっか。……大した助言は出来ないけど、なんでも相談に乗るからな」
【あ、うん。ありがとう】
キリは『ヒロさんのせいもあるんですよ』と苦笑いをしていた。もちろんヒロにはわからない。
「あ、じゃあ、また。えっと、おやすみ……。あ、まだ早いか?!」
【ううん、今日はもう寝ちゃうつもりだから……おやすみなさい】
「ああ、じゃぁ」
【うん】
「……」
【……】
「……」
【……】
お互い切らない。沈黙がお互いの携帯から漂う。ヒロがどう声を出そうかと携帯を顔に近づけた時、スピーカーからは『スースー』と言う寝息が聞こえていた。
ヒロは出そうになった声をギリギリで止め、しばらくその寝息を聞いていた。なんか心地よかった。
3分ぐらい経った時だろうか。『あ、いかん!』とヒロは我に返ってきた。
「キリ、おーい、キリ!」
【スースー】
ちょっと遠くから相変わらず寝息が聞こえている。
「おーい、キリ、起きろー!」
ヒロは回りを気にしながら、少し大きめの声を出す。思ったより周りに響いたので、自分でも驚いてしまった。周りを見る。数人歩いていたが、何事もなかったように通り過ぎていく。
携帯からは【あ】と、遠くから聞こえた。キリが起きたようだ。
【あれ。あ、もしもし?!】
相変わらずポワーッとした声で電話に帰ってきた。
【あ、ゴメンなさい、途中で寝ちゃってた?】
「途中ではなかったから大丈夫だけど、それよりちゃんと二階で寝なさい!」
ヒロはちょっと子供を叱るような口調になってしまったので、自分で恥ずかしくなっていた。
【あ、はーい】
そのせいか、キリも子供ような返事だ。ヒロは思わずちょっとニヤけてしまった。
【でも、今、携帯以外から『起きろー』ってヒロさんの声が聞こえたような気がした】
そう言いながら、厚手のカーテンをサーっと開けた。外は真っ暗。
ヒロからはキリのシルエットが見えた。その瞬間慌てて電信柱の影に隠れながら『何をしているんだ、オレは!』と、頭を抱えた。
【もしもしー?!】
「おう、じゃあ、ちゃんと着替えて二階で寝るんだぞ、おやすみ」
ヒロは、声が漏れにくいように携帯のマイクを手で囲いながら、ゆっくりと、一気に言い切った。
【はい、おやすみなさい】
少し間を空けてヒロは思い切って切断ボタンを押した。そして、
「はーーーーーーーーーーーーーっ」
っと大きなため息をついた。そして夏休みの件を言いそびれたことに、後頭部を手のひらで一回叩き、『ストーカー』みたいな行為になっている行動に、更にもう一回叩き、その場をゆっくり後にした。
ツーツーツー
キリの携帯からはまだ音が鳴ってる。キリはまだ少しボーっとしていた。
「ふふ、やっぱりヒロさんの声聞くと、落ち着くのかなぁ……」
そう、ガラスにうっすら映る『リキ』に告白しながら、携帯の切断ボタンを押す。
「あれ、でも、そういえば、なんの用だったんだろう……」
キリはそう呟きつつ、携帯をTVの上の充電器の上に置いた。携帯の充電LEDが点灯する。そして、両手で左右のカーテンの上のほうをつかみ、シャーッと閉じた。
その時、キリは自分の左腕を見て驚いた。
「え? ……なに……これ?」
キリちゃん、次回、R15です。




