14.「お前はいいやつだよ」
「ナンパしたんじゃない。されたんだよ……あっ」
「なぬ。それは聞き捨てならない!」
「ふむ。詳しく聞こうじゃないか」
ヒロは『しまった』と思ったが、もう遅い。普段は何事にも食い付かない和久でさえも身を乗り出しヒロを睨んでいる。
「え? なに?」
ヒロはトボケてみるが、二人の睨みは変わらない。真中の手は相変わらず、ヒロの頭の上にある。それが少しずつ重くなってきている。
「いや、なんだ。うぐ、……言う、言う」
真中の手がヒロの頭から立ち去る。
「ふう。えっと、そんなに食いつく話じゃないと思うぞ。聞いてがっかりするなよな」
「それはこちらで決めること。お前は体験したことを素直に話せばいい、隠さずに」
和久が相変わらず睨む。『なぜ、この目を女は好きなんだ?』と思いつつ、ヒロはゆっくり白状を始めた。
「あのな、……母親にだよ」
「は?」
「だから、大坪キリのお母さんに、声かけられたんだよ」
「マジか?」
和久がらしくない言葉で驚きを表す。
「母親?! い、いくつだ?」
真中が食いつく。
「え? いや聞いていないけど、たぶん40代前半だろ。キリが18だし」
「ふむふむ」と、真中がニヤニヤした。
「で、なぜ、娘さんがお前と一緒になった?」と和久。
ヒロはあせって言う。
「い、一緒になってないって。お母さんに、なんていうか、保護者を頼まれたんだよ」
「ほー」
「ほー」
珍しく真中と和久が同期した。その4つの目は疑いの光しか放っていない。
「ほんとだって」
「18歳の?」
「一人娘を?」
「見ず知らずの?」
「男に?」
二人の同期が続く。
「まあ、ほんとなんだって……」
ヒロは目線を逸らしながら段々声が小さくなっていく。『ま、半分、脅かされたようなもんなんだけど……』と、心でつぶやく。
その視線を逸らすヒロに対し、和久がなにやら言おうとした時だ。
ドスン
ガラガラ
大きな物音と共に研究室の扉が開き、積み上げられた大きなダンボールを3つと、横に立つ長い黒髪の女が現れた。
170はある身長に、少し高めのヒール。ぴったりとした膝上10cmぐらいのスカートに、胸元が大きくあいたシャツ、カジュアルな青いジャケットと言う出で立ち。腰ぐらいまである髪の毛は、サラサラで絡むことなく、彼女の動きに合わせて踊る。
「おーい、誰か手伝ってくれ」
「あ、南先輩!」
ヒロが振り向く。
「今、竹川の取調べ中に付き、身動き取れません。想定される時間はおおよそ後10分」
和久が答える。
「早く! 一人でいい」
そう言いながら南はダンボールを2つ持ち上げようとする。結構重そうだ。南がふらつく。ここまでどうやって持ってきたのか……。箱の横にヒールの足形がついている……。
「はい、オレが行きます」
「あ、まて」
真中の長い手をすり抜け、ヒロは、南のほうに向かう。
「南先輩、そんな靴で持ったらあぶないですよ。オレが二つ持ちます」
ヒロがそういうと、南は「ん」とだけ言い、箱を一つずつヒロに渡していった。箱の割には重くはなかったが、ヒロは前が見えなくなった。
「わるいな、竹川」
南はそう言いながら真中をにらむ。
「はーい、僕も手伝いマース」
棒読みで答え、渋々もう一つの箱に向かって進んだ。和久は動かない。
「さんきゅー、ありがとねー」
南が倉庫の扉から顔を出し、笑顔で手を振っている。研究室に戻りながら、ヒロは笑顔で軽く会釈、真中はちょっと引きつった笑いで小さく手を振り、答えた。
「いやー、重かったな。大丈夫だったか、竹川?」
真中の箱は重かったようだ。
「あれくらいなら余裕だよ」
「しかし竹川は、南先輩の頼みはすんなり何でも引き受けるな。高校の体育会系じゃないんだからよぉ」
「あの靴で運んだら絶対怪我するだろ?」
「まあ、そうかもしれんが……。お前はいいやつだよ」
「なんだ!? 気持ちわる!! ……! ああ、なるほど。……夏休みのバイト、ちょっと考えさせてくれ」
「お、押しが一個足りなかったか。そうだ。なんなら、そのキリなんとかチャン、連れて来てもいいからよ」
「え? ……ああ、ちょっといろいろ考えさせてくれ……」
そんな交渉をしながら研究室に戻ってきた。
「ご苦労さん」
和久はさっきと同じところに座ったままだ。そして同じくノートに向かっている。今度はちゃんと勉強しているようだ。
「おっと! 僕に、そこ、写させてくれ!!」
真中がそのノートの内容をチラッと見て言う。
「どうぞ、勝手に」
「真中、和久。じゃあ、オレ、今日は帰るな」
「はい、おつかれさん」
「またな」
「おう」
ヒロはそう言いながら荷物を抱え、研究室を後にした。
「なあ、和久。竹川の話、どう思う?」
真中は和久のノートをのぞき込みながら、和久に聞いた。
「ん? ああ、いいじゃないか、きっかけは。今、それぞれの気持ちが大事なんじゃないか」
「ふむ。大人だな、和久」
「そうか?」
二人は黙々とノートを書く。
「なあ、和久。ノート借りて、コピーとらせてもらってもいいか?」
「貸している間、俺が使えなくなるからだめだ」
「あ、やっぱり」
二人は黙々とノートを書く。
「なあ、和久。南先輩、どう思う?」
真中は周りを伺いながら、相変わらずノートに向かう和久に聞いた。
「ん? んー。あの自己アピール度の強い、体にぴったりした服。こちらの状況を確認せず、自分の用件を言うあの間、態度。そして、最後は最高の笑顔でお礼……。ちと、苦手だな」
「あ、やっぱり」
「ふう」
「ふう」
この蟹江研究室を選んだ理由が、二人とも南先輩であったことは、言うまでもない。




