聖女追放を阻止するため行った、たった一つの大罪
「――聖女アリシア。お前を追放する」
その言葉を聞いた瞬間。
私は、ゆっくりと目を閉じた。
(……また、この未来)
王城の謁見の間。
赤い絨毯の先で、第一王子レオルドが冷たい目を向けてくる。
周囲を囲む貴族たちも、まるで汚物を見るような視線を私へ向けていた。
「聖女でありながら、黒魔術の研究を行っていた証拠が見つかった」
ざわり、と空気が揺れる。
後ろでは、白銀の髪を揺らしながら一人の少女が涙を流していた。
第二聖女――セシル。
かつて、私が妹のように可愛がっていた少女。
「アリシア様がそんなことをするはずありません……!」
震える声。
涙。
庇おうとする仕草。
……でも。
私は知っている。
その涙が“偽物”だということを。
「言い訳はあるか?」
王子が言う。
私は静かに顔を上げた。
「ありません」
「っ……」
その瞬間、空気が揺れた。
貴族たちがざわつく。
本来なら、ここで泣き叫ぶべきだったのだろう。
ですが、意味がない。
私はもう――この未来を、七回見ている。
七回とも、結果は同じだった。
追放。
国外逃亡。
そして。
半年後、王都滅亡。
魔王軍によって。
「聖女アリシア。その聖印を剥奪し、国外追放とする」
王子の宣言。
衛兵たちが近づいてくる。
私は抵抗せず、そのまま歩き出した。
その時だった。
「待ってください!!」
叫んだのは、セシルだった。
「アリシア様は悪くありません!!」
王子が眉をひそめる。
「セシル?」
「お願いです……! アリシア様を追放しないでください!」
……やめて。
私は心の中で呟く。
その言葉を言った未来も、既に見た。
結果は変わらない。
むしろ、悪化する。
「お前は優しすぎる」
王子はセシルの肩を抱いた。
「だが、この女は危険だ」
「違います!!」
セシルは涙を流す。
……本当に、演技が上手くなった。
昔は違ったのに。
昔のセシルは、本当に優しい子だった。
でも。
未来を知ってしまった日から、変わってしまった。
『半年後、王都は滅びます』
そう告げた瞬間から。
人は、狂い始めた。
王族は混乱し。
貴族は逃げ出し。
騎士団は内部分裂。
結果として、王国は魔王軍侵攻前に崩壊した。
だから私は、何度もやり直した。
未来視の代償で寿命を削りながら。
必死に未来を変えようとした。
でも。
何度繰り返しても。
必ず、“聖女追放”に辿り着く。
(……なら、方法は一つしかない)
私は立ち止まった。
「アリシア様……?」
セシルが不安そうに私を見る。
ごめんなさい。
本当は、あなたを巻き込みたくなかった。
でも。
このままでは、誰も救えない。
私は静かに振り返り――。
そして。
王子の腰に差してあった剣を、一瞬で抜いた。
「なっ――!?」
誰も反応できなかった。
聖女は非力。
誰もが、そう思っていたから。
次の瞬間。
鮮血が、謁見の間に舞った。
「……え?」
セシルが呆然と目を見開く。
王子の胸から、血が溢れていた。
私の剣が、深々と突き刺さっている。
静寂。
誰も理解できなかった。
だが私は。
震える手で剣を握りながら、静かに呟いた。
「これで……」
ぽたり、と涙が落ちる。
「これで、あなたは追放されない」
その瞬間。
未来が、初めて揺らいだ。
王城は、地獄と化していた。
「王子殿下が刺されたぞ!!」
「聖女アリシアを捕らえろ!!」
「回復術師を呼べ!!」
怒号。
悲鳴。
鎧の音。
謁見の間にいた貴族たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。
そんな中。
私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
手の中には、血塗れの剣。
目の前には、崩れ落ちた第一王子レオルド。
……温かい。
剣を握る手が、まだ熱を持っている。
(……刺した)
本当に。
私は、王子を刺したのだ。
七度繰り返しても変えられなかった未来を壊すために。
「アリシア様……」
セシルが震える声を漏らす。
青ざめた顔。
涙で濡れた瞳。
当然だ。
目の前で聖女が王子を刺したのだから。
「どうして……」
私は答えなかった。
答えられなかった。
その時。
「貴様ぁぁぁぁぁッ!!」
騎士団長ガレスが剣を抜いた。
鬼のような形相で、こちらへ迫ってくる。
「王族への反逆!! 万死に値するぞ!!」
殺気。
本気だ。
本気で、私を斬る気だ。
だが――。
「待て」
低い声が響いた。
ガレスの動きが止まる。
ゆっくりと現れたのは、国王だった。
白髪混じりの髪。
深い皺。
そして、長年王国を支えてきた者だけが持つ重圧。
「陛下……!」
周囲が一斉に頭を下げる。
国王は、倒れている王子を見た。
次に。
私を見る。
「……何故だ」
短い言葉。
だが、その瞳には怒りだけではない感情があった。
困惑。
疑念。
そして――恐れ。
私は静かに口を開く。
「陛下」
「答えよ」
「……王都は半年後、滅びます」
空気が止まった。
ガレスが眉をひそめる。
「何を言っている?」
「魔王軍が現れます」
「馬鹿な」
「王子殿下は、その引き金でした」
ざわっ、と周囲が揺れる。
国王の目が細くなる。
「詳しく話せ」
「……ここでは無理です」
私がそう言った瞬間。
セシルが、はっと顔を上げた。
「まさか……」
私は彼女を見た。
セシルは青ざめている。
気づいたのだ。
私が、“未来視”を使ったことに。
聖女には稀に、特殊な神託能力が発現する。
そして未来視は、その中でも禁忌に近い能力だった。
未来を見る度に、寿命を削る。
それほどの代償を払う力。
「アリシア様……あなた……」
私は小さく笑った。
「ごめんなさい」
「っ……!」
「黙っていて」
セシルの瞳が揺れる。
彼女は優しい。
本来なら。
本当に、本当に優しい子なのだ。
だからこそ――。
これ以上、壊したくなかった。
「陛下」
私は再び国王を見る。
「王子殿下を殺さなければ、王国は終わります」
「根拠は」
「……ありません」
周囲がざわつく。
「ですが」
私は静かに続けた。
「私は、見ました」
魔王軍に燃やされる王都を。
泣き叫ぶ子供を。
逃げ惑う民を。
瓦礫の下で潰れる騎士たちを。
そして。
玉座の前で笑っていた、“黒い魔王”を。
「レオルド殿下は、その魔王に操られていました」
「なっ――!?」
ガレスが目を見開く。
「あり得ん!! 殿下は聖剣に選ばれた御方だぞ!!」
「だからです」
「何?」
「聖剣に選ばれたからこそ、魔王に狙われた」
沈黙。
重い空気が流れる。
そして。
国王が静かに言った。
「……つまり、お前は未来を変えるために、我が子を刺したと?」
「はい」
「自分が処刑されると分かっていてもか?」
私は、ゆっくり頷いた。
「構いません」
もう。
慣れている。
七回、死んだから。
焼かれたこともある。
首を落とされたこともある。
毒を飲まされたことも。
でも。
その度に未来視が発動し、私は“少し前”へ戻された。
まるで。
未来そのものが、「王国を救うまで終わるな」と言っているように。
「……狂っている」
誰かが呟いた。
違う。
狂ったのではない。
狂うしかなかった。
その時だった。
「陛下!!」
一人の兵士が、慌てて駆け込んできた。
「申し上げます!!」
「何事だ」
「王都北門付近にて、大規模な魔物の出現を確認!!」
空気が凍った。
「数は!?」
「およそ三百!! 統率された動きです!!」
ガレスの顔色が変わる。
「まさか……!」
私は、静かに目を閉じた。
来た。
いつもより、早い。
未来が変わった反動だ。
「……始まりましたね」
国王が、ゆっくり私を見る。
その瞳から、完全に疑念が消えていた。
「アリシア」
「はい」
「お前は、本当に何者だ」
私は少しだけ考え――。
そして、静かに答えた。
「……未来で、一番多く絶望した人間です」
王都北門。
そこは既に戦場だった。
「押し返せぇぇぇ!!」
「第二陣!! 前へ出ろ!!」
騎士たちの怒号が飛び交う。
燃え盛る炎。
崩れ落ちる城壁。
そして――。
黒い霧の中から現れる、異形の魔物たち。
だが。
(違う……)
私は城壁の上から戦場を見下ろしながら、唇を噛んだ。
(こんなものじゃない)
本来の未来は、もっと絶望的だった。
王子レオルドが魔王に精神を侵食され、“聖剣の勇者”として暴走。
王国そのものが内部から崩壊していた。
だが今回は違う。
レオルドは、ここにいない。
未来が変わった。
確かに。
ほんの少しだけ。
「アリシア様!!」
セシルが駆け寄ってくる。
白い聖衣は血と泥で汚れていた。
「西側の避難が完了しました!」
「ありがとう」
「ですが……魔物の数が……」
彼女の声が震える。
当然だ。
空を見上げれば分かる。
黒い霧が、王都全体を覆い始めている。
あれが魔王の力。
生命そのものを蝕む“死の瘴気”。
長時間浴びれば、人間は理性を失い魔物化する。
「……時間がないですね」
私は静かに前へ出た。
「アリシア様?」
「セシル」
私は振り返る。
「あなたは、生きて」
「え……?」
セシルの顔が強張る。
「な、何を言って……」
「未来視には、最後の力があります」
彼女の顔色が変わった。
「だめ……」
「未来そのものを書き換える力」
「やめてください!!」
セシルが私の腕を掴む。
涙が零れていた。
「それを使ったら……!」
「死にます」
セシルが息を呑む。
未来視の最終段階。
それは、“自分の命”を燃料に未来を捻じ曲げる禁忌。
だから私は、今まで使わなかった。
怖かったから。
本当は、生きたかったから。
だけど。
今回は違う。
王子を刺したことで未来は変わった。
なら。
あと少し押せば届く。
“王国が滅ばない未来”に。
「嫌です……!」
セシルは泣きながら首を振った。
「やっと……やっと分かったのに……!」
「……何が?」
「アリシア様が、一人で苦しんでたことです!!」
彼女は叫ぶ。
「どうして言ってくれなかったんですか!! どうして一人で背負ったんですか!!」
私は少しだけ笑った。
「言ったら、あなたは泣くでしょう?」
「当たり前です!!」
「だからです」
「っ……!」
セシルが崩れるように涙を流す。
その姿を見て、胸が痛んだ。
この子だけは。
本当に守りたかった。
すると。
遠くで、地鳴りが響いた。
黒い霧が割れる。
そして現れた。
巨大な漆黒の騎士。
全身を黒鎧で包んだ、人型の怪物。
その兜の奥で、赤い瞳が光る。
『――見つけたぞ』
低い声。
聞いた瞬間、本能が理解する。
魔王。
未来で、何度も私を殺した存在。
『未来視の聖女』
魔王がゆっくり剣を抜く。
『何度繰り返しても無駄だ』
空気が軋む。
『人間は滅びる』
私は静かに前へ出た。
「……そうかもしれませんね」
『?』
「人間は愚かです」
王子も。
貴族も。
騎士も。
何度も同じ過ちを繰り返した。
でも。
「それでも」
私は、剣を握る。
「守りたいと思う人がいるんです」
魔王が嗤う。
『ならば絶望しろ』
瞬間。
魔王が消えた。
速い。
次の瞬間には目の前。
黒剣が振り下ろされる。
だが。
私は避けなかった。
「アリシア様ぁぁぁ!!」
セシルの叫び。
その瞬間。
私は、未来視を解放した。
世界が白く染まる。
寿命が削れる感覚。
心臓が焼ける。
視界の中で、無数の未来が流れていく。
滅亡。
滅亡。
滅亡。
死。
死。
死。
その中で。
たった一つだけ。
小さな光が見えた。
私は、それを掴む。
「――未来を書き換えろ」
世界が、砕けた。
次の瞬間。
魔王の剣が、止まっていた。
「……なに?」
魔王が初めて動揺する。
その胸を。
一筋の光が貫いていた。
後ろには、セシル。
震える手で、聖剣を握っている。
「アリシア様は……!」
涙を流しながら。
それでも前を向いて。
「私が守るんだからぁぁぁぁぁ!!」
聖剣が輝く。
光が、王都全体を包み込んだ。
黒い霧が消えていく。
魔王の身体が崩れていく。
『馬鹿な……』
最後に魔王は、私を見た。
『貴様……未来を……』
「ええ」
私は笑った。
「変えてみせました」
そして。
魔王は光となって消えた。
静寂。
誰も動けなかった。
やがて。
セシルが、震えながらこちらを見る。
「……アリシア様?」
私は答えようとして。
そのまま、崩れ落ちた。
「っ!!」
セシルが抱き止める。
もう、身体に力が入らない。
視界も霞む。
ああ。
そっか。
成功したんだ。
「……よかった」
「嫌……嫌です……!」
セシルが泣く。
子供みたいに。
ぐしゃぐしゃに泣いていた。
「死なないでください……!」
私は、最後の力で彼女の頭を撫でた。
「もう……大丈夫」
王国は滅びない。
あなたも、生きられる。
だから。
「……笑って」
それが。
未来を変えるために、大罪を犯した聖女の。
最後の願いだった。
――後に。
王国を救った“最後の聖女”として。
アリシアの名は、永遠に語り継がれることになる。




