アリーのお話
アリーは、大きなお屋敷で働いています。
肩にかかってぴょこんとはねる赤毛の三つ編みと、透きとおった緑色の瞳をした小さな女の子です。
お屋敷はグレーン氏というとてもお金持ちで気の優しい老人のもので、グレーン氏はアリーを自分の孫のように可愛がっていました。
仕事が忙しくてなかなかお屋敷にいないグレーン氏は、それでもたまに早く帰ってきては一生懸命に働くアリーを呼んで、大きくてふくよかな手でアリーの頭を撫で、アリーの小さな手にめずらしいお菓子や時にはお小遣いを乗せて握らせるのでした。
アリーもグレーン氏が大好きでした。グレーン氏のために、お屋敷の他のメイドたちと一緒にたくさんの部屋を綺麗に掃除したり、グレーン氏の書斎に摘んできた美しい花を飾ったり、寒い冬にはグレーン氏の上靴を暖炉の火で暖めておいたりしました。グレーン氏もそういう小さなひとつひとつのアリーの思いやりに気づいては、にこにことアリーを呼んでありがとうと言いました。
お屋敷には立派な庭があって、その一角にある小さな噴水のそばがアリーのお気に入りの場所でした。そこには手入れの行き届いたいくつかの花壇と、昔々の神様達の物語を模して造られた石像がありました。アリーは噴水の縁に腰かけて、花々の向こうの石像を眺めることが好きでした。そういう時、アリーはアリーの想像する神様達の物語の中へ入っていって、時には一緒に竜に乗ったり、巨人と戦ったりするのでした。
アリーの小さな想像の中の冒険のお話は、グレーン氏のお気に入りでした。仕事が休みになると、グレーン氏はアリーを書斎に呼んで、どんな色のどれくらいの大きさの竜に乗ったのか、その乗り心地や翼の音を細かくたずねては小さな皮の手帳に書き取って喜びました。
竜や精霊達に名前をつけ、短い物語を作っていくことはアリーとグレーン氏の大切な共同の仕事で、小さな皮の手帳にはそういった短い物語がいくつもいくつも書き込まれていきました。
アリーは幸せでした。とても幸せでした。毎日、村の自分の家から朝早くにお屋敷に来て、夕方、グレーン氏の帰宅を待ってまた自分の家に戻るこの生活を愛していました。時々、グレーン氏が仕事で遅くなる日もありました。そんな日は、アリーはグレーン氏の書斎の机の上に小さな花と”おつかれさま”と書いた手紙を置いて帰りました。グレーン氏はその花のひとつひとつを大切に本に挟んで押し花にしました。そしてアリーの書いた手紙につけて、しおりにして使いました。
季節が巡って、何度目かの春がお屋敷に来ました。
お屋敷の立派な庭はいよいよ誇らしくたくさんの花々で色づいて、アリーのお気に入りの噴水もきらきらと輝く水を散らしています。
朝早く、いつものようにアリーはお屋敷の玄関に立ちました。コンコン、と扉を鳴らすと、住み込みのメイドがアリーをお屋敷へ入れてくれるのです。アリーは扉を鳴らしました。コンコン、コンコン。
少し変でした。四回目でやっと、扉が開きました。迎えてくれたメイドは、エプロンで涙を拭っています。小さなアリーは、どこか痛いの?とたずねましたが、メイドは何も言わずにアリーの肩にそっと手を置いただけでした。
いつものように小さなエプロンを取りに行こうとしたアリーを、今日はいいのよ、とメイドが引き止めました。そして、アリーをグレーン氏の寝室へと連れてゆきました。
寝室は穏やかな春の光が差し込み、とても柔らかく見えました。窓辺の花は昨日アリーが摘んできた花で、陽射しに柔らかく溶け込む様子を見てアリーは少し誇らしく感じました。
メイドが、そっとアリーをベッドへと促しました。アリーがベッドに近づくと、そこにはグレーン氏が目を閉じて横たわっていました。
アリーはまた、少し変だな、と思いました。これまで一度だって、グレーン氏がアリーがお屋敷に来る時間まで眠っていたことなんてなかったからです。
アリーは考えました。そして、気づきました。
これは、お別れの朝なんだ、と。グレーン氏は、あの神様達の世界へ、永遠に旅立っていったのだ、と。
小さなアリーは小さく小さく泣きました。もうグレーン氏には会えないし、アリーの想像の冒険の物語を一緒に作って喜んでくれる人はいません。
めずらしいお菓子や、そっと握らせてくれたお小遣いや、押し花のしおりのコレクションや、そういった宝物のひとつひとつを思うと涙ばかりがこぼれてきました。
三つ編みを揺らして泣くアリーを、メイドたちはみんなでなぐさめてくれました。そして、本当はいけないことなんだけど、と言って、アリーにあの小さな皮の手帳を持ってきてくれました。アリーは、よくなめされたその皮の表紙を少し撫でて、そっとページを開きました。そこには大好きなグレーン氏の温かくてひょうきんな文字や、翼を広げた竜や巨人、精霊達の想像の絵がびっしりと書き込まれていて、アリーはそれを大切に胸に抱きました。
グレーン氏は大変な資産家だったので、これから大人たちが集まって色々と話し合いをするんだよ、とひとりのメイドが言いました。遺言書、という言葉もアリーは初めて聞きました。
大人たちはグレーン氏の価値のあるコレクションや莫大な資産を奪い合うというけれど、アリーはそんなものよりもこの小さな皮の手帳と、できれば押し花のしおりのコレクションが欲しいと言いました。メイドは泣きながらアリーの頭を撫でて、黙っててあげるから持って行きなさい、と言って押し花のしおりのコレクションも持たせてくれました。
頭を撫でられて、アリーはまたグレーン氏を想いました。グレーン氏の大きくてふくよかな手を想いました。そして、そっと目を閉じました。
時がたって、お屋敷は違うお金持ちに売り渡されました。
アリーは学校に通う年齢になっていて、赤毛の三つ編みも腰まで伸びていました。
あの噴水にはもう行けないけれど、アリーには小さな皮の手帳がありました。その手帳を開けば、いつでもあの神様達の世界へ冒険に出ることが出来たし、いまやその世界にはあの日のままのグレーン氏がアリーを待ってくれているのでした。いつでも冒険を始められるように、アリーは押し花のしおりを手帳に挟んで使いました。小さかった頃の自分の手で書かれた”おつかれさま”の文字と小さな押し花は、想像の冒険を終えて帰ってきたアリーを心地よく迎えてくれるのでした。
アリーの思い出を、第三者の目線から淡々と書き綴るようにしてみよう、と思って書いたお話でした。童話を書いてみたい、という気持ちがずっとありましたが、実際に書いてみようとするとなかなか難しくこれからもどんどん挑戦していこうと思います。