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婚約破棄は完了しました、聖女さま。あなたの悪事は完璧です。  作者: 桐山なつめ


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第7話 愛しているからです

 屋敷に戻ったわたしは、自室の化粧台の前で、

 広げた教科書に視線を落としていた。

 背後では、ロビンが銀の櫛を手にし、流れるような手つきでわたしの髪を静かに梳いている。


「こんな薄暗いなかで書物を読めば、目を悪くされますよ」


 ページを捲る手を止め、鏡越しに背後のロビンを鋭く一瞥した。


「明日は女神崇拝の朗読があるのよ。

 アルコ語の講義に、魔法医学の中間試験……

 課外授業の予習だってしておかなくちゃいけないわ」


「祝福祭が終わったばかりなのですから、少しはお体を労っては。

 根を詰めすぎると、倒れてしまいますよ」


「学年首位の座は、何が何でも死守しなくちゃならないの。

 ……わたしは、王太子妃になるんだから」


 その言葉を口にした瞬間、櫛の動きがぴたりと止まった。


「なに」

「いえ」

「言いたいことがあるなら言えばいいじゃない」


 沈黙が返ってくる。

 ロビンは薄暗い室内で、鏡の中に映るわたしの瞳を、じっと見つめるばかりだ。

 無言の圧迫感に、苛立ちが胸の奥でじりじりと熱を帯びていく。


「……むかつく。もう髪はいいわ、向こうへ行って」

「承知いたしました」


 彼は深々と頭を下げ、迷いなく身を引く。

 鏡越しに、遠ざかるその背中を睨みつけた。

 やり場のない感情をぶつけるように、教科書を乱暴に閉じ、深く息を吐き出す。


「あんた、見てたんでしょ?」


「……」


「アリスの自滅に、あのバカ王子のプライドの高さ。

 おかしくて堪らなかったわよね。

 あの令嬢たちだって、身の程をわきまえずにお節介を焼くからああなるのよ。

 貴族って、どいつもこいつもバカしかいないのかしら」


 嘲笑を並べ立てても、壁際に控えるロビンは黙りこみ、身動ぎひとつしない。


「少しは同調しなさいよ」

「それはご命令ですか」

「そんなわけないでしょ」

「失礼いたしました」


 わたしは椅子から立ち上がり、ゆっくりと振り返る。

 真正面からきつく睨みつけても、彼は微動だにしない。


「今夜は、お疲れのご様子ですね。

 お心が鎮まる香を焚きましょうか」


「勝手にすれば」


 吐き捨てるように言い、わたしは重厚なソファに歩み寄って身を沈めた。

 クッションを抱き込んだまま、長く重い吐息を漏らす。

 淡々と香の準備を始めるロビンの背中を眺めていると、

 いつの間にか大人びたそのスラリとした体躯に目が留まった。


(……背、高くなったわね)


 ロビンは、十年前に養父である男爵が拾ってきた孤児だ。

 よほど酷い目に遭ってきたのか、屋敷に来てからも長い間、

 心を閉ざしたまま一言も口を利かなかった。

 

 けれど、わたしが世話をしてやったおかげで、

 一時期は明るさを取り戻していた。


(なのに、逆戻りしてるじゃない)


 もう久しく、あの笑顔を見ていない。

 あいつが心から笑ったのは、一体いつのことだったか。


 いつしかわたしは民を導く聖女となり、

 ロビンはその影に徹する従者となった。


 それなのに、この男は身分もわきまえず、わたしを愛しているなどとのたまう。

 わたしの野心や弱みに付け入り、契約の対価として結婚を迫ってくる。

 その計算高さと傲慢さが、何よりも気に入らない。


(素性も知れない従者と結婚なんて、冗談じゃないわ)


 クッションに顔を深く埋める。


(……わたしも、同じだけど)


 ――これは、ルイーズ家が絶対に明かせない禁忌。


 筆頭聖女として崇められるわたしもまた、その実は貧民街で泥を啜っていた孤児なのだ。

 ほんのわずかな治癒能力があったがために、

 貴族の駒として、この家に拾い上げられたに過ぎない。


 本当の親の顔も、名前すらも知らない。

 無償の愛情なんて、物語の中の絵空事だ。


 感情を殺したルーティーンの中で、家庭教師たちの容赦ない体罰を受け、

 毎日死ぬ思いで研鑽を積んだ。

 美しいドレスも宝石も、地を這うような努力の報酬でしかない。

 楽しい思い出など、記憶のどこを掘り返しても見当たらなかった。


 だから、育ての親である男爵夫妻に対しても、欠片ほどの情も持ち合わせていない。


(この家がどうなろうと、知ったことではない)


 もしわたしが価値を失い、不祥事を起こせば、

 彼らはゴミ屑のようにわたしを切り捨てるだろう。


 ――逆もまた、然り。


 だからこそ、アリスのような女が目障りなのだ。

 輝かしい名門に生まれ、高貴な聖女の血を引き、天賦の才とも呼べる絶大な聖力を持っている。

 美貌も名声も、そして王太子エドワードからの愛さえも。


 持てるすべてを享受しながら、それを当然の権利として自覚せず生きているあの女が憎たらしい。


 至高の王冠は、わたしのような「持たざる者」が、血を吐く思いで掴み取るべきものだ。


 ロビンから契約を持ちかけられた時、最初は半信半疑だった。

 地方の下級貴族の養女が、王太子妃の座に就くなど、本来なら夢物語だ。


『やれるもんなら、やってみれば?』


 その場の勢いで結んだ契約。

 まさか、これほどまでに完璧に遂行してくるとは思わなかった。


「……どうしてあんたは、あんな契約を持ちかけたのよ」


 不意にこぼれた問いに、ロビンが香炉を置く手を止めて振り返る。


「ご説明したはずです。あなたを妻にするために……と」


「そんな理屈、聞いてないわよ。こんな悪女を妻にしたがるなんて、

 物好きにも程があるわ。女の趣味が悪いんじゃない?」


 ロビンの眉が、ピクリと静かに跳ねた。

 けれど、返る声のトーンに揺らぎはない。


「そうかもしれませんね」

「少しくらい否定しなさいよ」

「あなたを前に、嘘はつけません」

「ほんっとむかつく。わたしの、どこがいいっていうの」


 ロビンは答えず、ただじっとわたしを見つめている。


「もしかして、同じ境遇だから釣り合うとでも思ったの?」

「生まれなど、ただの記号に過ぎません」

「じゃあ、なんでよ」

「あなたを、愛しているからです」


 心臓を貫かれたように、一瞬、息が止まる。

 ソファの肘掛けを、剥がれんばかりに爪で強く引っ掻いた。


(やめてよ)


「軽々しく、そんなこと言わないで」

「私の言葉は、信じられませんか」


 わたしはたまらず視線を逸らし、わざと嫌味たらしく言い放った。


「うるさい。どんなに言われたところで、

 十回目の命令だけは、絶対にしないからね」


 ロビンは、何も言わずに沈黙を守っている。

 その静寂が、かえってわたしの心を激しく荒立たせた。


「……八回目の命令よ」


 わたしは顔を上げ、逃げ道を塞ぐようにロビンを真っ向から見つめる。

 彼もまた、背筋を伸ばし、わたしの視線を受け止めた。


「【エドワードを跪かせたうえで、結婚を誓わせて】」


 ロビンの赤い瞳が、暗い水底に沈むように光を失っていく。


「……承知致しました」


 この男に情なんてない。


 ただ有能な道具だから傍に置いているだけ。

 使えるものは、すべて使い切ってやる。


 しかし、その直後。


 ロビンは自身の手の甲に、鋭く爪を立てた。

 その傷口から、みるみるうちに赤く血が滲んでいく。


「なっ……何してるのよ、あんた!?」


 わたしはソファから転がるように立ち上がり、

 駆け寄って彼の細い手首を掴んだ。


「やめろって言ったでしょ!」


 わたしの震える声で、ロビンはようやく己の行いに気付いたようだった。

 自傷の痛みなど感じていないかのような表情で、

 血に染まる自身の手の甲を凝視するわたしを、静かに見つめ返してくる。


「申し訳ございません」


 掴んだ手首から、ロビンの激しい鼓動が生々しく伝わってくる。

 そのあまりの熱さに、反射的に手を離した。


 忌々しく思いながらも、手のひらをかざして詠唱を紡ぐと、

 淡い光が傷を包み、瞬く間に裂傷が塞がっていく。


 わたしは、重たいため息をついた。


「ねえ、これで何回目? 

 わたしの聖力は、あんたごときに使っていいもんじゃないのよ」


「はい」


「二度としないで頂戴。次は治さないからね」


「肝に銘じます」


 命令を受け入れ、治癒したばかりの手の甲を所在なげに撫でる。

 視線を落とし、睫毛を伏せたロビンの横顔が、なぜかひどく――悲しそうに見えた。


(……何よ)


 何で、そんな顔をするのよ。

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