第5話 虚飾の祝福祭
聖女は、メリオール国の象徴である。
聖なる力を宿した者は、この世を創造した女神の加護を受けた証にほかならない。
半年に一度、王都の広場で執り行われる「祝福祭」。
世界各国から女神を信奉する者たちが集い、聖女たちから病を祓う施しを受ける。
空からは色とりどりの花びらが舞い散り、
街全体が狂乱に近い賑わいに包まれていた。
誰が最も強大な力を持つ聖女なのか――。
ここは各国の王族や貴族たちが、
未来の王妃に相応しい「器」を見定める品評会の場でもあった。
(主役は、このわたしだけど)
美しい純白のドレスに身を包み、薄いベールを揺らしたわたしは、
大勢の『侍女』たちを従え、広場中央の台座に腰を下ろした。
筆頭聖女。
長い歴史の中でも、成り上がり男爵の令嬢がこの座を務めるのは稀有なことだ。
本来であれば、王族や上級貴族の血筋が独占するはずの聖域。
(半年前までは、ずっとアリスのものだったけど)
今や台座に座るわたしの傍らで、彼女は強張った表情で俯き、
重たい聖水の壺を抱えて膝をついていた。
ちらりと視線を上げれば、上級貴族に混じって、
わたしの育ての親である男爵夫妻が鼻を高くして優越感に浸っている。
その卑俗な視線に反吐が出る思いを抱きつつも、
慈悲深い微笑を湛えたまま、表情は一切変えない。
(……)
夫妻の隣には、ロビンが立っていた。
主人に付き従う従者としての分をわきまえながらも、
その赤い瞳だけはじっとこちらを射抜いている。
わたしは澄ました顔で、侍女たちに癒やしの儀を始める合図を送る。
すると群衆の中から、案内人に導かれるまま、
一人の老人が進み出てくると、わたしの前に跪いた。
「聖女さま。長年、魔物からの呪いが解けず、体はもう限界です。
どうか、ご加護を――」
震える体には黒い痣が浮かび、不浄な瘴気を漂わせている。
しかし、痩せ細ってはいても、その装いは豪奢そのものだ。
筆頭聖女であるわたしに直接治癒を請える立場なのだから、
相当な有力者に違いない。
わたしは襟元を正すふりをして、衣服の下に隠したペンダントに指先で触れた。
祈りを捧げる仕草で、自然に胸の前で指を組む。
――このペンダントに嵌まっている石だけは、
死んでも誰かに悟られるわけにはいかない。
「母なる女神よ。不浄なる穢れを拭い、安寧をここに」
詠唱とともに、まばゆい光が溢れ出した。
見る間に老人の体からどす黒い痣が消え、邪悪な呪詛の気配が霧散していく。
「おお……っ!」
地鳴りのような歓声が上がった。
「流石は聖女様だ!」
「あれほどの呪いを、これほど容易く……!」
彼は自身の体を隅々まで確かめると、地面に全身を擦りつける勢いで跪いた。
「ありがとうございます、聖女様……。長年の痛みが、嘘のようです……」
「いいえ、滅相もございません。お顔の色が良くなられて何よりですわ」
「ああ……! 実にもったいないお言葉にございます!
このご恩、生涯忘れることはございません」
わたしを見上げるその表情は、法悦に浸っている。
「これは……私なりの、せめてもの誠意にございます。どうかお納めください」
そう言って指から見事な指輪を抜き取り、侍女役のアリスへ差し出した。
しかし、アリスがその指に触れた、その瞬間――。
「うっ……!」
アリスが短い悲鳴を上げた。
驚いた老人が、指輪を取り落とす。
カラン、と石畳を叩く硬質な音が響き、周囲の者たちが一斉に息を呑んだ。
「あら……大丈夫ですか? アリス様」
「……は、はい。申し訳ございません」
すぐさま、冷ややかなどよめきが伝播していく。
「アリス様ったら……聖女の力に触れただけで、あんなに拒絶反応を」
「それほどまでに力を失っておいでだなんて」
「やはり、非道な行いは女神様のお怒りを買うのね」
アリスを嘲笑し、非難する声が容赦なく降り注ぐ。
しかし、彼女はただ俯いたまま、震える手で石畳を見つめていた。
指輪は別の侍女がそそくさと回収し、何事もなかったかのように次の者が呼ばれる。
(……バレたかしら?)
わたしは突き抜けるような不安を抑え込むように、奥歯を噛み締めた。
しかしアリスは青白い顔で体勢を整え、再びわたしの傍らで膝をつく。
――気付いた様子はない。
何事もなかったかのように儀式は再開される。
背中を、冷たい汗が伝っていった。
(危なかった……)
一瞬のことだったから、気づかれてはいないようだ。
今のは――力の反発だ。
ロビンへ下した、二回目の命令。
『聖女の力を補助する魔法石を、どこかの貴族の館から盗んできて』
翌日には、あの悪魔はこのペンダントを手に戻ってきた。
小さく息をつく。
胸元のペンダントに収まる魔法石――
『琥珀の聖心』は、本来アリスのものだ。
盗まれた事実は、マクレイン家の名誉のために伏せられている。
国宝級の魔法石を紛失したなどと知れれば、国中から突き上げを食らうだろう。
だからこそ、彼らは今も必死に水面下でこの石を捜索している。
本来、アリスには類まれなる才能があった。
だが、マクレイン家に伝わるこの石は、
持ち主の魔力を何十倍にも増幅し、清める『聖女の核』。
それを失ったアリスは、自身の強すぎる力を制御できずに自滅し、
今や序列最下位にまで堕ちた。
(あんたが悪いのよ。そんなに大事なものなら、しっかり管理しておかないから)
本来、わたしにこの石を持つ資格はない。
だからこの力は期限つきだ。
あと数年も経てば、この石は過負荷に耐えきれず砕け散るだろう。
(それまでにエドワードと結婚して、世継ぎを産めば、何の問題もない)
結婚さえすれば、すべてうまくいく――。
「クローディア様は、素晴らしいですね」
突然かけられた声に、心臓が跳ね上がった。
気づけば、アリスが悲しそうな瞳でわたしを見上げていた。
「クローディア様は、聖女の血筋ではございませんのに。
これほど完璧な詠唱をなさるなんて
……血の滲むような努力をされたのでしょう?」
「……え、ええ。まあ」
(思い出したくもない日々だったわ)
「……本物の女神様ですわね。聖力が、あまりにも大きいですもの」
アリスは自嘲気味に微笑んだ。
(……石で無理やり増幅させているからよ)
「女神様に見放されて、力を失い……ようやく悟りました。
私はマクレインの娘であり、
ネッドに愛されていることに慢心していたのだと」
「……」
「だからきっと、どなたかの恨みを買ってしまった。
身に覚えのない噂を流され、クローディア様にも
多大なるご迷惑をおかけしてしまいました」
その琥珀色の眼差しが、
観覧席からわたしたちを見下ろすエドワードへと向けられる。
エドワードはアリスの視線に気づくと、気まずそうに顔を背けた。
しかし、彼女は視線を逸らさない。
「あの人に、いつかまた振り向いてもらうために、一から精進いたしますわ」
アリスはわたしに向き直ると、一点の濁りもない笑みを向けてきた。
その清々しさに、わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。
(……まだ諦めないっていうの?)
わたしたちを見守っていた『侍女』たちが、
アリスの笑みを目にしたことで、困惑したような……
あるいは同情的な目配せを交わし合う。
空気が、確実に変化している。
――まずい。
「素晴らしいのは、あなたですわ、アリス様。
わたし、感激いたしました」
「……え?」
「アリス様のお気持ち、しかと受け取りましたわ。
殿下とお話しになりたいのでしたら……わたしに協力させてくださいませ」
アリスが、驚いたように息を呑む。
「今夜、学園の礼拝堂へいらして。
わたしが殿下をお連れいたしますわ。
そこで、お二人きりでお話しになればよろしいかと」
「……どうして、そこまでしてくださるのですか?」
「わたしは聖女ですから。女神様の慈悲を体現するのが務めですわ」
「あっ……! ありがとうございます、クローディア様……!」
アリスは声を震わせ、満面の笑みを浮かべた。
そのまま、彼女は群衆に目を向ける。
その視線の先にいたのは、今もなおアリスを支えている、あの二人の令嬢。
会話の内容までは聞こえずとも、
遠巻きに映るわたしたちの親密な様子に不信感を抱いたのだろう。
互いに顔を見合わせながら、不満げに目を細めていた。
わたしは、ロビンを見上げる。
彼はまるで標本でも観察するかのような冷徹な眼差しで、
令嬢たちを見つめていた。
不意に、その赤い視線がわたしへと流れる。
感情が失せたような、底の知れない瞳。
けれど、すべてを読まれている気がして、ぞっと鳥肌が立つ。
(わたしがこうやって動くって、分かってたみたいな顔ね)
ドレスの裾の下で、白くなるほど拳を握りしめた。
(七回目……きっちり、やってもらおうじゃない)




