第14話 あなたの悪事は完璧です。
「なんなのよ……」
喉の奥に溜まったものを吐き捨てるように、低く呟いた。
胸の内側がざらついて、息がしづらかった。
乱れたドレスも整えないまま、ゆっくりと立ち上がる。
足元に落ちた髪飾りが鈍く光ったが、拾い上げる気にもなれない。
壁に掛けられた銀の鈴へ手を伸ばす。
力を込めすぎて、澄んだ音色が荒々しく室内に響き渡った。
ほどなくして、音もなく扉が開く。
「どうされました、クローディア様」
ロビンが、いつもと変わらない静かな様子で入室してきた。
久しぶりに正面から見るその顔は、相変わらず感情の読めないままだ。
視線で合図を送ると、彼は一瞬だけ眉を顰め、それでも歩み寄ってくる。
わたしは胸元に手を伸ばした。
躊躇いなく、引き千切るようにしてペンダントを外すと、
ロビンの手のひらへ、力任せに押し付けた。
「これは?」
「ちょっと借りていただけ。返してきて」
「……クローディア様?」
問い返す声を遮るように、背を向ける。
結い上げられていた髪を、苛立ちのまま指で掻き乱した。
飾りが床に落ちる乾いた音が、やけに大きく響く。
「全部、自白するわ」
「何を仰っているのです。……処刑されてしまいますよ」
「そうね。国一番の悪女ですもの」
淡々と口にしたはずなのに、
背後の空気が、目に見えるほど張り詰めた。
ロビンが息を呑んだ気配が、はっきりと分かった。
「……だめです」
初めて、荒い靴音が床を打った。
「それは。それだけは」
「……」
次の瞬間、視界が揺れる。
ロビンが一気に距離を詰め、わたしの両肩を掴んで向き合わせた。
骨が軋むほどの、力。
「それなら、ぼくがしたことだと言ってください。すべての罪は、ぼくのものだから」
「ロビン。わたしとあんたは共犯なのよ」
「ちがう!!」
耳を劈くような絶叫。
壁がぴり、と震えた気さえした。
「あなたは何もしていない!
共犯なんかじゃない、悪いのは全部ぼくだ。
ぼくが全部やったことだ! だから――」
「馬鹿なことを言わないで。同じ地獄を這う悪魔でしょ」
ロビンは奥歯を噛み締め、赤い瞳を震わせていた。
抑え込んできたものが、堰を切ったように滲み出ている。
「ぼくは、あなたを死なせるためにこんなことをしたんじゃない!」
血の気の引いた顔。
取り繕う余裕すら、もう残っていないのだろう。
「……あんたも、そんな顔をするのね」
「クローディア!」
わたしは彼の手を振り払い、青白く屍人のようになった頭に、そっと指を伸ばした。
子供の頃と、同じ仕草で。
「悪魔は最後に笑って消えるもんなのよ」
ロビンは何か言いかけて、口を閉ざす。
言葉に追いつかないまま、表情だけが遅れて強張った。
わたしはロビンの顎を掴み、逃げ場を塞ぐように引き寄せる。
冷え切った耳元に、唇を寄せた。
声は低く、刺すように。
「【国外逃亡を成功させて】――十回目の命令よ」
ロビンが、唖然として瞬きをする。
「それって」
わたしは答えない。
彼の耳元に手を伸ばし、主従の証であるピアスを外す。
続けて秘薬を取り出し、指先で潰した。
砕けたそれは、抵抗ひとつ残さず、跡形もなく消えていく。
その光景を見届けてから、わたしは口元を緩めた。
「この賭けは、あんたの勝ち。――結婚しましょう、ロビン」
◆ ◆ ◆
数日後。
三等列車は、見知らぬ夜の荒野を軋むような音を立てて走っていた。
薄汚れた革張りの座席は冷え切っていて、腰を下ろすたびに、じわりと硬さが骨に響く。
かつて身に纏っていた豪奢なドレスの感触が、遠い記憶のようだった。
「……国外逃亡なんて、散々よね」
呟いた声は、列車の振動に溶けていく。
「ま、それだけのことをしちゃってるからね」
隣に座るロビンが、わずかに肩を揺らして笑った。
その口調は、取り繕った従者のものではない。
幼い頃、同じ部屋で夜をやり過ごしていた頃の気安さが滲んでいた。
「本当に逃げ切れるんでしょうね?」
窓の外へ視線を投げる。
月明かりに照らされた風景が、延々と後方へ流れていく。
「平気だよ。追われる余地は残してない。
……どうせ、ぼくらは名無しだ。
名前さえ変えれば、どこへでも紛れ込める」
淡々とした声。
けれど、その言葉には迷いがなかった。
「簡単に言ってくれちゃって。
……あんたがそう言うなら、そうなんだろうけど」
背もたれに身を預け、息を吐く。
車内を見回すと、他の乗客の姿はまばらだった。
向かいの席では、毛布を被った男が浅い寝息を立てている。
通路を挟んだ先には、年老いた女が身じろぎもせず、
窓の闇に溶け込むように座っていた。
誰も、こちらを気に留めていない。
深夜の三等列車は、目的地を持たない者たちを乗せたまま、
ただ同じ揺れを繰り返している。
「無事に、婚約は解消されているのかしら」
「エドワードはアリスに執着していたから。
誤解さえ解ければ、掌を返したように縋りつくでしょ」
その言い方には、嘲りも同情も混じっていない。
事実を事実として述べているだけだった。
「……あっそ」
その直後、車内販売のワゴンが、金属音を立てて通り過ぎた。
ロビンは迷いなくそれを呼び止め、新聞を一部買い求める。
追われる立場になるかもしれない男の所作とは思えないほど、落ち着き払っていた。
その堂々とした背中を見て、
わたしは思わず、呆れたように小さく笑ってしまった。
ロビンは新聞を広げ、目を細めて文字をなぞる。
「――あ。もう王子とのこと、記事になってる」
心臓が跳ねた。
「うそ。なんて書いてあるの?」
飛び上がるように、ロビンの腕に縋りつく。
だが彼は答えない。
黙々と紙面に目を走らせ、やがて、ふっと口角を上げる。
そのまま新聞を折り畳み、何事もなかったかのように鞄の中へ押し込んだ。
「ロビン?」
「……」
それから、ほんの一拍。
彼は答えず、視線だけを落とした。
赤い瞳が、わたしの左手に留まる。
揺れる列車の振動の中で、
彼は何かを確かめるように、短く息を吐く。
そのまま、鞄から小さな木箱を取り出した。
留め具が外れる音が、列車の揺れの中で不意に大きく聞こえた。
そして、戸惑うわたしの左手を取る。
指先が触れ合ったまま、動きが止まった。
わたしが抗わずにいると、薬指に一本の指輪が、静かに滑り込んだ。
「良かった。ぴったりだ」
ロビンは、静かに微笑んだ。
「……」
その笑顔は、かつて絵本の続きを
せがんでわたしを見上げていた、あの頃の少年のままで。
自分の指先を、窓から差し込む月光にかざす。
小さな宝石がささやかに輝いている。
ロビンがわたしのために、
長い時間をかけて、給金を貯めて買ったもの。
刻まれた愛の言葉も、すべてが本物だ。
指でその刻印をなぞっていると、自然と視界が滲んでいった。
「綺麗ね」
ロビンの腕が、わたしの肩に回る。
かつての痩せっぽちな少年ではない、
逞しく成長した腕の力強さと体温が伝わる。
胸元に広がる火傷の痕。
自らの体で毒を実験した注射痕。
ペンを握り続けて膿んだ指。
しかし――手の甲に、もう自傷の痕はなかった。
視界が掠れ、滲む。
わたしの目から、ぽたりと温かいしずくが零れ落ちた。
「ごめんなさい」
ロビンは何も言わずにわたしの肩を抱く。
そのまま耳元へと顔が寄せられる。
息が触れるほど近くで、淡々と……甘く、囁く。
「婚約破棄は完了しました、聖女さま。――あなたの悪事は、完璧です」




