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婚約破棄は完了しました、聖女さま。あなたの悪事は完璧です。  作者: 桐山なつめ


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第12話 九回目、成功。――栄光の鏡

「――殿下、残念ながら。

 マクレイン伯爵家の琥珀の聖心(アンバー・コア)は、

 アリス様の手によって売却の手続きが進められていたようです」


 石造りの会議室。

 王城の奥深く、外界の光も音も遮断するように造られたその空間には、

 国王代理としてのエドワード、騎士団長、数名の高名貴族、

 そして証人として呼び出されたアリスが居並んでいた。


 分厚い壁に囲まれた室内で、

 騎士団長の無機質な報告だけが、冷たく響き渡る。


 長机の上には、蝋封を解かれた数枚の書面が整然と並べられていた。

 ロビンが捏造した――決定的な証拠たち。


 売却の指示書。

 聖女アリス本人が密かに認めたとされる署名。

 筆圧、傾き、そして彼女特有の「s」の跳ね方まで、

 驚くほど精微に模倣されていた。


(……悪魔ね、あいつは)


 わたしはエドワードの隣、

「婚約者」という立場を示す距離に腰を下ろし、

 いたわしげに視線を伏せていた。

 胸の底には、ぞくりとする達成感が広がっていく。


 琥珀の聖心(アンバー・コア)は今、わたしの服の下。

 この場にいる誰にも気取られぬよう、

 無意識に指先が伸びそうになるのを、ぐっと堪える。


 対するアリスは、長机の向こう側に立たされたまま、

 誰の助けも得られず、言葉を発することもできずに震えていた。


 ――所持していないことは、証明できない。

 否定の言葉は、最初から届かない。


「……待ってくれ。本当に、彼女が書いたものなのか?」


 エドワードの声が、かすかに揺れた。

 彼は縋るように書面へ手を伸ばす。


「アリスが、俺を……この国を裏切るなど……」


 この男の胸に残っていた、最後の一縷の迷い。

 わたしはその隙を逃さず、エドワードの手に、

 そっと自分の手を重ねた。


「殿下……そのお優しさが、

 アリス様を慢心させてしまったのかもしれません。

 清らかな殿下を欺くために、彼女がどれほど周到に、嘘を重ねてきたか……

 そう思うと、わたくし、胸が張り裂けそうです」


 慈悲を装った言葉は、ゆっくりと、

 しかし確実にエドワードの心を削る。

 彼の表情から、生気が抜け落ちた。


「……そうか」


 アリスは、黙ってエドワードの言葉を待っていた。


「……アリス・マクレインの聖女としての全権限を剥奪する」


 エドワードの、冷酷な宣告。

 騎士たちが一斉に動いた、その瞬間。


 アリスが、身動ぎした。


「……ネッド。私のことを、信じてはくれないのね」

「もう、その名で呼ぶな」


 鋭く、短い拒絶。

 彼女は息を呑む。

 そしてゆっくりと、寂しそうに目を伏せた。


「最後に一つだけ」

「……何だ」

「あなたは……本当に、クローディア様を心から愛しているの?」

「は?」


 その問いに、エドワードの眉が、不快げに跳ね上がる。

 彼は一瞬、躊躇したようにわたしを見た。

 しかし、まるで自分に言い聞かせるように、

 力任せにわたしの肩を抱き寄せると、冷たく言い放った。


「もちろんだ」

「……それが、あなたの幸せ?」

「当たり前だろう。

 クローディアは、俺を信じ、救ってくれた。

 彼女こそ、この国を導く真の聖女だ。

 女神から見放されたお前とは違う」


「そう……」


 力なく視線を落とし、アリスは糸の切れた人形のように跪いた。

 琥珀色の瞳から、静かに光が失われていく。


 騎士たちによって連れ去られていく背中を見送りながら、

 わたしは勝利の余韻に浸ろうとした。


 ――だが。


 エドワードに抱かれた肩は、ひどく冷たい。


「愛している」と口にしたこの男は、

 わたしの正体を、何一つ知らない。


 魔法石を盗んだことも、

 元婚約者の友人を唆したことも、

 毒を盛ったことも。


 貧民街で、どんな子供時代を生きてきたのか。

 どんな日々を耐え抜いてきたのか。

 本性が、国一番の悪女であることも。


(わたしの本当の名前すら)


 ――知っているのは、あの……。


 あの悪魔の顔が、一瞬だけ閃く。

 

 いや、大した問題ではない。

 

(王冠さえ、手に入ればそれでいい)


 ――それこそが、わたしの望みなのだから。


 ◆ ◆ ◆


 夜の静寂が、私室を支配する。

 

 化粧台の前で、丁寧に髪を梳いていると、

 背後の扉が規則正しく叩かれた。


 「どうぞ」


 許可すると、音もなく扉が開く。

 影の中から滲み出るように踏み入ってきたのは、ロビンだった。


「……九回目、成功ですね」


 鏡越しの再会。


 無表情のままの彼は、輪郭すら闇に溶けてしまいそうだ。

 けれど、血のような赤い瞳だけは、闇の中でも爛々と輝いている。


「ええ。ご苦労さま。

 あのアリスの筆跡……見事だったわね。

 いつの間にあんなものを?」


「……彼女が修道院へ送ろうとしていた

 私的な書簡を、いくつか盗みました。

 数千回もなぞれば、指が勝手に覚えるものです」


「すごい執着ね」


「あなたを手に入れるためです」


 わたしは櫛を動かす手を止めた。

 そして、鏡越しに笑ってみせる。


「お生憎様ね、ロビン。

 わたしは、あんたが夢を見る相手じゃないのよ」


「……」


 返事がなく、振り返る。


「……望みすぎました」


 掠れた声だった。


 深く一礼すると、彼は再び影と同化するように去ろうとする。

 その手の甲に、引っ掻いたような新しい傷跡が見えた。


「あ……」


 思わず呼び止めようとした自分の声を、

 喉の奥で押し殺す。


(何してるの、わたし)


 もうどうでもいい。

 関係が切れた以上、あの傷を治してやる理由も、義務もない。


 わたしは悪女として、誰よりも完璧に立ち回った。

 望んだものはすべて手に入る。


 アリスは失脚し、

 エドワードはわたしのものになり、

 悪魔は去った。


 ゆっくりと腰を上げて、豪華な姿見の前に立つ。

 

 映るのは、月光を反射して白く輝く、

 最高級のドレスと宝石に彩られた「聖女」の姿。


 完璧な、偽物。


 にこりと、微笑んでみる。


(わたし……)


 思わず息を止めた。


(こんな女だっけ……)

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