第1話 婚約破棄は完了ね、ざまあみろ。
「アリス・フラン・マクレイン。
貴様は、これまでの数々の悪事により、
王太子妃としての品格を著しく欠いていると断じる!」
舞踏会の場。
多くの貴族が集う広間。
シャンデリアの冷たい光が、大理石の床に白く反射している。
「特に、我が愛すべきクローディア嬢に対する陰湿な嫌がらせの数々は、到底看過できるものではない。
このような卑劣な魂の持ち主を、次期王妃の座に据えるわけにはいかない!
よって、この私、第一王子エドワードの名において、貴様との婚約を今この場で破棄する!」
「そんな! 誤解です。何かの間違いですわ!」
絶望に満ちた悲鳴が、高い天井に反響する。
だが、列席する貴族たちは冷ややかに扇で顔を隠し、
誰一人として目を合わせようとはしなかった。
わたしはエドワード王子に肩を抱かれながら、
崩れ落ちそうになるアリスを前に、笑いを噛み殺していた。
(……ざまあみろ)
アリスは母親である伯爵夫人に腕を掴まれ、
逃げるように広間から引き摺り出されていった。
扉が閉まった途端、安堵した貴族たちから礼儀正しい拍手が湧き上がる。
エドワードはわたしと向き合い、手袋越しにこちらの手を力強く握った。
「ありがとう、クローディア。
君のおかげで、俺は王家の名誉を汚す女を排除することができた」
「……いいえ。ですが、アリス様が嫌がらせをなさる方だなんて、
今でも信じられませんわ」
わたしは淑女の教本通りに首を横に振る。
「きっと何か、止むに止まれぬご事情があったのだと思いますが……」
わざと声を震わせ、視線も足元へ落とした。
「……君のような清らかな聖女を怯えさせるとは。
これからは俺が盾となろう。安心してくれ」
その言葉を、わたしは笑顔のまま受け止めた。
「では……今後、わたしと殿下との婚約も……?」
問いかけた瞬間、エドワードの表情がわずかに曇った。
「すまない。
アリスとの婚約は解消するが、君との結婚はもう少し先になりそうだ。
マクレイン伯爵が、教会の寄進を盾にとっていてね。
君の奇跡で、父上たちを黙らせるだけの材料がもう少し欲しいんだ。
……どうか理解してほしい」
「……そうですよね」
(優柔不断で、打算的な男だわ)
結局、わたしの血筋が伯爵家に及ばないことと、援助が尽きるのを気にしているに違いない。
舌打ちしそうになるのをぐっと堪え、か弱い女を演じて声を震わせた。
「……やはり、わたしのような低い身分の者は、
エドワード様の隣に立つ資格がないのでしょうか。
いくら女神様の加護があろうとも……」
「――! そんなことはない。君は王国一の聖女だ。
民衆は皆、君の奇跡を崇めている。父上も教会も、いずれ折れるはずだ」
エドワードは焦ったように声を荒らげ、わたしの手を握る力を強めた。
(アリスを潰したくらいじゃ、王冠までは届かないか)
心中で毒づいた直後、背筋をなぞるような悪寒が走った。
無意識に、視線が逸れる。
――広間の隅、豪奢なベルベットのカーテンの影。
そこに、わたしの従者であるロビンが、身を潜めるように立っていた。
すらりとした長身に、金刺繍の入った碧のジャケット。
貴族顔負けの、端正な顔立ち。
影の中で異様に輝く血のような赤い瞳が、まっすぐわたしを射抜いている。
目が合っても、ロビンは表情一つ変えず、薄い唇をゆっくりと動かした。
「――六回目」
喧騒のなか、その声はわたしには届かないはずだ。
けれど、耳元で囁かれたかのような錯覚に、思わず息が止まった。
わたしは無理やり顔を背け、縋るようにエドワードの腕を掴んだ。
しかし、愚鈍な王子はわたしの指先の震えにすら気づかない。
慈しむような笑みを浮かべるばかり。
喉の奥が、焼けるように乾いた。
(……悪事を命じられるのは、十回まで)
十回目の命令を下した瞬間、
わたしは、あの従者と結婚しなければならない。
それが一年前に交わした、魂を切り売りするような秘密の契約だ。
(もし破れば……これまでの悪事をすべて
あいつに暴露されて、わたしは断頭台行きだ)
華やかな舞踏会の光の中で、ロビンだけが深淵のような静寂を纏い、
獲物を見定めるように、いつまでもわたしを見つめていた。




