初茜(後)
深冬を拾ってから初めて年明けを迎えた。深冬にいくつになったのか聞いたら、十三歳だと言った。章好より十八歳年下だ。十歳くらいかと思っていたが、やせていたせいで幼く見えていただけだったようだ。いまは年相応どころかたまに大人びて見えることもある。
章好は正月を深冬とのんびり過ごしたが、敬は正月も関係なく葉隠の仕事に忙殺されていたらしく、家で敬の姿をほとんど見かけなかった。
三が日が明けて用心棒の仕事に出たが、松の内は金貸し連中も仕事をする気にならないのか、日付が変わるころには帰ってもいいと言われた。今から帰っても深冬は寝ているし、久々に飲んで帰ろうかと思った。だが、居酒屋の明かりを見ても店に入る気になれなかった。今から帰れば朝食の時間に起きられるだろう。一緒に朝食を食べられれば深冬は喜ぶかもしれない。そう思うと、自然と足は宿に向かった。
宿に戻ると珍しく敬がいた。敬の妻は寝ているのか、手酌で酒を飲んでいる。
「仕事はいいのかい、副隊長さん」
「たまには休みも必要だよ。お前こそ、珍しいな」
「金貸し連中も、たまには用心棒を休ませてやろうと思ったらしい。こき使い過ぎてぽっきり折れちゃあ堪んねえもんな」
「それもそうだ」
楽しそうに笑った敬が徳利を振って一緒に飲もうと誘ってきた。居酒屋で飲んでこなくてよかった。
「それにしても深冬ちゃん、いい子だよな。うちのもいつも褒めてる」
「そういうのは本人に言ってやれ。喜ぶ」
「お前が初めて深冬ちゃんをうちに預けていったときなんか、お前の後を追いかけようとするわ、お前が迎えにくるまで起きてようとするわ、なかなか健気なもんだったなあ」
この話は何度も聞かされている。言われなくても深冬が健気なのは分かっている。この話を聞かされるたびに面映ゆい気持ちになって、深冬の頭を撫でてやりたくなる。だが、深冬ももう十三歳なのだからあまり子ども扱いするとむくれてしまうかもしれない。
「それに、深冬ちゃんは綺麗になった」
飲んでいた酒をふきそうになって章好は咳き込んだ。
「お、お前、子ども相手に何言ってんだ!」
「本当のことだろう。もう少ししたら、深冬ちゃん目当てで来る客も出てくるぞ」
敬の言うことは分かる。深冬は女郎屋にいたせいかどこか影があり歳よりも大人びて見えて、そこが深冬を美しく見せていると思う。
何を考えているんだ。頭をかきむしって一気に酒をあおった。敬が声をあげて笑っている。楽しんでいるのだ。
「まあ、章好をからかうのもこのくらいにしようか。なあ、深冬ちゃんと暮らしてよかっただろう?」
敬の問いに章好は答えなかった。黙って猪口を口に運ぶ。
「俺は、怖いよ」
「え?」
「怖い。深冬と暮らし始めてからあの時の夢を見るようになった」
「章好、深冬ちゃんにそのことは」
「話してねえ。話せねえよ」
何が怖いのだろう。自分でもよく分からない。漠然とした恐怖がある。深冬と暮らして、ささやかな幸せのようなものを感じ始めた。それも怖いと思う。こんなことを敬に話すとは、酔っているのかもしれない。
それきり敬はこのことを話題にしなくなった。章好も何もなかったふりをした。
敬はふと思い出したように、深冬をさらおうとしていた連中は警察に突き出したことを告げた。連中の陰にいるはずの洋装の男の正体も行方も分かっていないらしい。反政府組織との繋がりがある可能性も考え、葉隠も行方を探っているそうだ。
その後は他愛ない話をしばらくして、敬と分かれて部屋に戻った。深冬を起こさないように布団にもぐりこむ。深冬の規則正しい寝息を聞いていると安心する。
気づくと章好も眠っていたらしく、外が明るくなっていた。この明るさは朝日の明るさだ。階段を下りて行くと、ちょうど深冬が客に運ぶ朝食の準備を手伝っていた。
「先生、起こしてしまいましたか?」
「いや。昨日ははやく帰ってこられたんだ。だから、一緒に飯を食おう」
深冬の顔が明るくなった。はにかむように小さく頷いて、炊事場に戻って行った。深冬は早朝から宿の仕事を手伝い、仕事が一段落してから朝食をとる。それまでの間、章好は部屋で刀の手入れをして待っていた。
朝食を持って深冬が部屋に入ってきた。一緒に食事をしながら、深冬は章好の様子をうかがっているようだった。今日のおかずも深冬が作ったのだろうか。
「先生」
「ん? 今日の飯もうまいぜ」
「あ、ありがとうございます。あの、何かご入り用のもの、ありませんか?」
「んー、別にねえな。お前、何か欲しいもんでもあんのか?」
「いえ、あの、女将さんが今日の午前はお仕事お休みしてもいいって。それで」
「買い物ついでに外出しよう、ってか」
章好は普段、昼夜逆転のような生活を送っている。深冬に読み書きや剣は教えても、一緒に出かけたことなどほとんどない。深冬の着物は敬の妻のお下がりばかりで、敬に以前深冬にいい着物を買ってやれ、と言われていた。深冬もいつも宿の仕事ばかりで遊びに出かけることもないだろうから、いい機会かもしれない。
「いいぜ。飯を食い終わったら行こうか」
「はい」
朝食を終えると二人で街に出た。小間物屋や呉服屋に入るのは恥ずかしいが、深冬のために寄ろうと思っていた。だが、深冬はちらりと見ただけで入りたそうな素振りすら見せなかった。
二人で出歩くのはほぼはじめてだ。章好が歩けば深冬も歩き、章好が立ち止まれば深冬も立ち止まった。まるで親鳥のあとをついて歩く雛鳥のようだ。
「深冬、欲しいもんがあって出かけたんじゃねえのか?」
「いえ、特に」
「遠慮すんじゃねえよ。そりゃあ高い着物だの櫛だのを買えって言われたら無理だが、たまには好きなもん買ってやるぜ」
普段は放って置きっぱなしだからな、と心のうちで呟く。深冬は遠慮がちに視線をさまよわせてから、章好の着物の袖を引っ張った。深冬に引かれるまま進んで行くとたどり着いたのは書店だった。
「おや、こんにちは」
店の主人とは顔なじみなのか、初老の書店の主は深冬を見てほほ笑んだ。深冬も会釈をして本を眺めている。子どもの好みそうな草双紙ではなく、見ているのは最近はやっているという小説だった。
「今日はお父さんもご一緒ですか。お嬢さん、いつもお使いの帰りにうちに寄って行くんですよ」
主人の言う「お父さん」が、自分のことを指しているとはまったく思わなかったので、主人と目が合うまで気がつかなかった。主人は明らかに章好を見て「お父さん」と言っている。
「は、はあ……、そうですか」
なんと答えればいいのか分からなかったので、適当に相槌をうっておいた。三十一歳と十三歳では親子に見えるのか。
「違います」
主人の話を聞いていたのか、深冬は真剣な顔をして章好と主人を見ていた。
「父ではないです」
「深冬」
手にしていた本を棚に戻し、深冬は店の外に出ていった。何が深冬の気に障ったのか分からなかったが、店の主人に頭を下げて章好も店を出た。
機嫌を損ねたのか、話しかけても深冬は最低限の返事しかしない。機嫌を直そうと甘味屋に連れて行ったが、まだむっつりと黙り込んだままだ。
せっかく二人で外出したのだが、午砲が鳴る前には宿に戻り、昼食後に深冬は仕事に戻った。暇になった章好が母屋に行くと、敬は今日も非番で書斎にいると敬の妻が言うので案内してもらった。
敬に街での出来事を話すと、敬は苦笑した。
「お前ねえ、おれは正月返上で働いてようやく休みをもぎとったってのに、何が悲しくてお前の相談で貴重な午後を潰さなきゃならないのさ」
「悪いと思ってる。だが、俺には分からねえんだよ。昼飯のときだってだんまりだしよ」
「深冬ちゃんが無口なのはいつものことだ」
「そうじゃねえんだよ。まったく、女ってのはがきだろうが女だな。へそ曲げてるくせにだんまり決め込んで、わけを話そうともしねえ。本屋のおやじに俺を父親だと思われたのが嫌だったってのか?」
「分かってるじゃないか」
「分からねえよ。俺と親子だと思われることの何が嫌なんだ? まさか、俺が気づいてねえだけで深冬は俺を嫌ってたのか」
「おい、落ちつけよ。章好は本当に鈍いねえ」
「それじゃあ、敬は深冬が嫌がる理由が分かるのか?」
敬は章好に呆れているのか、大袈裟にため息をついた後に笑った。章好も本気で深冬に嫌われていると思っているわけではないが、深冬の思っていることが分からないため考えすぎてしまうのだ。
「想像だけど、思い当たることはある」
「教えてくれよ」
「深冬ちゃんは、自分の父親は章好ではなくて亡くなった父親だけだと思っているんじゃないか」
「あいつの父親、死んでいるのか」
「だから、想像だって言っただろう。おれだって深冬ちゃんの過去は知らんよ。そもそも、章好が知らないことをおれが知っているわけがない。というか、お前は深冬ちゃんの過去について何も聞いていないのか?」
「聞いてねえよ。俺はあいつに話したくないことがある。だから、あいつが自分から話さないなら聞かねえ」
「深冬ちゃんはお前とは違う。まだ子どもだ。だからこそ、自分ではどうすればいいのか分からない気持ちを、大人に聞いて欲しいこともあると思うがな」
そういうものだろうか。思い返せば、深冬のことを何も知らないのだ。深冬という名前すら、章好がつけたものではないか。
「章好、人と関わり合うことを怠けちゃいけない」
「俺はもともとこういう性分なんでね」
開き直るな、と敬に言われるのとほぼ同時に、書斎の襖ががたりと鳴った。敬が襖を開けると、深冬が廊下で正座をしていた。
「深冬、お前」
「旦那さま、女将さんがお呼びです」
「うん、分かった」
章好は深冬に声をかけようとしたが、用件を告げると深冬は足早に去ってしまった。話を聞いていたのだろうか。聞いていたのだとしたら、どこから聞いていたのだろう。普段ならば襖の向こうに人がいれば気配を察することができるというのに、まったく気がつかなかった。
「まあ、そういうことだ。あとは自分で何とかしろよ、章好」
敬に肩を叩かれ、章好はひとり残された。深冬と話をしようにも、深冬は宿の仕事で忙しく章好と話をする時間などない。それに、避けられているような気もする。仕方がないので、夕暮れまで剣の稽古をして時間を潰し仕事に出た。
夜明け前に仕事を終えて部屋に戻る。深冬は寝ているだろうと思い気配を殺して入ったのだが、正座をして章好を見上げる深冬の姿が薄闇の中浮かび上がった。
「お帰りなさい、先生」
「起きていたのか」
「先生に、謝らなければいけないと思って。昼間は嫌な態度を取ってしまって、すみませんでした」
「いや、別に俺は気にしてねえよ」
嘘だ。敬に相談するほど気にしていた。だが、それは深冬には言えなかった。
「先生、わたしは先生のことを嫌いだと思ったことなんて、一度もありません。それに、わたしの父は本当の父だけだなんてことも」
「そうかい」
やはり深冬は章好と敬の話を聞いていたのだ。それもほぼ最初から聞いていたようだ。
「はい。そもそも、わたしは両親のことを覚えていないのです。どこで生まれたのかも、両親につけられたはずのもとの名前も」
深冬が目を伏せる。薄闇の中でも濃い睫毛がはっきりと見えた。
「物心ついたときには郭にいました。郭の人間には、わたしの両親は物盗りに殺されたのだと聞かされました。わたしを郭に売った人間がそう言っていたそうです。いま思えば、わたしを売ったのはきっと両親を殺した物盗りだったのでしょう」
淡々と語られる深冬の過去に、章好の心はざわついた。座ることもできず、ただその場に立ち尽くして深冬の話を聞いていた。
「郭では、姉女郎たちに手練手管を教え込まれましたし、雑用でこき使われる毎日でもありました。何か失敗をすると、どんな些細な失敗でもひどくお仕置きされました」
膝の上で深冬の手が握り締められる。肩が小刻みに震えているのは、冬の寒さのせいだけではないだろう。
「だから、先生と暮らせて嬉しかった、本当に。こういうことを幸せだというのだと思いました。でも、本屋さんに先生を父だと思われてはじめて気づいたんです。わたしには何もないけれど、先生には本当は大切な存在があって、わたしの存在は、親子だと思われるのは迷惑なんじゃないかって。わたしは先生に甘えているばかりなんじゃないか。そして――」
「深冬」
「すべて失ったくせに、失ったことも忘れて、先生との暮らしが幸せだと思うわたしは、ひどい人間なんじゃないかって」
「もう何も言うんじゃねえ」
これ以上、深冬の悲痛な告白を聞きたくなくて、強く抱きしめた。一年前よりは肉づきがよくなったはずだが、深冬の体は細くて少し力を入れれば折れてしまいそうだった。深冬の涙が章好の胸を重く濡らした。
「先生、わたしどうすれば」
「どうもしなくていい。そのままでいい。お前は『深冬』だ。それでいいじゃねえか」
敬の言うとおりだ。もっと深冬と関わるべきだった。深冬が無口だったのも、どこか影があったのも、言葉にできない気持ちが胸のうちに溜まっていただけだったのではないか。
「俺にも何もねえよ。何もねえんだ」
頭を撫で、背中をさすり、涙を拭う。深冬が泣きやみ、落ち着いても章好は深冬を離さなかった。空が白んできた。夜明けだ。
しばらく章好も深冬も黙りこんで抱き合っていた。先に口を開いたのは章好だ。
「深冬、ひとつ聞いてもいいか」
「はい」
「お前、自分の両親を殺した相手を殺そうと思ったことはないか」
何と答えようか考えているのか、深冬はしばらく答えなかった。
「ありません。わたしは両親のことも、両親が殺されたことも、その相手も覚えていないから。それに、郭の生活の方が辛かった」
「そうか」
「わたしもひとつお聞きしてもいいですか」
「何だ」
「先生のご家族は?」
「死んだ。十年以上前のことだ」
深冬が章好を見上げるように動いた。おそらく、どうして死んだのか聞きたいのだ。だが「ひとつ」と言ったためそれ以上聞いてはいけないと思っているのだろう。仮に深冬に尋ねられても、章好に答えるつもりはなかったが。
深冬に言ったことは本当だ。だが、真実を語っているとは言えない。
章好の生まれは出羽で、両親は章好が十五歳のときに流行病で死んだ。妻は二十歳の時に野党に殺された。
そして章好は、妻を殺した男を自分の手で殺したのだ。




