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初茜(前)

 焼け落ちた村の中、章好は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。見慣れたはずの村が消えた。

 歩みを進めても目に入るのは変わり果てた村人の姿だけだ。見知った顔を見つけて駆け寄っても、鮮血に染まりすでに事切れている。

 頭の中は真っ白だったが、はっとして章好は駈け出した。道場はどうなっているのだ。

 目に入ったのは赤だった。炎の赤。章好の家は燃えていた。

 炎を気にせず家の中に飛び込むと、またしても赤だった。近所の子どもたちが血だまりの中倒れている。殺されたのだ。

 人の声がする。道場の方からだ。道場に通う子どもたちは殺されたが、彼女はまだ生きているのか。

 名を叫んで道場に駆けこむと、振り返ったのは見知らぬ男たちだった。男たちも赤く染まっていたが、それは男たちの血ではない。返り血だ。

 隻眼の男。その男の足もとに白く赤い姿が見えた。


 自分のうなされる声で目が覚めた。目を開けると、深冬がじっと章好を見つめていた。

「おはよう。午砲(どん)は鳴ったか?」

「おはようございます。まだお昼の午砲(どん)は鳴っていませんよ」

 そうか、と呟いて起き出しても深冬の目は章好を追っていた。深冬の目は漆黒だ。どこまでも深く黒く、澄んでいる。その目が何か言いたそうに揺れていた。

「先生」

「何だ?」

「大丈夫ですか?」

「何が?」

「いえ」

 深冬の目が伏せられる。深冬はうなされていた章好を心配しているのだろうに、冷たい言い方をしてしまった。夢のせいで、こんな言い方をしてしまうのだ。

 深冬を怒っているわけではない、と伝えるために深冬の頭を撫でようと手を伸ばした。その瞬間に章好の頭の中に強烈で鮮明な光景が浮かんだ。

 血に染まった道場。

 隻眼の男。

 冷たい体。

 胸に刺さる刀。

 返り血を浴びて赤く染まった視界。

 はっとして伸ばしかけた手を引いた。いま、深冬に触れてはいけないような気がした。触れると深冬を汚してしまいそうに思えたのだ。

「深冬、すまねえな。おかしな夢、見たんだよ。それだけだ。心配いらねえ」

「はい。ご飯の準備、すぐにできます」

 嬉しそうに顔を上げて、深冬は階下におりていった。深冬の嬉しそうな顔を見て、思わず章好の口許にも笑みが浮かんだ。だが、すぐにそんな自分を嘲笑いたくなった。

 夢だ。だが、夢ではない。あれは現実に起こったことだ。忘れるな、と言っているのだろうか。言われなくとも忘れたことはない。

 ただ、逃げているだけだ。

 寝巻から着替えて顔を洗いに階段を下りると、敬の妻に見守られながら食事の用意をする深冬の姿が見えた。敬の妻に教えられて、深冬は料理がうまくなっていた。

 深冬と暮らし始めて三月以上経った。

 はじめのうちは長屋で暮らしていたのだが、いまは敬の家に居候している。家といっても宿屋の二階で部屋をひとつ借りているのだ。もともとは布団部屋だったらしい。その部屋で、深冬とふたり寝起きしている。

 子どもひとりを長屋に残し用心棒の仕事に出るのは心配だったので、いつも仕事に出るときは夕方に敬の妻に深冬を預けていた。仕事が終わった朝方に迎えに行くのだ。

 子どものいない敬の妻は喜んで深冬を迎えてくれたが、何度もそんなことを繰り返すうちに敬から居候の話を持ちかけられた。章好にも深冬にも都合がいいし、日中は宿屋の仕事を手伝わせて深冬に仕事を覚えさせることもできる。敬たちに迷惑をかけるだけだと思い、最初は断ったが、かえって敬に水臭いと怒られてしまった。結果として、敬の厚意に甘えることになってよかった。

 章好の仕事は夜から朝方までだ。その時間、深冬は寝ている。最初は寝ずに待っていたのだが、子どもは寝ろと言い聞かせてから、寝て待っているようになった。深冬が起きる前に章好は帰ってくるが、深冬が起きる時間に一緒には起きない。昼前まで眠らなければ仕事に障りが出る。

 長屋で暮らしていたときは、寝ている深冬を起こして長屋に連れて帰り章好は眠っていたのだから、深冬は暇を持て余していたはずだ。宿屋に居候するようになってからは、章好が寝ている間は宿屋の仕事を手伝っている。

 顔を洗って二階の部屋に戻ると、食事の用意をして深冬が待っていた。章好にとっては朝食を兼ねた昼食が、深冬と食事をともにする唯一のときだった。

 長屋で暮らしているときは食事の前の挨拶などしなかったが、深冬の教育のために今は章好もきちんと手を合わせてから食事をするようにしている。

 皿に盛られた里芋の煮っ転がしを口に運ぶ。それを深冬が見ていた。

「うまいな」

 深冬が嬉しそうに煮っ転がしを食べた。深冬が作ったらしい。うまかったのは事実だ。だが、そういうことを口にするようになったのも深冬と暮らし始めてからだった。褒めた方が子どもは成長すると敬に言われたからだ。

 食事がすむと深冬に読み書きと剣を教える。章好は深冬に剣を教えるつもりなどまったくなかったのだが、深冬が教えてほしいと言ったのだ。いざというときは自分で自分のことを守れるように、と。章好は反対だった。そのことで一度深冬を怒鳴りつけたこともある。それでも深冬はひかなかった。折れたのは章好の方だった。稽古の辛さにそのうち音をあげると思っていたが、今でも深冬は毎日素振りを欠かさない。手にはまめができているのを知っている。

 読み書きは、仮名文字ならば問題なくなった。漢字も日常で目にするようなものは一通り読むことも書くこともできる。本を読んで覚えることも大事だと思い、子どもの好きそうな昔話の本を買ってやったら手垢で汚れるほど熱心に読んでいた。初めて「深冬」という字が書けたときは誇らしげに章好に見せたものだった。

 そうやって剣と読み書きを教えているからか、深冬は章好のことを「先生」と呼ぶようになった。前は「小野寺さま」と呼ばれていた。その呼び方はやめろと言ったら、「先生」と呼ぶようになったのだ。敬のこともいまは「旦那さま」と呼んでいる。宿屋の主人だからそう呼んでいるのだろう。「先生」と呼ばれるのは、本当は嫌だった。だが、ほかに適当な呼び方も思いつかなかったのでそのままにしている。

 久しぶりにそう呼ばれているせいで、あの夢を見たのかもしれない。

 食事の片づけを終え、庭で素振りをしている深冬を章好は見ていた。深冬の素振りは悪くない。このまま続ければ、なかなかの腕になるだろう。

 深冬は素振りの途中で、たまにうかがうように章好を見る。そのたびに章好は頷き返してやった。そうすると深冬も頷くのだ。

 一緒に暮らし始めてから、深冬が章好のもとを去る気配はまったくなかった。女郎屋にいたのだから、帰る場所などないのだろう。家族がいるとしても、深冬を女郎屋に売った人間だ。帰りたくないとしても当然だと思う。

 実際のところ、深冬がどうして女郎屋にいたのか章好は知らない。深冬の過去は何も聞いていないのだ。誰にでも聞かれたくないことはある。話したければ深冬がいつか章好に話すはずだ。深冬も章好のことを聞かない。それが章好にはありがたかった。

 人に話したくない過去のせいか、深冬は子どもらしくない子どもだった。あまり感情を見せないのだ。最近でこそ喜怒哀楽が分かるようになったが、はじめのころは人形のようだった。やせ細っていた体も肉がついて健康的になった。

 手拭いで汗を拭った深冬が駆け寄ってくる。二つ三つ助言を与えると、はい、と返事をしてもう一度竹刀を構えた。なぜか黙って見ているだけではうずうずしてきて、深冬の隣に並んで竹刀を振った。深冬は嬉しそうに章好を見上げていた。

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