14話
「団長はてっきりラニ様が好きなのかと思っていましたよ」
「好きというか、……私にとってラニ様は神のようなものだからな」
驚いたような、引いたような、そんな顔に笑ってしまう。
「殿下は、ラニ様を良い方へ導いてくださっていると思う。だが、私はそういった意味では助けられない。ラニ様の考えはすべて正しいと思っているし、まぁ、最悪間違っていても、いいわけだ」
人々にとって神とは二つあると思っている。自分にとって都合の良い神。苦しみからの解放、都合の悪いときに縋りをくれる神。俺にとってラニ様は最初そういう存在だった。
昔の騎士団は、平民にとっては、地獄なんて一言では片づけられないほどにひどい場所だった。貴族達は、幼少のころから、その正解を叩き込まれている。上官に実力を見せるその舞台への立ち方を知らなかった。言葉遣いだって真似れば笑われバカにされる。流派のない剣は下品で見るに堪えない。同じにしか見えない服の着こなし方だってピンの付け方ひとつで建物に入れてもらえなかった。
上流の商人の息子たちは、その教育を受けるために馬車が何台も買えるほどの金を積んでいる。入団試験だけは、殿下と陛下が判断をつけているから、入れてしまったけれど、居場所なんてどこにもなかった。
俺はここでは、風呂の使い方も便所の使い方も飯の食い方も服の着方も知らない、普通の奴には知らないことを驚かれて距離を取られて、可笑しいやつに馬鹿にされる。もう何年もそんな生活だった。学校だって言語が違う国なのかというほど、何を言っているかわからなかった。
実家への仕送りの方法ならいくらでもあった。体力はある方だし、別の仕事を探せばいい。夢を見てここにきてしまった自分は間違いだった。そういって平民の仲間はみんな学生の頃にやめて行った。
もう潮時だという頃に8歳のラニ様に会った。
使用人の服を着ていたが、所作が違っていた。何年もここにいれば、上流貴族の立ち振る舞いというものがわかる。逆らってはいけない。そう思って、遊びのような剣に付き合うようになった。
のちに調べたが、ロス家という、魔法を使う伯爵家の一族で、本家筋。アレン王子の使用人として花嫁修業で来ているらしかった。第三騎士団に所属していたが、アレン王子の姿など見たこともなかった。
「もう一度お願いします」
ラニ様が剣を何も知らなかったように、ラニ様は貴族のすべてを、それこそ商人がいくら積んでも学べないだろう程の詳細な知識を、俺のレベルに合わせて教えてくださった。それほどこの人は真剣に剣を学ぼうとしている。最初は遊びだと思っていた指導を真面目にすれば、成長はものすごいものだった。
「ラニ様は才能が有ります」
「そうですか?ありがとうございます」
「本当に、本当です」
全然うれしそうではなかった。見ていれば気づく。身体があざだらけであることに。アレン王子の噂は本当らしい。とんでもない暴君で、使用人だった貴族たちはみんな逃げたと。今は地方の男爵や平民たちがサンドバックになっていると。
ラニ様が逃げない理由が俺には到底理解できなかったが、さすが貴族様である、2年、3年と、時がたてば、ラニ様はこの屋敷で地位を上げていった。身長も伸び切らない、ましてや、花嫁修業に来ているような女の言うことと誰もが言ったが、アレン王子の側へ行けば、皆逃げ出して帰ってきた。そして帰ってくれば言うのだ。
「あんなに嫌味を言ったのに、ラニ様が、庇ってくださったんだ」
散々俺をいじめ倒した男が、自分の身体を大事そうに抱いた。あの屋敷の中で何が起きているのだろう。次第にラニ様を中心に屋敷の中がまとまって行った。バカにされていた俺も、知識を得れば平民だろうと対等に扱われるようになった。
きっと貴族様からすれば、街を裸で歩いているようなものだったのだろう。
偏見でいじめられていたのではないとやっとその頃に気が付いた。隊長になり、団長になり、屋敷の中に足を踏み入れた。見たこともないようなきれいな細工、理解すらできない細やかな音楽、一歩踏み入れれば異世界だった。
「発音がおかしい」
アレン王子を初めて見た時、メイドをそう笑っていた。
「北の地方の田舎出身でございますので、言葉に訛りがあるかもしれません。もしご不快に感じられましたら、誠に申し訳ございません」
「親の教育を疑うな」
「も、うしわけございません」
「僕なら恥ずかしくて外で言葉を話せないが、その状態で、僕の前へ立つというのは、僕がバカにされているということか?」
「ち、違いますっ、あの、今、ラニ様と発音の練習をしている最中でして、まだ、うまく話せない部分があり、本当に申し訳ございません。どうか、お許しを」
ポットに入った熱湯を、ラニ様の顎から首にかけて、投げ捨てる。
「指導不足だなラニ」
毎日俺と剣を交えたラニ様であれば避けるのは容易であろう。なのに、眉を少しだけ揺らし、申し訳ございませんと静かに謝るばかりだった。
「お前の指導不足で、僕の気分が不愉快になることが、どれほどの問題か分かるか?」
見るに堪えない光景だった。地面に頭をこすりつけたラニ様の頭をアレン王子が踏む。庇われたメイドが私が代わりにと言えば。
「田舎の男爵風情の娘の頭に何の価値がある?」
「っ……、」
「お前ならここから飛び降りて死んでも価値に満たない。不愉快だ。視界から消え失せろ」
叫び声の後、メイドは逃げ出した。
「なぁ、ラニ。お前は今何を考えている」
真実の力を見たのはその時だった。
「首の、火傷の跡が残るだろうかと、考えていました」
「僕への不満はあるか?」
「ございません、当然の怒りかと」
「その傷、僕が付けたんだ。大切にしろよ」
これが日常だ。365日この屋敷の中で起こり続けている。その時すでに愛着がわいていた俺だ、怒りで意識が飛びかけた。だが、副団長のルイに腕を掴まれた。
「団長」
「何をする。離せ」
「ラニ様はそんなこと望んでいませんよ。あの男を守るために貴方に剣を習いに来たのでしょう」
感情がぐちゃぐちゃになると、物理的に胸の奥がかき混ぜられたようなそんな感覚に陥り、そして、何も食えなくなるのだと知った。
「それに、この屋敷からラニ様がいなくなったら、本当にみんな逃げ出しますよ」
今の現状は、ラニ様の犠牲によりぎりぎりに保たれたものなのだと知った。
「俺もですが、爵位が高くなきゃ、ラニ様みたいな英才教育ってのを受けてないんですよ。騎士団も使用人もここから逃げられない理由がある連中は、皆ラニ様が時間を割いて教えてくださったんです。団長も、ラニ様を守りたかったら、ミスしないよう気を付けることですね。アレン王子にとって、俺らの命には、そもそも価値がないので」
それから幾度となくラニ様に庇われ、助けられ、俺はひとつも何もできず、後ろから傷つけられるラニ様を眺めるだけだった。言葉に出しラニ様に聞いたが、助けを求めているわけではなかった。
「私にしかできないと思うと、誇らしくもあります」
考えを形成する幼少期にこんなところにいたから、そんな考えになるのだと、叫んだところで、俺には何も変えられなかった。俺はここが可笑しいと知っているが、この人はここしか知らないのだ。逃げるという選択肢もない。ロス家という実家も、きっと良いところではないのだろう。
あれほど生れを嘆いたはずだというのに、今では貴族なんて生まれなくてよかったと、頭に価値なんてなくてよかったと、思ってしまう。
ルイを側に置いて学んだことがある。感情的にならず一度考えるということだ。
「今までのキミの働きは十分すぎるほど助けられてきたし、結婚先は十分に優遇してやるから、今日限りでここを出て行ってもらえるかい?」
その言葉を理解するのに随分時間を要した。ラニ様が屋敷を出て、使用人に死人が出て初めてはっとなった。この12年溜め続けた怒りが燃えるように再熱したのだ。
その頃には俺にとってラニ様は、もう一つの神になっていた。
俺の思う神、それは、一つ目の縋るための神、もう一つは、信仰のための神だ。アレン王子を間違いとしないのは、ラニ様が正しいというからだ。ずっとずっと決めていた、貴方が助けてと言った時、俺がすべてを捨てて助けに行こうと。
貴方の正しさが俺の正しさである。
「アレンも、陛下も、ロス伯爵も、皆殺しにしてやる」
ラニ様を捨てたアレンも、この状況をよしとした陛下も、こんなところへ娘を送り込んだ伯爵も、せめてラニ様を不幸にする奴を皆殺しにしよう。止める部下を切り捨てて、最後にルイに腕を掴まれた。
「ラニ様はッ……俺や貴方のように、恨んだり怒ったり、することを知らない!俺らが、どれだけ彼女の人生を嘆いても理解してもらえない、団長が彼らを殺しても、喜んだりはしないッ!!ましてや、貴方がラニ様のためだと思ってしたことも、貴方が処刑されれば、そちらにしか目がいかない事でしょう、きっとラニ様はこの世界で貴方が唯一の味方だと信じている。今、いなくなれば、居場所を奪うばかりです。本当にラニ様を神だというのなら、ラニ様のために踏みとどまってくださいッ……!!」
これが俺の踏みとどまる理由だ。俺の命にラニ様や殿下のような価値はないだろう。だが、たった一度、この命を捨てて成せる何かがあるのなら、ラニ様のために使いたいと思っている。




