第三章 正体バレ?!ときめきトライアングル
ゴールデンウィーク最終日。東京のアパートに戻った私は、気が進まないながらも彼氏・明宏のインターン発表会に向かっていた。
「サクちゃん、久しぶり!」
明宏が会場入口で手を振る。相変わらずイケメンで、スーツ姿が似合う彼は、同じ大学の後輩ながら堂々としていた。
「おめでとう、内定」
私の言葉は素直に出なかった。
「あれ?なんか元気ないね」明宏が私の顔を覗き込む。「就活、まだダメ?」
「うん…まあね」
「大丈夫だよ。サクちゃんなら絶対いいとこ入れるって」
彼の言葉は優しいのに、どこか上から目線に感じてしまう。そんな私の気持ちも知らず、明宏は発表会の準備に戻っていった。
会場で座っていると、スマホが震えた。見知らぬ番号からのLINE。
『先輩、弘樹です。例の続き、いつやりますか?』
弘樹!夜の特訓の彼だ。どうやって私のLINEを?と思ったが、すぐに思い出した。先日ショッピングモールで会った時、名刺を渡していたのだ。
『今日は東京。明日から再開できるよ』
返信すると、すぐに既読がついた。
『マジっすか!待ってます!実は大変なことになって…』
大変なこと?心配になるが、発表会が始まるので後で聞くことにした。
ステージ上で堂々とプレゼンする明宏。会場からは拍手喝采。彼はIT業界で求められる人材になっていた。そんな彼と私の間には、じわじわと距離が広がっていることを感じる。
発表会後、明宏が駆け寄ってきた。「どうだった?」
「すごかったよ」素直に褒めた。「堂々としてて、カッコよかった」
明宏は嬉しそうに笑う。「ねえ、今日うちに泊まっていく?久しぶりだし」
「ごめん、明日早く実家に戻らないといけなくて…」
言い訳だった。弘樹の「大変なこと」が気になって仕方なかったのだ。
「そっか…」明宏の表情が曇る。「最近なんか、距離感じるんだけど…」
「そんなことないよ」私は強がった。「お互い忙しいだけ」
帰り道、弘樹からのLINEを開いた。
『実は吹奏楽コンクール、急遽日程早まって1ヶ月後になりました!焦ってます…』
なるほど、それは確かに大変だ。特訓の時間も限られる。
『明日から本気モードで特訓しよう!』
送信後、自分の返事に驚いた。「本気モード」って…私、本当に楽しんでる?
東京と地元を行き来する生活。就活と幽霊先生の二重生活。これって、本当に正しいのだろうか?
でも、弘樹のホルンが上達していく姿を見るのは、純粋に嬉しい。自分の教え子が輝いていく姿。それは、教師という仕事の醍醐味なのかもしれない。
***
「うわ~~、マジで早くなったね。先輩、聞いてくれました?」
翌日の夜、音楽室で弘樹が興奮気味に話す。
「聞いたわ。大変ね」私はウィッグを直しながら答えた。「でも、焦らないで。あなたならできるわ」
「ホントですか?」弘樹の目が輝く。「先輩がそう言ってくれると、なんか自信湧いてきます」
彼の言葉に、胸が温かくなる。
「じゃあ、難所を重点的に練習しましょう」
私たちは真剣に特訓を始めた。音色、呼吸、フレージング…細かい部分まで丁寧に指導する。
「あっ!」弘樹が突然声を上げた。「先輩、今のフレーズ、すごい!どうやったんですか?」
「えっと…」私は少し考え、「呼吸を感じて」と言った。「音楽は呼吸そのもの。心臓の鼓動と同じリズムで…」
私は自分の胸に手を当て、弘樹に「聞いて」と目で指示する。彼は恐る恐る自分のホルンを構え、私の呼吸に合わせてフレーズを吹いた。
美しい音色が生まれる。
「できた…」弘樹の顔に笑顔が広がる。「先輩、マジで天才!」
その瞬間、私の中で何かが輝きだした気がした。こんな風に誰かに教えることの喜び。それは就活での挫折や自信喪失とは全く違う、純粋な達成感だった。
「弘樹くん、あなたこそ天才よ」心からそう思った。「才能があるのに、気づいてないだけ」
練習に夢中になっていると、廊下から足音が聞こえた。私たちは息を止める。
「誰かいる…?」弘樹が囁く。
「警備員?」私も小声で返す。
足音は音楽室の前で止まった。ドアノブが回る…!
「隠れて!」弘樹が私の手を引いて楽器棚の影に身を潜めた。
ドアが開き、懐中電灯の光が室内を照らす。
「…誰もいないか」
男性の声。どうやら警備員のようだ。しばらくして、ドアが閉まり、足音は遠ざかっていった。
「危なかった…」弘樹がため息をつく。
「もう時間も遅いし、今日はここまでにしましょう」
私たちは静かに片付けを始めた。
「先輩…」弘樹が真剣な表情で言う。「1ヶ月後のコンクール、見に来てくれませんか?」
「え?」驚いた。「でも、私は…幽霊だし…」
「いいんです」弘樹の目は真っ直ぐだった。「先輩が来てくれたら、絶対にいい演奏ができる気がするんです」
その言葉に、胸が熱くなる。
「…考えておくわ」
その夜、帰り際、弘樹は勇気を出したように言った。
「先輩…ユリエ先輩じゃなくて、本当の先輩のことも知りたいです」
私は一瞬、言葉を失った。
「いつか…話すわ」それしか言えなかった。
***
翌朝、実家の居間でテレビを見ていると、母が新聞を手に入ってきた。
「美紀、これ見てごらん」母が教育面の記事を指さす。「教員採用試験、今年は例年より募集が多いらしいわ」
「へぇ…」
「それに、あなたの母校も音楽の先生を募集してるみたい」
「えっ?」思わず新聞を取る。「本当だ…」
聖桜台学園、音楽科教諭募集。私の中で何かが引っかかる。
「ねぇ、ママ…私が教師になったら、生徒たちは私の言うこと聞くと思う?」思い切って聞いてみた。「こんな見た目で…」
母は優しく微笑んだ。「あなたの見た目は武器よ。親しみやすさがある。それに…」
母は私の顔をまっすぐ見た。
「最近、なんだか輝いてるわね」
「え?」
「そう、なんだか自信が出てきたような…目が輝いてる」
私は自分の頬に手を当てた。輝いてる?私が?
「美紀、何かいいことあったの?」
「う、ううん…特には…」
嘘をつく自分に罪悪感を覚えながらも、鏡を見ると確かに以前と違う表情をしていた。
***
その日の夕方、母校の近くを散歩していると、見知らった顔とばったり会った。
「あっ!先輩!」
知子だ。弘樹の彼女。制服姿の彼女は可愛らしく、しかも聡明そうな雰囲気を漂わせていた。
「こんにちは、日向さん」
「あれ?名前覚えてくれてたんですね」知子は嬉しそうに笑った。「あの、よかったら少しお話してもいいですか?」
「え?ええ、いいけど…」
近くのカフェに入った私たちは、向かい合って座った。
「実は弘樹のことで相談があって…」知子が切り出した。「最近、すごく変なんです」
「変?」
「はい」知子は心配そうに続けた。「夜、連絡取れなくなるし、部活でも『秘密の特訓してる』とか言って…」
私は緊張した。バレたら大変だ。
「それに、『ユリエ先輩』とか言ってて…」彼女は困ったように言う。「学校の幽霊伝説のことなんですけど、弘樹、本気で信じちゃってて…」
「そうなんだ…」曖昧に返す。
「私、心配で…」知子の目が潤んだ。「だって、幽霊なんていないじゃないですか。きっとストレスか何かで…」
彼女の純粋な心配に、罪悪感が湧いてきた。
「日向さん…」私は言葉を選んだ。「弘樹くんは、ただ音楽に真剣なだけだと思うよ。コンクール近いでしょ?」
「そうなんです…でも…」
「それに」私は自分を奮い立たせた。「彼、日向さんのことをすごく大切に思ってるはず」
「本当ですか?」知子の顔が明るくなる。
「うん」自信を持って答えた。「彼の気持ち、信じてあげて」
帰り際、知子は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました、先輩!なんか、すごく優しくて…弘樹が尊敬してるのわかります」
「え?」
「弘樹、先輩のこと、『音楽の才能すごい人』って言ってたんです」
私の心臓が跳ねた。弘樹、ちゃんと私のこと覚えてるんだ…
「それじゃあ、私頑張ります!」知子が元気よく言った。「コンクール、見に来てくださいね!」
二人目に誘われてしまった。でも、正直嬉しかった。
***
夜、いつものように音楽室で特訓が始まった。
「今日は調子いいですね!」弘樹が楽しそうに言う。「昨日、知子と会ったって?」
「うん…彼女、あなたのこと心配してたわ」
「知ってます」弘樹は少し照れたように笑った。「LINEしてきてくれて…『もっと素直に話せ』って」
「いい子だね、彼女」
「はい」弘樹の顔が柔らかくなる。「でも、ユリエ先輩には内緒にしてますよ。俺たちの特訓は」
私は微笑んだ。「そう…それじゃあ、今日も頑張りましょう」
その日の特訓は、今までで一番充実していた。弘樹の演奏は日に日に上達し、私も教えることの喜びを強く感じていた。
「先輩」弘樹が真剣な表情で言った。「友里恵先輩のこと、もっと教えてもらえますか?」
私は一瞬、躊躇したが、ここまで来たら話してもいいかもしれないと思った。友里恵との思い出を少しずつ話し始める私。
「友里恵は、ホルンの天才だったの」本当のことを話す。「私たち、よく一緒に練習したわ」
「へえ…」弘樹は興味深そうに聞いている。
「彼女は繊細で優しくて…でも、時々すごく悲しそうな顔をしていた」
「どうして…自殺したんですか?」弘樹が恐る恐る聞いた。
その質問に、私は言葉を詰まらせた。真実を話すべきか?でも、それは友里恵の魂を晒すことになる。
「それは…」
その時、突然ドアが勢いよく開いた。
「やっぱりここにいた!弘樹!」
知子だった。彼女は息を切らせ、目を丸くして私たちを見ていた。
「え?ユリエ先輩…?」知子の声が震える。「マジで…幽霊…?」
部屋の空気が凍りついた。
知子の視線は私と弘樹の間を行ったり来たりしていた。彼女の顔から血の気が引いていく。
「知子、落ち着いて」弘樹が彼女に近づく。「これは…」
「嘘…でしょ…?」知子の声は小さかった。「幽霊なんて…いないはずなのに…」
そして彼女は、突然私をじっと見つめた。
「あれ…?」知子の表情が変わる。「なんか…見たことある…」
私の心臓が止まりそうになった。彼女は私の正体に気づいてしまったのか?
「先輩に…似てる…?」
弘樹が私と知子の間に立った。「知子、これは俺の秘密の特訓なんだ。だから…」
「でも、これって…」
その時、私は決断した。
「日向さん」私はウィッグを脱いだ。「私は幽霊じゃないわ」
弘樹が驚いて振り向く。「先輩!」
「私は友里恵の親友だった佐久間美紀。大学3年生よ」
知子は混乱した表情で、私と弘樹を交互に見た。
「じゃあ、弘樹が会ってたのは…幽霊じゃなくて…先輩だったの?」
弘樹は言葉に詰まっていた。
「そう」私は続けた。「弘樹くんに特訓してたの。勝手に学校に入って、ごめんなさい」
知子は複雑な表情をしていたが、やがて小さく笑い始めた。
「やっぱり…」彼女は安堵したように言った。「幽霊なんていない。物理的に説明できない現象なんてないんだ…」
弘樹は困ったように私を見た。「先輩…」
「大丈夫よ」私は微笑んだ。「もう隠さなくていい」
「でも…なんで?」知子が不思議そうに聞いた。「なんでこんなことを?」
私は正直に答えた。「私も…自分の道を探してたの。音楽を教えることで、自分が輝ける場所を…」
「輝ける場所…」知子が小さく呟いた。
沈黙が流れた後、知子が決心したように言った。
「私、誰にも言わない。先輩が弘樹を教えてくれてること」
「え?」
「だって…」知子は真剣な表情で続けた。「弘樹、最近すごく上手くなってきたんだもん。それに…先輩の演奏、さっき聴こえてきたけど、マジで美しかった」
「知子…」弘樹が感動したように彼女の名前を呼んだ。
「ただし!」知子が人差し指を立てた。「私も特訓に参加する!このまま幽霊のフリなんて続けられないでしょ?」
予想外の展開に、私と弘樹は顔を見合わせた。
「いいの?」私が確認すると、知子は頷いた。
「うん!私も手伝う。先輩の正体は秘密にして、一緒にコンクール目指そう!」
こうして、私の「幽霊先生」としての活動は、新たな段階へと進んだ。もう一人の仲間を得て、秘密の特訓は三人での活動になった。
帰り道、知子は私に小声で言った。
「先輩、輝いてますね」
「え?」
「教えてる時の先輩、すごく生き生きしてた」知子は真っ直ぐに私を見た。「先生、向いてると思います」
その言葉が、私の心に深く沁みた。
実家に戻ると、スマホにメッセージが届いていた。明宏からだ。
『サクちゃん、会社から正式オファー来た。海外赴任の可能性もあるって。一緒に行かない?』
長く付き合ってきた彼からの誘い。でも、私の心は別の場所に向かっていた。
窓から母校を見つめる私。もしかしたら、私の居場所はずっと近くにあったのかもしれない。
「友里恵…私、やっと見つけたかも。自分の輝ける場所」
窓から差し込む月明かりが、私の顔を優しく照らしていた。
(つづく)
次回の更新日は5月20日を予定しています!引き続きよろしくお願いいたします。