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第一章 幽霊先生、はじめました

「あーもう、今日も落ちた……」


スマホを握る手に力が入る。五回目の就活の結果メールは、相変わらず「残念ながら」で始まっていた。


「サクちゃん、マジ落ち込まないで!」


LINEのグループ通話で友達が励ましてくれる。大学の親友・ミサキとナナは私の就活を一緒に応援してくれている数少ない理解者だ。


「ありがと。でもさ、またあの"若すぎる"っていう目よ。面接官の表情で分かるもん」


私、佐久間美紀(さくまみき)。大学3年、21歳。でも見た目は完全に女子高生。「永遠の17歳」なんて言われるのは最初だけ嬉しくて、今となっては就活の最大の壁になっている。


「でもサクちゃんてホントに賢いじゃん!あの難関企業に一次通過したの、マジやばくない?」


友達は分かってくれる。でも現実は違う。就活で何度も落とされ、同棲中の彼氏・明宏とは疎遠になりつつあり、教職に進むべきか企業就職すべきか、岐路に立っていた。


「ねえ、春休みだし実家帰ってリフレッシュしたら?」ナナが言う。「たまには東京離れるのもいいじゃん」


「そうだね…そうする」



***



実家の窓から見える母校。聖桜台学園(せいおうだいがくえん)の校舎は夕陽に赤く染まっていた。あの頃は何もかも輝いて見えたな…。


深呼吸して目を閉じると、あの日々が蘇る。吹奏楽部の練習。汗だくになって吹いたホルン。全国大会。そして、親友だった友里恵の笑顔。


目を開けると、足が勝手に動いていた。



***



「まだ覚えてるじゃん、この抜け道」


高校時代、遅刻した時に使っていた裏門のフェンスの隙間。細い体が滑り込む。敷地内に入ってしまえば、音楽室への道は暗闇でも分かる。


「これは不法侵入だけど…まあ、ちょっとだけ」


自分を正当化しながら、音楽室のドアに向かう。当然鍵はかかっているはずだった。でも…


「え?開いてる?」


恐る恐るドアを押す。中は真っ暗。でも記憶を頼りに電気のスイッチを押すと、あの頃と変わらない音楽室が現れた。


そこには見覚えのある楽器ケースが並んでいた。吹奏楽部の楽器だ。心臓が高鳴る。


「見るだけ…触るだけ…」


ホルンケースを開けると、中には見慣れた金色の輝きが。手が勝手に伸び、マウスピースを取り付け、唇を当てる。


深呼吸。そして…


♪〜


懐かしい音色が静かな音楽室に響き渡る。体が記憶していた。指が自然と動く。高校時代に何度も吹いた『フェスティバル・バリエーション』の一節。


閉じていた目を開けた瞬間、心臓が止まりそうになった。


「だれ…?」


音楽室のドアに、男子高校生が立っていた。


聖桜台の制服を着た、美形の男子。手には同じくホルンケース。目は見開かれ、顔は青白い。彼の視線は私にまっすぐ向けられていた。


「ゆ、ユリエ…先輩…?」


震える声。そして私はそれが誰なのかを理解した。秋田弘樹。現在の吹奏楽部のエース。彼の担当パートもホルンだ。


捕まった。不法侵入で補導される。大学にも連絡が行く。教員免許も危うい。


そんな思考が頭を駆け巡る中、とっさに浮かんだのは、一つのワードだった。


「ユリエ」


そう、友里恵。4年前に自殺した私の親友。高校時代の友里恵と私は体型も髪型も似ていると言われた仲良しだった。彼女もホルン奏者。そして、この学校には「ユリエの幽霊」伝説があることを思い出した。


「え、えっと…私は…」


その時、弘樹が床に崩れ落ちるように座り込んだ。


「マジで出た…うわ、めっちゃヤバい…聞いてはいたけど…ホンモノの幽霊とか…」


彼は怯えていた。私を幽霊だと思っている。


とっさの判断だった。私は立ち上がり、少し深めの声で言った。


「そう、私は友里恵。でも恐れないで」


弘樹はゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。


「な、なんで出てきたんすか?」


「あなたのホルンの音色が聞こえたから」と、私は答えた。完全なる嘘だが、それしか思いつかなかった。


「マ?マジっすか?」弘樹の表情が変わった。怯えはあるものの、何か別の感情も浮かんでいる。「俺のホルン、そんなに…?」


「ええ。でも、まだ足りないわ」と、思い切って言ってみた。「特に『フェスティバル・バリエーション』のここの部分」


私は楽譜を指差し、再びホルンを持ち上げ、その難所を吹いた。


♪〜


弘樹の目が輝いた。恐怖よりも、驚きの方が勝っているようだ。


「すげぇ…マジでキレイな音…」


「あなたも、この部分を練習してるの?」


弘樹はうなずく。「はい…でも全然ダメで…コンクールまであと二ヶ月しかないのに…」


彼は急に我に返ったように震え始めた。「あ、でも、幽霊の先輩と話してる場合じゃ…」


「怖がらないで」私は言った。「もしよかったら…教えてあげる」


「え?」


「ホルン。私、生きてた頃は全国大会まで行ったのよ」これは嘘じゃない。本当に私が行ったのだから。


弘樹の顔に驚きの表情が広がる。


「マジすか?!ユリエ先輩、俺に特訓してくれるんすか?」


こうして私は、ひょんなことから「幽霊の先生」になることになった。弘樹とは次の晩にも会う約束をして、秘密の通路から抜け出した。


帰り道、私は空を見上げた。久しぶりに胸が高鳴っていた。


「ありがとう、友里恵…」


明日から始まる不思議な特訓。これが私の人生を、大きく変えることになるなんて、その時はまだ知らなかった。



***



「お前、最近なんかキラキラしてね?」


次の日、実家の朝食で弟の健太がニヤニヤしながら言う。


「は?何言ってんの?」


スマホを見ながらご飯を食べる私に、母が熱いまなざしを向ける。


「美紀、実は教育実習のこと考えてるの?」


「べ、別に…」


母は熱心な教師で、私にも教員になってほしいと願っている。でも私自身は自信がなかった。


「あ、でもさ、就活いくつか落ちたって聞いたよ?」健太が余計なことを言う。「教師って、マジ向いてると思うけどな。サクちゃん、子供には人気出そう」


私は舌打ちして席を立つ。「ちょっと出かけてくる」


部屋に戻り、鏡の前に立つ。制服ではないけれど、シンプルなブラウスとスカートは高校生と見間違えてもおかしくない。


スマホを手に取ると、明宏からのLINEが届いていた。


『今日も遅くなる。自炊してて』


そっけない文面。彼はITベンチャーのインターンで忙しく、私より二つ年下なのに、すでに内定をもらっていた。


「はぁ…」


ため息をついて窓の外を見ると、母校の校舎が見える。今夜、また行くことへの期待と不安が入り混じる。


昨日、取っさに「友里恵の幽霊」を演じたのは完全な偶然だった。でも、あの弘樹の輝く目を思い出すと、不思議と心が温かくなる。


「よし、今日はウィッグも用意しなきゃ」


友里恵は私より髪が長かった。本格的に「ユリエ先生」を演じるなら、準備も必要だ。


就活?教職?そんな悩みは、今は頭の片隅に追いやって、目の前のことに集中しよう。


たとえそれが、「幽霊の先生」という、とんでもない役割だとしても。


(つづく)

次回5月18日更新予定です!

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