3-2 デートに誘ってくるやつを探れ
☆
「桂木さんから、食事に誘われたんだけど、行っても大丈夫かな?」
なんですって? スマホの向こうから聞こえてきた雷空のことばに、私は耳を疑った。
そんなこと、彼女にきくことじゃないでしょ? 浮気したけりゃこっそりやってろ!
一瞬そう言いたくなったけれど、彼が言いたいことはもちろんそんなことじゃない。
桂木さん、すなわち例の森田議員と一緒にお泊まりしていた愛人女が、雷空を誘うなんて、何か企んでいるに決まっている。きっと、雷空を落とそうとしているに違いない。残念。彼は私に夢中だから、落ちることはないのよ。・・・そうよね?
議員とのお泊まりのときには、厚化粧でかなり大人びて見えたけれど、先日ファミレスで働いているようすをみると、私と大して年齢の違わない感じに見えた。つまり、雷空ともそんなに年齢が離れていないということだ。ということは、雷空がその女に好意を抱く可能性も、いちゃいちゃしたがる可能性も、ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけは、あるってことよね。なんか想像するだけで腹立つ!
「つまり、その桂木さんとかいう人が、らいくんとデートして、仲良くなって、らいくんに近づいて、らいくんから何か聞き出そうとしてるってことでしょ。いいじゃない。逆に利用してあげれば? デートしてあげて、そいつが何者なのか、逆に聞き出したら?」
「意味はわかるけど、莉亜ちゃんがいるのに他の人とデートするのはまずいし。」
どきっ。
「べ、別にただの演技で仲良くしてりゃいいのよ。ただ、もちろんエッチなことは絶対禁止。キスもだめ。手をつなぐのもやだ。あ、でも、どうしても情報を聞き出すために必要なときは、手をつなぐまでは許すけど、ちゃんとすぐに手を洗うこと。どんな理由があってもキスはぜっっったい禁止。」
早口でまくし立てた。
「そんなこと、するわけないじゃん。」
私には早々にキスとかしてきたくせに。
「あと、いつ、どこで会うのか、事前に報告すること。終わったら、どこでどういうやりとりして、何時にどこで別れたのか、きちんと報告すること。」
「わかった。」
なんか、私、重い? いや、彼女としての当然の権利よね。
「いや、これは、何か企んでるに違いないあの女と、お芝居でデートしてあげて、その結果をどう利用しようか作戦会議をしなければいけないからであって、別にやきもちやいているわけじゃないから。」
「わかってる。やきもちやいてくれて、ありがとう。」
こしゃくな男!
★
10月も終わりに近づいたある日。事前に決めて莉亜にも教えておいた日時場所に、桂木さんは現れた。
「お待たせしました。」
桂木さんは、秋らしい茶色のニットの服を着ていて、黒っぽいスカートの下からストッキングに包まれた脚がのびている。足はヒールのあるブーツに覆われている。
「行きましょう。」
「ええ。」
近くの洋食店に2人で入店する。
「誘ってくれて、ありがとうございます。」
「私も、来てくれてうれしかったです。・・・ねえ、もっと気軽に話してもいい? こんな感じで。」
桂木さんが言った。バイト先ではぼくのほうが先輩だけれど、年齢はたぶん桂木さんのほうが上だから、互いに敬語でしゃべるのが常だった。
「もちろん。」
「松沢さんって、えっと、下の名前、何だったっけ?」
「らいく、です。雷に空と書いて、らいく。桂木さんの名前は、真里弥さん、でしたっけ?」
「よく覚えてたね。うれしい。」
スマホに登録してあるしね。個人的にではなくて、バイト先の連絡用グループに店長もぼくも含めてみんな入ってるでしょ。
「飲み物どれにする?」
「ジンジャーエールで。」
「飲まないの?」
「あんまり飲めないので。」
飲めないわけじゃないが、今酔ったら失敗するかもしれないし、何より莉亜にお仕置きを食らうかもしれない。
ドリンクを頼んでいると、店の入り口の扉が開いた。反射的にそちらを向くと、ロックバンドのメンバーみたいな、てかてかした黒い革の服と帽子を身にまとって、脚も黒いレギンスで覆い、これまた黒のサングラスをかけた女性客が1人で入店してきた。もちろんぼくにはそれがだれだかわかる。やきもちのあまり偵察に来たのだ。相変わらず変装というよりコスプレだね。白くて美しい肌はいつもどおりだけど、服装の雰囲気に合わせたのか口紅は真っ赤だ。
「雷空くんって、南海大だったっけ? すごいな。」
「そんなたいしたことは。」
「私は桜が丘大だもん。」
まあ、受験戦争というか偏差値的にはぼくの勝利だね。勝負してないけど。
「桂木さんって、何年生なんでしたっけ?」
そもそも大学生とも知らなかった。
「真里弥でいいのよ。あと、ため口でいい。私は、3年生。」
「年のわりに大人っぽいよね。」
しまった。老けてると言っているに等しい。
「そう? ありがとう。」
よかった。文字どおり大人っぽくて素敵と受け取ってもらえたみたいだ。
「雷空くんも、すごいてきぱき仕事をしてて、かっこいいよ。憧れちゃう。」
目線がぼくに突き刺さってくる。じっと見つめられると、それだけでどぎまぎしてしまう。もう口説きにかかってるのかな。
ぼくはハンバーグを、真里弥は(真里弥でいいのよと言われたから真里弥と書いただけであって、口説き落とされたわけじゃないからね!)チキンステーキを食べながら話をした。さすがにいつものバイト先のファミレスのメニューなんかより高級だ。
食後に真理弥が抹茶アイスを、ぼくがコーヒーを注文した。
☆
何よ、楽しそうにおしゃべりしちゃって。いくら私の変装が天才的でも、さすがに愛しの彼女がここにいるってことくらい、わかってるんでしょ?
女が、デザートにアイスを注文している。運ばれてきた緑色の抹茶アイスを二口くらい食べて、それから、同じスプーンで一口すくうと、「あなたも食べる?」とかほざきながら、手を伸ばして雷空に食べさせた。
腹立つ~!
それから、アイスにささっていたウエハースを女が一口食べ、「これも食べて。」とかほざきながら、残りを雷空の口に突っ込んで食べさせた。
むっちゃ腹立つ~!
今すぐ女と雷空に跳び蹴りをかましてやろうかと思いながらもなんとか怒りを抑えていると、2人は食事を終えて、会計をして外に出ようとしている。私も、いかにも自分の食事が終わりましたという感じで立ち上がって、2人の後ろに並ぶ。
さすがに割り勘みたいね。同じバイトをしている仲間に過ぎないのに、もし彼がおごっていたなら、我慢できずにこの場で後ろからタックルかますとこだった。この配列なら2人まとめて成敗できる。
自分の勘定を済ませて外に出ると、仲よさそうにしていた二人がまだ話し込んでいた。私は怪しまれない程度の位置からようすをうかがう。
2人は親しげに何かことばをかわしてから、駅の方に歩いて行く。
2人の距離感、近くない?
ま、まさか、あそこの角を曲がろうとしてるんじゃないでしょうね。そっちは、いかがわしい宿泊場所があるほうなんだけど。・・・よかった。直進だった。
あ、あの女、腕組もうとしてる!
待ちなさい!
思わず声が出そうになったが、雷空がさりげなく、組まれようとしている自分の腕を動かして自分のショルダーバッグに触るのが見えた。相手の動きを読む訓練の成果、出てるじゃない!
駅はもうすぐそこだ。
★
真里弥と別れて、しばらくすると、ヘビメタ女が近づいてきた。そんな目立つかっこうで尾行したら、ばれるよ?
「ずいぶん楽しそうだったのね。」
サングラスをはずしながら、莉亜が言った。
「楽しそうにしながらいろいろ聞き出すの、疲れた。」
「よほど収穫があったんでしょうね。そうじゃないなら、私は彼氏の浮気現場を目撃しただけってことになっちゃうじゃない。」
莉亜がぷくっと頬を膨らませながら、上目遣いで言う。なにこれ、服はともかく、表情がかわいい。人前じゃなかったら抱きしめているところだ。
「報告するけど、ここじゃ難しいね。うちに来る?」
「やだ。私ともデートして。」
ぼくの腕をひっつかみながら、莉亜がおねだりする。いいけど、そのかっこうで、だよね?
と思っていたら、莉亜はその辺にあったコインロッカーを開けて、中からうぐいす色の大きめのバッグを取り出した。いったい何種類バッグを持っているんだろうね。
「持とうか?」
「いい。私の服だし、だいたい、私の方が力あると思うし。」
そうだけど、そこは甘えてくれてもいいじゃん!
それからぼくたちはもときた方向に戻り、カフェに入って、ぼくはコーヒーを、莉亜はチーズケーキ(だけ)を注文した。ぼくは莉亜の命令で手洗いうがいを済ませ、一方の莉亜は荷物を抱えてトイレに行き、数分後、オレンジ色のニットの服とチェック柄の短いスカートといういでたちで出てきた。スカートの下からは、さきほどまでと同じ黒いレギンスに包まれた脚がのびている。帽子とサングラスは身につけていない。真っ赤な口紅はそのままだ。
「けっこう、似合ってたのに。」
「そう? そりゃ、美容専門学校生だもの。どんなファッションだって、うまく着こなすの。でも、あれは完全に変装用。だって、あんな服、趣味に合わないもの。らいくんがああいうのが好きだっていうなら、着てもいいけど。」
「いや、着なくていい。」
あの服が趣味に合う男はけっこう少ないと思う。
「高校の制服は着てほしがってたのにね。」
「いや、それは・・・。」
「で、そんなことより、どんなことがわかったの?」
ぼくは周囲に聞かれていないことを確認して、できるだけ小声で、話を続けた。
「桂木真里弥、桜が丘大学国際学部の3年生、21歳。自宅の最寄り駅は・・・。」
しゃべりながら、自分でも忘れないようにスマホにメモをする。
「今は一人暮らし。出身地は、例の、森田議員の地元と同じ。」
「お、そういうことなのね。」
「親は、建設業者。森田議員はもともと同業者。ネットで検索したら、桂木建設って、出てくる。」
「よくそこまで聞けたのね。」
「法学部に通ってるってことは、ご両親は法律関係の仕事でもしてるの、とか聞かれたから、ぼくの両親はどっちもパートくらいしか仕事をしてなくて、父は遊び歩いてるようなやつだから、親の仕事とは関係ないんだ、とか言ったら、・・・あ、うそついたわけじゃないよ、実の親の話をしただけ。そしたら、真里弥さんは、自分の親は建設会社を経営していて、自営だから売り上げが変動して大変なんだって、教えてくれた。」
「ふうん。」
あれ、ちょっと不機嫌になった? そういうことを聞き出すのが目的だから、しょうがないでしょ?
そういえば、チーズケーキには手がつけられていない。
「で、次のデートの約束したの?」
「いちおう、また行こうっていう話はした。具体的にいつとかじゃないけど。」
としゃべっている間にも真里弥からメッセージが届いて、きょうは楽しかった、また行きたいなどとかわいく書かれていた。莉亜には見せないほうがよさそうだ。
☆
なんか悔しい。
目的はわかってるけど、こんな簡単に親の職業まで語り合うような仲になれるもんなの?
「それ、飲ませて。」
雷空のコーヒーを一瞬で奪い取る。残りわずかな苦い液体を口に入れる。あの女はアイスを共有していたというのに、私はコーヒーすら共有してないなんて、絶対おかしいでしょ。
「飲み物、頼む?」
雷空が言った。まったく、何もわかってないのね。
「いらない。それより、これ、食べたいんだけど。」
目の前のチーズケーキを指して言う。雷空は、意味がわからないとばかりに、きょとんとしている。私は、チーズケーキの皿を雷空のほうに押しやった。
「ぼくは、別にいいよ。」
「そうよね。さっき、デザート一緒に食べてたもんね。」
「むりやり食べさせられたからね。」
あんなに楽しそうにしといて、どこがむりやりだったっていうのよ!
「私も、ケーキ食べたいんだけど。」
「食べれば?」
そうじゃなくて!
目で、訴える。
雷空が、周囲のようすをうかがう。
鈍感。やっとわかったの。遅いから人は少ないし、別に大丈夫でしょ? というか、さっきの店のほうがごちゃごちゃしてたのに堂々とあ~んしてたじゃないの!
雷空がチーズケーキをフォークで切り取って、私のほうに差し出してくる。私は、ぱくりと口に入れた。
「しょうがないから、らいくんにも食べさせてあげる。」
むりやりにでも、私が食べさせてやるんだから!
互いに周囲の視線がこちらに向いていないことを確認しながら(密行の訓練になって一石二鳥?)、1本しかないフォークを交互に使ってケーキを互いの口に運んで完食した。
次のデートも、あくまで探りとして必要なら行っていいけど、今回と同じように報告を怠らないように、それから、あ~んは金輪際禁止と、釘を刺しておく。あ~んなんて、大したことないように思えるけど、恋人のお株を奪われたみたいで、むっちゃ嫌だ。
「お客さま、恐れ入りますが、まもなく閉店のお時間となっております。」
店員の声が聞こえた。時刻は10時近くだ。
テーブルの向かい側で立ち上がった雷空が、なぜかソファー席に座っている私の隣にくる。
「2人きりで過ごせるとこ、行かない?」
私はうなずいた。だって、このまま帰ったら、あの女とほとんど変わらないというか、むしろ、カフェでお茶しただけだから、あの女以下みたいじゃない!
店を出て、コンビニでお茶を買ってから、見覚えのある角を曲がって、いかがわしい雰囲気のただようエリアに向かう。そう。恋人だもの。恋人には恋人らしい行動があるでしょ。お食事だけして駅まで見送ってもらう人なんかとは違うんだもの。
まあ、恋人になってなくても、ラブホに入ってエロ動画の状況確認とかをする人も、この世のどこかにはいるかもしれないけど。
私は、いつもみたいにただ手をつなぐのではなくて、ホテル街にふさわしく雷空の腕にぴったりしがみついている。腕組みだって手をつなぐのだって、何度でも、何時間でもやってやる。こうして、腕にしがみついてさりげなく胸をこすりつけてもいいの。でも、そういえば、あの女のほうが私より大きそうだった。いちいち気に障るのね。
きらきらした装飾が輝くホテルの中に入ると、フロントに別のカップルがいた。雷空が手前で立ち止まり、私の前に立ち塞がるようにして、私の頭の後ろに手を回した。軽く抱き合うような体勢になる。前のカップルが受付を終えていなくなる気配がすると、雷空は私を解放し、私の手を引いて受付に進んだ。
ほかの客と対峙すると恥ずかしいから、守ってくれた。
かっこいい。かっこいいけど。ラブホ慣れしてるんじゃないでしょうね。
彼は、受付の人に、宿泊で、と簡潔に言って、料金を払った。彼が鍵を受け取り、番号を確認して、私を連れてエレベーターで4階にあがって部屋に入る。
黒い壁や床。天井には大きな鏡(つまり真っ最中の光景が写るってことじゃん!)。そして、ソファーとシーツが真っ赤。前に行ったところとは、また雰囲気が違って、妖艶。
あ。いきなりキスされた。
激しくキスされている。
彼という存在に安心しきっていたのか、いつもの、人が近づいてくる、という職業病みたいな緊張感はなかった。
「莉亜ちゃんと一緒にいるのがいいんだよ・・・。」
雷空が、ささやきながら、何度も私の唇を奪い、身体に触れてくる。もう。そんなに私のことが好きなの? 私も同じよ!
服を脱がされて、一緒にお風呂に入って(って、勢いで一緒に入っちゃったけど、恥ずかしすぎ!)、彼の身体にわずかでも残っているかもしれないあの女の痕跡を洗い流してから、朝まで何度も愛し合った。
誰にもとられないように、しっかりキスマークをつけておいてあげるからね! ただ、つけるのけっこう難しい・・・。