2-3 愛人の背後を探れ
☆
私は、雷空の家を訪問するたび、この軟弱男に護身術を教え、足音を立てない歩き方のこつ、身のこなしかたなどを教えた。はっきり言って、そんなに上達しない。情けないのね。
それに、狭っ苦しいソファーベッドで一緒に寝てあげているのに、彼は何もしてこない。情けないったりゃありゃしない。もちろん本当に何かしてきたら私は全力で抵抗するけれど、だめだとわかってても、突撃するのが男でしょ。
まだまだ夏の暑さが残る9月中旬。父から、重要な指示が出た。それを雷空に伝える必要がある。
「きょうは、訓練じゃなくて、大事な話があるの。座って。」
慣れた他人の家で、座卓に座って、話をする。
私は父から聞いた内容を雷空に話す。森田健輔というあの政治家とつながっているらしき人の中に、奥村安樹という実業家がいて、その人が怪しいとわかったらしい。奥村は、森田が議員をしている県の隣の県で不動産業を営んでいる人だそうだ。あまり難しいことは私にはよくわからないけど、とにかく、あの愛人女が誰なのか、奥村から派遣された人なのかどうか、探れ。そういうことだった。写真一つから雷空を突き止めたあなたなら楽勝でしょ、という母からの追加応援メッセージも届いた。近所の人かどうかで全然違うと思うけど。
もっとも、愛人女がこっち側のスパイじゃなかったということがわかったという点では、少し安心。私も同じようなことをしろと言われる危機がいちおう遠のいた。
「それ、ぼくに話してよかったの?」
「いちおう、協力者として認めてくれているみたいだから、大丈夫。」
「いや、そういうことじゃなくて、奥村安樹っていう人について、調査はしてるの?」
「全然。なんとかっていう不動産屋の社長って言ってたけど、詳しいことはこれから調べるとこだし。」
「わかば不動産でしょ?」
「そうそう。なんで知ってるの?」
「ぼくも驚いた。調べるまでもない。その人は、ぼくの父親だ。」
「え、ええっ?」
そっか。確かに、以前マイナンバーカードでチェックした実家の住所が、あのあたりだった・・・。いや、でも、そんなことわからないでしょ! この男、貧乏学生風にみえて、実はお坊ちゃんだったのね!
「いや、待って、名字・・・。」
そこまで言って口をつぐんだ。いろいろ複雑な家庭の事情があるかもしれないのに、深い事情を根掘り葉掘り聞くのはよくないかもしれない。しかし、雷空は気にするふうもなく、淡々と説明した。
「厳密にはぼくの父親じゃない。母の再婚相手なんだ。松沢は母の旧姓。母は、実の父と、ぼくと妹が小さいころに離婚して、今から7年くらい前にその人と再婚したんだ。それまで母は松沢で、再婚して奥村になった。ぼくと妹は、生まれたときは実の父の名字で、父と母が離婚したとき松沢になったみたいだけど、母の再婚のときは、確か小学6年生と4年生だったかな、もうそれなりの年齢だったから、名字は変えてない。養子縁組もしてないから、厳密な意味では奥村安樹とは親子じゃない。ただ、実家で一緒に住んでたし、ぼくが今一人暮らしをしながら大学の通っていられるのも、経済的には義理の父のおかげなんだ。あんまり頼りすぎないようにするために、バイトもがんばってるんだけど、学費も生活費も全部バイトで稼ぐなんてのは到底無理だしね。」
そうだったの。今まで全然聞いてなかった。そして、お坊ちゃんではなかった。
★
今のところ、あの愛人については何もわからない。ただ、現場で写真や動画を撮っただけ。それだけで具体的に誰なのか特定するなんて、無理でしょ。もっとも、もし、奥村安樹、つまりぼくの義理の父が派遣したのなら、関係者かもしれない。
父は、黄緑色の看板が目印の、地元ではちょっとは名の知れた不動産会社の社長だ。そのわかば不動産のホームページを、特にスタッフ紹介という部分を穴が開くほど見たけれど、それらしき人はいなかった。
おおむね9月いっぱいは大学が休みだから、実際に会社に行って見てくると言ったら、莉亜は、自分も行く、と言った。もともと私の仕事なんだから、という理由を強調して。もっとも、莉亜の専門学校の夏休みは8月末までで、9月からは授業が始まっていたから、週末に行くしかない。父の会社は水曜日が定休日だから問題ない。
土曜日の朝、莉亜と二人で新幹線に乗って地元の県に向かった。莉亜は、ぼくの父に会うかもしれないからか、白いトップスに茶色っぽいチェック柄のスカートという比較的地味な格好で、パンプスを履いていた。やはり日傘を持参している。
父が経営している会社は、本店のほかにいくつか支店がある。どこかにあの人がいるかもしれない。ぼくは、母が再婚して間もないころには本社に遊びに行ったこととかもあるけれど、今普通の従業員がぼくをみても正体はわからないだろうから、堂々と客のふりして店を訪問してやろう。万一、社長のご子息がいらっしゃった、とか言われたら、社会勉強のために父の会社の店舗を見に来ただけだとか言い訳すればいいだろう。
支店の1つを訪れる。ガラスばりの扉の張り紙におすすめの物件情報がずらっと掲示されていて、店内にも情報あります、ネットでもご覧になれます、と書いてある。張り紙にひととおり目を通してから、中に入った。
「いらっしゃいませ。」
クールビズスタイルの男性従業員に声をかけられる。
「情報を見てもいいですか。」
「はい、どうぞ。どういう物件をお探しでしょうか?」
「今すぐ借りるわけじゃなくて、情報収集中です。」
しつこく聞かれないように、ただ見に来ただけだという雰囲気を醸し出す。
「お2人でお住まいですか?」
そりゃあ、若い男女が一緒に不動産を見に来たら、同棲するカップルとか婚約者とか新婚夫婦とかだと思うよね。けれど、ぼくには掲示されている物件情報は関係ない。店内の従業員をさりげなく観察する。例の愛人らしき人はいない。
「いや、すみません、全然、決まってなくて、ただ、たまたま通りかかって、どれくらいの部屋ならどれくらいの家賃かとか、気になっただけなんです。」
「そうですか。ごゆっくりご覧ください。」
あんまりしつこいようだと社長に言いつけるぞ! とはもちろん言わず、適当なタイミングで外に出る。
別の支店をいくつかまわったが、大同小異だった。
あとは本店か。夕方が近づいていて、今から行ったら遅すぎるかもしれない。従業員を観察することが目的だから、退社する人がいたら意味がない。
「本店は明日行こう。」
莉亜に告げて、宿泊場所に向かう。実は、今回のことは、家族には知らせていないから、実家には行けない。そもそも父が調査のターゲットだからだ。いや、父がターゲットだとしても、ぼくが実家に泊まっただけでは、ただ夏休みが長いから再度帰省してきたと思われるだけであって、疑われることはあるまい。莉亜を連れていることをどう説明するかという問題だよね。
いずれにしても、莉亜は、ぼくが実家に泊まるかどうかわからないというと、どうせ経費としてお父さんに請求するんだから、ホテル2人分予約しとくと言って、ここでいいよねと適当に2人分予約していた。
莉亜が予約した町中のホテル(ビジネスホテルだってば!)にチェックインする。ツインルームだ。別に、2人だけで泊まるんだから、別々の部屋でもよかったんだけどね。あれ、日本語おかしい? カップルを装う必要のない状況だから、普通に、シングルルーム2部屋に別々に泊まってもよかったんだけど?
まあ、修行と称して一緒のベッドに何度も寝ている(物理的に)ことは事実だから、今さら同じ部屋に泊まったからってどうなの、という感じでもあるけどね。
☆
近くのファミレスで食事を済ませて、私たちはホテルの部屋に戻った。ホテルの自販機で買ったチューハイを飲んだ。私は19歳、彼は18歳なんだけどね。まあ、それくらい、いいでしょ。
「シャワー、浴びてきたら? お先にどうぞ。」
私は雷空に言った。他意はない。女の子の方がいろいろと時間がかかるし、メイクも落とさないといけないしね。
交代で入浴というかシャワーを済ませた。さすがに、動き回って疲れているし、こんな狭苦しいホテルの部屋で訓練をすることもない(雷空のアパートの部屋も物理的な広さはそんなに変わらないと思うけど。)。ベッドに身体を投げ出す。
広い。
ベッドだけなら、雷空の部屋のソファーベッドよりも広い。この間行った(行っただけ!)ラブホテルの部屋のベッドよりはさすがに狭いけれど、温泉旅館の部屋のベッドくらいの広さはありそうだ。
私に続いて歯磨きをしていた雷空がバスルームから出てくる。
「こっち、来て。何もしないから。」
私がベッドの端に腰かけながら言うと、少し動揺したような表情を見せてから、雷空が同じベッドにやってきて、腰かける。
私は雷空の身体に腕を回して、引き寄せた。武術じゃない。自然に。
彼にとっては半分帰省のようなものであっても、私にとってはせっかくの旅行だ。ちょっとくらい、羽目を外してもいいでしょ?
しかし、彼は慎重だった。手を、ほんのわずか動かしては、私のようすをうかがっている。
いや、確かに、普段の私が思わせぶりな態度をとりながらそれ以上を拒んでいるからかもしれないけど。腰を触られて殺すと脅したことも確かにあったけど。
きょうの彼はけっこうかっこよかった。いなくてもいい私を連れて、社長の息子だという気配をおくびにも出さず、しれっと潜入捜査をしていた。社長の不正が暴かれたら自分が困る立場のはずなのに。
思えば、温泉で、森田が1号室に泊まると見抜いたのも、見張り方を提案したのも、ボイスレコーダーを露天風呂近くに設置することを言い出したのも、彼だった。
それに、複雑な家庭の事情を抱えながら、アルバイトでお金を稼ぎながら難関大学で法律の勉強をしているなんて、ちょっと見直しちゃった。
賢くて、ビジネスパートナーとしてはもちろん大事な存在だけど、それだけじゃない。賢いだけじゃなくて、かっこいい。戦闘力は皆無だけど。
そんなかっこいい彼に対して、私が今、発揮すべきなのは、戦闘力じゃなくて、女の子としての魅力。
あ、でも、風呂上がりですっぴんだし、彼も私もホテルの白い寝間着姿だ。色気も何もあったもんじゃない!
★
ぼくたちは、2人でベッドの端に隣り合って腰掛けている。
いつもだったらここら辺で急に素早い動きをして急に攻撃的になる莉亜が、普通の女の子みたいに(失礼!)、ぼくに身体を預けてくる。罠かもしれないけど、物理的に身体を預けていることは、間違いのない事実だ。
でも、罠でしょ。押し倒した瞬間、何をされるかわかったもんじゃない。
いくら莉亜の白い素肌が透き通っているからといって、黒くて長い髪が魅力的だからと言って、唇がつややかだからといって、油断してはいけない。
身体を硬くして(下半身の一部ではなく全身を硬くして、ということだ。)、ぼくは莉亜の動きを読み取ろうとした。最近、莉亜の動きを読む訓練を続けさせられていたから、だいぶわかるようになってきた。実際に敵と対峙したときにどうなるのかは自信がないけれど、少なくとも、莉亜の動きならだいぶん読める。
莉亜の動きを精一杯読み取ろうとするが、まったく殺気が感じられない。本当に、ぼくに近づきたくて近づいてきているように思える。
少しずつ、ほんとに少しずつ、右腕を彼女の腰に回していく。抵抗はない。
と思っていたら、急に、莉亜の身体が動いた。きた! よけろ!
しかし、莉亜の動きはぼくの想定とはまったく違っていた。いつもだったらぼくをベッドの上に組み伏せて下敷きにして押さえ込むはずだが、動きは逆方向。むしろぼくの身体を引っ張って、自分のほうに引き寄せながら、自ら背中をベッドにつけて倒れ込んだ。
こ、これは、もしかして巴投げか?
そうではなかった。莉亜は仰向けになって、自分の身体の上に、ぼくを引き寄せた。ぼくが莉亜を押し倒したのと結果的には同じような体勢になっている。そして、莉亜は仰向けのまま目を閉じている。
なんだ? どんな修行だ? どんな罠だ?
ぼくがとまどっていると、莉亜が腕でぼくの背中をがっしりガードして、抱き寄せてくる。互いの身体が密着する。起床時ホールドの再現か?
抱き合ったというか抱きつかれた体勢になる。体温と、やわらかな身体の感触がぼくに伝わってくる。そのままぼくがとまどっていると、莉亜はぼくと一体化したままごろんと180度回転して、ぼくの上から抱きつくような体勢になった。そして、仰向けのぼくの上から、莉亜が口づけをしてくる。
何か月ぶりかのキス。
しかも、莉亜のほうから。
ぼくはどこまでを信じるべきかまだ迷っていた。
☆
なんで私がここまでしなきゃいけないの?
いくら男女平等の世の中でも、こういう状況ではやっぱり男の子の役割ってあるでしょ?
情けない男だと思いながらも、そんな情けなさというか優しさもやっぱり好きだと思い直した私は、彼にもう1回、いや2回、じゃなくて3回、キスをした。
キスすればするほど、やっぱり好きだと思う。
こいつのことが好きなんて、認めたくないけど、やっぱり好き。
思えば、高校の制服を着て彼の家に押しかけた時点で、私が最初に好きって言ったのよね。あれはもちろん彼の家に潜入するためのお芝居だけど、そのときからもう運命が決まっていたのかも。
とっても好き。
好きじゃないと、何度もアパートの部屋に押しかけるわけないし、温泉の同じ部屋で寝るなんて無理だし、同じソファーベッドで寝るなんて絶対に嫌だし、手をつないで安心感を得られるわけないし、いくら訓練でも身体が触れあう状態で護身術とか教えるのも気持ち悪い。好きじゃないなら、いくら訓練の一環でも、自分の身体を使って拘束して大好きなんて言えるはずない。下着を返したとき、キスを避けなかったのも、本当はキスされるのが嫌じゃなかったから。そもそも、好きじゃないのならきょう一緒に来なくてよかったし、ましてや2部屋予約すればいいのにわざわざ同じ部屋に泊まるなんてばかみたいじゃないの。それもこれも全部、好きだからなのよ! 私は、雷空のことがとってもライク、いや、ラブなの!
面食らっている雷空に何度もキスをする。2回や3回どころじゃない。10回くらい、強引にキスをした。
再び、抱き合った状態でごろんと180度転がって、また私が下にくる。
さすがに、もう、大丈夫でしょ。男の子の役割、果たしてよね。
「莉亜ちゃん・・・。」
「保留してた告白の返事、突然だけど今する。私、らいくんのことが好き。大好きなの。だから、このまま、朝まで一緒にいて。あっちのベッドは使用禁止。」
ようやく、彼のほうから、激しくキスをしてきた。
「ぼくも莉亜ちゃんが大好きだよ。」
彼の手が、私の寝間着のあわせのあたりにのびてきた。もちろん、私は、一本背負いを食らわせたりしない。
★
なんだかんだで避妊具を持ち歩いていた自分にグッドジョブと言いたい。
初めて結ばれたけれど、相性は抜群だ。そりゃそうだよね。普段から、常に互いに相手の動きを読み合っているんだから。
素直に互いの愛を確かめ合いながら濃密な夜を過ごしたぼくと莉亜は、翌朝になって身支度をととのえ、2人でバイキングの朝食を食べた。それから部屋に戻って、昨晩のように、ベッドの端に腰掛けて、手を握り合い、キスをした。
ぼくのほうから莉亜をベッドに押し倒した。抵抗は何もない。チェックアウトの時間まではまだ1時間以上ある。
そのまま時間まで、愛の行為に没頭した。
莉亜との関係が、リア充なものになった。いや、ダジャレじゃなくてね。
☆
雷空と仲良くぎゅっと手をつないで、黄緑色の大きな看板のある、不動産屋の本店に連れてきてもらった。こんなことなら、温泉に行ったときも、もっと素直になって抱いてもらえばよかったかも。いや、あのときは、あくまでデートのふりをしていただけで、好きだったわけじゃない、はず、だと思う。たぶん。
店の目の前まで来ると、彼はつないでいた手を離して、店舗内に入った。私も後に続く。3階建てのビルの1階が店舗、2階が事務所や物置、3階が会議室になっているらしい。社長室は2階にあるみたいだ。
「いらっしゃいませ。」
店員がいっせいにあいさつをして、カウンターの向こうで1人の女性が立ち上がって深々と礼をした。あの愛人女と同じくらいの年齢の若い女性だけど、別人だ。ほかの店員を見ても、5人いる女性はみな年齢もだいぶ上で、例の愛人女とおぼしき人はいない。
「急で申し訳ないんですけど、社長、いますか?」
本当に急な感じで、雷空が若い女性店員に言った。
「恐れ入りますが、お約束でしょうか?」
「約束はしてないけど、息子です。」
「え・・・。」
「奥村の長男です。急用があって。父は、おりますか?」
「少々、お待ちください。」
内線電話で確認した店員が、雷空のほうを向いた。妻の連れ子を長男と呼ぶのって正しいのかな?
「では、こちらへ。」
上の階に案内される。私は、ついて行っていいの? 1人で取り残されるほうが気持ち悪いと思って、ついて行く。店員は、私の同行について何も言わない。
エレベーターで2階に上がって、店員が奥の部屋の高級そうな木目の扉をノックした。中からどうぞという低い声がして、雷空に続いて私が中に入った。案内してきた店員は外からドアを閉めた。
「父さん、久しぶりに来ちゃった。」
「急にどうした?」
「急に聞きたいことがあって。」
何事もないように雷空が言う。
「内容の前に、きょうは友だちを連れてきたんだ。」
「そうか。」
「近藤莉亜です。」
目線を向けられて、私は自己紹介をした。雷空さんとお付き合いしてます、と言っていいのかどうか、わからない。友だちって紹介されたし、余計なことは言わないほうがいいかも。
「会社が関係することだし、母さんにも聞かれたくないから、朝一でここに来たんだ。」
うそ。チェックアウトぎりぎりまで私とやることやってたくせに。おかげで私のメイク直しの時間が足りなくなりそうだったのよ。
雷空のお父さんが、立派な応接セットに私たちを座らせ、自分は向かい側に座った。7年くらい前に義理の親子関係になったとはいえ、普通の親子のようにみえた。
扉がノックされて、先ほどの女性店員がお茶を持ってきた。私、雷空、お父さんの順にお茶を出す。部外者の私は、いってみれば完全なお客で、御曹司(?)である雷空は半分お客で、お父さんは社内の人間ってことね。
「この人、知ってる?」
雷空がスマホの画面を父親に提示した。たぶん、愛人女の写真だろう。
「知らん。誰だ?」
「議員さんだよ。隣の県の県議会議員。名前は森田健輔。」
森田の写真だったらしい。
「そういえば、だいぶ前に会ったことあるような気もするけど、よく覚えてない。その人がどうかしたのか?」
「なんか、うちの会社の人と不倫してるらしいよ。この近藤さんのお父さんの関係者が、森田議員と知り合いらしくて、その会社の人っていうのが、どうもこの人らしいんだ。」
雷空がスマホを操作して、再び画面を父親に示した。今度こそ、愛人女の写真だろう。
「そんなやつは、うちの会社にはおらんな。」
「そっか。間違いかな。」
「下から上がってきたから見たと思うけど、こんなやつはいない。だいたい、若い女性はさっき案内してきた中井さんだけで、ほかはおばさんばっかだったろ。」
「確かに。支店にもいない?」
「いないな。おれは社員の顔はきちんと覚えている。間違いなくいない。」
「そっか。間違いならいいんだけど。」
「わざわざそれを言いにここまで来たのか? 電話するなりしたらどうだ。」
「いや、実はね、彼女と旅行中で。それで、ついでに今の話もしておこうと思って。」
「ほう。そうか。」
お父さんは納得したようだ。確かに、わざわざこの話をするためだけに新幹線で来たっていうのはあまりに不自然だから、ついでに寄ったことにしたというわけね。そして、私はやっぱりお友だちじゃなくて彼女になっていたようだ。
「うちには寄らないのか?」
「うん、今回は時間ないし、まだ付き合い始めたばっかりだから、それはまたの機会に。」
雷空はそそくさと退散した。確かに、付き合い始めたばっかりどころか、付き合い始めたのが昨夜だとするなら、まだ半日しかたってないものね。それなのに、ホテルで一夜をともにして(訓練やお芝居じゃなくて恋人として)、引き続きお父さんにも会うなんて、珍しいケースに違いない。
★
地元デートを少ししてから莉亜と一緒にとんぼ返りしたぼくに、翌日父から連絡があった。
「きのうの女の子は、彼女だって言ってたな?」
「まあ、そんなとこ。」
2日前まではビジネスパートナー兼武術の師匠というような関係だったけど、今となっては彼女に違いない。互いに好きだと言ったし、デートもしたし、やることもやったし。いや、順番的にはなぜかやることやってからデートをしたんだけどね。
「森田議員だとかの不倫の話は、彼女がもちかけてきたのか?」
「まあ、話の流れで、うちの父さんの会社のことが出てきたら、そういえば、みたいな・・・。」
何と説明したらいいのかわからず、口ごもる。
「そうか。そんなことはまあいい。」
よかった。詳しく説明しなくてもいいみたいだ。彼女との会話を探るなんて野暮だと思ってくれたんだろう。
「そんなことより、あの森田というやつは、相当うさんくさいやつらしい。同業者にちょっと聞いてみたら、悪い噂がいっぱい出てきた。政治家は大なり小なり悪いやつだが、こいつはかなりあくどい男らしい。不倫の1つや2つ、していてもおかしくない。ただ、大事なことを言うぞ。政治家の不倫なんかに学生が首を突っ込むな。彼女のお父さんの知り合いとか言ってたな? 若いうちは、そういう話題に好奇心をもつのはわかるが、大人の世界にむやみに首を突っ込んでもろくなことはない。彼女にもそう言っとけ。」
正論だ。
☆
例の愛人が雷空のお父さんの部下でないことはいちおうわかった。どの店にもいなかったし、お父さんがこんな従業員はいないと断言していたのだから、間違いはないだろう。雷空は、そもそも従業員以外を送り込む可能性も考えられるし、従業員だとしても、たまたまその日休みだったとか、仕事で外出していたとか、あの旅行の日以後に退職したとか、いろいろ可能性は捨てきれない、と言っていたけど。
私の父には、奥村安樹が経営する不動産屋さんの店舗を全部確認し、店の人にこの人知りませんかと尋ねてもみたけれど、いなかったとだけ、報告した。うそはついてない。
週末になると、すっかり彼氏になった雷空の家に行く。訓練をつけてあげるためなんだから、親から文句を言われる筋合いもない。
行くだけじゃない。もちろん、お泊まりする。あ、今までも泊まってたけど。今は、ベッドをともにしてる。あ、それももともとか。ベッド上で愛の行為をして、服も着ないで手をぎゅっと握って、一緒に寝ている。