8-1 合宿を開始せよ
8 こういう人なら才能十分
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あっという間に夏休みが訪れた。
莉亜は、自分の両親(というか母親)から預かったお土産をもって、ぼくと一緒にぼくの実家に向かう。真夏らしいノースリーブのワンピースを着て、武器にもなる厚底サンダルを履いている。荷物は例によってやけに多いが、長期滞在だからしかたない。滞在が長くなるから、下着は、洗濯して、雷空の部屋に干させてね、だって。むふふ。
滞在が長いのは、ぼくが、海湖に勉強を教える必要があるからだ。海湖が、だったら莉亜にも一緒に来てほしいと言う。莉亜が、遠慮する。海湖がねだる。莉亜が、やっぱり遠慮する。海湖が、両親を味方につける。両親が、ぜひ来てくれと言う。完璧な作戦だ。かくして、莉亜は、自分の意思でもぼくの意思でもなく、ぼくの家族の意向によって、やむをえず、ぼくの実家に長期滞在することになったのだ。
父が気を遣って、ウィークリーマンションを手配しようかと提案してくれたが、莉亜は、お金もかかるからそこまでしなくてもいいと言った。
バイト先は全国チェーンだから、ぼくは一時的に、同じチェーンの地元の店に配置換えさせられた。店長が、どこも人手が足りなくて大変だから帰省するなら向こうの店を手伝ってくれ、と頼んできたのだ。そのため、ぼくがバイトで出かける間、莉亜はぼくの実家に残ることになるが、莉亜は海湖ちゃんもいるし大丈夫だと言った。妹だって家にいるとは限らないし、いたとしても勉強の邪魔したらいかんよ?
まあ、莉亜は、滞在が嫌になったらとっとと自分の実家(または合鍵を所持しているぼくのアパート)に帰ってもいいわけだしね。
海湖に勉強を教えると言っても、一から教えるわけではなくて、わからなかった問題の解説とかどこを重点的にやったほうがいいとかのアドバイスだから、別にずっと海湖に張り付いている必要もない。両親は仕事もあるからいつもいつも家にいるわけではない。わりと気楽に、莉亜と家で過ごしたりデートしたりすればいい。つまるところアパートにいるときと大差ない。
と思っていたのは、油断だった。
☆
夏期講習から戻ってきた海湖ちゃんは、男子と一緒だった。ちらっと見ただけだけど、短髪でがっしりした体格の男子で、海湖ちゃんと二人で仲よさそうに手をつないで2階にあがっていった。それから海湖ちゃんが制服を着たまま一度下りてきて、キッチンでお茶と二人分のグラスを準備した。どこかで見たことある光景だと思ったら、私の実家で、雷空を部屋で待たせて私がキッチンからお茶を運ぶのと同じね。違うのは、ここはマンションじゃなくて2階建てだから階段があることくらい。私は、なんとなくテーブルの下で隣にいる雷空の手を握った。
「あ、お兄ちゃん、今友だち来てるから、あとで古文教えてね。」
「夕方はバイト行くから。」
「お兄ちゃんの空いてる時間でいい。」
海湖ちゃんはお盆をもって2階へ上がっていった。
「あの子が、ボディーガードなのかな。」
雷空が言った。
「そ、そうなんじゃない? 一人とは限らないみたいだけど。」
海湖ちゃんの話だと、ボディーガードにはいろいろお礼をしてあげることになっているらしい。私が知識を授けた卑わいな行為もしているのかもしれない。さすがに私と雷空の目の前でお風呂には入られないだろうけど。
「でも、ボディーガードなら家の外までよね。家の中にまで連れてくるってことは、彼氏かな?」
「どうだろ。」
「やいてるの?」
「だから、ぼくはシスコンじゃないって。」
「ふふ。やいて、いいのよ。」
「なんでそうなる? 莉亜がほかの男と仲良くしたら、やくけど。」
★
さて、ひととおりおきまりのバカップル会話をしてから、テレビを見たりスマホをいじったりしていると、やがて海湖と男子が階段を下りてくる気配がした。
お邪魔しましたという声がして、男子は帰ったようだった。すぐに海湖がひょっこりリビングに顔を出してきた。もう出かけないからか、いつの間にか制服からラフなシャツとキュロットに着替えている。メイクをしているのは確かなようだが、ぼくにもわかるようなむらがある。ここにいるお姉さんを見習ったらどうだね。
「お兄ちゃん、何時までいる?」
「4時半。5時から9時ころまでがいちばん忙しいから、その間の手伝いを頼まれてる。」
「じゃ、ちょっと見てもらいたいのあるから、持ってくるね。お姉さん、お兄ちゃんがいなくなったら、私の部屋でお話ししてもいいですか?」
「もちろん。」
海湖がばたばたと階段を上がって、問題集を持ってきた。
「私は、雷空の部屋で待ってるから、海湖ちゃん、あとで呼んで。」
「はい。」
ここで勉強するってことは、さっきの男子は部屋に入れても、兄は入れないってこと? 別にいいけど。
☆
雷空の部屋で待っていると、ドアがノックされて、海湖ちゃんがやってきた。
それにしても、アパートの部屋とは違うレイアウトだけど、なぜだか雷空の部屋だと思うと落ち着く。自分の部屋みたい。
「終わりました。お兄ちゃんは、出かけました。こっち、来てください。また、メイクの練習とか、させてください。」
隣の部屋に移動する。海湖ちゃんはさっきからTシャツとショートパンツ姿だ。それに、雷空は気づかないだろうけど、メイクがちょっと変になってる。何かにこすりつけたように。
「一ついい? さっきは雷空の前だから言わなかったけど、終わった後、メイク確認したほうがいいと思うよ。鏡見て。」
「あっ、ほんとだ。変になってる。」
「終わった後もきれいにしておいたほうが彼も喜ぶでしょ。それに、彼の顔とか服とかにもファンデとかがついてたかもしれないから、そういうのは女の子が見てあげたほうがいいわよ。」
「あいつは別に彼氏じゃないです。」
「でも、してたんでしょ? 服がかわってたもの。」
自分でもにやけているのがわかる。
「部屋の外で待ってもらって、その間に着替えたとは思わなかったんですか?」
「だって、メイクの乱れ方もだし、だいたい、家に男の子を連れてきて、わざわざ待ってもらってまで、制服からそんな部屋着みたいな服に着替える女の子はいないでしょ。」
「ばればれですねー。声は、押さえたんですけど。確かに制服からやって、終わって帰ってもらう直前にこの服着ました。でも彼氏じゃないのはほんとです。前言ったように、男子と一緒に行動して、危ない目にあわないようにしてるだけです。あれがその一人。」
海湖ちゃんはあっけらかんとして、言った。
「ほかにもいるのね。」
「ボディーガードは何人かいて、部屋まであげる人は3人で、最後までやってるのは二人ですね。さっきのケイヤって人と、もう一人は、前言ったバスケの人ですね。彼氏は今はいないです。勉強に集中しなきゃいけないし。お姉さんは、お兄ちゃんとやった後、毎回ちゃんとメイク直しするんですか?」
あ、話があらぬ方向に。全然勉強に集中しようとしてないじゃないの!
「そもそもたいがいお風呂入ってから寝る前にするから、もともとメイクしてないし、してても寝る前なら落とすだけね。昼間だったら、そりゃ、メイク直しするよ。」
「やっぱ、大人の人でも夜のエッチはすっぴんでするんですか?」
「いやあ、他の人がどうか知らないけど、私は、普段はそうね。最初は恥ずかしかったけど、今は、だって、半分一緒に住んでるようなものだし・・・。」
よく考えたら、初めて男女の関係になったときは、すでに風呂上がりすっぴんかつホテルの寝間着姿だったような気もする。それに、それ以前から物理的には一緒に寝ていたから、すっぴん見せつけまくりだったような気もしてきた。つまり、最初はというのは、最初にすっぴんでそういう行為をしたときという意味ではなくて、文字どおり最初にすっぴんを見せたときという意味ね。しかも貸し切り風呂つき宿泊施設でね!
「だからつまり、お化粧も大事だけど、それよりも普段からしっかりケアして素肌を美しくしておくことこそが大事なのよ。特に海湖ちゃんみたいな年齢の人は。」
海湖ちゃんへのアドバイスに話を戻そうとする。
「そうなんですね。それで、終わったあとは、二人で一緒に寝るんですよね? でもそういうときって、もう1回服着て寝るもんなんですか? それとも、そのまま着ないで寝ちゃう感じですか?」
強引に話を軌道修正されている。
「季節にもよるけど、下着はだいたい着るかな・・・。着ないこともあるけど・・・。」
再度下着を脱がされることもあるけど。
「今の時期二人だと暑くて寝苦しくないですか?」
「くっついたら暑くても、手をつないで寝るなり、腕枕してもらうなりすれば、幸せでしょ。」
「朝起きたとき口臭とか気になりませんか?」
いつまで続くのよ、この話! そもそも、肝心のメイクの話はほとんどしてないじゃない。いや、したといえばしたけど、そういうことじゃなくて、メイクの話って、メイク用品とかメイクのしかたの話のことじゃないの?
「そろそろ、お勉強再開したら?」
「最後にもう1個だけ。前、お風呂の話してたじゃないですか。きょうは、お兄ちゃんと一緒にお風呂入ってからエッチするんですか? それか、終わったら一緒に入って汗流す感じですか?」
「そんなこと聞くもんじゃないの。決めてもいないし。」
「お兄ちゃん9時まで忙しいとか言ってたからそのあと帰ってくるはずですよね。たぶん10時くらいまで待ってたら、お父さんとお母さんは部屋に引っ込むと思うし、私もそれまでにお風呂済ませておくんで、あとは二人でゆっくり入ってもらっていいですよ。で、明日、どうだったか聞かせてください。」
こ、こんなに興味津々な人がそばにいたら、恥ずかしくて何もできないじゃない・・・。少なくとも、きょう一緒にお風呂に入ったら海湖ちゃんの思うつぼ。お風呂の中でお兄ちゃんの大事なところを刺激してあげたんですよね、とか聞かれかねない。
内緒だけど、今夜はする予定はない。なぜかというと、前回同様、海湖ちゃんがいない午前中に、もう済ませたから。しかも、終了後、汗を流すために、二人で一緒にシャワーも浴びたの。だから今夜は一緒にお風呂に入る必要もないの。
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実家に帰って、入浴を済ませ、自室で莉亜と二人きりになった。莉亜は先に入浴を済ませていた。ぼくの親から入浴を勧められたかららしい。まあいい。
二人で、シングルベッドに入って、おやすみのキスをたっぷりして、互いの身体を優しく抱き寄せる。形式上、ぼくのベッドの下に寝具がもう一組準備されているけれど、そんなものを使うことはない。手を握りしめて、眠りにつく。
え、それだけなのかって? そりゃあ、それ以上のことは、海湖が夏期講習に行っている午前中に済ませたに決まってるでしょ。そして、明日も午前中にすればいいから今は我慢なのだ。軽く莉亜のやわらかな胸を触ったり太ももをなでたりもするけれど、我慢なのだ。
そんなことよりも、海湖を協力員にすることが、今回の合宿もとい帰省の目的だったはずだ。その話は、どう進めればいいんだろう。
☆
翌日も、午前中の誰もいない間に雷空の部屋で愛をはぐくみ、汗をかいたから二人でシャワーを浴びた。海湖ちゃんときのうの男子は、真夏でもシャワーなしだったのね。私たちがいたせいかもしれないけど。
昼過ぎくらいに制服姿の海湖ちゃんが帰ってくる。
「きょうは一人?」
特に深い意味もなく、尋ねる。
「あ、きょうは家の前で別れただけで、男子に送ってもらったことは確かなんで、心配しないでください。家の中に入ってもいい男子とそうじゃないのがいるんです。そんなことより、今、家のまわりで変なやつを見ました。」
不穏ね。近くにいた雷空も反応する。あ、テーブルの下でつないでた手が離れちゃった。
「どんなやつ?」
「前に襲ってきたやつらと、だいたい同じような感じで、見張ってる感じ。」
「つまり、そいつらは莉亜のことを海湖だと思ってねらってて、莉亜が今ここにいることを知って、見張ってるってことかな?」
「わかんないけど、そうかもよ。なんか怖いーて言って、ちょっと女の子らしくして、送ってくれたムスビっていう男子に甘えちゃったら、守ってくれそうな雰囲気で、玄関の真ん前まで連れてきてくれて、かっこよかった。あと2回くらいかっこいいとこ見せてくれたら、その子とチューしてあげようかな。」
お兄さんの前でそんなこと言って大丈夫?
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「よし、ちょうどいいじゃない。」
莉亜が言った。
「海湖ちゃんの入社試験といきましょう。」
「はあ?」
「一人でも倒せたら合格ね。」
いや、これ、試験じゃなくて本番だよね?
「あんなやつらに負けることもないと思うし。」
莉亜は、わざわざ日焼け止めを塗って日傘を差して、外に出た。ぼくと、やはり日焼け止めを塗ってアームカバーをつけた海湖が、後ろからついていく。
莉亜が門の外に出た。
☆
あれ、何も起こらない。
付近のようすをうかがう。特に何もない。
いや、誰かいる。曲がり角の向こうに隠れた。
私はすたすたとそっちに歩いて、角の向こうを見た。
「あっ。」
声をあげたのは男子高校生だった。きのう海湖ちゃんが連れてきていた男子と同じような、校章の入ったワイシャツに黒ズボンの制服を着て、右肩から大きくて四角いスポーツバッグをかけている。かなり背が高くて、筋肉質で、ちょっとくせっ毛。この人が、海湖ちゃんをきょう送ってきたという男子かしら?
「海湖ちゃんの友だち? 遊びに来たんだったら、家に入ったら?」
私の家じゃないけど。
「ウミのお姉さんですか?」
「そういうわけではないの。」
ウミっていうのは海湖ちゃんのことよね、たぶん。どちらにしても私は姉ではない。
「ちょっと、ルー、じゃなくて北見、なんでここにいんの。」
後ろから海湖ちゃんの声がした。
「ウミが小林と一緒に帰ったから・・・。」
「ほかに一緒に帰ってくれる人がいなかっただけ。」
「小林は家にいるのか?」
「いない。この辺でさよならした。ムスビは家にも入れたことないし、まだ手をつないだこともない。」
「まじか?」
「まじ。その程度。よかったら北見が今から家にくる?」
北見とかルー(?)とか呼ばれた男子が少しうれしそう。なんだか青春の1ページ、って感じ。まぶしい。日差しもまぶしいけど。
でも、私は知っている。こないだケイヤくんとかいう別の男子が家に入っていたことを。
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背後で怪しげな気配を感じた。暑さでぼーっとしていたからじゃない。
振り向くと、5、6人の男がいた。しつっけえな! 今、妹と仲良しの男子とがお取り込み中なんだから、空気読んでくれない?
「見つけたぞ。」
男たちがばばばっとぼくたちの周囲を取り囲む。
「なんだ?」
釧路じゃなくて稚内じゃなくて、そうそう、北見だ。北見とかいうでかい男子が面食らっている。そりゃいきなりこんなことになればね。
「おい、お前が奥村の娘だな? 用がある。」
たぶん莉亜に向かって、男が言った。
「誰のことかしら?」
「とぼけるな。」
「とぼけてなんかいないわ。ね、北見くん、だっけ。私は誰?」
「あ、いや、ほんとに、知りません。ただ、ウミの家から出てきたから、なんとなく、ウミのお姉さんかと思ってました。」
正直な子だ。
「私はただ遊びに来てただけの赤の他人。なんなら、とりたてほやほやの免許証を見せてあげてもいいわよ。」
「確かに似てないっすね。すみません、この家の娘は、この子ですよ。」
北見が海湖を指して言った。なんでもかんでも正直に答えりゃいいって問題じゃねえんだよ!
「お前が奥村の娘か?」
「違います。」
「てめえらいい加減に・・・。」
「ルー、あ、北見? 私の名前は何?」
「マツザワウミコ。ウミはあだ名。漢字で書くとウミにミズウミで、ウミだらけだから・・・。」
そもそも名前間違ってるし、膿だらけみたいに言うなよ。口に出して突っ込む余裕はないけれども!
「ほら、私はマツザワウミコ。」
違うだろ。ウミコじゃなくてミコだろ。自分の名前どっちでもいいのかよ。今問題なのは名字の方だけれども。
「だから奥村じゃない。」
確かに法律的には、海湖はぼくと同様、奥村安樹の子ではないから、奥村の娘じゃないというのは、うそじゃない。母の名字は奥村になっているから、奥村というのが母・奥村美鈴のことだと解釈すれば、うそになってしまうけどね。法学部に入ると、なんでこうも理屈っぽくなるんだろうね。
「とぼけてると痛い目に遭うぞ!」
ガン。
「ぼーっとしてると痛い目に遭うわよ!」
「あう!」
たたまれた日傘が急所に入った。
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私の先制攻撃を見て、残り4人の男が襲ってきた。最初の男も、さすがに日傘が武器では威力が小さかったのか、痛みをこらえながら一団に加わっている。
さすがにこれだけ同時には無理。でも、こっちの戦力は4人。私のほかに男子が二人、剣道女子が一人。別に大丈夫なんじゃないかな。
「ウミ、危ない!」
北見くんが海湖ちゃんの前にたちはだかって、ガードする。確実に180センチ以上はありそうな北見くんがたちはだかると、小柄な海湖ちゃんはすっかり隠れてしまう。
雷空、あんたも彼を見習いなさい!
二人が私に、別の二人が北見くんと海湖ちゃんに、そして残り一人が雷空に襲いかかってくる。いつもながら、なんで私にかかってくる戦力のほうが雷空にくる戦力より多いわけ? 雷空はそんなに弱く見えるの? 私を守らないから?
私が二人と対峙している間に、北見くんが殴られたらしい。
「これ使って!」
私は、日傘を海湖ちゃんに放り投げた。あなたも女子なら日傘くらい持って出てくればよかったのにね。まあ、地方の高校生は自転車での移動が中心だろうし、アームカバーで日焼け対策するほうが普通なのかもね。
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さっきまで北見が持っていたスポーツバッグを勝手に拾って(重っ!)、懸命に振り回して、ぼくに向かってくる敵の顔にぶつけた。それから北見を殴り倒した男にもバッグをぶちかます。
北見と海湖にはもう一人襲いかかってきている。海湖が、日傘でその男に小手を食らわせて攻撃力をそいだ。竹刀より短いからか、面は難しそうだ。よろよろしながら北見がぼくからバッグを受け取って、ファスナーを開けた。中からバスケットボールを取り出すと、このやろうとばかりに海湖の前にいる男の顔面にダンクシュート! ぼくは少しは軽くなったバッグから何か(たぶんバッシュ)が入った大きな巾着袋を勝手に取り出すと、北見を殴った方の男に巾着袋を投げつけてひるませた。そして、最初にぼくに襲いかかってきてバッグで殴った方の男の頭にそのバッグをすっぽりかぶせた。バッグで視界が失われてよろよろする男に、海湖が今度こそバッグの上から日傘で面を決める。その間に北見が巾着袋をぶつけられた男にボールをぶつける。
「ルー、ありがとう。」
「退散するわよ!」
いつの間にか二人の敵を撃退していた莉亜の指示で、総員退避を開始した。全速力で家に向かって駆ける。北見はボールとバッシュ(推定)をあっという間に拾い上げてバッグに詰め込んで、海湖が持っていた日傘も受け取ってバッグに収納し(莉亜の傘だけどね。)、かつ、海湖の手を引いて走っている。あ、ぼくは莉亜の手を引いていない。というか、莉亜のほうがだいぶ先に行ってる! いっつもあんなに手をつなぎたがるくせに!
ぼくが最後に玄関の中に入って扉を閉め、確実に施錠した。とりあえずリビングのテーブルを囲んで座る。
「何なんすか、いったい・・・。」
「肝心なところで邪魔が入っちゃったわね。なんなら、『小林は家にいるのか。』あたりから二人の会話を再開してみる?」
「ちょっとお姉さん!」
海湖が顔を真っ赤にして言う。
「やっぱウミのお姉さん、なんすか?」
海湖が紛らわしい呼び方するから勘違いされてるんだよ!
「ルー、この人は、お兄ちゃんの彼女さんで、ほんとのお姉さんじゃないよ。」
「ルーって?」
「あ、名前っす。おれ、北見瑠侑っていいます。ウミの、ウミコさんの同級生です。」
だから、この子はウミコじゃなくてミコなんだよ!
「普段ルーって呼んでるのね。海湖ちゃん、ちょっと。」
莉亜が海湖の耳元で何かささやく。海湖が恥ずかしそうに2、3回首を縦に振る。目の前で内緒話するな!
それから莉亜は改めて言った。
「今ので汗かいたから、シャワー浴びましょっか。海湖ちゃん、お先にどう?」
何を言い出すかと思えば。確かに汗はかいたけど、さっき初めて会ったばかりの男子高校生がいるのになんでそんな話が出てくる?
「い、いえ、お姉さんが、先に。」
「そう? じゃ、雷空、私たちから入るわよ。その次が、海湖ちゃんたちの番ね。」
何か間違ってないか?
☆
予想どおり、ルーこと北見くんは、海湖ちゃんが以前から関係をもっているバスケ男子だったらしい。身を挺して守ってくれたご褒美にお風呂でいちゃいちゃって、素敵じゃない?
二人の邪魔にならないように、ほとんど何もない座敷で雷空と過ごしていると、二人が浴室を出て2階に上がっていく足音がした。私たちも・・・といきたいところだけど、午前中に済ませたばっかりだし、隣どうしの部屋でそれぞれやるっていうのも変だから、今はお預け。そんなことより、ルーくんに返してもらった日傘は曲がってたから、新しいのを買いにいかないと。でも、今買い物に行くならそのためにも日傘が必要ね。
あ、そういえば、海湖ちゃんの入社試験だったんだっけ? 忘れてた。男子の力を借りたとはいえ、敵に立ち向かってやっつけたんだから、合格よね。
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翌日、朝はルーこと北見を迎えに呼びつけていた海湖は、今度は別の男子と一緒に帰ってきた。前にも来ていた、がっしりした体格の男子だ。短めの髪型で精悍な顔つきをしている。きょうは2階に直行せず、二人でリビングに入ってきた。ぼくと莉亜は、親がいる日を除いて、海湖が帰ってくるころには、気を遣ってわざわざぼくの部屋ではなくてリビングで過ごしている。つまり海湖が自室で好き勝手できるようにしてあげているのだ。もちろん、自分たちは午前中に済ませてからの話だ。明るい中でするって、それもいいよね。
「ケイヤ、これ、お兄ちゃん。帰省なのに実家に彼女を連れ込んでるエロお兄ちゃんね。」
おい。
「原恵哉です。お兄さんが、ウミコが危ないから、男子に送り迎えしてもらえって言ってくれたんですよね? おかげで、同じ剣道部でずっと一緒だったんですけど、3年になってから前よりウミコと仲良くなれました。だから、部活引退しても仲良くさせてもらってます。」
ん? ぼくが言ったんだっけ? よく覚えてないけど、いずれにしても、仲良くなれたってのはあれか。大人の男女の関係になったってことか。それより、こいつも海湖の名前の読み方間違ってるけど、いいのか?
「学校じゃウミコって呼ばれてるの?」
「ウミコって呼ぶ人もいるよ。間違えられていちいち訂正するのめんどくさいからほんとにウミコだと思ってる人もいるかもしれないけど、ほんとはミコだって知っててあだ名でウミとかウミコって呼ぶ人もいる。お兄ちゃんも私のことウミコって呼んでもいいよ?」
なんでだよ。
「剣道部員はみんな本名はミコだって知ってます。あだ名でウミコって呼んでるだけです。」
ケイヤとかいう男子が言った。知らないのはきのうのルーみたいなやつか。
「あ、お姉さんだ。ケイヤ、彼女さんだよ。すっごいきれいで私の憧れの人。で、私たちのことは親には黙っててくれるから、こないだみたいに心配してこそこそしなくて大丈夫。」
「こんにちは。」
トイレかどこかから戻ってきて笑顔であいさつをした莉亜に、ケイヤが少し見とれていたのをぼくは見逃さなかった。そうでしょ、かわいいでしょ、きれいでしょ。でもこの人はぼくの彼女。あれもこれもぼくのものであって、君にはあげないよー。年下に対して何を考えてるんだ。
海湖とケイヤがきょうは堂々とリビングにやってきたのは、前回は兄が彼女と一緒に帰省中だと知って、こそこそしてたけど、ルーとかいう別の男と一緒にシャワーまで浴びさせられた海湖が、吹っ切れてこのケイヤという男子ともぼくたちの前で堂々と仲良しこよしで過ごすことにしたってことかな。こう書くと、得してるのはルーだけだね。
「やっべ、ルーから電話だ。ちょっと待ってて。・・・やっほー、今、帰ったとこだけど? あ、ごめん、今からお姉さんと出かけるから・・・、うん、明日は大丈夫。明日の朝、来てくれたら。うんうん。今度来てね。じゃねー。」
海湖が少し席から離れてスマホに向かってしゃべっている間、手持ち無沙汰そうなケイヤにぼくはお茶を持ってきて、ついでに海湖が座っていたところにも置いておく。海湖さんよ、ほかの男と電話する前にお茶くらいあなたが出してあげたらどうね?
「お待たせー。ルーって、ご機嫌とっとかないとうざいのよね。ケイヤみたいにあっさりしてたらいいんだけど。あ、お姉さんにお兄ちゃん、ケイヤにはルーのこと言ってもいいけど、ルーにはケイヤのこと言ったらだめだからね。」
いろいろ複雑なのね。
☆
ケイヤくんとかいう男子と海湖ちゃんが1時間ほど2階で過ごし(雷空が出したお茶は海湖ちゃんが2階へ運んだ。)、それから男子が帰って、きょうも雷空はバイトに出かける。
「さっきの子、2回目ね。」
「あれは原恵哉っていう人です。剣道部の仲間だった人です。」
「きのう話に出てた、小林くんとかいう人も一緒に帰る人なの?」
「そうです。小林結っていって、きのう送ってくれた男子です。ゆいっていう名前だけど、それだと女の子みたいだし、結ぶっていう漢字なので、ムスビって呼んでます。」
ケイヤはともかく、ウミにウミコにルーにムスビって、アニメの世界みたいでかわいらしいのね。
「ムスビは、勉強が得意だけどあんまりかっこよくないから、ほんとにただの友だちで、エロい関係は一切ないです。ただ、たまたま、ストーカーみたいな人がいるから家まで一緒に来てほしいって頼んで、きのう送ってもらったら、変なやつ目撃して、そのときはかっこよかったんで、これからもうちょっといちゃついてやろうかと思ってます。そんな感じなのに、ルーが勝手に目撃して嫉妬してたみたいですね。自分は都合が悪いからって送ってくれなかったくせに。」
「ボディーガードがいっぱいいるのね。」
「あと一人は、カズシです。本当は戸郷和志郎っていう名前ですけど、名前が長いんでカズシって呼んでます。カズシとは、普通の男子よりはだいぶ仲いいけど、カラダの関係はありません。ルーとケイヤはがつがつしてすぐエッチしたがるけど、カズシはあんまりそこまで求めてこないんで。でも、守ってくれるし優しい人なんで、そろそろチューくらいはしてあげようかなって思ってます。今度連れてきましょうか?」
聞いてもいないことまですらすらと説明した。一気に言われても会ったこともない人まで覚えきれない。読者の皆さんにも謝ってちょうだい。
「ずいぶん男の子と仲いいのね?」
「私、理数科だし、剣道部だったし、まわりに男子が多いんですよね。もちろん女子の友だちもいるけど、女同士だと、いろいろあるじゃないですか。男子と仲良くしてるほうが楽です。こっちが甘えたらすぐ優しくしてくれるし、トイレとか着替えとか体調悪いとかいろいろ理由つけて離れるのも簡単だし、最悪切りたきゃいつでも切って捨てれるし。あ、そうだ、それより、1個、お願いしてもいいですか?」
「なあに?」
「シャワー一緒に浴びるの、ルーは興奮してたけど、私は死ぬほど恥ずかしかったです。もし、ルーがまた入りたいとか求めてきたら、さすがに断りたいんで、そのときは協力してください。あと、ケイヤともシャワーは無理です。」
「もちろん、特別なときのご褒美であって、いつもすることじゃないのよ。」
雷空にも混浴は特別なときだけだって思い知らせないとね。優菜さんもそう言ってたし。それなのに、今朝も行為後に一緒にシャワーに行っちゃったけど!