6-2 愛人を追跡せよ
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翌日、ぼくたちは東京に戻るため、バスに乗って地元のターミナル駅に向かった。
バスを降りて、駅の建物内に入ろうとしたときに、白いブラウス姿の若い女性が視界の中に入ってきた。
「あっ。」
「どうかしたの?」
「あれ、中井さんだ。」
中井さんは、小さめのキャリーバッグを引きながら、在来線のホームの方面に向かっている。ぼくは慌てて後を追う。新幹線の切符しか持ってないけど、中には乗り換え改札口もあるし、乗車券として入場だけはできるはずだ。どうしても困ったときには改札を間違えたとでも言うしかない。
中井さんがホームで電光掲示板を確認している。表示されているのは、15分ほどあとに来る、特急列車だ。1時間に1本ほどの間隔で、ここと隣県とを結んでいる在来線特急。
「新幹線に乗り遅れちゃうんじゃない?」
莉亜が不安げに言った。自分たちが乗る予定の新幹線の指定席を優先するか? 乗り遅れても自由席には乗れるが、連休だから厳しいかもしれない。
こっそり、中井さんが待っている姿を写真に撮る。遠くからだから他人には何を撮っているかもわからず、怒られないだろう。
こうなったらいっそ、あとを追うか? しかし中井さんがどこに行くかわからないから切符を準備できない。適当に買って、不足したら乗り越し精算?
電光掲示板に表示されている、中井さんが乗ると思われる列車の情報も撮影する。行き先は、隣の県の県庁所在地。森田健輔が議員をしているところだ。中井さんと森田がつながっていることは間違いない。
「これに乗るよ。」
ぼくは決断した。
「わかった。」
莉亜はぼくの判断に対して何も言わなかった。列車が来るまではまだ少し余裕がある。
「急いで切符を買い直さないと。」
改札口で、駅員に、急用ができたので出たいと言った。切符は改札を通っているので無効になりますと言われたが、しかたない。
中井さんがどこに行くかわからないから、とりあえず特急列車の終点である隣県の県庁所在地の駅までの乗車券と自由席特急券を購入し、全速力でさっきのホームに戻ると、列車はもう停車していた。発車の案内が流れる中、都会人らしく駆け込み乗車で自由席車両に乗り込んだら、すぐに扉が閉まった。中井さんがどこにいるのかはわからない。
連休中とあってその車両はほぼ満席だった。中央が通路で、左右にそれぞれ二人ずつかけられるシートが配列されている。同じ車両に中井さんの姿は見当たらない。かろうじて空いていた通路側の1席に莉亜を座らせ、荷物を網棚に載せた。莉亜の奥の窓側の席には60歳くらいの女性が座っている。一つ前の席に親子連れが座っていて、5、6歳くらいの男の子が背もたれの上から後ろの女性のほうに顔を出してきた。莉亜の横にいるのがおばあちゃんのようだ。
車内を偵察しようとするが、中井さんにはぼくの顔が知られている。莉亜の顔も、覚えているかどうかわからないが、知られている。
「中井さんがどこにいるか見てきてくれない? ぼくの顔ははっきり覚えられていてすぐばれちゃうだろうから。」
迷惑にならないように、また、怪しまれないように、わざわざスマホのメッセージを送る。すぐに莉亜からの返信が来る。
「任せて。変装は得意だもの。」
いや、今ここでコスプレせんでいいってば。
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日差し対策の幅広の帽子を深くかぶって顔を見えにくくして、座席を雷空と交代し、列車の真ん中の通路を歩いて行く。ローカルの特急列車だから、ごとごととけっこう揺れが激しい。車掌さんとすれ違って一瞬どきっとしたが、切符も持っているし、何も悪いことなんてしていない。
そういえば、この切符は券売機で雷空がまとめて二人分買ってくれた。あとでお金返さないと。というか、森田議員と中井さんのつながりを調査するための出張旅費なんだから父に請求すべきよね。無駄になった新幹線の分も。
指定席車両が前方の2両、自由席車両が後方の2両という編成だった。私たちが乗っていたのは前から3両目。まず後ろ側の自由席車両を見たが、中井さんはいなかった(それにもう席も空いていなかった。)から、雷空の横を通過して今度は前の指定席車両に移動する。前から2両目には中井さんは見当たらなかったので、さらに前の車両に行く。いちばん前の車両だから、中井さんがいてもいなくても、引き返すしかない。自由席車両なら席を探しているだけに見えるけど、車掌さんでもないのに指定席車両をいちばん前まで行って引き返すって、むっちゃ怪しいかも。まあ、トイレを探すとか、ゴミを捨てるとか、歩く目的はいろいろあるよね。
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莉亜から中井さんの居場所がわかったという連絡がきた。もっとも、中井さんがどこまで乗車するのかはわからないし、自由席の切符しか持っていないのに指定席車両で見張ることもできないから、途中で降りられたら続けて急いで降りるか、間に合わなければその駅で降りたという情報だけで満足するよりない。
「乗車券と特急券を拝見します。」
車掌さんの声がして、ぼくの隣に座っている女性客が車掌さんに切符を提示する。続いて自分の切符をポケットから取り出しながら、ぼくは言った。
「すみません、実は、彼女と二人で乗ってるんですけど、自由席だと一人分しか空いてなかったので、もし、指定席が空いているなら、変更できませんか? 彼女トイレが近いんで、できれば端っこのほうがありがたいです。」
そこまでトイレの近くにこだわる人なんていないだろと自分でも思ったが、もちろん、本当はトイレのためではなくて、中井さんを追跡するためにできるだけ出入り口の近くにしてもらうための方便だ。
「かしこまりました。・・・あいにく本日は混雑しておりまして、お並びの席がないのですが、縦に並ぶ形であれば、お二人分ご用意できます。4列目と5列目ですがよろしいですか。」
「それでお願いします。」
話している間に莉亜が戻ってきたので(車掌さんはトイレから戻ってきたと思ったはずだ。)、二人の切符を提示し、追加料金を払って指定券を受け取り、いちばん前の指定席車両に移動した。中井さんが座っている席の真横を通過するときはどきどきしたけれど、中井さんは窓の外に顔を向けていて、ほかの乗客に関心を向ける気配はなかった。今さら気づいたけれど、指定された席が中井さんの隣じゃなくてよかった!
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通路側の席に並んで(といっても縦に)座った。これだと手をつなぐ余地がないのが不満ではあるけれど、中井さんと同じ車両だった。私たちのほうが中井さんよりも前だから、中井さんをずっと見ておくのは難しいけれど、要は駅に停車したときに中井さんが降りるかどうかを確認するだけでいい。メッセージを送り合えるように、手をつなぐ代わりにスマホを握りしめておく。
急いで乗ったから飲み物も買ってない。私のハンドバッグの中に1本だけ紅茶のペットボトルを入れていたので、そのキャップを開けて少し飲んで、一つ前の席に座っている雷空の肩をたたいて、ボトルを渡した。雷空が控えめにありがとうと言って、紅茶を口に含んでから、ボトルを返す。
「どこまで行かれます?」
急に、隣の人に話しかけられた。サラリーマン風の40歳くらいの男性だ。連休なのに出張かな。
「あ、あの、終点まで。」
切符の記載上はそうだけど、途中で急きょ降りるかもしれないから、終点まで行くとは限らないけどね。
「私も一緒ですので、よかったら、前の方と席、代わりましょうか?」
「あ、でも・・・。」
「私はいつも乗ってますから、通路側で大丈夫です。」
男性が立ち上がって、雷空に話しかけて、雷空が座っていた席に陣取った。雷空が私に手で奥に詰めるように合図し、私が窓側に、雷空が通路側に、今度こそ横に並んで座った。
そんなにカップル感丸出しだった? 飲み物を渡しただけなんだけど。この車両に乗ってきたときに手をつないでラブラブな感じだったからかな。ひょっとしたら、私たちに気を遣ったというより、いちゃラブ感が目に入るのが目障りだから前の席に移動したかったのかもしれない。
ただ、これだと雷空にもたれかかって居眠りしちゃうかもしれない! 中井さんを見失わないようにしなければ。
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県庁所在地のターミナル駅で中井さんは列車を降りた。
ガラガラとキャリーバッグを引きながら歩いている。人混みの中、なんとか見失わないように、自分たちもキャリーバッグを引いて追う。改札を抜けたところで、中井さんは立ち止まった。
30歳くらいの男性が、中井さんを待っていた。ボーダー柄のポロシャツにベージュのズボンをはいていて、ゴルファーみたいな外見だ。
怪しまれないように、莉亜の手を引いて付近の壁に寄る。カップルって、こういうとき便利だよね。誰もこいつらこんなところで何してんだと思ってこない。
男性は中井さんのキャリーバッグを受け取って自分で引き、反対側の手で中井さんの手を握った。彼氏かな? こっそりスマホで動画撮影し、二人が収まるような映像を撮りながら、後を追う。改札を抜けて駅の出口に向かっているだけだから尾行しているとも思われないだろう。
中井さんと男性は、駐車場まで歩いて行き、男性が運転する銀色の自動車に乗って、どこかへ去って行った。これ以上の追跡は不可能だ。自動車のナンバーは撮影した。ぼくたちがやってることって、ほとんど興信所だね。
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父には列車の中からもメッセージを送って状況を報告していた。改めて、中井さんの彼氏と思われる男の写真も送っておく。森田の関係者かもしれない。
とっくに昼は過ぎている。駅前にあったラーメン屋さんに入り、醤油ラーメンをすすりながら、雷空と作戦会議をする。
「あ、父さんから電話。」
雷空が言って、スマホを手に通話を始めた。彼は、さっきの男の写真を父親に送ったところだった。中井さんの交際を社長に告げ口するためではなくて、男の身元調査のためだ。
店の玄関のあたりで長いこと通話をしてから、雷空が戻ってきた。長すぎて、私のどんぶりはほとんど空っぽだ。
「まだそんなことしてたのかってむっちゃ怒られたけど、情報はくれた。中井さんは、きょうとあしたは有給で、あさっては定休日だから、3連休なんだって。で、この男は、はっきりわからんけど森田の息子じゃないかって言ってるよ。似てるし、年齢もそれくらいだし。」
「確かに似てるかも。」
「あしたまで、調査続行する?」
「仕方ないわね。」
きょうは4連休の三日目であすまで休みだ。きょう東京に戻って、連休最終日はうちで(あるいは雷空のアパートで)まったり過ごすつもりだった。
連休中だから宿泊する場所を確保できるかという問題はあるけどね。最悪、一度うちに帰ってあすの朝出直してもいい。雷空の地元からここに来るより、ここから都内に行くほうがたぶん交通手段がいろいろあるだろうし。
雷空がネットで森田議員の選挙事務所を調べ、二人でそこに向かう。中心部からは離れていて、バスで40分ほどかかった。事務所の目の前に駐車場があるが、先ほどの車は止まっていない。雷空が周辺を一回りして、周囲に別の駐車場がないかも確認していたが、少なくとも先ほどの車は見当たらない。そうよね。仮にさっきの男が森田議員の息子だったとして、せっかく彼女が旅行に来たのに、不倫疑惑に揺れる父親の選挙事務所になんか来ないでしょ。
そうはいっても、ほかに行くあてもない。ちょうど道の向かいにチェーンのカフェがあったので、張り込む。クリームソーダのアイスを彼とシェアしながら。ふふ。知らない土地デートもいいじゃない。あのセクハラ不倫議員の事務所を見ながらっていうのが気に食わないけど。
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クリームソーダとアイスコーヒーを飲みながら窓ガラス越しに見ていると、選挙事務所には人の出入りはあったが、誰だかわからなかった。
大した注文もせず長居する客って、ファミレスにもいるよね。迷惑だ。そろそろ出ようかな。
「そういえば。」
莉亜が言った。
「優菜さんなら、知ってるかも。こないだパーティーに出たし。」
「そうだね。聞いてみたら?」
莉亜が優菜さんにメッセージを送る。さらにしばらく選挙事務所を見ていると、知らない人が出てきて、戸締まりをするところだった。時期的に日が長くて明るいけれど、もう終了時刻らしい。
「あ、ほら、知ってるって。」
優菜さんから返事が来たらしい。
「やっぱりだ。パーティーにいたらしいよ。議員のまわりにいたって。でも誰なのかはわからないんだって。」
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父に電話をかけて報告した。
「それだけわかれば十分だ。息子の顔はあとでも調べられるし、彼女が遊びに来てるんなら事務所に顔も出さんだろう。調査はもういいから、帰ってきたらどうだね? それとも、せっかくだから二人でそこに泊まってから帰るかい?」
「泊まる場所も予約してないし、交通機関も調べないとわかんないから、あとで。」
雷空が帰りの電車を検索している。今からでも終電前に十分帰れるらしい。
「ホテルは、インターの近くとか、車じゃないと行きにくいとこにしかないみたい。」
「いえ、さっき駅前にもいくつかあったでしょ・・・、って、ちょっと、何いかがわしいこと考えてんのよ!」
父といい雷空といい、ラブホテルになら今から宿泊できると考えているのね! この二人、やっぱりそっくりじゃないの!