6-1 妹を守れ
6 即戦力に期待して
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ゴールデンウィークに、私は、雷空と二人で新幹線に乗った。温泉旅行ではない。それはもちろん行くけれど、今回の目的地は雷空の実家、雷空の帰省についていって、私も雷空の実家に2泊する予定。
すでに2回も会って、会社の休憩室も提供してくれた雷空のお父さんが、一度来てくれと言ってきたのだから、断ることもできない。
これまでの2回と違うのは、行き先がわかば不動産ではなくて、雷空の実家だということだ。
雷空に連れられて着いたその場所は、2階建ての大きな家だった。広い敷地に緑の葉っぱが茂る木が生えている。表札は奥村だが、郵便受けには奥村に加えて松沢という名前も書いてあった。
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「ようこそ、どうぞ。」
母が、ぼくと莉亜を迎え入れた。わざわざパートのシフトを変更して待っていてくれたらしい。
「近藤莉亜です。いつも、お世話になっております。本日は、お招きいただき、ありがとうございます。」
莉亜が、丁寧にあいさつした。父はまだ仕事の時間だ。
母が、リビングにぼくたちを連れて行き、飲み物とお菓子を出してきた。莉亜が丁寧に礼を言っている。
「ところで、雷空、あなたたち、どこで寝るの?」
「え、部屋は?」
まさか、一人暮らししている間に自室がなくなった?
「部屋で二人で寝るなら、部屋に莉亜さんの分のお布団持っていくし、もし広いほうがよかったら、お座敷に二つ布団出しておくわよ。」
母が言いたいことはわかった。ぼくの部屋で二人で寝るなら、少なくとも建前上は、ぼくがベッドで寝て、莉亜が来客用の布団を敷いた床で寝ることになる。座敷で寝るなら、ぼくの布団と来客用の布団を並べて準備しておくから、並んで寝ることができる。そういうことだ。
確かに、ぼくのアパートにしても莉亜の実家にしても、シングルベッドで押し合いへし合いくっついて寝るのが当たり前になっていたけれど、それが普通ってことはないよね。カップルは一緒に一つのベッドで寝てりゃいいといわんばかりの近藤家のほうがおかしい。それとも、もしかして、敵に捕まったときに拘束されたままでも寝られるように、ひそかに寝相をよくするための訓練でもさせられているのだろうか?
「じゃあ、座敷にして。自分の布団は持ってくるから。」
ぼくは、2階にある自室から、自分の布団を1階の座敷に運んだ。母が座敷の押し入れから別の布団を取り出して、たたんだ状態で畳の上に置いた。もちろん、実際には布団がいくつあろうと二人で一つの布団の中でくっついて寝ることにかわりはない。むしろ、寝る前に二人でする行為を考えたら、ベッドのほうがふかふかでいいかもしれない。それでも座敷を選択した理由は、座敷が1階にあるからだ。両親や妹の寝室は2階にあるから、離れていたほうが安心だろう。
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妹さんが帰ってきた。高校3年生で受験を迎える妹さんは、セーラー服姿で、肩下まで伸ばした髪をポニーテールにしている。剣道部に入っていて、きょうは、部活の関係で学校に行っていたらしい。剣道で身体を鍛えるなんて、お兄さんにも見習ってほしい。
「あ・・・。」
妹さんが、私を見た。
「近藤莉亜さんだよ。こっちが、妹の松沢海湖。」
そうね。妹さんも松沢で、再婚したお母さんは、奥村になっている、ということよね。
「お邪魔してます。お兄さんと、お付き合いしてます。近藤莉亜です。」
「よろしく・・・お願いします。」
海湖ちゃんが、じっと私の顔を見る。
高校生らしいというべきか、私も確かにそうだったけど、無駄に目元を強調してチークを塗りたくったようなちょっと不自然なメイクをしている。もっと、素肌から自然と美しく見せた方がいいのよ・・・。
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自室で莉亜とまったり過ごしてから、夕方、莉亜と一緒に出かける。
地元デートをしようとしているわけではない。
例の黄緑色の看板が目印の、わかば不動産の本店に向かう。もっとも、今度は父に会いに来たわけでもない。
道の向かい側から中のようすをうかがうと、確かに中井さんがいた。おそらく、この人が、森田議員と裏でつながっているに違いない。
営業が終わってしばらくすると、次々に従業員が外に出てくる。中井さんもその一人だ。中井さんは、歩いて近くにある月極駐車場に向かうと、白い軽自動車に乗って、どこかへ行ってしまった。
あ、車通勤か。地元じゃそれが普通だよね。都会に1年住んで忘れかけていた。そもそも父だって家からここに車で来てるはずだし。これじゃあ歩いて追跡できるわけないじゃん!
しかたなく実家に帰る。父さんも帰ってきて、みんなで食事をした。二人が出会ったきっかけを守秘義務に反しないようにうまく説明するのに苦労したけど、要するに、バイト中のぼくに莉亜が一目惚れしたのだ、と母と妹は理解したようだった。妹はメイクが得意の莉亜に相当な憧れをいだいたようだった。
莉亜は最初に入浴を勧められて、恐縮しながら一人で入浴した。莉亜の実家ではもうなんでもありだけど、さすがにここでは別々だ。
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お風呂をいただいて、洗面所で簡単にメイクをした。さすがに初めて会ったお母さんと妹さんに、2回しか会ったことのない(しかも会ったこと自体がお母さんと妹さんには秘密のの)お父さんの前に出るのだから、これくらいは身だしなみでしょ。
洗面所を出ると、リビングに妹の海湖ちゃんがいた。
じっと私を見て、言った。
「お姉さん、とってもきれいで、うらやましいです。」
お姉さんって、私? お母さんがたしなめる声がした。私は、構いませんよと言ってから、雷空の入浴の間、海湖ちゃんに、大人らしくてかつ若々しいメイクのこつを教えてあげた。
それからも海湖ちゃんといっぱい話をした。背は低いけど、剣道部に似つかわしくないくらいおっぱいが大きくて色っぽいスタイルで、うらやましい。
★
「海湖ちゃんと、すっごく仲良くなれたの。」
畳敷きの座敷で話をしていた。カップルに気を遣ったのか、両親と妹は早々と2階に行ってしまい、1階には二人しかいない。
「やっぱ女の子よね、メイクとかファッションの話をしてたら、いつまでたっても飽きないの。受験勉強の邪魔になっちゃったかも。」
「あいつもだいぶ色気がついたんだな。」
「なにそれ。彼氏つくるなんか許せん、みたいな?」
「ぼくはシスコンじゃない。それより・・・。」
身体を接近させる。
「・・・したいの?」
「うん。それか、その前に一度シャワーでも浴びる? 二人で。」
「遠慮しとく。それより、すぐ、しましょ。もたもたしてたら、私のほうから急所攻撃するから。」
「それはそれでしてほしいな。」
「もう。男の子なんだから、そっちから攻撃してよね。私は、全部よけるかもしれないけど。」
冗談めかして言う莉亜を抱きしめて、ぼくは莉亜との愛の行為を開始した。
来客用の布団でやるのは少し気が引けるので、ぼくの布団の中に二人で潜りこんだ。やっぱり布団はこれだけで十分だ。
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「お姉さん。」
翌朝、いちおう二人の部屋みたいになっているお座敷の外から、海湖ちゃんが私に声をかけてきた。ひょっとして、お義姉さんって書くべき?
お母さん(お義母さん?)はこれからパートに出るらしい。お父さん(お義父さん? そもそも雷空にとってもお義父さんか。)は、きょうも仕事。しかも会社が休みでもゴルフに出かけることが多いらしい。
「ちょっと、二人で、話したいことがあるんですけど。」
「ええ。」
「女の子だけの話だから、お兄ちゃんは来ないでよ。」
セーラー服姿の海湖ちゃんに、2階にある海湖ちゃんの部屋に連れて行かれる。受験勉強をしている高校生の部屋にふさわしく、勉強机に教科書や参考書が並んでいる。カーテンや布団カバーは青系統で、いかにも女の子という感じではなくて、落ち着いた感じの部屋だ。
わざわざ私を呼んで、女の子だけの話をするなんて、メイクのこと? 髪型のこと? それとも、服のこと? 大学受験なんて経験していない私は受験勉強はまったく教えられないけど、美容関係のことなら、いくらでも教えてあげられる。本当のお姉さんだと思ってくれて、甘えてくれていい。一人っ子の私は、きょうだいに憧れている。特に、妹って、かわいいもん。ほんとは二人で思いっきりおしゃれしてお出かけとかもしてみたいくらいだ。
「きょうも学校?」
「引退までは部活があるんで。すっぴんなのは部活だからです。」
「そう。大変ね。で、話って?」
「とっても言いにくいことなんですけど。」
海湖ちゃんが、声のトーンを落としながら、言った。なに、禁断の恋の相談でも始める気?
「昨日の夜、むっちゃ聞こえてましたよ。」
え、何が? ・・・ああっ。
「まだ早かったし、飲み物飲みに下に下りたら、ばっちり聞こえてました。別にお邪魔するつもりはないですけど、時間的に、親が1階に下りてくることだってあると思うんで、きょうも泊まるんなら、一応、余計なお世話かもしれないけど、言っておいた方がいいかなって・・・。お兄ちゃんに言うわけにもいかないし、お姉さんに言っておくしか。」
しまった。きのう、なんだかいい雰囲気になって、だいぶ早い時間にしちゃったものね。1階の座敷の隣にはリビングがあったから、静まりかえった夜にそんな声を出してたら、確かに、聞き耳を立てたりしなくても聞こえちゃうかも。
油断した。夢中になって敵(じゃないけど。)の接近に気づかなかったなんて、雷空のことをばかにできないじゃない。
「あ、あ・・・。」
やばいやばいやばい。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。しかも、多感な時期の高校生の妹に聞かれちゃったなんて・・・。
「お兄ちゃんの部屋のほうが、いいかもしれないですよ。」
「え、どういうこと?」
「お座敷の扉って、デザイン的に、声が通りやすいみたいなんですよね。ふすまになってて薄いし、隙間があるじゃないですか。だから部屋のほうがいいかなって思います。位置的にも、お兄ちゃんの部屋は、そっちで、お父さんとお母さんの部屋は、あっちなんで。」
海湖ちゃんは、あちらこちらと指で示しながら言った。何が言いたいかというと、階段にいちばん近いところに雷空の部屋があって、その次が私が今いる海湖ちゃんの部屋で、両親の部屋がいちばん奥にあると。
「お兄ちゃんの部屋でするんなら、廊下とか私の部屋にはともかく、あっちの親の部屋にはたぶん聞こえないですよ。なんなら、私がしばらく下で待ってて、その間にしてもらっても大丈夫です。」
え、いや、妹さんにそこまで面倒みてくれなくても、控えめにするから!
「わ、わかった。海湖ちゃんは普段どおりにしてて。あとは私と雷空で解決する。」
でも、どうやって言おう? 海湖ちゃんからの助言だなんて絶対言えない!
「ごめんなさいね、気を遣わせちゃって。」
「私のことなら全然大丈夫です。聞こえても気にしません。私だって、そういうときはむっちゃ声出しちゃうし、気持ちよければ声が出るのは当然です。」
な、なんですって? なんなの高校生なのにその達観した感じは?
「今は普段お兄ちゃんの部屋は空き部屋なんで、私も、自分の部屋でやるんじゃなくて勝手にお兄ちゃんの部屋借りてやったりしたこともあるんで。あ、お兄ちゃんには言わないでください。」
さらなる衝撃の暴露が続く。
「・・・それって、彼氏、と?」
「うーん、そのときの相手は彼氏じゃなかったかも。もちろん、いつもじゃなくて、たまたま親がいたときにそういう流れになっちゃったときの話ですよ。」
ま、待って。もうお姉さん、ついていけないわ!
ではそろそろ時間と、海湖ちゃんは、部活の道具を持って学校へと向かった。
あれ、海湖ちゃんが出かければ、結局、この家には私と雷空しかいないじゃない。きょうの昼間は地元デートの予定だったけど、順番を変更すれば・・・。
★
莉亜との地元デートのついでに再びきのうと同じ駐車場に行ってみた。
きのう中井さんが乗っていた軽自動車が同じ場所にとめてある。ひとまずスマホで写真撮影する。何かの役に立つかもしれない。
食事と買い物を済ませて、二人で実家の近くへ歩いていると、後ろから怪しい気配がした。
「何かいる。」
自転車の音。振り返ると、セーラー服姿の見慣れた顔が。
「なんだ、海湖か。」
「なんだって何よ。二人があんまり仲よさそうだったから、お邪魔にならないように話しかけなかっただけなんだけど。ひょっとして、今から路チューでもするところだったんなら、私のことなんて気にしないでしてもらっていいんだけど?」
「するわけねえだろ。」
「そんなことより、私も、お姉さんみたいにきれいになって、男の人に甘えられたらなーと思うんです。お姉さん、また、おしゃれのこと、教えてください。」
「そう。それじゃ、よかったら、一緒に買い物行かない? 服とか、メイク用品とか、一緒に選びましょ。」
「うれしいですー。」
「雷空、あなたはお留守番してて。」
いったいいつの間にこんなに仲良くなったんだ。
☆
海湖ちゃんは、部活が終わったからなのかいつの間にかメイクはしていた。私のアドバイスを参考にしたのか、昨日より自然な美しさという感じだ。一度家の中に入って、制服から私服のブラウスとデニムのスカートに着替えて、私と一緒にショッピングセンターに向かった。海湖ちゃんの肌に合う化粧品を見繕ってプレゼントしてあげて、それから、一緒に洋服を選んだ。
「そろそろ帰らないと。」
「そうね。お勉強もしないといけないしね。」
「お姉さんだって、お兄ちゃんと家ですること、あるじゃないですかー。」
「それはきょうはもう済ませたから心配しなくていいの。」
「もう?」
海湖ちゃんが歩くのを中断して休憩用のベンチに腰かけた。帰るの、遅くなっても知らないわよ。
★
それは今朝のこと。
何やら部屋で莉亜と話していた海湖が部活に出かけ、母もスーパーのパートの仕事に出かけた。父は連休で客が増えて忙しいと言いながら、出勤している。
なぜか、莉亜が、ぼくの部屋に移動したがった。せっかくだから、地元のお店(母のパート先以外)にでも行って、買い物と昼食くらいは一緒にする予定だったのだけど、莉亜は、そんな計画など無視して、ぼくを引っ張るように部屋に移動した。
ぼくはいったん窓を開けて換気をする。この時期らしいさわやかな空気が室内に入ってくる。莉亜はベッドに腰掛けている。
「窓、閉めてもらっていい? カーテンも。」
ぼくが言われたとおりにすると、莉亜はぼくを隣に座らせて、ぼくの身体に抱きついてきた。ねっとりした感じで、ちょっとしたコミュニケーションという雰囲気ではない。
「どうかしたの? いけないことしたくなった?」
「夜はみんないて落ち着かないから、今、して。」
「せっかくだし、出かけなくて、いいの?」
「そんなの、あとでいいじゃない。とにかく今、したいの。」
ここまで言われて何もしないわけにはいかない。莉亜をベッドに組み伏せた。
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「出かける前に済ませておいたから、今夜はいいの。お預けにするつもり。」
「でも、彼氏と同じ部屋で一緒に寝てたらやりたくなりません? 私は夜泊まってやったことはないですけど。」
「そ、そうね。でも、いつも一緒に寝てるし、明日帰ったらどうせ二人きりだし、雷空もそれくらい我慢できるでしょ。」
高校生に言っていいのかしら、そんなこと。それに、当たり前のように、昼間にならやったこといっぱいある感出されてるし。誕生日は未確認だけど、せめて18歳になっていてくれれば。
「実は、私も、さっき済ませてきたんです。一緒ですね。」
「えっ?」
「私のこと好きなバスケ部の男子がいて、けっこうしつこいやつなんですけど、部活終わりに会いたいって誘ってきたんで、家についてったら、流れで。」
「その人と付き合ってるの?」
「まだ付き合ってないけど、そのうち付き合うかもしれないですね。きょうは、向こうが私のこと好きだから、相手してあげただけだから、終わったらとっとと帰ってきたんです。」
な、なんかいろいろ意味わかんないんだけど? もしかして、いつの間にかメイクしていたのは男の子の家に行ってたからなの?
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莉亜から、もうすぐ海湖と一緒に帰る、遅くなったからご両親に謝っといてという連絡がきた。けれども、父も母もまだ帰宅していない。母は、大型スーパーでパートをしていて、連休は忙しいらしい。
初夏の日は長く、まだ暮れていない。暇だから、夕食の準備でもしておくか。この1年で料理はかなり上手になった。夕食は任せてと母にメッセージを送ってから、炊飯器でご飯を炊きながら、冷凍庫の中にあった豚バラ肉を電子レンジで解凍する。初夏だから、これで冷しゃぶサラダとかどうかな。でも、5人分には少ないね。いつもは一人分か莉亜を含めた二人分しか作らないから、5人分となるとそれよりだいぶ多い。他に何かないかとさらに冷凍庫から鶏の挽肉を取り出してこれも解凍した。野菜室にジャガイモが入っているから、そぼろ煮をつくろう。
ぼくがジャガイモの皮をむいたところで、外から悲鳴が聞こえた。海湖の声だ。
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誕生日は6月だからまだ17歳だと判明した海湖ちゃんと18禁トークをしながら歩いていたら、また妙な気配を感じた。まさか、雷空が私を妹にとられたと嫉妬して尾行してるんじゃないでしょうね?
そんな悠長な話ではなかった。
「娘だな。」
紫色のださいシャツを着たおっさんが言った。海湖ちゃんが悲鳴をあげる。娘というのが誰の娘のことかわからないけれど、雷空の実家のほぼ目の前だし、この家の娘っていう意味よね。
「そうだけど、何か?」
私は答えた。雷空と結婚してこの家の娘になったという意味ではない。隣にいる海湖ちゃんを守るためだ。海湖ちゃんの妙な視線を感じる。こんな危なそうなやつに、正直に答えてあげる必要なんてないのよ。
「ついてこい。」
「莉亜ちゃん逃げて!」
私は、本物の海湖ちゃんに言った。意味が伝わったのかどうかわからないけれど、莉亜ちゃんと呼ばれた海湖ちゃんが脱兎のごとく門の中へ駆けていった。
★
慌てて外に出ると、海湖が道路から門の中に入ってくるところだった。
「何事?」
「お姉さんが、さらわれる!」
門の外を見るか見ないかといううちに、莉亜が、後ずさりするように門の中に入ってきた。二人の男が迫っている。
「私を誘拐して、お父さんに身代金でも要求する気かしら? できるもんならやってみなさい。私の価値は、お父さんが持っているお金では払えないくらい高額よ!」
「なめてんのかてめえ!」
状況がつかめない。こいつらは、復讐に燃える森田議員の手先なのかなんだか知らんが、莉亜を誘拐しようと、はるばるここまで追ってきたの? たった2泊3日の旅だというのに、ご苦労なことだ。それはともかく、莉亜がさらわれるということは、莉亜の正体もばれているということで、つまり莉亜の親がだれかもばれているってこと? あの親、身代金払うかね? 身代金払うふりはするかもしれないけど、きっと全力で実力で救出にかかると思うよ? いや、それどころか、莉亜なら自分で脱出できるだろうとか言って無視する可能性すらある・・・さすがにそれはないかな。
紫色のシャツを着た男の攻撃を莉亜がかわしながら、得意の金的を食らわす。しかし、ねらいがはずれたのか、男のその部分が強靱だっただけなのか、その男は少しひるんだだけだった。ついでもう一人の、紺色ジャージの男が莉亜に近づく。
ぼくは、庭の端にあった植木の剪定用のはさみを拾い上げると、はさみのほうを持って、柄の部分でジャージ男を背後からぶん殴った。
「いってえ。何しやがる。」
その男がこっちを向いた。紫シャツのほうは莉亜に迫っているようだが、ぼくにはそれを気にかける余裕もない。莉亜なら大丈夫だろう。
ぼくは紺色ジャージの男に剪定ばさみを向けて威嚇するが、その男は革靴を履いた足ではさみを蹴ってきて、はさみはぼくの手からこぼれ落ちた。あ、やばい。貴重な武器が。
「下手くそ。」
海湖の声がした。迫り来る男のパンチをぼくは必死でかわす。1年近くの間、莉亜によって訓練をつけられたぼくは、かろうじて攻撃をよけた。
ガツン!
その瞬間、鈍い音がしてジャージ男は倒れた。剪定ばさみを拾い上げた海湖が、「面」を決めたからだ。
紫シャツの男は股間を押さえながら突っ伏している。どうやら、今度は莉亜の攻撃が急所に決まったようだ。
「てめえ、なにもんだ・・・。」
紫シャツの男の苦し紛れの質問に、莉亜が回答した。
「私は、わかば不動産の社長の娘。次期社長よ!」
うそ八百!
☆
なんで毎度毎度見知らぬ男の股間にアタックしなきゃいけないのよ!
幸い、もう一人のジャージ姿のおっさんは、雷空と海湖ちゃんが倒してくれた。弱っちい相手だったし、人数も3対2だったから、今回はたいした恐怖はなかった。海湖ちゃんも怖がっていないようだった。さすが剣道女子。
「今のうちに家に逃げるのよ!」
「でも、この人たち・・・。」
海湖ちゃんが言う。こんなやつらの心配する気?
「ほっとけば勝手にいなくなるって!」
★
「あいつら、何なんですか?」
海湖が莉亜に尋ねている。ぼくはジャガイモを火にかけたところだ。
「悪者みたいね。心配しないで。あんな弱い相手にやられることなんてない。だいたい、雷空でも立ち向かえたくらいなんだから、相当弱い相手ってことよ。」
いや、そうだけど。もっと違う言い方あるでしょ?
「なんでこんなことしてきたんです? それに、お姉さんは、何者なんですか?」
「ふふ。私は、弱っちい雷空をああいう敵から守ってあげるために、未来の世界から派遣されたボディーガードなの。」
「おい。」
猫型ロボットじゃあるまいし、なんで未来からお世話にやってくるんだよ。ほんとのこと言うわけにいかないにしても、適当なこと言ってるとごまかせなくなるぞ。
「確かに、お兄ちゃんが弱いのは間違いないですけど、お姉さんは、なんでそんなに強いんですか?」
「別に大したことなくて、男の急所を思いっきり蹴っただけよ。膝で蹴るか、足の甲を当てるのが一般的なんだけど、実際には、女の子の場合は厚底の靴とか履いてぶつけたら威力絶大よ。練習してみる? 練習台があそこにいるじゃないの。」
「おい。」
ぼくに対する急所攻撃は恋人特別バージョンだけにしてくれ。だって、ぼくのあそこが使い物にならなくなったら莉亜も困るでしょ。
「で、あいつらは何者なんです?」
「たぶん、お父さんに恨みのある人が、海湖ちゃんを連れ去ろうとしたんじゃないかな。」
たとえば、森田健輔とかがね。しつっこいな。
「身代わりになってくれたんですよね。ほんとびっくりしました。」
そうだったのね。この場所で莉亜が襲われるなんて、何かおかしいと思った。海湖がターゲットだったのなら、意味はわかる。しかし、とうとう妹にまで手を出してきたか。危ないことこの上ない。
「気にしないで。でも、海湖ちゃんも強くて、そこまでする必要なかったかもね。弱いのは、『お兄ちゃん』だけね。」
もう面倒だから聞こえないふり。
「海湖ちゃん、あと、一つだけ、お願い。今あったことは、お父さんとお母さんには秘密にしておいて。」
「はい。」
あっさりしてるな。
☆
「きょうみたいにまた海湖が襲われる可能性があるのに、どうしようか?」
雷空のつくった食事をみんなで食べてから、たたんだ布団の置かれた座敷で、雷空がひそひそと言った。海湖ちゃんは、両親が帰宅しても、さっきの話は一切しなかった。まあ、両親に対する秘密はむちゃくちゃたくさんありそうだから、これくらい何でもないのかもしれない。雷空の料理の腕は好評だった。お父さんが、これは莉亜ちゃんが作ったのか、と言ってきたので焦ったけど、雷空が、お客さんに作らせるわけないでしょと答えてくれた。
「私が海湖ちゃんだと認識されたはずだし、海湖ちゃんにはボディーガードがいっぱいいるみたいだし、大丈夫じゃない?」
雷空に内緒で海湖ちゃんから聞いた作戦はこうだ。自分に気がある男子と仲良くして、迎えに来てもらったり、一緒に帰って送ってもらったりする。ご褒美は、状況に応じて、適宜あげる。雷空の部屋も空き部屋だしね。そして、万一、危機的な状況になったら、遠慮なく、男子を見捨てる。なかなかえげつない作戦ね。
「海湖ちゃんって、すっごい男の子にもてるみたいね。」
「そうなの。」
「シスコン~。」
「なんでだよ。」
「あ、言っとくけど、きょうはもうだめよ。今だとみんないるから恥ずかしいもの。」
「じゃあ、明日うちに帰ったら、二日分まとめてたっぷりするからね。」
きょうは朝から済ませたんだから、明日は明日で1日分でしょ? 頭いいくせにそんな計算もできないの?