5-1 暴漢から命を守れ
5 いったい誰を信頼すれば
★
3月も終わりに近づいた。まもなく、ぼくも莉亜も2年生に進級する。莉亜が通っているのは2年制の学校だから、もう折り返しということだ。
春休みだから、たまに友達と遊ぶことはあるとはいえ、ぼくはバイト以外は基本的に(どちらかの)家にいる。莉亜も似たようなものだ。有名なファストフード店でバイトを始めてお金を稼いでいる。あとは、二人で買い物やデートに出かける。
さて、4月になると重要イベントがある。
☆
予定を空けておくように、雷空に言われた。
ふふ。ちゃんと、わかってくれているのね。
私のハタチの誕生日。
美容室を予約しておかないと。
★
出会ったときに莉亜が年上だと言っていたのは、4月の初めに誕生日がくるからだ。
まだ授業も始まらない4月5日、ぼくの目の前に現れた莉亜は、あまりに美しかった。
長い髪の毛にはウェーブがかかって、背中のほうと胸のほうに分かれてのびている。真っ白い美しい肌、チークで赤みの差した頬、長いまつげ、ラメの入ったアイメイク、つややかな唇。春らしい桜色のワンピースが、女性らしい身体のラインを美しく示している。そして、ヒールのついたパンプスが両脚の美しさを引き立たせている。
「どうかした?」
「きれいだ。」
「見とれてたの? ありがと。」
「誕生日おめでとう。」
「ありがとう。雷空に祝ってもらえて、うれしい。」
二人で買い物をして、莉亜に似合うペンダントをプレゼントした。夜景を眺め、ペンダントをつけてあげた。それからフレンチのお店に入って、コースの料理を食べた。互いの学校のことや、バイトのことや、家族のことや、今着ている洋服のことなど、いろいろ話をした。ワインも少し飲んだ。
☆
食事が終わると、彼は私の手を引いて、私にささやいた。
「たまには、外で泊まろう。」
「どこへでも連れてって。」
いつも以上にべったりとくっつきながら、ホテル街にたどり着く。何組かのカップルが、どのホテルにするかを選んで、中に入っていく。私たちも、雷空が選んだホテルに入る。
きょうは、宿泊可能な時間だったらしい。ひょっとして、雷空が、どこなら何時から泊まれるのか、事前に調べてたのかもね。そういう調べ物は、得意そうだもの。
白い壁、群青色のカバーに覆われたベッド。
そして、広々としたお風呂。
もちろん、一緒にお風呂に入ってあげる。彼に服を脱がせてもらって、彼の服を脱がせてあげて、身体を使って、彼の身体を洗ってあげる。
興奮している彼に、お風呂でもう一つしてあげることが。そう、優菜さんに教えてもらったとっておき。すなわち、恋人限定・愛の急所攻撃。
長い夜は、始まったばかりだ。
★
「ぼくも、もう一つ、誕生日プレゼントあげないとね。」
そう、マッサージをしてあげること。
ただ、ぼくには通常のマッサージの技術はない。通常のマッサージではなくて、全身くまなく愛してあげるというマッサージだ。え、いつもベッドでやってることと何が違うのかって? そんなことはどうでもいいのだ。しつこいくらいに、愛してあげる。
こうして、長い夜が明けた。どうせ春休みなんだから早起きする必要もない。
ぼくと莉亜は一糸まとわぬ姿で密着している。
窓には木枠のようなものがはめ込まれていて、外の光はほとんど入ってこないから、朝だといっても夜と同じようなものだ。
何回戦だっていいでしょ。
☆
お風呂でもサービスしてあげて、ベッドでも何回も彼を受け入れた。眠っている間も何も身につけないで密着して、私の身体の感触をたっぷり味わわせてあげる。私もたっぷり彼にマッサージという名の愛をもらって喜ばせてもらったけれど、彼にもこんなに喜ばれるなんて、もうどっちの誕生日だったのかわからない。
でも、幸せ。
精力が尽きた雷空と一緒に身だしなみをととのえて、外に出て、雷空の家に帰る。さすがに、この流れで私の家に帰って誰かいたら、一晩がんばってきました感満載だしね。
部屋に着いたら何しようかな、もう1回秘密の急所攻撃をしたら彼はどうなるのかなと思っていたら、それは起こった。
★
「逃げなきゃ!」
莉亜がなぜか靴を脱ぎながら、ぼくを引っ張った。
なにごとかと思ったときにはもう遅い。4、5人に取り囲まれている。
なんだ、こいつらは?
そんなことを考えている余裕もない。武器もないし、どうすればいい?
おそってくる男の一撃を、なんとかよけた。着替え(最初からホテルに連れ込む予定で替えの下着を持っていたのは内緒だ。)の入ったトートバッグを振り回して、近づけさせないようにするのが精一杯だった。
☆
相手は5人。こっちはたったの二人。というか、雷空の戦闘力を考慮したらこっちの戦力は1.3人分くらい? しかも私はデートの服装。戦っても勝ち目はない。一瞬でそう判断した私は、荷物を放棄し、ヒールのあるパンプスを脱ぎ捨て、敵前逃亡を開始した。やば。財布もスマホも家の鍵(両方)もあの中に入ってるのに! そこまでの犠牲を払ったけれど、逃げ始めたときにはもう手遅れだった。さすがに、ホテル帰りでしかもチェックアウト直前までいちゃついていたから緊張感が抜けていて、気づくのが遅れた!
こうなったらもう仕方ない。まともに戦えないなら、えげつない戦い方、すなわち文字どおりの急所攻撃をするのが戦闘の鉄則。男Aによる最初の一撃をよけるや、せっかくのおしゃれなワンピースの裾を持ち上げて脚を自由にするというとってもはしたない格好で、間合いを詰めて男Aのみぞおちに膝蹴りを食らわせる。ストッキングが破れたかもしれない。ついで別の男Bが近づいてきたので、長めの間合いからキックボクシングのような動きで男性のいちばんの急所をキックするが、さっき逃げるために靴を脱いじゃったから、効果が薄い。しかも、体勢的にスカートの中を男Bに向けちゃったじゃない! 私のスカートの中を見ることが許される男子は世界に一人しかいないの! だいたい、なんで私がこんなわけのわからん男の股間にストッキングをはいただけの足で触れなきゃいけないのよ! もちろん雷空のだったらじかに(以下自粛)!
男Bが一瞬よろめいたが別の男Cとともに再度襲ってきた。なんで全部で5人なのに女の子に3人の戦力を割くのよ! それほどまでに雷空が弱く見えるってこと?
とにかく、私は瞬時にCのあごに肘打ちを食らわせ、Bの股間に今度はひざでキックをかます。今度こそきいたでしょ? それにしても、なんで私がこんなわけのわからん男の股間に2回も触れなきゃいけないのよ! もちろん雷空のだったら何回でも(以下自粛)!
★
ぼくは必死で頭を回転させて(殴られて物理的に回転したわけではなくて、頭脳をフル回転させたという意味だ。)、地面に落ちているものを拾った。さっきまで莉亜が履いていたパンプスの片方だ。もちろん匂いを嗅いで興奮しようとしているわけじゃない。
パンプスの足を入れる部分に手の指を突っ込んでつかみ、ハンマー投げのように回転の勢いをつけつつ、ヒールの部分が男の頭に横からぶち当たるように、力任せにぶん殴る。莉亜、今度新しい靴を一緒に買いに行ってあげるから許して!
しかし背後からは別の男が襲ってくる。これはやばい! 詰んだ。
☆
雷空が二人に前後をとられている。正面にいる男Dは雷空による決死のパンプス(右)攻撃を食らっていったん引いた。女の子のパンプスを無断で武器に使うだなんて、臨機応変で賢いじゃないの! あとで新しいのをおねだりするからよろしくね!
私はパンプスのもう片方(つまり左)を拾い上げて、よろめくDに背後から接近し、不意を突いて上からモグラたたきのようにDの頭部をヒールでぶん殴った。悲鳴を上げてDが頭を押さえる。さっきまで女子が履いていた脱ぎたてほやほやのお靴の感触を2回も味わえてよかったわね!
もう一人の男Eは背後から雷空を殴りつけ、雷空が情けない声を上げながら倒れ込んだところだ。大丈夫。雷空は私から何度も攻撃を食らっているから、少しくらい打たれ強くなっているでしょ。私は持っていたパンプス(左)をEに投げつけてひるませると、雷空が握っていたほうのパンプス(右)を取り上げて、右足に履いてからヒールのあるかかとに力をこめてEに蹴りを食らわせた。
★
よけきれずに肩の辺りを殴られたが、痛みをこらえ、起き上がった。ぼくを襲ってきた男には、莉亜がキックを炸裂させている。何が何だかよくわからないが、とにかく今この瞬間は5人ともダウンしているようだ。
「逃げるぞ!」
ぼくは自分と莉亜のバッグをひっつかむと、外階段を駆け上がりながら、急いでバッグのファスナーを開けて自室の鍵を取り出し、玄関の前に着くと超高速で鍵を開けて、扉を開けた。莉亜もいったん履いたパンプスの片方を脱ぎ捨て、靴を履かずについてくる。靴より命が大事だ。
二人でなだれ込むように部屋に入る。内側から鍵をかけ、チェーンもかける。莉亜を先に入れたほうがかっこよかったかもしれないが、そんなことを考える余裕はなかった。
莉亜が父親に電話をかけるが、出ない。
誰かが起き上がって走ってくる足音がする。ドアを破壊して突撃してきかねない勢いだ。
こっちも秘密結社の一員である以上、警察沙汰にしたらたぶんよくないよね。こうなったら、自分たちでなんとかするしかない。
☆
「莉亜。情けないと幻滅してもらっていいんだけど、やっぱり莉亜に戦ってもらうしかない。」
雷空が、息を切らしながら言った。
「大げさ。いつもそうでしょ。」
情けないことは確かだけど、幻滅はしない。だって、もともと情けなかったもの。
「武器は、ここにあるよ。」
雷空が玄関のたたきの部分を指さした。
★
鍵を開けて外のようすをうかがう。3人は倒れていて、階段を上ってくるのは二人。これくらいならなんとかなるだろう。通路は狭いから、大柄な男たちは縦に並んでやってくるしかない。
莉亜が迎え撃った。
ぼくは後方で、反対方向に走り始める動作をした。
「あいつ、女を置いて逃げるぞ!」
逃げてなんかいない。相手の注意を引きつければ十分だ。なんて情けない役割だと自分でも思うけれど、これこそが今ぼくにできる最大限の貢献。
念のために言っておくが、逃げたわけじゃないのは本当に本当だ。そもそも、こっち側に出口はないのだ。
☆
今からラブラブいちゃいちゃの続きをしながら1日過ごす予定だったのに、それを邪魔した罪は重いのよ!
さっき肘打ちをかました男Cが階段を上り終えた。Cの視線がなぜか後ろにいるはずの雷空のほうに向いた隙に、恨みを込めた足蹴りを股間に入れた。よそ見してたせいでスカートの中も見れなくて残念だったわね! 雷空が私を置いて逃げようとしているということばが聞こえたような気がするけど、空耳に違いない。だって、向こうに出口はないはずだもの。
「あうっ。」
男Cが四つんばいになって手で急所を押さえる。下から上がってこようとしていている男がもう一人いる。たぶん最初にみぞおちに一発食らわせた男Aだ。もっとも、Cが悶絶して進路をふさいでいるからAが上がってくるのが少し遅くなった。
そのタイミングで、私の後ろからやってきた雷空が(やっぱりさっきのは空耳だったのね。)、さっきまで玄関に置いてあった私と雷空の2本の傘をフェンシングのように突き出して、男Aが上がってくるのを妨害する。その間に私は、手前で悶絶している男Cにタックルし、階段の下めがけて突き落とした。
「どうわあ!」
Aが変な叫び声を上げて、Cもろとも重力に従って地面めがけて落ちていった。
★
二人で再度部屋の中に逃げ込む。鍵をかける。抱きしめ合う。
「待って。脱がなきゃ。」
莉亜が履いていたサンダルとストッキングを脱ぐ。そう、ここは今や半分莉亜の家だから、莉亜の履き物も傘も常備されている。最初はブーツを置いていた莉亜は、暖かくなったのでそれと入れ替えて厚底サンダルを置いていた。さっきの男は、厚底サンダルで威力が倍増した蹴りを食らったのだ。
莉亜の武器はサンダル。ぼくの武器は傘。リーチのある傘(しかも2本)のほうが有利そうだけど、それはハンデということで。
莉亜の父に連絡がつかないみたいだから、ぼくは平川航さんに連絡をとった。ぼくの知り合いの中で、いちばん強そうで、かつ、組織の関係者だからだ。電話に出た平川さんは、すぐに行くと言ってくれた。
☆
ストッキングにサンダルという不思議なかっこうで敵を撃退した。サンダルに続いて、あちこち破れたストッキングを脱いでから、再度雷空の胸に飛び込む。
今回のはさすがに怖かった。大の男5人に囲まれたのだから。一人一人は大したやつじゃなかったけど。
今は雷空の腕に包まれている。敵はすぐそこにいるから安心はできないけれど、雷空に抱きしめられていれば気持ちが楽だ。戦力的にはともかく、精神的には。
★
そのまま二人で抱き合っていた。
肩に痛みを感じた。腫れている。莉亜が氷で冷やしてくれる。
時間がたってから、外のようすをうかがう。あいつらはいなくなったみたいだ。
いや、誰か来た。緊張するが、それは平川さんだった。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫、です。」
☆
平川航さんと一緒に、私の家に移動した。パンプスは回収した。
航さんは仕事中に駆けつけてくれたみたいだし、家に入れば大丈夫だから帰ってもらった。両親は自分で入ってくるし、それ以外は宅配便だろうが水道局だろうが無視すればいい。
「怖かった。」
涙が出てきた。
「危ないこと押しつけて、ごめん。」
「いいの。それは、私の役割だから。雷空は私が守るの。」
口ではそう言ったが、涙は止まっていなかった。
「それに、雷空がいなかったらやられてた。あの場で作戦を考えるなんて、すごい。」
「でも、実際に撃退したのは莉亜だよね。すごいよ。」
★
ようやく莉亜の父親から電話がかかってきた。今あったことを説明したら、父親は家から一歩も出るなと言ってきた。前にもこういうことあったね。
ただ、前回より恐怖が大きかったからか、莉亜は強がりみたいなことを言いながらぼくにしがみついている。ぼくには受け止めるしかできない。
そのまま、たぶん2時間くらい、くっついていた。離れたのは、トイレに行ったときと莉亜が飲み物を持ってきてくれたときだけだ。
昨夜から今朝にかけてもあんなにくっついていたのにね。でも今度はそういう目的でくっついているわけじゃない。
☆
誰かが家に入ってきた。一瞬恐怖を感じるが、母だった。
母はずいぶん心配していたが、あまり深く追究しようとはしなかった。というか、母が自分で慰めるよりも雷空に慰めてもらうほうがいいと気を遣ってくれたのかもしれない。
★
莉亜の自宅に、母親に続いて父親が帰宅した。
父親は、けがはないかと確認し、ぼくの肩を見て、冷やして湿布をはっておけばいいと言った。それから、細かいことはあとだ、避難するからとにかく数日分の荷物をまとめろと指示をしてきた。
莉亜がキャリーバッグに荷物を詰める。ぼくもほとんどこの家に置いているありったけの荷物をまとめる。手元にあるバッグには収まりきれないから、莉亜のリュックサックを一つ借りた。
まとめ終わると、父親が行くぞと言って、外に止めてあった車(レンタカーのようだ。)を運転して、ぼくと莉亜をどこかに連れて行った。