4-4 両親の隙をつけ
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お客さんが来た。
平川航さんと小塚優菜さんだ。いや、すでに婚姻届を出して、もう2人とも平川さんになっていた。その話を聞いて、私の頭の中に松沢莉亜という名前が浮かんできたのは内緒だ。
「莉亜ちゃん、久しぶり。彼とはうまくやってる?」
「彼なら、そこに。」
ちょうどトイレかどこかから出てきた雷空のほうを見やる。
「あら、来てたの?」
「ええ、まあ。」
「ご両親も公認なのね~。うらやましい~。」
「大事な話があるんですよね? 私たちは、部屋にいますから。」
雷空の手を引いて、私の部屋に向かう。
だって、たぶん、お父さんが優菜さんに、協力員としてがんばってくれたまえ、とか言うためでしょ?
「ここにいたらどうだ。お前たちにも関係あるだろう。」
父が言った。なんか断りにくい圧力を感じる。確かに関係はありそうよね。仕方なく、雷空と一緒にリビングのソファーに座った。
ダイニングテーブルに父と母と平川夫妻が腰掛ける。大柄な航さんと、私よりもだいぶ小柄な優菜さんが並ぶと、まるで親子みたいな体格差がある。
耳を澄ませて聞いていると、やはり私たちの話題が出てきた。といっても、なんで今ここに雷空が来ているのかというと、この2人ったらね、という話をしているわけじゃない。私たちが優菜さんのところを突撃訪問して調査したところ、信頼できる人だと判断した、という話。航さんが、いきなり娘さんから連絡してきたのはそんなことだったのか、と言っていた。そんなことでお仕事の邪魔して本当に悪かったわね。
「莉亜ちゃんって、あんなにかわいい女の子なのに、お父さんからそんなこと任されてるなんて、けっこうすごいんですね。」
優菜さんが、無邪気に関心している。
「莉亜は、ああ見えて、格闘もできるぞ。ちょっと、試してみたらどうだね?」
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なぜこうなったのかわからないが、莉亜がリビングで平川航さんと対峙している。もちろん、テーブルなどはどけて、スペースをつくってからだ。しかし、この人、学生時代ボクシングをしていたとか資料に書いてなかったっけ? 見た目も明らかに腕っぷしが強い。体重も、推測するに莉亜の1.5倍以上はあるんじゃないか。
「莉亜ちゃん、がんばって。」
新婚の妻に早くも裏切られる夫。
「お願いします。」
あいさつをしてから、莉亜が航さんの懐に入る。脚をひっつかもうとするが、倒れない。腕をとっても、倒れない。
航さんのほうからパンチがとぶ。さすがに本気じゃないよね? 莉亜はかがんでよけ、パンチの腕をかつぐようにして相手のバランスを崩そうとしている。しかし、航さんはほとんど崩れず、冷静に両手で莉亜の両腕をひっつかんだ。
このまま頭突きかキックを食らったら、莉亜の命はない・・・。
「そこまで!」
莉亜の父が宣告した。ぼくは莉亜が負けるところを、初めて見た。
もちろん、これが本当の戦闘だったら、莉亜にはこの前のときみたいに、金的だの頭を蹴りつぶすだのというえげつない攻撃手段があるから、勝敗はわからないんじゃないかと思うけどね。
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「彼のほうが強いの?」
私が一戦終えて(いやらしい意味じゃなくて文字どおりの意味!)一息つくと、優菜さんが言った。
「いえ、彼はまったく。」
「うっそだー。ほんとは強いんでしょ?」
「彼は、南海大学の学生で、頭はいいけど、こっちのほうはからっきしで。」
「すごいね。頭いいんだ。南海大の学生さんと、どうやって知り合ったの?」
「それは、彼のバイト先で・・・。」
詳しいことは企業秘密。うそにならないようにどう説明しようかなと思ったとき、私は異変に気づいた。
「あっ!」
「ひいっ!」
私が叫ぶのと雷空が悲鳴をあげるのがほぼ同時だった。一瞬遅れて、優菜さんもきゃあと悲鳴をあげる。
航さんが、何の予告もなく、雷空の顔面に向かって、右ストレートを繰り出したところだった。もちろん、命中させずに。雷空が後ずさりに失敗して尻餅をつく。いや、驚いたのはわかるし、さっき全然太刀打ちできなかった私が言うのもなんだけど、もう少し踏ん張ったらどうなの?
「すまんすまん。素人のふりしている人に限って、すごいやつだったりもするから、いちおう、試してみただけだ。優菜、間違いない。こいつはまったくの素人だ。娘さんよりはるかに足腰がなってない。」
航さんが分析した。はい、まったくそのとおりです。
「びっくりしたじゃない。ごめんなさいね、彼氏さん。」
名前すら覚えられてないのね。いいわよ。いくら新婚さんとはいえ、若い女性が雷空に興味をもっていないというのは、私にとってはいいこと。
★
「二人はきょうは時間あるかい? せっかくだから食事に行こうじゃないか。」
莉亜の父親が平川夫妻に言った。奥さんはすっかり仲間というか協力者の身分を獲得したらしい。もちろん、外でその話はしないんだろうけどね。
「お前たちも行くか?」
ぼくと莉亜に向かって言う。
「私たちはいい。家で適当に済ませる。」
ぼくの意見を聞かずに、莉亜が答えた。そもそもこの人が親と一緒に行動しているところを見たことがないよね。
「そうか。」
莉亜の父がいつもの口調で答えた。
「莉亜ちゃんと一緒に行きたいと思ったけど、お邪魔しちゃ悪いわね。でも、ちょっとだけ。莉亜ちゃん、出かける前に、メイク直し手伝ってくれない?」
「もちろんです。こっちへどうぞ。」
莉亜が優菜さんをどこかに連れて行った。ぼくは1人で取り残される。その場にいるのは、莉亜の両親と、平川航さんだ。なんか怖い。荷物部屋に下がろうかな。
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「ありがとう。やっぱプロだね。」
私の部屋の鏡台の前で、優菜さんが言った。
「私はプロじゃなくて学生ですよ~。」
「でも、素人とは全然違うね。だいたい、他人にきれいなメイクをしてあげられるなんて、普通の人にはできないよー。それにいい化粧品もいっぱいもってるみたいだし。彼も喜ぶでしょ?」
「メイクには興味ないと思いますよ。」
「メイク自体に興味がなくても、彼女が美しくなってる結果に対して男の人は喜ぶものなのよ。メイクする女性の側の苦労も知らないでまったく勝手なんだけどね。そうそう、彼は、今、遊びに来てるの? ずいぶんこの家になじんでるみたいだけど。」
「彼も協力者として両親にも認めてもらってるので、けっこうここで過ごしてるんです。」
主に昼間にね。
「てことは、これから私たちが出かけたら、彼氏と2人きりでお留守番、ってことね? さ、莉亜ちゃん、あなたもメイク直しして、とびきり美しくしておかないとだめよ。」
「あっ。」
「どうかしたの?」
「ここだけの話で、教えてもらいたいこと、あるんですけど、いいですか?」
私は声のトーンをいくぶん低くして尋ねた。新婚さんに、聞いてみたいこと。
「もちろんよ。」
「旦那さんと、お風呂に、一緒に入りますか?」
「おっとー。予想外の質問来たね。もちろん、・・・・。」
★
ずいぶんとメイク直しに長時間をかけてから、莉亜と優菜さんが戻ってきた。確かに、優菜さんはいっそう美しくなっている。普段意識してなかったけど、学生とはいえ、莉亜のメイクの技術は、さすがに一般女性よりだいぶ上ってことでいいのかな。法学部の学生であるぼくが、たとえばアパートの賃貸借契約について普通の人より詳しいのと同じような感じ?
しばらくして、莉亜の両親と平川夫妻が出かけた。ぼくと莉亜だけが残される。
「さ、ご飯にしますか、それとも、お風呂にしますか?」
莉亜がわざとらしくぼくのすぐ近くで言った。新婚夫婦プレイ? これでエプロンがあったら最高だね。もちろん、裸の上から着せるのだ。
気のせいかもしれないけど、莉亜は出かけるわけでもしないのにメイクがさっきより濃くなっているように見える。優菜さんと一緒に自分もメイク直ししたらしい。だからあんなに長かったのかな。それならば、今すぐに入浴するのはあんまりだろう。それに、入浴のあとで食事をして、それから寝るという流れは、普通ならおかしくないけど、この新婚夫婦状態では、お風呂からベッドに直行できたほうがよさそうだよね。ただし、とっとと入浴を済ませないと、家族が帰ってくる可能性もある。つまり、全体的に急いで行動した方がいいということだ。
「とりあえずご飯食べようか。」
莉亜の両親と平川夫妻は、たぶん飲みに行ったのだろうし、それならそんなにすぐに帰ってこないだろう。
莉亜が冷凍庫のご飯を解凍してチャーハンを作り始める。ぼくは野菜室にあったタマネギとキャベツでスープをつくり、レタスとトマトを切って盛り付けてサラダにした。
並んで座って、ちょっとだけあ~んもしながら食事を済ませ、食器を洗い、その間にお風呂を沸かした。
「お風呂、入ろ。」
ぼくが言うと、莉亜がうなずいて、タオルを準備してくれる。それぞれの寝間着や下着をもって、脱衣所に向かう。どうやら、何も言わなくても一緒に入ってくれるようだ。これこそが、このなんちゃって同棲の真の目的というか最大のメリットだからね。
ぼくは脱衣所で、服を脱ぐ。もうズボンが何かに引っかかりそうだ。
ところが莉亜は服を着たまま突っ立っている。
「どうかした?」
「一緒に入るなら・・・。」
何だ。ここまで来て条件を出すのか? 簡単にクリアできる課題なんだろうな?
「服、脱がせて。」
莉亜がぼくの耳元で恥ずかしそうにささやいた。
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お風呂はいつも一緒に入るものじゃないけど、ときにはいいわよね、という点で、私と優菜さんの意見は完全に一致した。やっぱり、みんな、好きな人とは一緒に入るのね。うまくごまかしながら。
優菜さんによれば、いくらベッドで裸を見せ合っている彼氏だからって、日常の入浴と彼氏との混浴は別物として区別しないといけない。もちろん彼氏の目の前でムダ毛の処理なんてのはもってのほかで、せめて先に出てもらってじらしながらこっそりしないといけない。裸を見るのが当たり前になったら、色気もなくときめきがなくなっちゃうから、一緒に入るのは、ときどきにしたほうがいい。たとえば、旅行とか誕生日とかで気分が盛り上がったときとか、久しぶりに会ったときとか、女の子の日が終わって久しぶりにできるときとか、とにかく理由があるときにするのがいい。そして、せっかく入るからには、お風呂をベッドだと思って、思いっきりいちゃつくこと。服を脱がせっこしたり、洗いっこしたり・・・、洗うときは、手だけじゃなくて、ちゃんと身体を、特に女の武器のおっぱいを使ってあげるのよ。あと、タイミングを見計らって、男の人のいちばん大事なところを気持ちよくしてあげる。これは絶対喜ばれる。
まったくもう、これだから新婚さんって生き物は。まあ、私たちの場合は、この家でかつ両親がいないときというだけで十分混浴の理由になるよね。
私もさっそく実践。まずは、自分でさっさと服を脱ぐんじゃなくて、ベッドと同じように、彼に脱がしてもらう。こら、脱がしてって言っただけであって、今キスする必要はないじゃない・・・。
お風呂の中で、洗ってあげるのはともかく、大事な部分にご奉仕してあげるっていうのは、ちょっとレベル高いわね。ラブホとか、温泉とか、特別なときにとっておこうっと。
★
互いの身体を洗って湯船に一緒に浸かる。莉亜はぼくにしがみつくようにして身体をこすりつけて洗ってくれた。気持ちよすぎる。それに、頭を洗ってもらうと、さすがに美容院でプロに洗ってもらっているみたいだ。やっぱり彼女との混浴はすばらしい。毎日でも一緒に入りたい。莉亜だって、全然嫌がるふうではなくて、むしろとってもうれしそうだ。
無駄にいちゃついていると、物音がした。
「あ。」
「あ。」
顔を見合わせる。
廊下で足音がする。
やば。いちゃいちゃしすぎていつの間にか時間たってた? ま、まあ、お父さん自ら二人で風呂に入ったらどうのとか言ってたから、うちの娘に何しとんじゃてめえは、みたいなことにはならないはずだ。ただ恥ずかしいってだけで。
莉亜が素早く浴室の扉を少しだけ開けて、脱衣所の内鍵を確かめる。それから、バスタオルを2枚とって、1枚をぼくによこし、もう1枚を自分の身体に巻き付ける。ぼくも立ち上がるが、タオルを巻こうにもどうしても下半身が盛り上がってしまう。
急いで身体を拭いて寝間着を着る。それから1台しかないドライヤーを交代で使う。ドライヤーなら、二人一緒でもそんなにエロくないよね?
脱衣所から出ると、廊下にはだれもいない。ぼくたちは莉亜の部屋に直行した。
いったん部屋で呼吸をととのえていると、莉亜がキッチンからお茶を持ってきてくれる。確かに、3月とはいえ、長々と入浴していたせいでのどがからからだ。
「一緒に入ってるの、ばれちゃったかな。」
「今あっちで会ったけど別に何も言われなかったし、今さらばれてもどうってことないんじゃない。」
「いいけど、ちょっと気まずいかなって。」
「けっこうみんな一緒に入るみたいよ。」
そうなの? 今まで自分がけっこう拒んでたよね? いや、でも、なんだかんだ言って、ラブホや温泉旅行といった特殊な環境以外にも、ぼくの家の狭っ苦しいお風呂にでも2回くらいは一緒に入ってくれているから、そうでもないか。女子は、いちおう拒んでから応じるのがデフォルトなのか。