1-1 この男の正体をつきとめよ
1 公序良俗を守るため
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ハンバーグとライスのセットを30歳くらいの男性客のテーブルに運び、次に学生風の若い女性のテーブルにパスタを運んだ。5月の店内は冷房が入って少し冷えるくらいだが、動き回って料理や食器などを運んでいると、汗がにじんでくる。次の注文をパネルで確認し、ビールの注文が入っていることを確認すると、サーバーからジョッキにビールをついで、注文の入っていたテーブルに運んで、二人の子どもを連れたお父さん(と思われる男性)の前に出す。
「ありがとう。」
感情のこもらない声ではあるが、客からお礼を言われると少し気分がいい。たいていの客はだまって受け取るだけだ。続いて、さきほどパスタを届けた女性客のテーブルから、サラダを食べ終えた真っ白い皿を回収する。その女性客が何か言いたそうにぼくのほうをじっと見たような気がした。少しウェーブのかかった黒髪、女性らしい白い肌。白っぽいニットの服。
「いかがなさいましたか。」
何も言われないので、尋ねた。
「あ、いえ、すいません、何でもないです。」
「ごゆっくりどうぞ。」
ぼくはすぐに引き下がった。女性客はすぐにスマホをいじり始めた。
ぼくの名前は松沢雷空。この春に都内の大学に進学して一人暮らしを始めた18歳だ。実家はそれなりに裕福ではあるけれど、あまり親のお金に頼りたくない事情もあって、生活費やお小遣いをできるだけ自分で稼ごうと、アパートの最寄り駅近くにあるこのファミレスでアルバイトを始めた。初心者だから、ひとまず配膳と食器の片付け、それに来店客の案内が中心で、まだ調理やレジの仕事はしていない。何度か出勤するうちに自然と慣れてきた。先ほどとは別のファミリー客の食事が終わったのを見て、すぐにテーブルの上の食器を片付け、子どもがこぼしたと思われるコーンの粒を拾う。それから霧吹きで消毒液を吹きかけて台拭きできれいに拭く。店の入り口のほうに視線を送るが、席が空くのを待っている客はいない。
こんな感じでバイトを終え、休憩中にまかないで夕食を済ませて、帰路についた。
きょうは朝から雨が降っていた。今は雨はあがっているが、空はどんより曇っていて、じめじめしていていつまた雨が降り始めてもおかしくない感じだ。家路を急ぐ老若男女が何人か歩いている。ぼくもアパートに向かった。
☆
見つけた。その男を。
何度か行ったことのある、駅前にあるチェーンのファミレスの店員だった。年齢は私と同じくらい。学生のアルバイトなのかもしれない。名札には「まつざわ」と書いてあった。それがその人の名前らしい。
私は自分の幸運に感謝した。ただ、いきなりだったので、店員の顔をまじまじと見てしまって、少し不審がられたかもしれない。
私は、近藤莉亜。美容専門学校に通う、19歳になったばかりの学生。おしゃれが大好きで、メイクが得意。されどそれは表向きの顔で、実は・・・、いや、これは秘中の秘。とにかく、修行中の身なのだ。この春高校を卒業して、いよいよ一人前になるべく、訓練を積んでいる。訓練というのは、師でもある親が出してくるいろいろな課題を解決すること。今回は、母から、若い男の写真を送られて、「この男を見つけ出して、身分を明らかにせよ」という課題を出されたのだ。つまり情報収集と分析の訓練だ。しかしたった一つの写真以外にヒントはない。
そんなの、探しようがないじゃん。警察みたいに、そこらの人にこの人知りませんかって、聞き込みしろとでも言うの? それとも、ネットにこの人の正体を教えてくださいとあげればいいの? そんなことしたらむちゃくちゃ怪しまれるでしょ。
私は母から送られてきた写真を子細に観察した。そして、ある一つの、とても重要な結論にたどりついた。撮影場所は、自宅の近所。最寄り駅の近くにある、大手銀行の支店の前だ。男はカメラのほうに視線を向けるわけでもなく、どこかへ歩いている。ジーパンに長袖のシャツという簡単な格好をして、紺色っぽいリュックを背負っており、男子学生風だ。
私は、時間のある限りその銀行や駅周辺で、その人を探した。けれど、5月の日差しは夕方でも強くて、外にいると焼けるし暑い。きょうは天気が悪かったから、日焼けの心配は少ないとはいえ、雨が降っていると道行く人がみんな傘を差すから顔が見えにくくて、写真の人物を探すどころではない。私は駅のコンコースに移動して、傘をたたんだ人を観察した。
きょうもだめかな。そう思って、食事をするために近くのファミレスに入った。中年の女性店員に案内された席について、テーブル上のタブレットでサラダのついたパスタのセットとドリンクバーを注文した。アイスティーを飲みながらスマホをいじっていると、先ほどの女性店員がサラダの小皿を持ってきた。シーザーサラダを3分の2くらい食べ終わったところで、今度は若い男性店員が、きのこクリームパスタの入った皿をもってきた。
「ご注文はおそろいでしょうか。」
マニュアルどおりに発言した彼の顔などろくに見ていなかったが、去って行くとき、もしかしたらと思った。遠目にみて間違いない。
その男性店員が、数分後に私のテーブルにやってきた。
「こちら、お下げしますね。」
手際よく、食べ終えたサラダの小皿を回収する。間違いない。この人だ。名札の名前も確認した。
あとは、どうやってこの人の身分を明らかにするか、よね。
★
数日後の学校帰り。ぼくは最寄り駅から自宅アパートに向かって歩いていた。きょうは晴れ間が広がっており、すっかり長くなった初夏の日はまだ暮れていない。スーパーに寄って食料品の買い物をしてから、アパートの敷地に着いて、2階にある自室の前の廊下に続く外階段を上がると、後ろに人の気配を感じた。
特に気にもせず、自室の扉を開けて中へ入ろうとしたのだが。
ばっ。
扉が閉まりきる前にどこからともなく手が伸びてきて、扉を押さえるや、強引に中に人影が入り込んだ。
「うわっ。」
ぼくは思わず悲鳴をあげた。買い物袋から玉ねぎが転げ落ちる。
「お邪魔します。」
「え?」
制服姿の女子高生だった。顔には丸いめがねをかけている。白いブラウスの胸元に校章らしいマークがついていて、紺色のプリーツスカートをはいている。長い黒髪を後ろで結んでいる。
「突然すみません!」
「な、何だ?」
「う~ん。どこから説明したらいいんですかね? 私、その、この間、ファミレスで松沢さんのこと見かけて、で、きょうも、さっき見かけたので、ついてきたんです。」
女子高生がたどたどしく言った。ぼくは右手をスマホの入っているズボンのポケットのほうにのばした。高校生だろうと、人の家に勝手に入るのは犯罪だって、厳密には住居侵入罪というのだけれど、名前はともかく、犯罪だということは、わかるよね?
「なんで名前を?」
「お店で、名札に書いてあったので。」
「なんでつけてきた?」
「好きだからです。だから、お話ししたかったからです。」
ぼくよりもいくぶん背の低い彼女は、ぼくの目を下からまっすぐに見つめながら、突然すぎる告白をした。高校生ながら、美しくメイクをしていて、大人っぽい。顔だけを見ると女子大生のようにも見える。
「お友だちになってください。」
言うと、女子高生は勝手にローファーを脱いで、部屋にあがろうとした。
「ちょっと。」
「いいじゃないですか、ほら、中でゆっくりお話ししましょう。」
彼女はぼくの腕をひいて、すたすた中に入っていこうとする。ぼくは慌てて靴を脱いで、玉ねぎを拾いながら後を追う。このアパートは、1Kの間取りで玄関に近いところにキッチンと水回りがあり、奥が居間になっている。まだ一人暮らしを始めて2か月もたっていない奥の部屋の中には、ソファーベッドと座卓とテレビくらいしかない。キッチンで急いで要冷蔵の食料品を冷蔵庫に収納してから、座卓のわきに2人で座る。
「まつざわ、ゆきぞら、さん、ですか。」
あ、ふと気づいたら彼女の目線の先に電気代の請求書が。
「雪じゃなくて雷なんだけど・・・。」
「あ、ごめんなさい。かみなりぞら、さん、ですか。」
「らいく。雷に空と書いて、らいく。」
「本名ですか?」
「本名です。」
失敬だな。電気の契約を偽名でするわけないだろ!
「ちょっと失礼。」
女子高生がどこからかスマホを取り出して、いきなり電気代の請求書を写真にとった。爪がやけに美しく手入れされている。
「何してるんだ。」
ぼくがとびかかってスマホを奪い取ろうとすると、彼女はぼくの攻撃をさっと避け、気づくとぼくの身体は一瞬宙に浮いて、いつの間にかすぐさまじゅうたんが敷かれた床の上に尻もちをつくようにして着地。
あれ、今、何が起こった? わからん。わかるのは、ぼくは床に倒れていて、女子高生がぼくの両腕をつかみ、ぼくの身体の上にまたがって押さえつけている、ということだ。あと、肩から背中にかけて床に衝突した痛みが走っているということだ。
2人の身体が密着しているので、汗がどんどん出てくる。・・・あ、これだけ文章で書くと、全然違う行為の真っ最中のようにみえるが、もちろんそんな状況ではない。
「私の勝ちですね。」
なんの勝負もしてないけど。
「いったい、これは・・・。」
夢なのか。
ぼくを押さえ込んだまま、彼女は自分の身体をずらして、スカートがめくれないように押さえながらぼくの肩のあたりに乗っかって(しつこいようだけど、いかがわしい行為の最中ではない。)、全身の力でぼくの両腕の動きを封じ、片手をのばしてぼくのがさっきまで持っていたバッグをたぐりよせた。そして、ファスナーを勝手に開けて、中から財布を取り出した。こいつ、強盗か? 残念だったな。今ぼくの財布には2000円くらいしか入ってないんだよ。
しかし、彼女は現金には目もくれず、財布の中にあった学生証とマイナンバーカードを取り出して、スマホで撮影した。
「間違いなく、松沢、らい、ええと、らいくさんですね。生年月日がこれだから、今18歳ですね。で、南海大学法学部の1年生、と。むっちゃ頭いいんですね。」
「やめろ。」
ぼくは脚をばたばたさせるが、見事に女子高生のお尻が上半身を押さえつけている(本当にしつこいけど、いかがわしい行為をしているわけじゃない!)せいで、全身に力を入れることができない。
「捜してたんです。たまたまファミレスで見つけてびっくりしました。」
「え?」
お客さんだったのかな。ファミレスの客の女子高生なんて、いっぱいいるし、だいたいグループで来るし、いちいち覚えてなんかいない。
「写真だけ見せられたので、どうやって探せばいいか、全然見当もつかなかったんですけど、あそこの店員さんだったので助かりました。だから、こないだ家までつけて、家がわかったので、きょうお邪魔したんです。いったい、うちの母とどういう関係ですか?」
「だから、何のことだか・・・。」
「これ、私の母か父に送ったんですよね? あ、母は近藤奈穂子、父は近藤正継ですよ。」
そんな人はまったく知らん。言いながら、女子高生が自分のスマホの画面をぼくに見せてくる。そこには紛れもなくぼくの写真が。ただし、付近の道路を歩いているところをやや遠目から写したもので、ぼくが自分で撮ったり保存したりしていたものではない。
「関係ないし、その写真、道で勝手に撮ったもんじゃないか!」
「え、じゃあ、自分を探してくれって提供したんじゃないんですか?」
「何回も言うけど、何の話してんのかまったくわからん!」
「母からこの男の身元をつきとめろ、という課題が。」
「なんだその課題? しかも親が子どもに出す?」
「親に修行つけてもらってるからです。」
「何の?」
「それはいえません。」
「高校生が?」
「ふふ、1個だけ、いいこと教えてあげましょうか。私、高校生じゃないです。」
「はあ?」
「これは変装。実は、私は専門学校生で、あなたより年上の19歳!」
そんなこと今はどうでもいい!
☆
その男を押さえつけたまま、私は自分のスマホで母に連絡して、報告した。
男の正体がわかった。名前は、松沢雷空、住所はどこで、マイナンバーカードに書いてあるのはたぶん実家の住所でどこの県のどこの市、南海大学の1年生、バイト先は・・・。
「よくわかったわね。」
「正解でしょ?」
「う~ん、正解かどうかは知らないわよ。」
「知らないって、どういうこと?」
「その人が誰なのか、知らないもの。だから正解かどうかもわかんないわ。」
「お母さんが問題出したんでしょ?」
「そうだけど、適当に駅前で通行人の写真とって、うまく撮れたのをあなたに送っただけだもの。」
「はあ?」
「次の課題は、お父さんと相談して、そのうち送るから。さよなら。」
「ちょ、ちょっと。」
通話が途切れた。そんないい加減な出題におどらされて、私は日焼け止めを消費しながら駅前で張り込み、挙げ句の果てに変装して人の家に入り込む犯罪的行為に及んだっていうわけ?
「あ、あの・・・。」
身体の下から苦しそうな男の声がした。つまり、この人は、協力者とかじゃなくて、ただたまたまお母さんが撮った写真に写り込んだ人、ってこと?
「ご、ごめんなさい。」
私は拘束を緩め、慌てて学生証とマイナンバーカードと財布を返却した。よく考えたら、協力者だったらこんなに弱っちいはずはないかも。
ちょっとやばい。警察を呼ばれでもしたら面倒だ。いやいや、警察には、この男が女子高生の私(本当は違うけど)を自分の家に連れ込んだようにしか見えないに違いない。絶対そうだ。
「いったい、何だっていうんだ?」
幸い、雷空とかいうその学生は、学生証とマイナンバーカードを財布に入れてバッグに戻しただけで、手を自分のスマホにのばそうとはしていない。通報されそうになったら無理矢理スマホを奪うことくらいはできると思うけどね。
「ぼくを捜すのが課題だったと?」
「写真を見せられて、この人を捜して身分を報告しろと。だから、てっきり、母の知り合いか何かだと思ってたら、実は、母が勝手に全然関係ない人を巻き込んでたみたいで。」
「何の課題?」
「それはいえない。」
「だったらここで言わずに警察に言うか?」
「あの、その、ええとね、今、日本が平和なのは、なんでだと思う? 警察のおかげじゃないのよ。」
「何の話だ?」
「だから、日本の治安がよくて、経済的にも発展しているのは、なぜかってこと。」
「ほんとに警察呼ぶぞ。」
「待って。真面目な話してるの。すごく悪い人たちはたくさんいるし、権力を悪い方向に使う大金持ちや政治家なんかもいっぱいいるの。でも警察が捕まえるのは、犯罪の場合だけで、しかも証拠がある場合だけ。本当に悪い人は、そういうところをごまかすのが得意なの。そこで、公序良俗を守るため、そういう人をこっそりこらしめる秘密の活動をしている人たちがいるからなの。私の両親がそれ。」
両親から聞いたことをほぼそのまま話す。しかし、雷空の目線は冷たい。絶対、信じてない。
「だから、こんなこともできるのよ。」
言いながら、私は、伊達めがねに手をかけた。めがねをはずし、ヘアゴムをとって髪をほどいて、次に制服のブラウスを素早く脱いだ。あ、裸になったわけじゃなくて、もちろん、下にはもう1枚別の服を着ている。
「ほら。変装、上手でしょ。」
「今度は何に変装したって?」
「そうじゃなくて、これが普通の私だけど?」
「は?」
「私だと気づかないくらい、女子高生の変装、上手だったでしょ?」
「えっと、結局、誰?」
「私。」
「どこかで会ったことあったっけ?」
「4日前のお客よ! きのこクリームパスタとシーザーサラダを食べたお客! 忘れたの?」
「そんなんいちいち覚えてられるか!」
「正体がばれちゃった以上はしょうがないわね。余計なことしたら、あなたの悪事、ばらすわよ?」
「自分が正体ばらしたんだろ! それにぼくが何の悪事をしたと?」
「バイト先のファミレスの女性客を自宅に連れ込んで、女子高生のコスプレさせて、押し倒して、コーフンして汗だくになっていたっていうこと。」
「全部あんたが勝手にやったんだろ!」
「そうね。じゃ、しょうがない。これが最後の手段。黙っててくれるなら、この、脱ぎたての制服、あげる。ちゃんとスカートもあとであげる。」
「いらん!」
「いっとくけど、これはコスプレ用の衣装じゃなくて、本当に私が3年間使ってた制服だから。」
「知らん。それにそもそもなんで女性高生に変装してたんだ?」
「だって、そのほうが、油断して家に入れてくれやすいし、大騒ぎされにくいと思ったんだもん。ま、結局は、ノリ?」