第二話 春風とお花見
目の前にいる女性が安曇四季子だと、俺はまだ信じられなかった。
カラスの羽のような黒い髪の毛は、鮮やかなピンク色になっている。
ぼそぼそ声の聞こえにくい喋り方も、まるでお嬢様が使うような、丁寧ではっきりと聞き取りやすい喋り方に変わっていた。
瞳の色も黒から、緑色に変わっている。
そのうえ、今は四季子じゃなく、春風という名前らしい。
この女性と安曇の類似点は、声と左目にある泣きぼくろくらいだ。
これじゃ、ほぼ別人じゃないか。
この状況をうまく呑み込めず、俺は頭を抱えた。
やっぱり、こんな訳のわからないやつと恋人なんかにならなければよかった……。
「やっほー! きみが彼方智輝くんだね? 元気してるぅー?」
安曇の後ろから黒髪で背の高い女性が現れた。
オーバーサイズの白いワイシャツに黒いパンツ姿という、かなりラフな格好をしている。
というか、今度こそ誰なんだよ。
「ど、どちら様っすか?」
「あたしの名前は季咲。四季子もとい春風のお姉さんだよ。これからよろしくねー」
「お、お姉さん……?」
この女性は本当に安曇のお姉さんなのか?
怒涛の展開で俺は疑心暗鬼に陥った。
だけど、なんとなく安曇と似た雰囲気を漂わせているような気がする。
「それじゃ、早速お花見にレッツゴー」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。なんでお姉さんも一緒なんですか!? それに安曇はどうして姿が変わってしまったんですか!? 説明してくれ……くださいよ!」
「んー……それもそうだね。じゃあ、ちょっと向こうで話そうか。春風はそこのベンチに座って待っててね」
「わかりました。説明はお姉様に任せます」
「さー、ちょっとそこの喫茶店に入ろうか」
「え、あ、腕を引っ張るな……引っ張らないでくださいよ!」
「いってらっしゃーい」
俺は季咲さんに連れられて、公園の近くにある喫茶店に入る。
季咲さんはアイスコーヒー、俺はホットミルクを頼んだ。
「そんな厳つい見た目をしてるのに、コーヒーも飲めないんだ? かわいいところあるじゃん」
「そんなことはどうでもいいだ……でしょう。さっさと本題に入ってくださいよ」
「そういうところはかわいくないなー。ま、いいけど」
季咲さんは頬杖をつきながら、ニヤニヤしている。
この顔は安曇に似ているな。
やはり、姉妹というのは本当のようだ。
「単刀直入に訊きます。なんで安曇はあんなことになっているんですか?」
「あんなこと? ああ、きみにはまだ四季子の本当の姿が見えてないんだっけ?」
「本当の姿?」
「ま、今言ったことはきみにはまだ関係ないことだから、流してくれたまえ。それじゃ、本題に入ろう」
「お、お願いします」
「四季子はね、季節によって髪色や性格が変わってしまう魔法にかけられてるの」
「ま、魔法?」
今「魔法」って言ったか?
なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。
「うん、魔法の力だよ。ちなみに、今の姿は春の魔法のせいだね。春風も可愛らしい女の子でしょ?」
「……そ、そっすね」
「ふふん、もっと褒めてくれても構わないのだよ?」
「いや、別にそれはどうでも――」
「よくない!」
季咲さんの目が急に鋭くなる。
あまりの変化ぶりに俺は思わず身震いをした。
「春風だって立派な女の子なんだからね! それを『どうでもいい』なんて言わないで!」
「す、すみません……」
「春風はね、とても優しい子なんだよ。春のように暖かい優しさを持っていて、いつもあたしを明るくしてくれる。それが春風の一番の特徴なんだよ」
「そ、そっすか……」
季咲さんのおしゃべりが止まらない。
どうやら俺は、うっかり何かのスイッチを入れてしまったようだ。
「そういうことだから、今の時期は春風をよろしく頼むよ。彼氏くん」
「今の時期は……? もしかして、夏とか秋とか冬にも姿が変わるんすか?」
「さっき言ったじゃん。今は春の魔法のせいで春風になってるって。あ、でも心配しないで。季節の変わり目は、黒髪の四季子に戻るからね」
なんということだ。
安曇はあと三回も変身を残している。
なんだか頭痛がしてきたぞ。
「とりあえず、今日の説明はここまで。早く春風のところに戻りましょうか」
「は、はい、そっすね」
「まあ、あまり無理せず頑張ってくれたまえ。困ったらあたしを頼ってくれていいから。あ、せっかくだから連絡先、今交換しちゃおっか」
「お、お願いします」
連絡先を交換したあと、安曇のもとへと急いで戻る。
戻ってみると、安曇は俺の知らない人物と会話をしていた。
スキンヘッドに黒い革ジャンを着た大柄な男。
しかも、サングラスまで付けていて、いかにも怖そうだ。
安曇は少し困り気味な表情をしながら、男と話している。
「季咲さん。あの男とは知り合いっすか?」
「うーむ、あたしたちの知り合いにあんな怖そうな人はいないね」
「そっすか。季咲さんはここにいてください」
「え? 何するつもり?」
「それじゃ、行ってきます」
「あ! ちょっと! そんなに心配する必要ないと思うけどなぁ……」
季咲さんはああ言ってるが、万が一ということもある。
大丈夫、今の俺ならあの男と対峙するくらい朝飯前のはずだ。
「おい、あんた。俺の連れに何の用だ?」
「お、彼方さん!?」
「ああっ? 連れだと?」
「そうだ。こいつは俺の彼女なんだよ。もう一度訊くが、俺の彼女に何の用だ?」
「お、彼方さん! 落ち着いてください! この人はただ――」
「んもぉー。素敵な彼氏だこと。妬けちゃうわねぇ」
「……え?」
「ワタシはね、このお嬢ちゃんにちょっと道を尋ねようとしただけなのよぉ。勘違いさせてごめんなさいねぇ」
「そ、そうなんです。わたくしはただ道を尋ねられただけなんですよ。でも、尋ねられた場所がわたくしにはわからなくて……」
「そ、そうだったのか……」
季咲さんの言ったとおりだ。
そんなに心配することでもなかったな。
まったく、少しヒヤヒヤしたぜ。
「彼氏さんならワタシの行きたい場所がわかるかしら?」
「任せてください。この辺のことは結構詳しいので、案内しますよ」
「あら、そうなの? ありがとねぇ。頼りにしてるわよぉ」
俺は男を目的地まで案内した。
その後、急いで安曇たちが待つ公園に向かう。
「おー、やっと帰ってきた」
「お疲れ様です、彼方さん。ありがとうございました」
「いや、そんなに大したことはしてねぇよ」
「謙遜しないでください。あなたはわたくしとあの男の人のために尽力してくれたのです。ああ、なんて素晴らしい行いなんでしょう」
「人って見かけによらないよね。よかったね、春風。彼氏がいいやつでさ」
「そうです、お姉様。彼方さんは素敵な人なんですよ」
「お、おい、褒めるのはそれくらいしてくれ。背中がかゆくなる」
「す、すみません。でも、わたくしは本当に嬉しかったんですよ? と、特に、そ、その、はっきりわたくしのことを彼女と言ってくれたこととか……」
そういや、そんなことも言ったよなぁ。
安曇を救うことに集中しすぎて、思わず「彼女」とはっきり言ってしまった。
なんだか恥ずかしくなってくるな。
「はいはい、いちゃいちゃするのはまたあとでねー。それより、早く桜を見に行こうよ。今日の目的はお花見でしょ?」
「そ、そうですね。すみません、お姉様。わたくし、つい色ボケてしまいましたわ。彼方さん、今日は一緒に楽しみましょうね」
「お、おう……」
「じゃあ、行こっか。ほら、二人とも手を握って並んで歩いて」
「えっ!? いや、それはちょっと……」
「ダメだよ。これからデートするんだから、手を繋がないわけにはいかないじゃん」
「デッ、デートって……。確かにデートだけど、手を繋ぐのはまだ早いと思います」
「まあまあ、細かいことは気にせずに。ほら、春風も遠慮なく握っちゃいなよ」
「お、お姉様。でも、これはさすがに……」
「大丈夫だって。周りにもたくさんカップルいるしさ。それに、今さら恥ずかしがることないじゃん」
「うぅ……わかりました。では、失礼します」
「お、おう……」
こうして俺たちは、手を繋いで歩くことになったのである。
安曇の手を握ることにドキドキしながらも、俺はなんとか平静を保ち続けた。
そして、やっと桜並木までたどり着けたのだ。
「おおっ、満開じゃん!」
そこには一面に広がるピンクの花びらが咲き誇っていた。
風に吹かれて舞う桜の花びらは美しく幻想的だ。
まるでピンク色の雪が降っているようで、その光景は見事としか言いようがない。
あまりの美しさに言葉を失ってしまったほどだ。
「綺麗ですね」
「そうだな」
俺たちはしばらく桜に見惚れていた。
すると、桜を見上げている俺の腕に柔らかい感触が伝わってくる。
ふと隣を見ると、安曇が腕を組んで寄り添ってきていたのだ。
安曇は上目遣いで微笑みかけてくる。
その笑顔は黒髪の安曇とは違い、とても可愛らしくて思わずドキッとしてしまう。
俺は照れ隠しをしながら横に視線を向ける。
するとそこには、俺たちの様子をニヤニヤしながら眺めている季咲さんの姿があった。
「うんうん。青春してますなぁー」
慌てて離れようとするものの、安曇がガッチリとホールドしていて離れることができない。
それどころか、力がさらに強くなっていく。
「ダメですよ? せっかくの恋人との時間なんですから、もっといちゃいちゃしてください」
「いや、無理だから。こんな人前で恥ずかしすぎるって」
「あたしは全然構わないけど? 二人の初々しさが面白いしね」
「俺が構います!」
「まったく、彼方さんは我がままですね。なら、仕方ありませんね」
安曇は俺からパッと離れた。
まったく、さっきと態度がまるで違うじゃないか。
この姿の安曇も意外と積極的なんだな……。
ようやく解放されたことにホッとしたのだが――。
今度は背中側から抱きしめられた。
そして、耳元で囁かれる甘い声。
「これでいいですか? 彼方さん」
「よくねぇよ! は、離してくれ……」
「おおっ、春風は大胆だねぇー」
それからしばらくの間、俺は安曇に後ろからハグされ続ける羽目になった。
「んー、おいしいですね、このたこ焼き」
「ああ、そうだな。……うまい」
現在俺たちは桜を見ながら、屋台で買ったたこ焼きを食べている。
ちなみに、お金はすべて俺が払った。
貧乏学生だが、男としてこれくらいの甲斐性は見せなければならない。
まあ、そもそも今日のデート代は俺が払うという約束だったしな。
そんなわけで、今は三人でベンチに座って休憩中なのだ。
しかし、まだ先ほどのことを引きずっているのか、妙に安曇のことを意識してしまう。
気を紛らわせるためにも話題を変えるとするか。
「そういえば、なんで今日は季咲さんも一緒に来たんすか?」
「そりゃあ、あたしは春風の保護者でもあるからね。妹が、どこの馬の骨ともわからないやつと付き合ってるのか、気になるのは当然でしょ? だから、監視するためにわざわざ仕事を休んで付いてきたってわけよ」
「そ、そうなんすか……」
「すみません、彼方さん。初デートなので、二人っきりがよかったですよね?」
「あ、いや、別に……」
「でも、わたくしの変化を説明するためにお姉様が必要だったんです。それに、わたくし自身も一人ではちょっと心細くて……。本当はわたくしからお姉様にお願いして付いてきてもらったんです」
「あー、それを言っちゃダメでしょ、春風。せっかく隠してたのに……」
「すみません、お姉様。やっぱり、彼方さんには、すべてお話ししておいたほうがいいと思ったので……」
この姉妹はこういう関係性なのか。
仲が良さそうで何よりだ。
一人っ子の俺としては少し羨ましいところだが……。
「季咲さんから見て、今日の俺はどんな感じっすか?」
「ふむ……。とりあえず、今日は及第点ってとこかな。まだ妹と付き合うことを許してやろう。これからも精進してくれたまえ」
「そ、そっすか……」
「もう、お姉様ったら! わたくしはもう子どもじゃないんですよ! 彼方さんとの恋に口出しはしないでください!」
「はいはい、わかりましたよー。それで? これから何をする予定なの?」
「えっ!? えーと、特に決めていませんわ」
「じゃあ、もう一回公園をぐるっと周ろうぜ。もちろん、今度は逆周りで」
「それだけじゃなー……。よし、こうしよう。桜を堪能した後、カラオケにでも行こうじゃないか。初カラオケデートもいいものでしょ?」
「さすがお姉様! 冴えてますわね。彼方さんもそれでよろしいでしょうか?」
「ああ、いいぜ」
俺たちは再び公園内を歩き回ったあと、カラオケに行った。
俺はそれほど歌が得意というわけではない。
それでも楽しかった。
今まで女の子とこんな風に遊んだことなんてなかったからだ。
「いやあ、今日は意外と楽しかったねぇ」
帰りの電車内で、季咲さんが突然そう呟く。
確かにそうだ。
最初は状況がうまく呑み込めず、緊張していたものの、途中からは楽しさが上回っていた。
それもこれも、二人が気さくに接してくれたからだろう。
「お姉様、素直になってください。本当はとても楽しかったのでしょう?」
「へへ、まあねぇー」
「二人とも歌が上手くてびっくりしたぜ」
「うんうん、もっと褒めてくれたまえ」
「あ、ありがとうございます」
季咲さんは得意気な顔をして、胸を張っている。
安曇も褒められて嬉しいのか、顔を少し赤くしていた。
「彼方さんもお上手でしたよ」
「そうか? ありがとな」
「でも選曲がちょっと古めだったけどなぁー」
「まあ、カラオケなんてお袋としか行かないからなぁ」
「ええっ!? 智輝くんってもしかして、マザコン!?」
「お姉様、失礼ですよ。母親想いなのはとても素晴らしいことだと思いますよ、彼方さん。……わたくしたちには、母親がいないので羨ましいです」
「ん? それはどういう意味――」
「はい、今日のお話はここまででーす。ほら、もうあたしたちが降りる駅に着いたよ」
「あ、本当ですね。彼方さん、今日はありがとうございました。また、学校で会いましょう」
「じゃあね、智輝くん。また遊ぼうねー」
「あ、ああ、またな」
別れの挨拶をしたあと、二人が電車から降りる。
そして俺だけが一人、電車に残された。
安曇の言葉の意味は聞けなかったが、まあ、別にいいか。
そんなことを考えているうちに、電車は俺が降りる駅に到着していた。
自宅に帰ったあと、洗面所の鏡を見ながらオールバックにしていた髪の毛を下ろす。
今日はいろいろあったが、楽しかったな。
だがしかし、まさか安曇が多重人格だったとは驚いた。
それにしても、魔法か……。
俺は下ろした髪を触りながら考える。
髪色も性格も季節によって変わるとは、なんとも不思議な女の子だ。
まあ、俺も似たようなもんだがな。
さすがに髪色は変わらないが、性格が変わることならある。
特に、他人といるときは――。
そのとき突然、携帯が鳴る。
確認してみると、安曇からの通知だった。
『今日はありがとうございました。とても楽しかったです。またデートしましょうね』
……律儀なやつだ。
いや、付き合っているんだから、これくらい普通なのか?
俺はとりあえず「こちらこそありがとう」と返信する。
……よし、明日からも頑張ってもう一人の自分を演じよう。
きっといつか、本当の自分を出せる日が来るはずだ。
俺は安曇に対して、そんな淡い気持ちを抱き始めていた。