14話 精霊
エレオノーラは、さっき見た光景がいまだに信じられなかった。
暗闇の中から大きな猿が現れ、エレオノーラは腰を抜かした。
すぐに衛兵が駆けつけてくれたが、動きが素早い猿の魔物をなかなか倒せないようだった。
恐ろしくて、自分はここで死んでしまうのかと思った。
その時、森の香りがする柔らかな風がその場に吹いた。
その風に切り裂かれるように、猿の魔物は全て倒された。
エレオノーラは、確かに見た。
緑色の髪に、背中に羽の生えた美しい女性がその風を起こすところを。
明らかに人ではない神秘的な姿に見惚れていると、その女性はエレオノーラを見た。
目が合ったことでドキドキしていると、その女性はエレオノーラに微笑みかけ、姿を消した。
「今のは…どういうことだ?」
「急に風が吹いて、魔物が全て倒されたが…」
魔物と戦っていた騎士たちは、何が起こったのか分からないようだった。
どうやらあの女性の姿が見えていたのは、エレオノーラだけだったらしい。
人間ではなかった。
でも猿の魔物のような禍々しさはなく、初夏の森に流れる風のように爽やかだった。
あんなに美しい女性を見たのは、初めてだった。
エレオノーラはしばらくぼうっとしていて、騎士たちに怪我をしたのかと心配されるほどだった。
パーティーは中止され、参加者は王城の警備のもと帰路についた。
希望者はそのまま王城に泊まることも許されたが、王城に二度目の魔物の出現とあって、不安な夜となった。
アルノルドとセシーリアはひとまず、執務室に戻ってきていた。
ユーリーンが淹れたお茶を飲んで一息ついたところで、部屋にウルリーカが現れる。
ウルリーカは、人とは違う色彩の瞳をアルノルドに向ける。
「この子は誰?セシーリア」
アルノルドは、ウルリーカに礼をする。
「アルノルド・エドヴァールと申します。先ほどは魔物から人々を守っていただき、ありがとうございました」
「セシーリアに頼まれたもの」
ウルリーカは、ふふっと面白そうに笑う。
「セシーリア以外の人間と話すのは久しぶりだわ。この国の王族は嫌いだけど」
「王族が、何かしたのでしょうか?」
「あの男の子孫だから気に食わないだけよ」
『あの男…?』
「そういえば、セシーリア」
アルノルドが聞き返す暇もなく、ウルリーカは思い出したようにセシーリアを見る。
「魔物を倒した時に、私のことが見える子がいたわ」
「え?」
驚くセシーリアに、ウルリーカは面白そうに微笑む。
「目が合ったから、間違いないわ」
「魔素が見えなくても、精霊が見えるのか?」
アルノルドは、魔素が見えるようになってから精霊が見えるようになったのだ。
セシーリアは、少し考え込む。
「素質があれば、見えることもあるかもしれない。あとは、相性とかその時の天気によってたまに見えたりすることもあるわ」
「この国から魔法がたくさん失われてからは、私たちが見える人間はどんどんいなくなっていったものね。伝説の存在だなんて、笑っちゃうわ。私たちを見ようとしなくなったのは、そっちなのに」
「それは…申し訳ない」
アルノルドが頭を下げると、ウルリーカはそれを興味深そうに見つめる。
「王族は嫌いだけど、あなたは嫌いじゃないわ」
アルノルドが少し驚いて頭を上げると、人とは違う色彩の瞳が微笑んでいた。
「ウルリーカが見えたのは、どんな人だった?」
「金色の髪の女の子だったわ。赤いドレスを着てたわね」
魔物が現れた場にいた令嬢は、1人だけだ。
「エレオノーラ嬢か」
「エレオノーラ様には、ウルリーカが見えていた…」
セシーリアは少し考え込む。
「失われた魔法を使った場合、その人の罪はどのくらい?」
「今は失われた魔法を使える者がいないから、実際に罪に問われたのはかなり昔の人間だが…」
アルノルドは少し言いにくそうに続きを口にする。
「賢者が決めた法に従えば、死刑だ」
変わっていなかったか、とセシーリアは皮肉げに笑みを浮かべる。
「それなら、エレオノーラ様には精霊のことは口止めした方がいいわ。精霊が見えるということは、失われた魔法を使えると見なされるかもしれない」
「セシーリア。遅かったみたいよ」
ウルリーカが少し開いた窓の外を見ている。
「その女の子が喋ってしまったみたい」
ウルリーカは風の精霊なので、風に乗ってくる情報を拾うことができるのだ。
「まずいな…」
公爵家の娘が死刑となれば、公爵家が王家の敵に回るかもしれない。
「私に考えがあるわ」
セシーリアは真っすぐに、アルノルドを見つめた。