補遺:答えを出せない理由について
自動運転に明確な答えを出すことはできないし、
出すべきでもない。
世界有数の国や企業が自動運転を推し進める背景には、
人口減少社会という避けられない現実がある。
運転する人間が減り、
移動を人の労働に依存し続けることができなくなる。
その意味で、自動運転は必然でもある。
そして皮肉なことに、
人口減少社会とは「人が少なくなる社会」であり、
それは同時に、
自分が語ってきた意味での
安全な自動運転が成立しやすい社会でもある。
人が減れば、
予測不能な行動も、判断の衝突も減る。
自動運転は、静かに矛盾を解消していく。
だがその構図自体が、
すでに一つの矛盾を抱えている。
自動運転は人間のための技術でありながら、
人間が減ることで完成に近づく。
人を支えるはずの技術が、
人の不在によって安定する。
だからこれは、
正解・不正解で裁ける問題ではない。
自動運転は、
人口減少という現実の中でしか成立しない技術であり、
同時に、
人間とは何かを問い続けてしまう技術でもある。
答えは出せない。
ただ、その矛盾に気づいてしまった、
という事実だけが残る。
あとがき
世界有数の国や企業が自動運転を推し進める背景に、
人口減少社会という現実があるのは確かだ。
だが、その前提はすべての国に当てはまるわけではない。
インフラが十分でなく、
内戦や戦争で社会が分断されてきた国々では、
今後も人口が増える可能性が残されている。
若い世代が多く、
人間の労働や判断が、まだ社会の中心にある場所もある。
それでも、
高度に組み立てられた社会、
管理と効率を極限まで突き詰めた社会では、
人間はしばしば「不安定な要素」として扱われる。
価値がない、というより、
価値として数えにくい存在になっていく感覚がある。
人口は、数字としては増えるかもしれない。
しかし増えていくのは、年配の人たちで、
二十歳未満の人口は減り続ける。
社会は膨らんでいるのに、
未来に向かう力だけが細っていく。
そこには、政策や技術を超えた、
自然の摂理のようなものを感じてしまう。
人が減るから自動化が進むのか、
自動化が進むから人が減るのか、
もはや切り分けることはできない。
自動運転もまた、
その流れの一部に過ぎない。
人を救う技術でありながら、
人の居場所を静かに変えていく。
この感覚に、
はっきりした答えはない。
ただ、違和感として残り続ける。




