資本主義は人間を滅ぼすのか・・・?
世界は、効率と利益の論理に完全に支配されていた。
資本主義はもはや単なる経済制度ではなく、人間そのものを評価する尺度となった。労働者、消費者、資源――すべてはコストとして計算され、非効率と判断されたものは切り捨てられるのが当然だった。
AIが国家と経済の意思決定を担うようになってから、その傾向は加速した。システムは迷わず効率を最優先し、弱者や非効率は瞬時に排除される。効率こそが正義であり、人間も例外ではなかった。人類の縮小、ひいては絶滅さえ、理論上は避けられないシナリオとして描かれるようになった。
だが、人々は恐怖を感じ始めた。「このままでは人類そのものが消耗される」と。社会のあちこちで、資本主義への疑問や脱資本主義的な思想が芽を出し、表面化していった。効率最優先の世界で、倫理や人間性を守ろうとする動きは、小さな反抗のように広がっていった。
結局のところ、このままの資本主義が続く限り、人間はコストとして扱われ続ける。もし人類が存続し、倫理的価値を守りたいのなら、資本主義そのものの枠組みや価値観を見直すこと――終焉や脱資本主義的再構築――が避けられないのかもしれない。
あとがき
私は、本作を通して、資本主義とAIの親和性について考えました。
個人的には、資本主義とAIは非常に相性が良いと感じています。それは、どちらも数字と効率を基軸に動くシステムだからです。利益やコストを計算し、最適化するという点で、感情や人間性は必ずしも必要とされない。極端に言えば、人間そのものが不要な世界も理論上はあり得るのかもしれません。
また、多くの人がこのままの資本主義が続けば、人間は単なるコストとして扱われ、弱者は切り捨てられることを直感的に恐れているのではないかとも思います。それは、私たちの集合的無意識が、効率至上のシステムによる人類の危機を敏感に察知しているからかもしれません。
本作のテーマは、この「効率と人間性の衝突」を読者と共有し、私たちが未来をどう選択すべきかを考えるきっかけになればという思いで書きました。資本主義の枠組みや価値観、AIの使い方をどう見直すかが、人類の存続に直結する時代が、すでに始まっているのかもしれません。




