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日々の想い(日記?)  作者: otu
小説って、アニメ化される30ぐらいがちょうどいい?
40/50

覚書:「記憶の手前」4

警察に向かうとき、私は母に同行してもらった。

自分ひとりでは、きっと信じてもらえないような気がしたからだ。

事故のあったと思われる時間帯には、

被害者は存在していなかった。

正式な「事故」としての扱いにはならないが、

「報告」という形で事情を伝えることができた。


その瞬間、胸の奥に少しだけ安堵が広がった。

もし本当に何事もなかったのなら、

この出来事は、いずれ夢のように忘れ去られていくのだろう。

スクーターで公共交通機関を破壊するような力はない。

だから、これは――

自分の中にだけ残る「記憶の影」なのかもしれない。


それでも、今回のことで一つの教訓を得た。

もし私が車を運転していて、

前方のスクーターに軽く接触し、そのまま倒れたとしても、

たとえ相手が立ち上がり、何事もなかったように走り去ったとしても――

やはり警察に届け出るべきだと、心から思った。


なぜなら、もしその相手が私のように記憶を失い、

そのまま息を引き取ってしまったとしたら、

それは「ひき逃げ死亡事故」として扱われる可能性があるからだ。

運転手は自分の身を守るためにも、

状況を警察に報告しておくことが、

最も安全で、誠実な行動だと気づいた。


自損事故なら別だとしても、

交通量のある道路では、

誰かの目に、誰かの記録に、必ずその瞬間が残る。

それを思うと、

もし自分が“車を運転する側”だったら、

きっと見過ごしてしまうかもしれない――

その可能性に、背筋が冷たくなった。


人は、自分の記憶や判断を完全には信じられない。

けれど、だからこそ、

「確かめる」という行為を放棄してはいけないのだと思う。

たとえ記憶が失われても、

確かめようとする意思が、

“生きている証”になるのだから。

あとがき


記憶を失ってから、一週間。

この時間は、脳の経過を観察するための期間でもあるという。

けれど、私にとっては、それ以上の意味を持っていた。

もしこの先、どんなことが起きても――もう受け入れよう、

そう思えるほどに、連絡を終えた。


警察へ。

任意保険会社へ。

すべてを伝えた。


それは、たぶん「自分を守るための最低限のこと」だったのだろう。

けれど今は、その行為そのものが、

“確かに生きている”という実感に変わっている。


記憶をなくしたとしても、

行動だけは、未来に残せる。

そしてそれが、私にできる――

最も静かで、確かな「答え」なのだと思う。

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