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日々の想い(日記?)  作者: otu
小説って、アニメ化される30ぐらいがちょうどいい?
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覚書:「記憶の手前」3

ドライブレコーダーは――結局、確認さえできなかった。

何年もそのままにしてしまったことが、今になって悔やまれる。

もしかすると、あのときすでに、心のどこかで諦めていたのかもしれない。

記憶を失った自分にとって、映像は最後の希望のように思えた。

「もしかしたら、そこに何かが映っているのではないか」と、

そんな淡い期待を手放すことができなかったのだ。


けれど、今は思う。

それもまた、ひとつの“決着”だったのだと。

真実を知ることよりも、知ろうとした自分を受け入れること。

その過程こそが、私の中で静かに終わりを告げた。


そのあと、警察の交番を訪ねた。

巡査がパトロールに出ており、

「何かあったら受話器に向かって話しかけてください」と言われた。

初めての経験だった。

警察という場所に、できれば縁がない方がいい。

それでも、あのときの私は――どうしても確かめたかったのだ。


記憶を失っている以上、私は“被害者”かもしれないし、

“加害者”かもしれない。

右側の車に軽く接触し、スクーターが転倒した可能性もある。

あるいは、突発的な飛び出しによる自損事故かもしれない。

どんな可能性も否定できなかった。


だが、その中で最も恐ろしかったのは、

「誰かを傷つけていたかもしれない」という思いだった。

それだけは、どうしても避けたかった。

それは神を意識したものではなく、

ただ、どうしようもなく“自分を守りたかった”だけなのだと思う。


一日の記憶がまるごと抜け落ちるほどの衝撃を、

頭に受けていたのだから。

それでも、逃げ癖がある自分を思い出すたびに、胸が痛んだ。

車をバックしていて、後ろの車に気づかず軽くぶつけたのに、

連絡もせずにそのまま立ち去ったことがある。

バイクでサイドミラーをかすめても、

そのまま走り去ったこともあった。


――だから、私は自分を信じられなかった。


もし、あの事故で被害者がいたなら、

私はまた逃げたのではないか。

記憶が失われたことさえ、

その「逃げ」の延長なのではないか。


自分を信じられないということが、

これほどまでに苦しいものだとは思わなかった。


それでも、いま私は、こうして書いている。

書くことで、少しずつ「逃げていない自分」を確かめているのかもしれない。

たとえ記憶が戻らなくても、

この痛みを言葉にできるかぎり、

私はまだ、生きている。

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