覚書:「記憶の手前」3
ドライブレコーダーは――結局、確認さえできなかった。
何年もそのままにしてしまったことが、今になって悔やまれる。
もしかすると、あのときすでに、心のどこかで諦めていたのかもしれない。
記憶を失った自分にとって、映像は最後の希望のように思えた。
「もしかしたら、そこに何かが映っているのではないか」と、
そんな淡い期待を手放すことができなかったのだ。
けれど、今は思う。
それもまた、ひとつの“決着”だったのだと。
真実を知ることよりも、知ろうとした自分を受け入れること。
その過程こそが、私の中で静かに終わりを告げた。
そのあと、警察の交番を訪ねた。
巡査がパトロールに出ており、
「何かあったら受話器に向かって話しかけてください」と言われた。
初めての経験だった。
警察という場所に、できれば縁がない方がいい。
それでも、あのときの私は――どうしても確かめたかったのだ。
記憶を失っている以上、私は“被害者”かもしれないし、
“加害者”かもしれない。
右側の車に軽く接触し、スクーターが転倒した可能性もある。
あるいは、突発的な飛び出しによる自損事故かもしれない。
どんな可能性も否定できなかった。
だが、その中で最も恐ろしかったのは、
「誰かを傷つけていたかもしれない」という思いだった。
それだけは、どうしても避けたかった。
それは神を意識したものではなく、
ただ、どうしようもなく“自分を守りたかった”だけなのだと思う。
一日の記憶がまるごと抜け落ちるほどの衝撃を、
頭に受けていたのだから。
それでも、逃げ癖がある自分を思い出すたびに、胸が痛んだ。
車をバックしていて、後ろの車に気づかず軽くぶつけたのに、
連絡もせずにそのまま立ち去ったことがある。
バイクでサイドミラーをかすめても、
そのまま走り去ったこともあった。
――だから、私は自分を信じられなかった。
もし、あの事故で被害者がいたなら、
私はまた逃げたのではないか。
記憶が失われたことさえ、
その「逃げ」の延長なのではないか。
自分を信じられないということが、
これほどまでに苦しいものだとは思わなかった。
それでも、いま私は、こうして書いている。
書くことで、少しずつ「逃げていない自分」を確かめているのかもしれない。
たとえ記憶が戻らなくても、
この痛みを言葉にできるかぎり、
私はまだ、生きている。




