ゴミ袋から見る日本の精神崩壊・・・?
酔った勢いで
財源に困っているから、ゴミ袋の値上げが起こりという、ニュースを見た気がする・・・
その原因をたどれば、元を言えば政府
ゴミ処理を外部委託してきたせいで、今のインフレの流れをまともに食らって、ゴミ処理コストが膨れ上がっている。
それを「ゴミ袋代」でなんとか保とうとする気持ちは理解できる。
でも、結局は市民が日常的に負担を背負うことになる。
それに――
低所得者や外国人にとっての負担増
日常的に出るゴミにお金がかかるのは、生活の余裕が少ない人にとって特に厳しい。
副作用としてのリスク
ゴミ袋代を惜しんで、
・野焼き
・不法投棄
・埋め立て(不適切な処理)
などにつながる可能性がある。
地域環境への悪影響
その結果、景観や衛生状態が悪化し、最悪「スラム化」に近い状況になるかもしれない。
制度的な課題
「環境保護」や「ゴミ削減」という美しい大義名分の裏で、実際には一部の人たちにしわ寄せが集中する。
ここまで考えると、「ゴミ袋値上げ」は単純に“環境政策”としてだけ語れないテーマになる。
結局これは、日本がずっとデフレを引き起こしてきた流れと同じで、ツケを国民に回しているだけ。
一時的にはうまく作用するかもしれない。そして全国的に波及するのだろう・・・
だが長期的に見れば、日本人の「清潔さ」や「秩序」への意識を崩壊させ、海外のようにスラムを“仕方ないもの”として許容する流れに見えてしまう。
やるせないというか、日本が日本らしさを失っていくようで怖い。
あとがき
本来、税金を払えばゴミ収集という権利が保証されていたはずだ。
それが有料化されると、その権利が失われてしまう。
行政の最適化の名の下に、市民生活が犠牲になる――まさに“最適化の悲劇”だ。
さらに、日本人は“二重課税”に慣れてしまっていることがよくわかる。
住民税も消費税も払っているのに、さらにゴミ袋代まで…。
本来なら「え?これっておかしくない?」と声をあげてもおかしくないはずなのに、
「まあ仕方ないか」と受け入れてしまう。
その慣れこそが、日本人の意識の崩壊の一歩かもしれない。
しかも市民だけでなく、企業も同じだ。
追加のコストは商品価格に転嫁され、結局は再び市民に跳ね返ってくる。
負担がぐるぐる回る構図に、誰も声をあげない。
この“慣れ”こそ、最も恐ろしい。
では、最適化のためにゴミ袋にお金をかけるのは、誰のためなのだろう?
本当に市民のため?それとも業者のため?
二重課税の感覚も含めて考えれば考えるほど、答えは見えず、
ただモヤモヤだけが残る――そんな気分になる。
あなたはどう思いますか・・・?




